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♪お江戸日本橋     1963.01
 東京地方民謡   編曲:宮川泰 演奏:レオン・サンフォニエット
          録音:1962.10.12 文京公会堂
   

一般知名度 私的愛好度 音楽的評価 音響的美感
★★★★★ ★★★★★ ★★★★★

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ザ・ピーナッツ・ファンにならなくとも、このレコード(CD)を聴かなくっても、
誰でも知っている歌です。(...と、思いますが、定かではない:笑)
...なんですが、あらためて、何で知っているのであろうか、と追求すると、はてな?
と首をかしげるところがあります。そこで、まず手短かな家庭内から調査開始。
●私___古いSP盤で聴いたし、学校で習ったような気もしている。(基点)
●妻___学校じゃ教えないでしょ。テレビで聴いたけど。(基点+17年)
●娘___そのタイトル全然知らないよ。メロは聴いたかも。(基点+39年)
う〜ん、このようにして古謡は忘れられていくのかなあ。

と、言いつつも、本来の歌はどのようなものであったかも、私自身がもうあやふや。
家にSPレコードがあって、この歌を聴いたことがあった。
どこか、のっぺりした一本調子の歌い方であったが、あれが本来のものだろうか?
そういえば祇園小唄もそんな感じだったので、ピーナッツのは新時代の歌い方なのだ。
町田嘉章さんという方が日本中の民謡を五線譜に採譜して全国に普及させたとかの
話を昔聞いたことがあるので、そういう時に若干音楽的な改良をしたのかも知れない。

ちょっと、これをご覧ください。

http://www.study.ne.jp/forest/hauta/oedo.html
これは三味線の楽譜です。もちろん、昔は楽譜などありません。これは文化譜です。
昔は口三味線で口伝。チン・トン・シャンはスキャットではなく奏法を示します。
三本の線は三本の糸を表し、数字はギターでいうフレットの位置を示しています。
位置の目安は三味線の棹の継ぎ目を頼りにします。(数字シールを貼っても良い)
「本調子」というのは標準調律。弐の糸のピッチを上げると華やかな「二上り」。
三のピッチを下げるとくだけた感じの「三下り」ということになります。
その他、バチの使い方も譜面で表しています。(何で私が詳しいのでしょう:秘密)
このとおりに三味線が弾ければ、オリジナルのお江戸日本橋が歌えそうです。(笑)

お江戸日本橋でお馴染みなのは、リカルド・サントス楽団の演奏です。
子供の頃、これが巷で大流行してまして、この演奏がよくラジオで流れてました。
ところが、私はこのひゅるる〜〜という弦楽器の上り下りが気色悪くて苦手でした。
大人になってあらためて聴いてみると、そんなにひゅるる〜〜はやっていないし、
そこがこのレコードの聴かせどころだとも思いましたし、いいな、と思った。
子供の頃はピーマンが食えないとかありましたが、大人になると食えるものです。
ところが歳をとると最近の音楽が皆同じように聴こえたりする弊害もあります。(笑)

♪お江戸日本橋 七つ発ち
七つというのは、午前4時なんだそうで、すごい早い時刻に出発するのですね〜。
まだ始発電車が動いてないのに。(わざととぼけるが、これは受けないな)
♪六郷わたれば 川崎の万年屋 つるとかめとの米饅頭
 コチャ 神奈川急いで 保土ヶ谷へ コチャエ コチャエ
ギョッ。私の住んでいた、川崎区、神奈川区、保土ヶ谷区、全部歌い込まれてます。
もち、インファントをテーマにしたのではなくって、十返舎一九の東海道中膝栗毛を
歌ったものなのです。更に古くは「羽田節」とかいう元歌があったらしいです。

さて、ザ・ピーナッツの歌は天下太平、天真爛漫、うそみたいに楽しい歌い方です。
アレンジも楽しい楽しい。こういうのをやらせたら宮川先生は敵なしの独壇場か?
ジャズマンなのでしょうが、ラテンっぽいリズムの方が似合ってるような気が??
 ♪ランラン ララ 
と弾むような歌声で始まると曲が終わるころには保土ヶ谷どころか平塚あたりまで
飛び跳ねて行ってしまいそう。
たまには脳天気なこういう歌もいいものです。(でもちょっぴり郷愁もあったりして)

                2002/11/15投稿



<でぶりさんよりレス> - 2002/11/15


>う〜ん、このようにして古謡は忘れられていくのかなあ。

そうですね。私も父が聴く江利チエミのレコードで民謡は耳に入っていました。
だから少なくとも1960年代前半までは、次の世代にうまく伝承されていたのでは
ないかと思います。
1950〜1960年代は、ザ・ピーナッツをはじめ、江利チエミも弘田三枝子も小林旭も
日本民謡をベースにした曲を数多くレコーディングしていますよね。
だいたいジャズ風にアレンジしたものが多かったと思うんですが、このような古謡の
掘り起こしのきっかけというのは何だったのでしょうか。
誰かが成功しなければ後発レコードの企画はなかったはず。

あのミコ様までも『日本民謡を唄う』と銘打ってLP一枚入れているというのは非常に
興味深いものがあります。
そして、今回ザ・ピーナッツの民謡もあることを知って、ますますこの現象に興味を
そそられてしまいます。
現代も民謡とか小唄・長唄は消えてはいませんが、ちょっと別の音楽のような気がします。
今のJ.POPのミュージシャンが『さのさ』をカバーすることは考えられませんものね。
江利チエミの主演映画『ジャズ娘誕生』の中で、地方巡業で浪曲師(だったと思う)の
出番に穴があき、観客から凄まじいブーイング。仕方なくその心得のあるチエミが
ピンチヒッターをつとめて浪曲を披露し拍手喝采というシーンがありました。
テレビがなかった時代の地方巡業では浪曲も重要なプログラムだったことがわかりました。

インファントさんが言われる『古謡』を受け入れる大衆の欲求がまだ充分あった時代
なのですね。ポップス系歌手のジャズ風日本民謡のリリースは、その聴衆層の需要を
当て込んでのリリースだったのでしょうか。
それとも復古主義みたいな風潮が当時あったのでしょうか。
何で洋楽畑の若い歌手が民謡をこぞって取り上げたのか。
今、しきりに1960年代歌謡曲を若い人達がカバーレコーディングしていますよね。
40代以上の世代である私にとっては、けっこう嬉しいこの状況。
「もっと、さかのぼってカバーしてくれぇ〜!」なんて叫んでしまいそうですが、
民謡カバーが盛んだった頃も、中年諸氏は嬉しい心境だったんじゃないでしょうか。
若い可愛い歌手が民謡を新しいアレンジで歌ってくれると嬉しかったかも。。。
“ティーンアイドルの○○ちゃん”が“皆さまの○○ちゃん”という国民的歌手となる
重要なステップだったのかなと、またまた当時に思いを馳せております。



<インファントの連載犬 2002/11/16


でぶりさんの関心事は、チエミ、ミコ、ピーナッツの存在自体の核心に迫ってますね。
「民謡」というのは「民が口ずさむ唄」ですから、既にみんなが歌っていたものです。
チエミ、ミコ、ピーナッツは元々オリジナル曲から世に出た歌手ではないのですね。
洋楽ものをメインにしていること自体が「カバー曲」で独自性をアピールしたのです。
「和」も「洋」もカバーなので、一貫してるんです。これは大変なことだと思います。
完全自由競争の場でアイデンティを確立させるのは容易ではないと考えられます。

チエミという大ブランドが既に存在してるのだから、並大抵のことでは逆効果になる。
ピーナッツに関して言えば牧野ディレクターは絶対的自信があったからだと思います。
デビュー盤「可愛い花(小さな花ではない)」「南京豆売り」で、可愛いピーナッツ、
のイメージを日本中に浸透させたら、次からB面はいきなり、民謡シリーズです。
失敗したら奈落の底です。なんだ、つまらん、下手っぴいな歌手、でお終いです。
B面とはいえ、150円分(今なら千円以上か)の価値がなくてはならないのです。
おまけに、デビュー一年目に民謡集のLPさえ出してしまいます。
今の千円じゃないのです。感覚的には、一万円程度も財布から吐き出させたのです。

ミコちゃんの場合はもっと熾烈ではなかったでしょうか。だって三番煎じなんです。
他の追従を許さない程の並々ならぬ歌唱力と歌いっぷりの個性があったからこそです。
こうしてみると「民謡を歌う」ということは歌手にとっての勲章だと思われます。
超一流歌手としての肩書きを頂いたようなものです。誰でも出来るものじゃない筈。
アレンジャー、演奏家にとっても腕の見せ所だったでしょう。
こういうもので鍛えられたからこそ、後年の宮川泰が育ったとは言えないかしら。
しかしながら、ピーナッツの民謡アルバムが三枚もあるなんて! 凄いことですね。