2007.05.11 投稿者:インファント 投稿日:2007/05/11(Fri) 22:57 No.3713  

今日から家内にパソコンを教えている。
とりあえず今日はインターネットの見方とメールの使い方だ。
まったくの素人さんだから、もう大変。
そのうちなんとかなぁるだろぉう。


2007.05.10 投稿者:インファント 投稿日:2007/05/11(Fri) 07:45 No.3712  

娘が使っていたパソコンを家内が使えるように整備しようとして受信メールも
掃除しようとしてみたら……なんと、迷惑メールが、1260件も溜ってた。
早速、大掃除したのだか、不思議なことに気付いた。

私は娘とは違うメール・ソフトを使っているのだけれど、このソフトでは何故か
こういう迷惑メールの殆どが文字化けして読めないのでゴミ箱へ直行となるが、
娘のは全部日本語で読める。
自分でなにか仕掛けをしたのか、ずいぶん前なので、それも忘れてしまった。

こういう迷惑メールは女性の名前で出す事が多いのもわかったが、傑作なのは、
娘と同じ名前で、○○でえ〜す、なんて書いてある。共食いみたいで可笑しい。
こんなメールが世界的に減ればネットの速度ももっと良くなるかも知れないし、
利用者への迷惑も計り知れない。法律でなんとかならないものだろうか?


2007.05.09 投稿者:インファント 投稿日:2007/05/09(Wed) 13:51 No.3710  

玄関のインターフォンが時々鳴らないことがあって宅配便の不在票が入っていたり、
変だなと思って試してみると、ちゃんと鳴ってみたり、どうも不安定なのであった。
かれこれもう24年も使っているのだから、壊れてもしょうがないと思ってたら、
家内がテレビ・モニター付きに変えないかというので量販店に買いに出掛けた。

こういう代物は屋内配線が伴うから電気工事の資格がないと出来ないのかと思ったが、
電力線の配線、つまり、100ボルトとかの電源を配線するのでなければ大丈夫で、
量販店のパネルにも、そういうやり方なんてのが書いてあり、まあなんとかなるかな、
という感じで、二万円くらいのを買って来た。

説明書を見ると、極性なしの二本線で、玄関と居間の母体の機器を繋げばいいらしい。
ところが既設のインターフォンを外してみたら、線が4本もあるではないか。
なんだこりゃ、と思ったが、多い分には困らないわけで、2本はテープで絶縁をして、
あとの2本で繋いで試したら、まったくオーケーだった。

さて、取り付けなんだが、なにやらネジの位置とかが、そのまんまで使えるのである。
同じ会社(アイホンというメーカー)だからそうなのか、そういう規格でもあるのか、
よくわからないが、元々が壁側にちゃんとした工事をしてあるものをそのまま利用が
出来るのは大変にありがたいと思った。
だから付属していたネジ類は一切使わずに簡単に済んでしまった。

ということで、メデタシ、メデタシ、と。


2007.05.08 投稿者:インファント 投稿日:2007/05/08(Tue) 15:19 No.3709  

昨日、書き漏らしてしまったので、今、書く。

映画の予約をネットでしておいて、映画館前のフロアの機械で暗証番号を入力し、
入場券を受け取るシステムなのだが、何度入力しても「該当なし」になる。

おかしいなと思い、通常の発売窓口のところにいた案内のお兄さんにS.O.S。
しかし、なんと、私が予約したのは、明日の指定席であった。あらまあである。

なんでこうなるの、と、記憶を辿ると、ははあ、と思い当たるフシがある。
画面に上映予定の表を表示させたままで、シニア割引きという表示の案内を別枠
のウインドウで見ていたのだが、そのままにして風呂だとかで席を離れていた。
そのうち、当日の予約は上映時間に達したので、表が更新されたのだろう。
よく見ればいいのに、そこのボタンから予約へ飛んだので、二段目だった明日の
つもりで、明後日を申し込んでしまったのだ。そうに違いない。

たまたま連休明けの月曜日でお客さんが極度に少なかったせいもあるのだろうが、
この案内のお兄さんが、やたらに親切で、発券窓口まで一緒にいてくれて、係の
女性に、こうして、ああして、と細かく指示をしてくれて、指定日と席の振替を
やってくれ、上映開始時間にも遅れずに間に合ったのだった。
老人ボケのように思われた(まあ、一部当っているが)かも知れず、ちょっぴり
恥ずかしかった。

そしてまた、自分が予約した席が前過ぎてしまい、やや首が疲れた。
ザ・ピーナッツのショーじゃないのだから、次回は、もっと後ろにしようっと。


2007.05.07 投稿者:インファント 投稿日:2007/05/07(Mon) 21:21 No.3707  

「東京タワー/オカンとボクと、時々オトン」を今日、川崎チネチッタで
家内と一緒に観て来ました。
夫婦の片方が50歳以上だと2000円で二人で観れるのでオトクでした。
連休も終わったので、どの映画もガラガラで静かに見ることが出来ました。

観終わった感想としては、そんなに良い映画とは思えませんでした。
監督も脚本も演技者もとても素晴らしい。
だけど、原作が、元々のお話がつまらない。
こういう映画では私は感動出来ません。
パンフレットも買わずに帰宅しましたし、後で出るDVDも買いません。

そもそも人が死ぬ話はつまらない。人が死ぬのは辛く悲しい。当り前だ。
だけど、それは感動ではない。感涙は出来ない。
オカンが死ぬ話。それだけである。あと何がこの映画にあるというのだ。

この主人公はかなりの薄情者だ。ちゃらんぽらんだ。愛情が足りない人種だ。
大学まで行かせてもらって遊んでばかりいる。自由人を気取っている。
そんな人種には親近感を持てない。感情移入も出来ない。
何に思い入れがある人なのかが伝わって来ない。感情の動きが自然じゃない。
異端な人なんだろうから、他人の心を惹き付けるものがない。自分勝手だ。

人が死んだり、事件・事故や歴史が動くような出来事も無いという状況下で、
人を感動させることが出来る技こそが私は映画芸術じゃないかと思っている。
「寅さんシリーズ」では、お墓参りなんかの場面はあっても映画の中で人が
亡くなったりはしないし、大した事件が起きるわけじゃない。
「三丁目の夕日」も、どこにでもあった日常的昭和風景を描いただけである。
「スウィング・ガールズ」なんて、ただの高校生がジャズを演奏しただけだ。
それで感動させるのが映画の技というものじゃないのかね。

ザ・ピーナッツの「キサス・キサス」の使い方は上手いと思った。
ピーナッツのこの曲の起用は並のセンスでは気付かないでしょう。
なんか……そこだけ良かったような……(笑)。
「泣けます」なんて映画にはろくなものはないなあ。泣けなかったよ。


2007.5.6 投稿者:インファント 投稿日:2007/05/06(Sun) 10:10 No.3706  

5月3日の日だったかのニュースで東京タワーの入場に行列が出来、二時間待ち
という状況になったと報じていた。時ならぬ東京タワーブームが起きたわけだ。
これは微笑ましいニュースだなあと思ってしまった。

極めて個人的に、東京タワーが大好きなんであります。
なといっても「モスラ」のトラウマが大きくて、東京タワー=小美人。
コンピューター関係の教育を受けに、NEC関連の建物が多い田町には何度も
日帰り出張があったが、東京タワーが間近に見えるので楽しみでした。

家内とデートで行ったこともあります。
セーラームーン・フェスティバルを見に、4年連続で夏休みに娘とも行った。
あの付近には時を超えたなにかが存在する。
夜店のような懐古的な雰囲気があったが、今はどうなのだろう。

東京タワーに昇ると高い所へ上がるわけだが、不思議に恐怖感はない。
外観的にも安定したイメージがあり、高い=恐いとはならないのだ。
そこへいくとジェットコースターは恐ろしい。
私は一度しか乗ったことがない。それも間違えて乗ってしまったのだった。
東京ディズニーランドのスペースマウンテンは外観上は覆われていているために、
ジェットコースターには見えなかったからで、一緒に乗った家内にごめんなさいと
あやまった。家内もこういう類いのものは嫌いだったから、止ってから、二人で
茫然自失の状態だった。

「君子危うきに近寄らず」であって、危なそうなものは敬遠しているのが正しい。
大阪のエキスポランドで昨日死傷者が出た。
とんでもないことのように報じているが、私の視点からは、起きて当たり前だ。
知らない他人がやってる点検整備なんかを信じて乗るから、そういうことに遭う。
わざわざ金を使って恐い思いをして、あげくに早死にするなんて馬鹿げている。
オートバイの運転なども、極めて危険な行為だ。いつ死んでもおかしくはない。

恐いと思う本能は自分を守る正常な感覚が活きている証拠。
恐くないと感じるのは無神経になっている馬鹿。
恐くない=かっこいい、と思うのは、馬鹿に向かって突進している大うつけ者だ。


2007.05.03 投稿者:インファント 投稿日:2007/05/03(Thu) 15:52 No.3705  

今日は実家の川崎へ行って来た。
川崎の駅周辺は、ここは一体どこの都会だ、とわからないほどに様変わり。
ファッショナブルでデラックスになったのは悪いことじゃないのだろうが、
個人的には、絶対に昔の方が良かった。

先日、川崎の駅ビルをうろうろしていた夢を見て、ふっと目覚めたときに、
たまらない郷愁を感じてしまった。
改装前の、というより、再開発前といってもいいのだが、駅ビルが好きで、
私はなんでもかんでもここで買った。
地元商店街の出店そのものなので、アットホームだったんだ。

決して小さな駅ビルじゃなくて、映画館が二つも入っていた立派な代物。
レイアウトがとても人なつっこい感じで、わかりやすい。
用のないお店にまで入っていって、絵なんか買ったりもした。(笑)
巨大なお好み食堂というのがあって、ここが気取らずに入れるために、
一人でも良く食べに行った。
オバサンの店員さんが、お茶を入れてくれて、横で話なんかしたりして、
今の嫁さんとも、ここでよくご飯を食べた。
なんともいえない安堵感がよい味付けになってて、美味しかったなあ。

こういう店鋪が今や絶滅しちゃってる。
赤ん坊がぎゃあぎゃあ泣いているようでなくちゃ人間らしい場所じゃない。
あの時代はもう戻って来ないのだろうなあ。


裏掲示板・新設のお知らせ 投稿者:インファント 投稿日:2007/04/29(Sun) 23:13 No.3703  

裏掲示板(第二掲示板)常連のみなさま、
今度は、こちらの掲示板にご投稿願います。(よろしくです)
    ↓↓↓
http://gooweblo.dip.jp/cgi/gy/mkres5k.cgi?infant


裏掲示板が閉鎖中です 投稿者:インファント 投稿日:2007/04/29(Sun) 22:02 No.3702  

現在、裏掲示板(アットホーム話題中心の第二掲示板)は閉鎖中です。
近日中に、悪質投稿を防ぐツールを有している環境に変える予定です。
また、再開時には、お知らせします。

なお、
皆様から寄せられた過去の投稿は、全てこちらでご覧頂けます。
                  ↓↓↓
http://homepage.mac.com/infant/omotya/uralog.html


2007.4.22 久々 投稿者:インファント 投稿日:2007/04/22(Sun) 16:33 No.3701  

先日の新聞にこんな表が載っていた。天下りの先「わたり」だってさ。白土三平かよ。

これもテレビで公務員にインタビューしていたのを見ていたら、
「天下りが無くなると優秀な人材が(お役所なんかに)来なくなる」だってさ。
冗談じゃねえや。どうせろくでなしが今でも揃っているにちがいないんだ。
そういう、ろくでなしだから、こういうことを平気で言う。

とにかく税金をかっぱらって懐に入れて優雅な生活をする事に精を出している連中。
そのために「大義名分」を次々に作っていく。
もともと頭の良い連中だから、そんなことをしてはいけないことはわかっている。
わかっちゃいるけど、やめられない。こんなに濡れ手に泡の金儲けは他にはない。
おまけに、堂々と偉そうにも出来る。泥棒も偉くなると捕まることもない。

キャリアとかいわれる受験だけに特に偏った能力がある国立超有名大学卒なんてのが、
40くらいになって、昇進ポストが空いていないと、即、天下りする仕組みだそうだ。
そうしないと年齢が逆転したりして幹部の仕事がやりにくくなるし、本人も嫌だとか。
甘ったれんじゃねえ、と、言いたいね。
私しゃ定年まで勤めたが、20歳も年下の人に使われていたよ。しょうがないじゃん。
それも民間企業だったから、お仕事もそれなりにちゃんとやったよ。
天下りだの、わたりだのという連中は、お仕事なんて一生しないで死ぬんだろうなあ。
それで、田園調布に家が建って、子孫にも有名大学へ行かせて、万々歳だ。

こういう格差って、あっていいのかいな。単にお受験に強いだけだろ。
そんな偏屈な人間なんて、ろくなもんじゃねえよ。
本人が税金を搾取するだけでも、けしからんのに、談合だ収賄だと明らかな悪事さえ
当然の権利だというつもりでじゃんじゃんやってる。
こういうことをして潤っているのは自分のような少数派なので、税金の全体の金額
から見れば些細なもので、ちょろまかさない方がおかしい、と思っているのだろうが、
これがまあ、こういう人間が膨大に存在するんだよな。
なんとか法人なんてのが無数にあって、「大義名分」だけで存在し、そこに居る人も
なんのためにある仕事なのか、わからないことが多いという。
そりゃそうだろう、税金を盗用することが目的なんだ。天下りの為にしか意義はない。
こういう殆ど悪事といって言い存在をなんとかしなきゃ日本もお終いだろう。


掲示板が見れない 投稿者:インファント 投稿日:2007/04/16(Mon) 18:45 No.3700  

「みんな楽しく ピーナッツ」の掲示板が見れないようだ。
☆ピーナッツ・ホリデー☆BBSも同じ会社だから駄目かも。
治るまで、待っててください。


2007.4.14 投稿者:インファント 投稿日:2007/04/14(Sat) 17:52 No.3699  

今日は娘夫婦の新居用のパソコン&電話関係を整備するために巨大電器屋へ
行ってきましたが、私の想定価格の6割くらいで買い揃えることが出来た。
とにかく多機能を優先しなければ何でも安く買えるようになっている。
しかし、驚いたのは、ウインドウズ・ビスタというOSはメモリー喰いだと
いうことである。
標準で512メガのメモリーを積んでいるパソコンだが、心配なので1ギガに
増設してもらった。それは賢明ですよ、と、お店の人も言ってた。

固定電話も引いていないので、そこからスタートなんだが、光なんとかという
方式が使えるマンションなので、これも合わせ技で導入すると超格安で電話も
使えることになって、正に驚くべき時代になっていることもわかった。
こんな説明を聞いていると私はワクワクしてくる性分なのだが、娘の旦那さんは
二十代前半なのに、頭が……と、すっかり参っているようだった。
気の持ちようで何でもいけるということ。人が作ったものは人が理解出来るもの、
という前提で考えていれば恐いものなんかないんだけどなあ。


2007.4.12 投稿者:インファント 投稿日:2007/04/12(Thu) 22:41 No.3698  

サクラダ・ファミリア(聖家族)というガウディさんの教会建築物が有名だが、
いつも横浜駅を利用する度に思うのは、ここもサクラダ・ファミリア並みだと
いうことです。いつになったら横浜駅構内の工事が終わるのかと思います。

私が通勤を始めたのが1965年(昭和40年)で、その時点からず〜〜っと
やっているのである。少なくとも、もう42年はやっていることになる。
そりゃあ随分と変りました。便利に立派になっていることは間違いない。
だけど、いつも足元が危なっかしいのはいい加減に勘弁してほしいものだ。
もちろん、まだまだ続くのである。私が他界してもやってるのだろう。

家の傍の第一国道の拡張工事も長〜い。
確か今年の3月に完了する予定だった筈なのだが、来年完成へと延期された。
恐らく立ち退きを渋っていた家屋があったので、その影響かも知れない。
しかし、工事現場に工事人が居ないのは何故なんだろう。
クレーン車とか機材はずっと置いてある。
民間の工事だったら、こんな不経済なことはするわけはない。
恐らく工事期間が長ければ、それだけ費用が頂ける仕組みになっているのでは
ないだろうか。

先日は学校の遊具が壊れて、子供が12人も怪我をしたが、公立学校の設備は
かなり酷いものだと感じている。
娘の学校の体育館もかなり痛んでいたが、予算が下りなくて直せないらしい。
そのくせ、新規に立派なハコモノはどんどん建てる。
これは議員や役人達にリベートがどんどん入って来るから直ぐやるのであろう。
保全のような地味な投資では、お金の吸い上げが難しいのかも知れない。

市営バスの赤字経営のために、バス路線が次々に廃止に追い込まれている。
赤字だというが、そもそも市役所や区役所を単体で考えれば大赤字のはずなのだ。
つまり、税金で市の職員は全員、お給料を貰っているのだ。
なぜ、市営バス事業だけ、黒字にしなきゃいけないのか、私には理解出来ない。
ブラブラして遊んでいる職員にバスの運転の講習をして運転させればいいのだ。

朝5時半ころから夜11時過ぎまで運転手を確保するのは、そりゃ大変だろう。
だから60歳で定年を迎えても、バスの運転なら出来ると思うので、再雇用して
早朝は全部パートのお爺さんに運転してもらえば若い人の時間外労働も無くなる。
私のように何もすることがない人がわんさか居るはずなんである。
時給1500円でも喜んでやるに違いない。
発想の転換でなんとか出来るのではないか。
廃止しか考えないのは弱者切捨てである。
規制緩和をして誰でもバスを運行して良いならば、団地の定年後の人が運転して
病院に行ったりも出来る。認可制で運輸事業を独占するならばエリアのカバーも
責任をもって継続しなきゃおかしいよ。


2007.04.11 投稿者:インファント 投稿日:2007/04/11(Wed) 23:56 No.3697  

娘は結婚して新居へ行ってしまったし、家内は今日から二週間実家へ里帰り。
ひとりぼっちになってしまいました。

♪とてもさみしいの独りぼっちよ 私の目は今日も濡れる

「ロンリー・ワン」の一節です。つまんないからもう寝ようかな。


2007.4.10 投稿者:インファント 投稿日:2007/04/10(Tue) 19:03 No.3696  

北アルプスの水晶岳でヘリコプターが墜落し、2人死亡8人重軽傷という
ニュースをやっていた。
ヘリコプターなど乗らないし、山にも行かないから無縁の話なのだけど、
以前に中学校のクラス会をやった時、ヘリコプターの操縦を仕事にしてる
ヤツがいて、その話を思い出してしまった。

雪の中の飛行は、かなり危険なんだと彼は言っていた。
仕事の中に、スキー客を山頂の方へピストン輸送するというのがあるけど、
かなりの悪天候でも、無理して飛ばすことが多く、過去3回ほど危ない目に
あったというし、そのうち一回は、もう駄目だ、と思ったという。

今回の事故も、単純な操縦ミスとか、機器の故障ならしょうがないけれど、
積載オーバーとか、無理な運行だったら、人災の可能性もある。
へりは気圧が低い高山などへは運んで降ろすだけならまだしも、荷を乗せて
そこから飛び立つのは空気が薄いと上昇力が弱くなるのでヤバそうだ。
ああいうものはかなり計算値よりも余力がないと、低温でのエンジンの調子
とか、色んなファクターが絡んできて、複合原因も考えられる。
などと素人が心配してもしょうがないか。


2007.4.8 投稿者:インファント 投稿日:2007/04/08(Sun) 21:34 No.3695  

4月5日の日記で、どうも失礼な書き方をしたようだったので、お詫びしたい気持です。
というのは、今日、後援会会報の画像を提供して頂ける方からのメールを頂きました。
ということで、欠落している号の画像が一部ですが、埋まりそう。
近日公開。乞うご期待。(映画の宣伝みたい)


2007.4.5 投稿者:インファント 投稿日:2007/04/05(Thu) 20:13 No.3693  

ここ数カ月、ネット・オークションでザ・ピーナッツのレコードやら、
切り抜き記事やらを入手している。
今日は週刊誌の表紙だった。
大体、昭和37年ころからは、自分が高校生になっていたので雑誌を
購入するようになって、その頃からの表紙は洩れなく揃っていると
思っていたが、これは買い洩らしたようだった。理由は不明だ。

オークションなので、どんどん値段がつりあがるのが多いんだけれど、
こっちは正常人の感覚なので、とんでもない価格で競うつもりはない。
だから、欲しいものであっても半分以上は見送りとなってしまう。
こんなものを異常な価格で誰が買うのだろうと思って落札者の過去の
お買い物を見ると、ザ・ピーナッツ・オン・パレードなんである。
わあ、ファンなんだ、きっと。

凄いのは、後援会の会報なんか、9750円なんて価格で終わっていた。
自分の持っていない号が二つもあったので欲しかったけど、常識外れの
競争になっているので参加もしなかった。
あれ、持ってて、見て、どうするの? よくわかんない世界だ。

買った人は画像だけでもいいからプレゼントしてくれないかなあ〜。
または、プログでも作って公開してくれないかな〜。
ひとりでコソコソ見ててもしょうがないじゃん。皆で見ようよね。


2007.4.4 投稿者:インファント 投稿日:2007/04/04(Wed) 16:34 No.3692  

今日は、中学校のクラス会の案内状を作った。
毎回、私の役回りだ。
もう卒業してから45年である。

 ♪学校出てから十余年
  今日は我らのクラス会
  思い出話しに花が咲き
  飲んだビールが五万本

十余年どころじゃないので、飲んだビールが十万本、かな?
もっともドクターストップなんてのが多いからね。


2007.3.30 投稿者:インファント 投稿日:2007/03/31(Sat) 15:05 No.3691  

自堕落な人間なので日記など息が続かない。
腹が立つような出来事でもないと、なかなか書く気にもならないが、
このところ、妙な裁判が多く、なんだこりゃ、とイライラした。

一つは、代理出産による子供の出生届け役所は認めろという裁判。
こんなの役所に届けても受理されないのは当然。
法律に基づいて仕事をしなけりゃいけないのが役所。
法律に書いていないことは出来ない。正しい処置。
これを訴える方が無茶。
そんなこと承知で裁判を起こしている。世論を巻き起こす手段。
法律も役所の処置も判決も全部正しい。

どんな手段をとっても、生物のメカニズムを逸脱しても子供が欲しい。
その欲求の実現が正当なのかどうかは裁判で決めるものじゃない。
資金がある人だけしか出来ないことを法律で決めるのはどうかなあ。
現行法で十分でしょう。養子縁組すればいいのだから。
少なくとも訴訟を起こすなんてお門違いだ。別の運動でもやったらいい。

も一つは、君が代不起立の女教師の裁判。
この女、学校の国旗を引きずり降ろすなど、札付きの活動家で処分歴8回だそうだ。
昔、中学校の国語教師が、国語の授業を止めて、左翼思想を延々と私達生徒に教え、
問題になったことがあった。あの類いの一種の異常者なんだろう。
売国奴新聞社の朝日がバックアップしているようでもある。

いちおう我が国は民主主義の国家であり、多数決で決めたことは守らねばならない。
個人の信義・主張よりこれは上位に存在するし、そうでなければ平穏に暮らせない。
国旗、国歌を尊重するのは国民の義務であり、好き嫌いをいう対象ではない。
過去の戦争の原因がここにあるという思い入れの正否は問題ではない。
教師としての規律が守れず、好き勝手な政治運動を国民の税金を泥棒しながらやる
ということは、もはや犯罪行為とも言える。即刻、解雇すべきであろう。

従軍慰安婦なんていう戦後、無理矢理作った「言葉」での運動もいっしょだ。
当時は売春を必要悪として国家として認めていた。軍隊の話ではない。
なくならない事象だし、現状を現実的に肯定して、国が売春を管理していた。
良い悪いの原則論ではなく、現実的な対応であった。
性病の蔓延を防ぐために、全国都道府県の性病病院、診療所で行なつた売淫常習者の
健康診断も行っていたようだ。昭和32年には、34万人が受診していた。
これが昭和33年の売春防止法の取締関係の規定の施行で1万人しか受けなくなった。
だって受けたら犯罪人であることを自白しているようなものだからだ。

ようするに軍隊としても何とか規律を保とうとしたのではないだろうか。
こういう配慮は他国にはないと思われる。正しくはなくてもベターな方法だろう。
むしろ、侵略したら無茶苦茶な強奪・強姦のやり放題であったろうと思われる。
中国にしたって、国内での残殺など日本が行った行為の何十倍ものことが行われて
いたと推察する方が自然である。現在の世情とは全然別次元の暗黒時代なのだから。
日本人の教養、規律正しさ、本質的な優しさは国民性なのであって世界最高位だ。

北朝鮮、韓国、中国はなんとか日本の国際的地位を貶めようと策略している。
それを手伝っているのが、こういう連中であり、表彰なんかもされているようだ。
朝日新聞は日本の地位を下落させることに熱中している異常な左翼機関紙である。
30万人南京大虐殺なんて捏造もいいところだ。
そもそも20万都市で、あと10万人どうやって殺すのだ。
市民を皆殺しにしちゃったら、日々の生活に困るのは日本軍だろうし。

中国はプロガバンダでしか国が成り立たない国家だから、デタラメだろうが国民に
ウソをついてでも日本を無理矢理糾弾しなきゃならない。
選挙のない国だから、民衆の不満は大人しい日本に向けさせないと政府が危ない。
現在の日本には文句がつけようがないので70年も昔の事で歴史が混濁している
ところを狙って、証拠の無い捏造を繰り返している。
こんなものをまともに取り上げるのはマスコミも売国奴だ。
そんなに自分の国を卑下したい人間がいるなんて妙な国だ。
それをどこかの陰のスポンサーから金を貰ってやっているのかもしれないな。
戦争を憎む気持とこれ(プロガバンダ)は無縁であり、運動が逆に戦争を呼ぶのだ。


2007.3.23 投稿者:インファント 投稿日:2007/03/23(Fri) 11:33 No.3689  

タミフルのお値段って、どのくらいなのかと思って調べた。
1カプセル=377.7円。(薬価基準なので個人負担はこの30%)
1日=2カプセル。必ず5日間服用する必要があるので、3777円だ。
飲まなくても健康人ならインフルエンザは自然に治ってしまう。
楽になるのが、1〜2日早いだけだ。しかし早く全快するわけではない。
ウイルスは生きているので安静にしていないと治癒が長引く面もあろう。
高いか安いかは個人的な価値観による。
受験とか結婚式とか、のっぴきならない事情の人には福音のはずだ。

これほど左様に、価値観はそれぞれ、事情も都合も色々あっていいのだ。
アマクサのシロさんがBBSのカウントをピーナッツ・ホリデーのそれと
デッドヒート状態だと面白く評されている。応援の意図は有り難い。
話題としてはまあまあなんだけど、ちょっぴり迷惑であったりもする。
私自身の性癖として「他と比較される」ことが大嫌いなのだ。

そもそも高校までは我慢して行ったが、成績で比較されるのは嫌だった。
無視していれば良いというわけにはいかない。卒業出来なくなるから。
そこへいくと会社勤めは大変に有り難いものだった。
私の成績が悪ければ、同僚や後輩が喜ぶのだから、人助けに直結する。
負け組に撤していれば、誰にも迷惑がかからない。
仕事はきちんとする。これは雇ってくれる会社に恩義があるし、責任が
ある内容ばかりで、いい加減なことは出来ない。当然のことだ。

サラリーマンが、昇進を考えず、他人と競わないで生きていけるのか?
いけるのである。私が生きた見本なんである。
小、中、高と、ほぼ年間20日くらい学校を休んでいた。
身体が弱かったわけではなく、精神力が弱かった。行きたくないのだ。
でもお勤めはサボると周囲の人に迷惑をかけるから嫌でも行くものだ。
これは気持以前に人間としての最低レベルの守るべき礼節境界線だろう。

上司にゴマをすったことはない。そんな必要がないからだ。
逆らうわけではないが、変なデータの採り方を指示されると論理的では
ない、と意見を述べた。新入社員に言われたので烈火のごとく怒った。
「やりもしないでそんなことがわかるか」という。
「やらなくてもわかることをやるのは無駄です」なんていうから忽ち、
評判が悪くなったが、科学的発想がない仕事など仕事じゃないのだ。

しかしながら、この世は九割の無駄と矛盾で成り立っているようなのだ。
お役所仕事なんてものは、その塊なのであろう。
お酒をすすめられると飲めませんと断わってしまうわけにはいかない。
それは次第にわかってきた。
酔っ払いはキチガイなので、なるべく穏便に避けなければならない。
だから、ちょっとだけよ、と、少しは頂かなければ済まないのだ。
でないと、取っ組み合いのケンカに発展してしまう。馬鹿馬鹿しい。
これが渡世人の辛いところよ。なんてね。

しかし、お酒は美味しい。これは事実だ。
日本酒は冷たくても温めても旨い。味も色々あって面白い。
ビールも旨いし、焼酎も旨い、紹興酒なんてのもいい。カクテルもいい。
ウィスキーは中でも特にお好みである。Robert Brownがお気に入り。
だけど分量が問題なのだ。ビールなら100ミリリットル。他は50だ。
それ以上は身体が受容しないので飲みたくなくなってしまう。
これは当然だろう。適量というものには個人差があるのだ。

コーヒーや紅茶、コーラなどとお酒は私の基準では同類に属するものだ。
コーヒーを大ジョッキで飲むなんて真似をするのは邪道じゃないのか。
それと同じことをしているなあ、と飲んべえを私は評価している。
彼等は頭がイカレてるのだろうと思う。肝臓を壊すなんてどうかしている。
それはそれ、個人の事情なんだからいいだろう。死ぬまで飲めばいいのだ。

お仕事は最初は体力勝負の世界を13年やってた。7割程度のパワーを
使うので疲労感もあったが、まあまあ、心地よい疲れであって風呂に入り、
帰宅する時は肉体労働の有り難みのような感覚があったように思える。
現場の仕事というものは、その日その日で完結してしまうさっぱり感覚が
良くて、お気楽な気分は捨て難いものだったと思う。

まさか、コンピュータなんてお仕事をさせられるとは思わなかった。
だか、これはとても楽ちんなお仕事だったのである。
自分の潜在能力の30%くらいを駆使していれば出来てしまう代物なのだ。
ノイローゼ気味になって異動してしまう先輩が二人ほどいたし、希望する
人も居ないという人気のない仕事というか嫌がられる仕事だったのだが、
私にはこんな楽な仕事がこの世にあるのかと信じられない思いがした。

トラブルなんてのは美味しいご馳走なんである。
そんなことでも起きないと面白くないではないか。
解決すると感謝と賞賛の嵐だ。こんな楽しいことはない。
ただし、元来が怠け者だから、目的に対して必要な事柄だけしか学ばない。
コンピュータを学ぼうなんて気持はさらさらない。
何をしたいか、そのゴールに向って直進するしか能がない。
目的がありさえすれば100%達成することが出来るという自負はある。

先日、中学校の同級生にホームページを作ってくれと頼まれた。
そんな能力はない、と、お断りした。
だって自分でやってるじゃないか、と言う。
違うんだなこれが、やりたいことは出来るが、興味の無いことは出来ない。
仕事でのそれは全部パクリで成立させていた。
先人のそれのエッセンスを盗んで応用していただけでオリジナルを生み出す
知恵はなかった。それにコンピュータを学ぶということは本を読む解読力に
尽きるので、いわば国語力なんで、特殊な能力じゃないのだ。
本さえちゃんと読めれば誰にだって駆使出来る代物なんである。
他人にサイトを作ってもらうなんて根性では、以後のメンテナンスも不可。
何を恐れているのだろう。パソコンほど思うように動くものはないはずだ。

更に知識を向上しようとする勉学心なんてものも持ち合わせていない。
用が足りればそれでいい。
自分が楽しむためにやっている。他人と競争する意識は皆無である。
無意識に他人にご迷惑をかけているかも知れない。
五月蝿い存在なのかもしれないが、見に来なければ良いだけだろう。
無影響ということはこの世では有り得ないので、ご容赦頂きたい。

「世界にひとつだけの花」という歌があります。
これ個人的に好きじゃない。オンリーワンなんて、当り前じゃないか。
この当り前のことが見直される世情になっていることが嘆かわしいんだな。
わかっているだろうことがわからない人が多くなっている証左かな?
インファント島はオンリーワン。インファント島BBSもオンリーワン。
何処とも競争したくないし、比べられたくもありません。
カウンターは存続させるか否かの指針です。
誰も見なければBBSの意味がないから活用方法を再考します。


2007.3.22 投稿者:インファント 投稿日:2007/03/22(Thu) 21:19 No.3688  

インフルエンザ治療薬「タミフル」と、服用した子供らに相次いだ異常行動の
因果関係について、厚生労働省の辻哲夫事務次官は22日の定例記者会見で
「新たに判断をし直す」と述べ、これまで「否定的」としてきた因果関係に
関する同省の見解を事実上、白紙撤回する考えを示した。
既に厚労省は10代の患者に原則としてタミフルを使用しないよう求めており、
服用後に転落や飛び降りなどの事例が起きた場合、死亡例でなくても公表する。

欧州でも日本の状況を知り、タミフルのマニュアルに、この異常行動の存在を
追記する検討に入ったようだ。

私は無罪論が基調なんだが(いつから薬事評論家になった?)、事実の重みは
否定出来ない面があると思う。
異常行動に至るメカニズムはなかなか解明出来ないと思うが、因果関係無しと
決めつけるのもまた科学的ではないのかも知れない。

ご遺族の方の気持もわからなくはないが、製薬メーカーや厚生労働省が悪意で
因果関係を隠ぺいしているかのような報道は行き過ぎで、それこそ悪意である。
研究者たちは真面目にインフルエンザウイルスの増殖抑制を研究しただろうし、
金儲けだけを目的にして開発したと決めつけてはならないと思う。
製薬メーカーは武器商人とは違う。人の命を奪ってまで儲けようなんてことは
理念としても存在しない。

どんなお薬でも、作用と副作用があるし、劇的な効果のある良い薬ほど、半面、
薬害ということにも結びつきやすい恐い面も引きずります。これは宿命です。
これから臨床例を数万という単位に拡大し、より細密な調査を行うであろうが、
直接的な関連は今後も見出せないのではなかろうか?
私は前述したように複合的な要因が絡み合って起きているのではないかと思う。

所謂風邪薬というものの成分は向精神薬原料が多い。
タミフルは従来のインフルエンザ治療とは全く異なる作用で劇的に効くために、
高熱で朦朧となっていた脳が急激に鮮明なイメージを造り出してしまうという
何らかの目的外の効果があるのかも知れない。
その際に、麻薬や覚醒剤と同じ要素がある症状緩和成分が、どのように働いて
くるのだろう、という点にも着眼してほしいものだ。

タミフルと他のお薬を併せて飲んでいたという報道が一切されていないのは、
問題を単純化させ、タミフルが悪だと決めつけようというマスコミのいつもの
お祭り騒ぎを見ているようだ。
もっと真剣に、かつ、科学的に本質的な探求をしようとする姿勢が望まれる。
繰り返し言うが、タミフルだけの単独投与なんて、ありえないと思う。


2007.3.19 投稿者:インファント 投稿日:2007/03/20(Tue) 09:15 No.3687  

4歳の時に出たCM「がんばれ玄さん」で人気を集めた間下このみさんが、
女の赤ちゃんを産んだことがニュースで報じられた。

最初の赤ちゃんは死産であったという。
妊娠6か月を過ぎ、胎動も感じられるようになったが、「赤ちゃんの動きが感じられ
ない」と異変に気づいた。急きょ都内の産婦人科でエコー検診を受けたところ、おな
かの中の赤ちゃんは動かず、亡くなっていることが判明。安定期に入って経過は順調
だったが、突然亡くなった原因は不明だったという。
都内の病院で亡くなった赤ちゃんを産む手術を受けた。
間下は「6か月という短い期間ではありましたが、我が子と一緒にいることができて
本当に幸せでした」と悲しみをこらえてコメント。
「今回、我が子の命が私の中に宿ってくれたこと、そして私自身の力で産んであげら
れたことを大変うれしく思っております」と初めての出産体験を気丈に語っていた。

待ち望んでいた再度の妊娠。しかし……妊娠中の昨年10月、血液中に血栓ができや
すくなる、抗リン脂質抗体症候群と診断された。
この病気は日本に1万人居るのだという。
そういう人達にも出産は可能なのだということを知ってほしいことから彼女はあえて
情報の公開に踏み切ったと先日のニュース番組に出ていたので気になっていた。
さぞかし心細く、恐怖との戦いの日々であったろうと思われる。
我が家も一人目を流産しているので、状況こそ違え、他人事ではない。
母体と赤ちゃんを襲う危険……その恐ろしさは想像に余り有る。短い月日ではない。

16日、千葉県内の病院で第1子となる女児(体重2155グラム)を出産した。
15日夜に出産の兆候が見られたため緊急入院。
この日、医師団の判断により全身麻酔による帝王切開で出産した。
所属事務所関係者によると
「ベッド脇で赤ちゃんと対面し、『やっと会えたね。生まれてきてくれてありがとう』
と泣いていました」という。

本当に良かったなと思った。ちょっぴり感動もしてしまった。
男女が結ばれれば自動的に赤ちゃんが産まれるという単純なものではない。
赤ちゃんは(神様からの)授かりものなのである。
子供を虐待したり、捨てたりする親は、人間じゃない。
命の尊さということをあらためて感じずにはいられない。


2007.3.18 投稿者:インファント 投稿日:2007/03/19(Mon) 07:30 No.3686  

NHK教育の「ふたご研究最前線_環境と遺伝のひみつに迫る」を18日に見た。

 ヒトゲノムの解読が終了して4年。遺伝子が人の個性をどこまで決めるのか?
そして生後の環境はどこまで影響するのか?
今、ふたごを調べることで遺伝と環境の関係を明らかにしようとする研究が盛んに
行われている。全く同じ遺伝子を持つ一卵性双生児でも、体や性格、健康面などで
よく似ている部分と全く似ていない部分があることがわかってきたのだ。
ふたご研究の最前線を追うことで、人間の個性がどう決まるのか、その謎に迫る。

一卵性双生児でも指紋や手のひらの静脈などは異なり、体重なども遺伝よりも環境に
よって左右される割合が大きいらしい。
言語能力は遺伝に左右されやすく行動パターンや性格にも遺伝が影響していることが
わかってきた。ザ・ピーナッツやマナ・カナが同じタイミングで同じことを発言する
のは科学的にも裏付けられた感じだ。
インタビューを受けたりする場合は役割分担なり事前に打ち合わせないと聞きにくい
ことにもなりそうだ。

健康面では、コレステロールの値は一卵性双生児は似ているので遺伝の影響が強く、
中性脂肪は似ていないので、生活環境の影響が強い。また、がんについては、一卵性
双生児でも発症部位がほとんど一致しないことがわかってきた。
 さらに環境の違いが遺伝子の働きを変えることも明らかになってきた。
遺伝子の働きを左右するメチル化という現象が年齢とともに変化し、一卵性双生児で
も成長とともに働く遺伝子に差が出てくるのだ。
 メチル化とは遺伝子自体の構成要素が変化するわけではなく、遺伝子の中の情報が
一部停止したりすることをいい、これによって一卵性双生児間でも差が生じてくる。

番組内ではサラリーマンで定年を迎えた人と、家業を継いで身体を使う仕事に従事し
てきた人では一卵性双生児間でも顔つきまで変化しているのは驚きだった。
私の同期入社の男が営業部門へ異動した後で、非常に厳しい顔つきになったことが
あって、特に目差しがきつくなったのには驚いたものだった。
自分の顔を鏡で見ると、のほほんとした緊張感のなさに呆れるが、仕事の内容やら
取り組み方やらで、サラリーマンだって色々あるものだと思わざるをえない。


2007.3.17 投稿者:インファント 投稿日:2007/03/17(Sat) 13:29 No.3685  

今日はインフルエンザの治癒状況を診るため医者へ行って来た。
順調に快復しており、問題はなさそうである。

話題というか問題のタミフルのことであるが、専門家ではないので明言は出来ぬが、
マスコミで騒ぎ立てるほどの危険性を孕んだ薬品ではないように思われる。
一応、販売元の中外製薬では、
「タミフルを服用される患者様・ご家族・周囲の方々へ」と題して、

インフルエンザ治療薬、タミフルィの副作用は腹痛、下痢、嘔気などの消化器症状や
発疹などの皮膚症状が主なものです。また精神神経系の副作用※も報告されています。
  ※意識がぼんやりする、意識がなくなる、うわごとを言ったり興奮したりする、
   普段と違うとっぴな行動をとる、幻覚が見える、妄想、けいれん等があります。
しかし精神神経系の症状はインフルエンザそのものが原因となっているケースもあり、
インフルエンザによるものか、タミフルによるものか、の鑑別がつかないのが
現状です。
こうしたことから、ご家族・周囲の方々におかれましては患者様の様態に十分にご注
意いただき、気になる症状が見られましたら、医師・薬剤師にご相談下さるよう、お
願い申し上げます。

……と、このような慎重なコメントを出している。

私は学者ではないので素人の寝言として言うのだが、一つの視点が抜けてはいないか?
それは「タミフル以外の併用薬品の存在」である。
精神神経系の症状はインフルエンザによるものか、タミフルによるものか、という
AまたはB、または、AプラスBという論議だけでは不十分と私は思うのだ。

なぜなら、タミフルは医師が処方しなければ患者が飲める薬ではない。
医師が処方する限り、タミフルだけの単独投与は考え難い。
タミフルはインフルエンザ・ウイルスの増殖を妨げる薬品であり、起きている症状を
和らげる効果はないから、必ず、症状緩和のための従来からの風邪の症状に見合った
対症療法をするための薬品を組み合わせて患者に投与する筈ではないのか?
現に私も一般的な風邪薬と同様の成分の内服薬を飲んでいるのだから。

そこでだ……
そういう一般的な風邪薬というものにはどういう成分が主体になっているのかである。

<リン酸ジヒドロコデイン>
古典的なセキ止め薬であるが、これを上回る効き目のものはないのではないか?
だが……これは「麻薬」なんですよ。精神神経系に作用するんじゃないの!!!
<Dl-塩酸メチルエフェドリン>
気管支拡張剤で鼻づまりの解消や呼吸が楽になるが、交感神経興奮作用があり、遊び
でも悪用されるほど、ようするに覚醒剤原料でもある。
<カフェイン>
解熱と鎮痛の効果がある。風邪薬の常連なんだけど、覚醒作用もある。
どんな作用かなんてことは常識だから書かない。精神神経系に無作用とは思えない。

これは、ほんの一例だが、
何を言いたいのかというと、タミフルはウイルスそのものを攻撃する薬品であるが、
同時に飲むであろう、旧来の所謂風邪薬は人間が作用する対象なのであるということ。
人間に作用することが完璧に分っていて証明されている薬品を事件の要因から抜いて、
ウイルスを退治する作用の薬品を犯人と推定するとは、頭がおかしいのではないか?

つまり、早い話が、インフルエンザで高熱を発している人間に向精神薬や興奮作用の
ある薬品を投与することによる危険性の方が大きいのではないかと言いたいのです。
その結果なのに、同時に飲んだタミフルが犯人だと言ってるんじゃないのかい?
恐らく、超一流大学出の賢くエライ学者さま方が言い出しているのでありましょうが、
こういう視点で落着いて考えてみる視野の広さに欠けているように思える。
これだから、世の中には、私のような無学だけど、色々考える人間も必要なんです。

この意見。この日記のオリジナルだよ〜〜ん。どこにも書かれていませんよ。


2007.3.15 投稿者:インファント 投稿日:2007/03/15(Thu) 23:19 No.3684  

12日の日記では熱でもか〜っと出ればいいのに、なんて書いていましたが、
出ちゃいました。38度7分も。
一晩で熱が下がって、今朝は6度8分まで下がったんだけど、夕方になって
また38度台に上がって来ました。

子供の38度台はどうってことないのでしょうが、大人はけっこう辛い。
まさかと思ったが、インフルエンザのA型ということがわかったんだけれど、
ワクチンの予防接種を12月に2回もやったんだ。それなのに……とほほだ。
たぶん、日曜のコンサート会場か、月曜のハローワークのどっちかで感染を
したんだろうと思う。

インフルエンザなんかに罹ったのは小学校以来じゃなかろうか?
いつもワクチンなんか打たないのに今回はヒマだから行って来たのになあ。
頭痛がするのと、あちこち関節が痛い。
タミフルって1日2回で3回目を服用したタイミングぐらいで効いて来ると
いうことです。5日は飲まないと完全に退治できないらしい。


2007.3.14 投稿者:インファント 投稿日:2007/03/15(Thu) 23:17 No.3683  

12日の日記では熱でもか〜っと出ればいいのに、なんて書いていましたが、
出ちゃいました。38度7分も。
一晩で熱が下がって、今朝は6度8分まで下がったんだけど、夕方になって
また38度台に上がって来ました。

子供の38度台はどうってことないのでしょうが、大人はけっこう辛い。
まさかと思ったが、インフルエンザのA型ということがわかったんだけれど、
ワクチンの予防接種を12月に2回もやったんだ。それなのに……とほほだ。
たぶん、日曜のコンサート会場か、月曜のハローワークのどっちかで感染を
したんだろうと思う。

インフルエンザなんかに罹ったのは小学校以来じゃなかろうか?
いつもワクチンなんか打たないのに今回はヒマだから行って来たのになあ。
頭痛がするのと、あちこち関節が痛い。
タミフルって1日2回で3回目を服用したタイミングぐらいで効いて来ると
いうことです。5日は飲まないと完全に退治できないらしい。


2007.3.12 投稿者:インファント 投稿日:2007/03/13(Tue) 00:26 No.3679  

珍しく風邪を引いたみたいで、調子が今ひとつです。
か〜っと熱が出るとかセキや鼻水が止らないとかという症状が激しくなく、
ただただ、いつまでもぐずぐずしてる感じです。
歳とるとウイルスと大戦争をしないで和平工作みたいなことをやってるの
じゃないかと感じます。

早くさっぱりしないかな。どうも何かやる気が起きない。


2007.03.05 投稿者:インファント 投稿日:2007/03/05(Mon) 20:28 No.3678  

市場原理主義だの規制緩和だのと言ってるが、票田の組織には権益を保護するという
歪な構造のせいで、素朴で善良な庶民はますます悲惨な生活にまっしぐらの状況だ。
今日の夕刊にこんな数字が載っていた。
  生活保護を受けている人=150万人
  国民健保保険滞納者=470万所帯
  派遣労働者=250万人
  自殺者数=3万人/年

生活保護を受けている人は、ザ・ピーナッツがデビューした時代は、60万人位で、
その後、わずかに上下はしたものの、90年代もほぼ同程度の数値だった。
これがなんと倍増どころか、もっと酷い状態になっているし、潜在的な保護需要は
もっと大きいとも言われている。
そもそも生活保護の給付より労働所得の方が少ないという逆転現象さえ起きていて、
まさに庶民は地獄に突き落とされている。

世の中には儲かっている企業が腐る程あるのだから、やはり臨時雇用のような特殊な
労働力は5%以下とするとかの規制が必要ではなかろうか。
正社員以外の人数が、それを超える場合は一人当たり年60万円を雇用保険給付や
生活保護の原資として罰金を納めるようにしたらいい。
こういうのがある。↓
「障害者の雇用の促進等に関する法律」では「障害者雇用率制度」が設けられており、
「常用雇用労働者数」が56人以上の一般事業主は、その「常用雇用労働者数」の1.8%
以上の身体障害者又は知的障害者を雇用しなければなりません。
 障害者雇用率(1.8%)未達成の事業主は、法定雇用障害者数に不足する障害者数に
応じて1人につき月額50,000円の障害者雇用納付金を納付しなければならないことと
されています。 (ただし、300人以下の小規模事業場は免除されています。)
これと同じような制度にしたらいい。

今日の週刊誌が学校給食を作るオバサン達(公務員らしい)は、年収800万円もの
高いお給料をもらっていると指摘していた。特有の年金がつき、退職金も数千万円。
そもそも、昼食しか作らず、給食のない日は遊んでいるのだから、190日/年だけ
労働すればいい。夏休みなんか旅行でもしていてもお給料はちゃんともらえる。
こういう既得権はなかなか是正されない。野党にとっても票田なんだからね。
この改革に動く政党はないといっていいだろう。


2007.3.4 投稿者:インファント 投稿日:2007/03/04(Sun) 23:01 No.3677  

今日、ヤフーのオークションでザ・ピーナッツ後援会の会報が出ていて、
その号は持っていないので欲しいなと思ったが、5000円。
これでも手が出ないのに、現在は、9750円にも高騰しちゃっている。
これじゃ買えないよ。何でこのようなものが人気になるのかわからない。
高値をつけている人の今迄の落札品を眺めたら、ザ・ピーナッツ関係の
アイテムが何百と存在する。きっとファンの人なんだね。
あれだけあればホームページ作って公開してほしいなあ。

ちなみに、なんか同じ品物が売れないで、何回も登場しているみたいだ。
<LP>
可愛いピーナッツ
ウナ・セラ・ディ東京
ザ・ピーナッツ・オン・ステージ
世界の女たち
<EP>
乙女の祈り/ばってんばってんばってんてん
悲しき16才/心の窓にともし灯を
月影のナポリ/白鳥の恋
イエロー・バード/あなたに夢中
スクスク/カカオの瞳
悲しきカンガルー/ノン・ムッシュ
ジューン・ブライド/ほほにかかる涙
かえしておくれ今すぐに/ドンナ・ドンナ
キャンディー・ムーン/ドミニク
マイ・ラヴ/ブーベの恋人
あなたの胸に/私を愛して
ローマの雨/銀色の道
恋のフーガ/離れないで
恋のオフェリア/愛のフィナーレ
恋のロンド/愛への祈り
悲しきタンゴ/愛しい人にさよならを
哀愁のヴァレンティーノ/夕陽に消えた恋
ガラスの城/たった一度の夢
野いちご摘んで/ついて行きたい
なんの気なしに/北国の恋
男と女の世界/しあわせの誓い
大阪の女/青白いバラ
サンフランシスコの女/ロンリー香港
リオの女/恋のカーニバル
指輪のあとに/最終便
さよならは突然に/夜行列車
気になる噂/ひとり暮らし
愛のゆくえ/さよならは微笑んで
情熱の砂漠/あの時もし

その他、CD類もたくさん出ている。
お金さえ出せばちょっとしたザ・ピーナッツ・マニアになれるなあ。


2007.3.2 投稿者:インファント 投稿日:2007/03/02(Fri) 23:53 No.3676  

このコンテンツの作業で忙しくて日記がストップしてしまった。
↓↓↓
http://homepage.mac.com/infant/omotya/GALLERY.html

けっこう膨大な画像作成とページとリンク構成で、もうへとへとじゃ。
こういうのを物好きというのだろう。無意味極まりない。(笑)
フォルダーの名前を、peanutsからPEANUTSへ変えたら、おもちゃ箱の中の
リンクが殆ど壊れてしまって、これの修復も大変だった。大失敗だった。
さて、明日から随想とかシャボン玉の昭和43年に取りかかろうかしら。


2007.02.27 投稿者:インファント 投稿日:2007/02/27(Tue) 18:58 No.3675  

今日は「東京オリンピックへの道 /平和の聖火 アジア横断リレー」再放送をみた。

また東京でオリンピックをやろうという動きがあるが、昭和39年のそれと現代では
目的や役割が全然違うだろうし、あんまり意味があるとは思えない。
当時は、それを日本でやるということは、まさに偉業ともいえる過奇異的な出来事。
それに合わせたように日本中に活気が満ちたし、私自身もわくわくしたものだった。
そして、日本人って凄いなあ、日本人でよかったなあ、と初めて感じたのだった。

私は当時の日本人と今では気質が大きく変化してしまっているように感じるのだ。
なんと表現したらいいのだろうか、集中力、一体感、という力を合わせて成し遂げる
という使命感、責任感のようなものが国民全体に有ったと思う。
お金もうけだけじゃないところに、もっと大切なものがあると信じていたと感じる。

東京オリンピック開会式の映像は残っていて、断片的には今でも使われている。
しかし、あれは無編集で一貫して見せてほしいのだ。出来ないのだろうか。
どうせロクでもない番組ばかりやっているのだから、集中して放送して欲しいと願う。
何故編集してはいけないのかというと、あの緊迫感と見事な演出と秒刻みの段取りの
凄さというものが無くなってしまうからなのだ。
あれは本当に凄かったんだ。素晴らしい手際の良さと、日本人の知的水準がこれだけ
の高さにあるということをまざまざと示していたのだ。最高の作品だった。

当時は自衛隊の存在を(今でもそうだが)批判する人が多かったが、あの成功には
自衛隊が大きく寄与していたと思う。
たしか、自衛隊の音楽隊から300人の選りすぐりのメンバーで吹奏楽団を結成し、
迫力と高度な演奏を披露したし、東京オリンピックのファンファーレも素敵だった。
古関裕而作曲の東京オリンピックマーチも大変な名曲であった。

各競技場が洒落たデザインで作られ、高速道路が完成し、新幹線も間に合った。
それぞれの立場で皆が良い仕事をし、それが東京オリンピックに凝縮した。
日本が平和な国を目指していることを伝えるため、戦争被害を与えたアジア諸国を
10万人の手でつなぐ大聖火リレーを計画した。
私は迂闊にも、このような意図を持って東南アジアの国々を各国10万人のリレーで
聖火が運ばれていたことを失念していた。そういう報道が少なかったからだろう。
とにかく、これほど日本が世界に平和を願いつつ、配線からここまで復興した事実を
アピールすることが出来た希有のイベントであったと思う。

この翌年には私は高卒で就職して労働者となるのだが、当初の13年間の肉体労働も、
こんなのイヤだから会社を辞めたいなんて気持はこれぽっちも抱かなかった。
たしかにシンドイ面もあったが、現在、けっこう丈夫なのは若い時に体を使ったから
ではないかとさえ思っている。

夕方のニュースで、小学校の入学式で「君が代」のピアノ伴奏を求めた校長の職務命
令を拒否して懲戒処分を受けた東京都の女性音楽教諭(53)が「伴奏命令は憲法が
保障する思想・良心の自由を侵害する」として都教委による処分の取り消しを求めた
訴訟で、最高裁第3小法廷(那須弘平裁判長)は27日、職務命令を合憲として原告
側の上告を棄却する判決を言い渡した。なんていう報道があった。

まったく馬鹿馬鹿しい。
こんな教師は初めから教師たる資格がない。こんな裁判は税金の無駄遣いだ。
こういう言語道断な人間が増え過ぎている。だから日本人はダメになって来ている。
なんでも自分の言う事が正しい。他人に迷惑でも自由に好きなようにする権利がある。
いじめや悪事をやるのも憲法が定めた思想の自由だ。お金だけが幸福の物差だ。
こんな道理が通ってしまっては末世だ。


2007.02.26 メインの掲示板不調 投稿者:インファント 投稿日:2007/02/26(Mon) 21:54 No.3673  

インファント・ランド掲示板のアドレスが変りました。
↓↓↓
http://gooweblo2.dip.jp/bbs/mkres5knx/mkres5k.cgi?infant

掲示板の会社のサーバー移転が手こずっているようで
ちょっと停止状態。
また明日にでも入ってみてください。


2007.02.25 投稿者:インファント 投稿日:2007/02/25(Sun) 10:54 No.3671  

森進一(59)が代表曲「おふくろさん」に勝手にセリフを入れたとして作詞家の
川内康範氏(86)ともめているようだ。
「あの歌は自分で言うのも何ですが“森進一のおふくろさん”になっていますからね」
自らの歌声だからこそ国民的名曲になったという歌い手としての自負もあるようだ。
 問題になっている歌いだしの“語り”の認可は「大きな事務所にいたのでスタッフが
やってくれていると思っていた」と自身に責任がないことを強調。

問題はやはり森個人の人間的資質にあるようだ。
同世代なのだが、どうも私には昔からチンピラ歌手としてのイメージしか浮かばない。
バース部分の追加云々じゃなくて、スタッフや先輩を敬う心がない人なのだろう。
育ちのせいなのか、結婚相手との関係を育むことも出来ないようでもある。
人の心をわかることが出来ない、わかろうともしない人なのだろう。
この人の歌は私の琴線に響かない。なんか嘘っぱちという空虚さが感じられる。

たとえ今は疎遠になっていたとしても、お世話になった方には御歳暮や御中元を送り、
「先生、いつまでもお元気で見守ってください」くらいの手紙を添えるとか、何かと
日頃から感謝の気持を伝えることが必要ではないのか。
もう歌手という職業を辞めたのならいいが、現在あるのは諸先輩のおかげなのだから。
そういう気持を普段から伝えることが出来ないのか、そんな気持が無いのか。
これはとても大事なことであって、人間味は歌にも顕われるものだ。
私には空虚で大袈裟な演歌としてしか感じ取れないのはそこに要因があると思われる。

「ザ・ピーナッツは作品でした。……でも、作った人達が最高でした」
これは、元ザ・ピーナッツさんの言葉です。
たとえ才能があっても、人間はこのくらい謙虚でなければならないと思います。
人間性に雲泥の差があるように思われてならない。


2007.02.24 投稿者:インファント 投稿日:2007/02/24(Sat) 17:18 No.3669  

老齢年金を頂戴するための手続きをしてきたわけだが、雇用保険給付と併せては
支給されない仕組みになっちゃっているので当分は貰えない。
雇用保険給付期間が終わったら直ぐに頂けるのかというと、そうでもないらしい。
そこから更に2〜3ヶ月後にならないと振込まれないのだそうだ。
随分と大層な事務手続きがいるらしい。殆ど無意味な事務処理なんだろうけど。
貯金もなくて、これしか収入のない人は、ここで飢え死にしちゃえということだ。
おまけに63歳にならないと満額は頂けなくて、月額にして10万円ちょっとだ。
これは生活保護以下の水準だね。人間的な生活が出来るわけがないよな〜。

こうなったのは保険料を間接的に横流しにして泥棒しちゃった悪人がいたからだ。
雇用保険も厚生年金も本当は積み立てたり運用したりする大事な預かり金なのに、
金に群がる便所蠅のような極悪人集団が勝手に流用して既得権利確保の悪知恵を
働かして、無理矢理に使い道をデッチ上げ、わけのわからん特殊法人だか事業団
を思う存分に設立し、湯水のように金を注ぎ込んだ。
そんなことすれば被保険者への裏切りであり、資金が枯渇することは分ってても、
そこが悪人達だから、平気の平左。法律違反じゃなきゃ逮捕されない確信犯。

なんでそんなことするかっていえば、地位と名誉と不労所得ががっぽりなんだし、
裏金なんていったいどれだけ動いているのかわからない。途方もない数字だろう。
こういうパラサイト群を追い払う政策の政党ってないのかしら?
かなり昔に革新政党が市議会や県議会を牛耳った時代があったのだが、その時代、
公務員の給料やら手当やらだけが青天井に伸びて経費が膨れ上がった。
とんでもない退職金も支払われるようになり、公務員の方が民間より優遇された。
左も右も我田引水しか考えない。倫理感がないデタラメな政治屋連中ばかりだ。

不当な施設を作ったり、無駄遣いが問題にはなっているが、そんな生易しい問題
ではないだろう。不当ならまだしも、やっていることの実際は不正なのだから。
なにかやらなければ裏金を手に出来ないから、無理無駄承知でなんでもやる。
バレなきゃいいに決まっている神経。これが犯罪じゃなくて何が犯罪なのだろう。
真面目に一生懸命に働く(働いた)人が報われることが大切。
そういう社会を目差す政治家はどこにもいない。残念なことだ。


2007.02.23 投稿者:インファント 投稿日:2007/02/23(Fri) 19:44 No.3668  

今日は区役所寄って、その足で社会保険事務所ってところへ行って来た。
60歳到達だから年金を頂く手続きをしなきゃならないからね。
両方お役所みたいなもんなんだから同じ建物の中にありゃいいものを、
各駅停車で4つ乗って、そこからまたJRで二駅。遠いんだもんなあ。
なんで国がやってるようなところへ役所から三種類の証明みたいなものを
印紙なんかの手間賃まで取られて提出しなきゃならないのかわからない。

相手が民間だっていうならわかるけど、今どきコンピュータ・システムで
繋げておけば全然証明もクソもないだろうに?
私が私だってことだけ証明出来れば、あと何もいらないのと違うのか?
単に役所の非効率な仕事の手伝いをしてるような気がしてならない。
きっと何十年後には改善されるだろう。役人の改革意識なんてそんなもん。

やたら親切なのは昔とは大違いのような感じなんだけど、待ち時間が凄い。
番号札もらって、順番が来る迄に、きっちり1時間と30分も待った。
ちょっとした映画が一本終わってしまう。待ちぼうけはつらいね。
煙草吸う場所も今時はないし、なんでこんなに混んでるんだろうねえ。
年金相談とかで50歳前後のオバサンがいっぱい来てるみたいだよ。
熟年離婚のための年金分割手段なんてのを考えてるんじゃねえのかな?
頼むから、そういうのはやめてよね。なんて考えていたらなお疲れたよ。


2007.02.20 投稿者:インファント 投稿日:2007/02/21(Wed) 13:11 No.3667  

去年の初夏の頃だったか、友人に、仕事をしていないのなら、ボランティアで、ある
医療関係施設の品質管理の推進を手伝ってもらえないかと打診されたことがあった。
規格協会(JISのことだよ)認定の品質管理推進責任者なんかは頂いてはいたが、
講演をしたり、指導をしたりするには学歴や経験が必要なのであって、私にはとても
出来ない仕事だと、その時はお断りした。

しかし、不二屋の品質管理での不祥事では、「外部から不二屋を変える改革委員会」
や、社長直轄の『改革推進本部』を発足、また、原因究明し再発を防止するための
『信頼回復対策会議』も発足させ、社外の専門家の方々にも入っていただきご指導を
仰ぎながら進めてまいります。
という報道を見て、この会社なら、俺でも工場の品質管理部長とか品質管理責任者が
勤まるのではないかしら、と思ってしまった。

山崎製パン株式会社が実施されているAIB(American Institute of Baking)の「食
品安全統合基準」に則った教育指導・監査システム(以下「AIB食品安全システム」
という。)を弊社工場に導入し、これにより弊社製品の安全性確保を最優先に、製造
現場における緊急課題について抜本的改善を図ることを目指してまいります。
というような、いかにもアメリカ製の品質管理手法だから、いいものになりますよ、
という期待を消費者に抱かせる報道もされるようになり、昨日テレビでもやってた。

アメリカのシステムを使えば品質が向上するなんてことは絶対にない。
アメリカのは一定の水準を維持する方策なのである。
アメリカ車が日本車に勝てないのは、そこに理由があるんだ。
アメリカ人というのは、うんと賢い人と、字もろくに読めない人が混在している。
人種も様々で、わかりやすい基準がないと仕事が進められないんだ。
だから、サルでもわかるマニュアル作りというのがアメリカのスタイルだ。

そんなものを導入して、これはいい、と感心しているようじゃどうしょうもない。
俺にやらせれば、あっという間に、品質管理の実践が出来ると思うよ。ハハハ……


2007.02.19 投稿者:インファント 投稿日:2007/02/21(Wed) 12:35 No.3665  

自民党の中川幹事長が「私語を止めない」「起立しない閣僚がいる」など安倍首相に
敬意を払わない閣僚を批判したことで波紋が拡がった。
まったくどうしょうもない連中だ。
そもそも国会での質疑応答で、与野党のヤジの応酬がみっともない。
国政の最も重要な話し合いの場で、昔から、あんなことばかりしている。
これでは、学校の教室で、私語や遊びや授業妨害などを生徒がやるのは当り前だろう。
議員という連中はヤクザみたいな人間のクズばかりだと、つくづく思った。


2007.02.18 投稿者:インファント 投稿日:2007/02/18(Sun) 18:33 No.3664  

また今年もスキージャンプ競技のテレビ中継のCMが流れていたが、あんなものは
もう過去の競技としか思えない。日本人はジャンプ世界から閉め出されたのだから。

複数の日本人選手が、世界的に活躍したシーズンの終了と共に、必ずといっていい
ほど、日本人選手がより不利になるような改定がなされる事が多かった。
それは徹底したものであって、以後、五輪はおろかW杯でもメダルは遠のいた。
用具にしても陰謀があるのか、現在ロシニョール、ATOMIC、ELAN、フィッシャーで
ほぼ占められているそうだ。他のスポーツでは日本製が使われるのにこれも変だ。

無意味なスキーの長さについての規則改定に日本の役員は何故抵抗出来なかったの
であろう。多勢に無勢なら、潔く脱退すれば良いのだ。
我々は正々堂々とスポーツマンシップに基づくルールを求めている。差別的改定で
競うような種目にハンデを背負い参加する意図はない、と席を立てばよかったのだ。
どうぞ白人社会で勝手におやり下さい、と言われて困るのはあちらのはずだった。
「ジャパンマネー」の存在はそれだけ大きな影響力があるのだ。

だけど日本の連盟の理事やら何やらは自分の個人権益が失われるから何も言わない。
頑張ってきた選手がかわいそうだ。もういい。ご苦労さんでした。こんな汚らしい
スポーツはもう辞めて、ただの勤め人に戻りましょう。


2007.02.17 投稿者:インファント 投稿日:2007/02/17(Sat) 20:48 No.3663  

今日は高校のクラス会があったのだが、中学のはよくやっているが高校のは初めてだ。
37人の卒業生だったが、集ったのは16人で少し淋しいが今迄やってないのだから、
まあ、こんなものかもしれない。先生は老齢で体調も悪く参加出来なかった。
また、仲間の3人が既に亡くなっていたのは、ちとショックではあった。

さすがに、42年ぶりだと、いったいどこのオッサンというか爺いだろうと思う程、
最初は誰が誰やらさっぱりわからなかった。
そのうち、あ、お前、ザ・ピーナッツが好きだったろ! そう、正解です。
不思議なもので、時間の経過とともに忘れていた昔のエピソードを色々と思い出す。

みんなしぶとく生きていたんだなあ、という感じが強い。へこたれているやつなどは
居ないのだから大したもんだよ。もっともクラス会へ出て来る連中というのは人生に
なにか張り合いが持てて、自信をもって暮らしてきたからなんだろうな。
なかにはクラス仲間の顔なんて見たくない、という人もいるかもしれないなあ。

「友がみなわれより偉く見ゆる日よ 花を買い来て妻としたしむ」なんて啄木の文が、
クラス会の後味の悪さになりそうな予感がして、あまり気が進まないというところが
一般的な感情だと思うのだけれど、もう皆さんが還暦という年代になると、いまさら
じたばたしたってしょうがないわけで、そういう感覚を味わうようなことはなかった。
かといって、昔の話をしても、そう面白いわけではないので、一次会でさよならした。


2007.02.16 投稿者:インファント 投稿日:2007/02/17(Sat) 00:10 No.3661  

柳沢伯夫厚生労働相は15日の参院厚生労働委員会で、ホワイト・カラー・エクゼン
プションに関連し、生産現場で働く労働者について、
「工場労働というか、ベルトコンベアーの仕事。労働時間だけが売り物です、という
ようなところ」と述べた。
適用対象外の職種をそのように表現したというわけだが、侮蔑的な発言だよなあ。
「労働時間だけが売り物」なんて、そんなお気楽な職場があると思ってるのかしら。
いまどき、そういう作業はロボットとかパートがやってるぜ。時代錯誤的でもある。
要するに、ちゃんと労働をしたことなんかない人に、厚生労働相は無理なんだろうな。

『たけしの誰でもピカソ/遂に実現!名曲伝説!ちあきなおみ』を今夜見た。
船村徹さんが、事情はあるだろうけど、歌い手は、ちあきなおみしか居ないのだから、
出てこいよ、と言っていた。作曲家は表現者の降臨を熱望しているということだ。
言い方は乱暴なんだけど、そこには、孤高の絶賛という意味が含まれているのである。
「余人をもって代え難い」という表現はこういう場合にこそ相応しい。
ここまで作曲家に慕われたら歌手は本望だろう。
単なる言葉狩りは良くないが、やはり、言葉はハートから滲んでくるもんだと思った。


2007.02.15 投稿者:インファント 投稿日:2007/02/15(Thu) 22:15 No.3660  

お袋が「男はつらいよ」の映画が好きなので、この間買った48作+αの
DVDを見てもらおうと思い立ち、ネットで激安プレーヤーを調達した。
そしてとりあえず25作までを抱えて実家に行ってきた。
最初はつなぎ方をミスして、あれれ、なんてやってたが、なんとかOK。
超安物の国籍不明みたいな機械だがちゃんと見れた。
親父も他界しちゃってるので一人で見てもつまらない面もあるだろうけど
何も面白いことがないよりはマシなんじゃないかと思う。

最近、オークションなんてのを始めたとかを話題にしていたところ……
宅配便が着いて、それはなんと、段ボールのクッション材の大きな筒だった。
弟は落札入手も趣味だが、出品もそれを上回るほどの頻度なのでプチプチの
クッションも大ロールで購入。一日に何回も宅配便が着くのでお袋は年中、
それを受け取りに玄関を往復というありさまだった。
まさか、ここまで……とは、呆れたというか、まいった。


2007.02.14 投稿者:インファント 投稿日:2007/02/14(Wed) 23:50 No.3659  

バレンタインデーということで、愛妻がチョコシフォンケーキなる代物を
作ってくれた。今回が初回生産である。
こういう場合、会社では試製品とかいうものになるわけだが、美味しい。
真ん中に通気孔のようなものが開いているのがミソなのかしら?
作り手としては満足いったのかどうか不明であるが、旨ければ良いのだ。
ふんわりとしてホロ甘い触感がなんともいえない。初めて食べたなこれ。

雪も降らないし、手袋するほど寒い日がこないうちに「春一番」が吹いた。
連想しちゃったのか「わが愛しのキャンディーズ」の録画を見てしまった。
やっぱりナベプロのタレントさんだよなとなんとなく思ってしまいました。
あの時点で辞めたのは正解のような気がする。美しい伝説になったものね。

この悪天候の影響だろうか、雪煙を吹き上げ白い津波が次々とスキー客らを
のみ込んだ。青森八甲田山系の前嶽山頂付近で14日起きた雪崩は24人を
巻き込み、2人の命を奪った。
熟練者がスリルを楽しむ山岳スキーは自然の猛威を前に暗転した。
こういう報道を見ると、なんでそんな危ない所へ危ない時に行くのかなあと
信じられない気がする。家でDVDやCDを見聞きしているのが一番だね。


2007.02.13 投稿者:インファント 投稿日:2007/02/14(Wed) 13:28 No.3657  

今日は書く事がないから「男はつらいよ」の歌詞をメモしておこうっと。

♪俺がいたんじゃお嫁にゃ行けぬ わかあっちゃいるんだ妹よ
 いつかお前が喜ぶような 偉い兄貴になりたくて
 奮闘努力の甲斐もなく 今日も涙の
 今日も涙の陽が落ちる 陽が落ちる

♪どぶに落ちても根のある奴は いつかは蓮の花と咲く
 意地は張っても心の中じゃ 泣いているんだ兄さんは
 目方で男が売れるなら こんな苦労も
 こんな苦労も掛けまいに 掛けまいに

♪どおせおいらはヤクザな兄貴 わかっちゃいるんだ妹よ
 いつかお前が喜ぶような 偉い兄貴になりたくて
 奮闘努力の甲斐もなく 今日も涙の
 今日も涙の陽が落ちる 陽が落ちる

♪どおせおいらは底抜けバケツ わかあっちゃいるんだ妹よ
 入れたつもりがスポンのポンで 何もせぬよりまだ悪い
 それでも男の夢だけは 何で忘れて
 何で忘れているものか いるものか

♪あても無いのにあるよな素振り それじゃあ行くぜと風の中
 止めに来るかとあと振り返りゃ 誰も来ないで汽車が来る
 男の人生一人旅 泣くな嘆くな
 泣くな嘆くな影法師 影法師


2007.02.12 投稿者:インファント 投稿日:2007/02/12(Mon) 22:04 No.3656  

バレンタイン・デーの先行ということで、娘がチョコレート・マドレーヌと称する
お菓子を焼いてくれた。これが大変な美味であった。
これなら、5個くらいをパッケージして売ったら、300円で売れるかも知れない。
味が決め手だと思うので、切片を試食用としてバザーなんかで売ればいいかも。
春うらら、こういう呑気な出来事があるのも平和なおかげだ。ありがたいことです。


2007.02.11 投稿者:インファント 投稿日:2007/02/11(Sun) 19:37 No.3655  

昨日は大腸内視鏡検査のために朝も昼も食事抜きだったが、もちろん今日は
好きなだけ食べられる。何食っても旨い。
「ありがたい」という言葉がある。
有って当り前だと思っていること。だけど本当にそうなのか。
有ることが本当は困難なことなのかも知れない。

戦争で食べるものがない。病気で食事が出来ない。こういう人にとっては、
どんな食事でも食べられること自体が有り得ないほど素晴らしいこと。
嫁さんが居て、食事を作ってくれるのも有難いことなんだろう。

ザ・ピーナッツの歌が聴ける。これも当たり前なんじゃないよな。
 録音を考えた人。
  レコード産業を始めた人。
 安価に買えるCDを考えた人。
 良い音のオーディオを作ってくれた人。
 映画を発明した人。
 テレビやビデオやLDやDVDを考えた人。
 コンピュータを考えた人。
 インターネットを考えた人。
みんな偉いね。みんな有り難うね。


2007.02.10 投稿者:インファント 投稿日:2007/02/10(Sat) 23:08 No.3654  

今日は大腸内視鏡検査というものに行って来た。結論をいえば異常なし。
今回で確か、5回目のはず。
最初は会社での定期健康診断で便潜血が検出されたので精密検査となった。
今回のと同じ大腸内視鏡検査だったが、大腸内を綺麗にするための準備が、
大変だったので、もうこりごりだと思った。
その時は大腸には異常なかったが、痔が軽症だが悪いのでそのせいと思った。

翌年もまた便潜血が発見された。
また痔のせいだろうと思って、ええい面倒だなとは思ったが検査を受けた。
ところが、これが大当たり(?)で、直径5センチもある大ポリープ発見。
大きいので改めて入院が必要となり、4泊もしてしまった。
物心付いてから初めての入院であり、ザ・ピーナッツのCDを大量に持参。
娘のCDウォークマンと大きなヘッドフォンも抱えて入院した。

めったに入院なんかしないのだから一番高額な個室にしてやったら院長から
花束が届いてびっくりした。医療関係の大手に勤務してたせいなのかなあ?
痛くも痒くもない手術だし、看護婦さんも綺麗で優しいので気分は良かった。
その2年後の検査ではポリープは発見されなかった。今回も大丈夫だった。

ここはその領域の専門病院で姉妹病院は痔の専門で神奈川辺りでは超有名。
同じ病院で同じことをやってる仲間がいるのだが、いつも話が合わない。
カラー液晶モニターで大腸の中を中継放送のように見せてくれるというのだ。
だが、私はいつも熟睡しちゃってて、そんなことがあったなんて知らない。
最初に鎮静剤を注射されたのは、そう説明されたので覚えていたのだけど、
鎮静剤で直ぐに寝てしまうなんておかしいなと思っていた。

だから、2年前の検査の時に先生にきいてみた。
「麻酔も同時にやってるんですよね。私すぐ寝てしまうのはそのせいでしょ」
そしたら、点滴で麻酔もやってます。とのこと。
それでも途中で起こしてくれたのだそうだ。
私は目を明けて説明を聞いていたというのだ。うそだろ〜。覚えて無いよ。

私はお酒が飲めないので、アルコールですぐに酔ってしまう。
このことと無関係ではないのかもしれない。
今日も薬が入ってきたな、という味のような感じを口の中の匂いのような
ものが漂ってきたな……と思ったら、もう後は何も覚えていない。
麻酔がちゃんと醒めてから先生の話を聞いているのか自信がないことから、
今回からは家内に付き添いを頼んだ。

「ご高齢の方や、不安のある方は付き添いをお薦めします」とも書いてあり、
もう両方当てはまるような気がしたからだが、殆どの人が一人で来ている。
年寄り扱いされたくないのかもしれないが、無理しない方が身の為だ。
なかには車で来てしまった人がいて、絶対に運転して帰ってはいけませんと
叱られていた。ちゃんと書類にも書いてある。日本語読めないのか。
そうだよな。意識がなくなる麻酔の直後なんだから酒気帯びよりも危ないよ。
そんな簡単なことが何故わからないのだろう。大馬鹿者だ。


2007.02.08 投稿者:インファント 投稿日:2007/02/08(Thu) 20:48 No.3651  

ヒマだったので、ヤフーオークションというやつで、ザ・ピーナッツで
検索したら、ザ・ピーナッツ後援会の会報が出ていた。
私の持っているものだったので無用だった。
http://homepage.mac.com/infant/omotya/pea15.html

持っていないものがあれば、1000円ぐらいならほしいなとは思ったが、
上記のが、9750円なんて価格がついたので、こんなじゃ買えませんよ。
25冊持ってるから、逆にお金に困ったら売り飛ばそうかしら。(笑)

また出品品は綴じ込みのために孔が二つ空いているのですが、私は孔を
あけるのがイヤだったので、その点でもグッドかもしれない。
綴じ込み専用カバーなんてのもお値段が付くのかなあ。二つあるけどね。

しかし、ここには色んなものが出品されているので写真を見ているだけで、
けっこう楽しいです。
ザ・ピーナッツは雑誌にずいぶんと写真が載っていたのですね。
見たことがないものがけっこうあるので驚きました。


2007.02.07 投稿者:インファント 投稿日:2007/02/08(Thu) 16:39 No.3649  

以前に何か買ったと思うのだけど、通販のカタログが定期的に届きます。
これがどういうわけか年寄り世代向けの商品が多く苦笑ものなんですが、
珍しく「こまどり姉妹」のCD−BOX(5枚組)が載っていました。

不思議なことに、モノラル録音が多いのです。
76曲中、41曲がステレオ録音じゃないのです。
代表的なヒット曲はほとんどがモノラル録音なんですね。
同じような5枚組のザ・ピーナッツのドリームCD−BOXでは、
100曲中、6曲しかモノラルはありません。
コロンビア・レコードは録音技術の進歩に興味がなかったのかしらね?

こまどり姉妹はザ・ピーナッツより三歳年上です。
でも、デビューは半年後なので、ステレオ時代になりかけた時期でした。
詳しく知らなかったので、こまどり姉妹のサイトを覗いてみました。
すると「こまどり姉妹」という芸名で吹き込んだのは「ソーラン渡り鳥」が
初めてで、昭和36年4月なんですね。それまでは並木姉妹?

ミリオンセラー曲なんてのが複数あるらしいです。
ザ・ピーナッツにはそういうビッグセールスの曲はないと思う。
全盛時には、後援会の会員が、13000人も居たそうで、政界財界の人も
多くて、本格的な後援会組織だったようです。
ザ・ピーナッツ後援会はわずか3000人ちょっとで、学生ばっかりだった。

まあ、どうでもいいか、こんな話は……ははは。


無題 投稿者:インファント 投稿日:2007/02/05(Mon) 10:30 No.3648  

ちょっと早いけど、娘から誕生祝いのプレゼントを頂きました。

これは、アニメ「ローゼンメイデン」のキャラ「真紅」の目覚まし時計です。
(ヤクオフで新品を二万円でゲットとのこと。サンキューですぅ)
上のベルが鳴るのではなく、声優さんのセリフで起こしてもらうものです。

真紅 「いつまで寝ているつもり。起きなさい!
    早くお茶を運んで来てちょうだい」
雛苺 「ふわぁ〜〜。おっはようなの。朝だよ。
    お目目パチーってしなきゃ怒られるんだから!」
翠星石「今日もまた、チビ人間とうんざりの一日の始まりですぅ」

この三つのセリフからチョイス出来るのですぅ。
ローゼンメイデンに興味ある(ないかも)方はネットで検索してみてネ。
↓↓↓
TBSアニメーション「ローゼンメイデン」公式HP
TBSアニメーション「ローゼンメイデン トロイメント」公式HP
TBSアニメーション「ローゼンメイデン・オーベルテューレ」公式HP


2007.02.04 投稿者:インファント 投稿日:2007/02/05(Mon) 00:16 No.3647  

<地震>横浜で震度3
 4日午後8時59分ごろ、関東地方の広い範囲でやや強い地震があり、横浜市神奈
川区で震度3を記録した。気象庁によると、震源地は千葉県北西部で震源の深さは約
80キロ、地震の規模を示すマグニチュードは4.2と推定される。

というわけで、私の住んでいる地区は震度2とNHKで報じられた。
しかしながら、神奈川県は地震が多いので、すっかり慣れっこで驚きもしない有様。
もう年中揺れているわけなので、震度4以上にならないと家族が皆慌てないのだ。
以前に、まだ家内の父が存命の頃、我が家に泊ったが、そんな日に限って震度3の
地震が起きた。兵庫県の姫路市ではめったにないことらしいのだ。
びっくりして、こんな物騒なところに居たくないと早々に帰られてしまわれた。
しかし、阪神大震災がお隣の神戸市などを襲ったのだから、日本中が地震列島であり、
絶対安全な地域というところはないのかもしれない。

最近もマンションやホテルの耐震強度偽装が問題になっているが、たしか阪神大震災
の時にもマンションの耐震性についてテレビなどで話題になった。
私はマンション住まいなので、あんたの所は大丈夫なの? と色んな人に聞かれた。
会社が郊外なので、一戸建ての住民が圧倒的に職場には多かったのだ。
しかし、大規模建築であり、施工も販売も大企業だから話題性があるだけであって、
マンションが一戸建てより耐震性が低いわけではない。
実際に地震で亡くなっている方々の殆どが一戸建て木造建築に住んでいた人なので、
むしろ心配してあげるのは、私の方ではないかと苦笑してしまう。
大規模建築ほどの構造計算など一戸建て住宅でもちゃんとやっているのか疑問だ。
施工もきちんと出来ているのか、それこそ保証なんかないような気もする。

実際に大震災が起きてみないと何ともいえないが強度はかなりありそうだ。
外壁と隣との壁は30センチの強烈な厚みがあり、屋内の間仕切り壁は25センチ。
壁式構造なので7階までしかないが、計算上は余裕たっぷりなのだと説明会では
言っていた。この説明会がおかしなことに大成建設のヘルメットを被ったオジサン
ばかりが作業服でうろうろしており、他のマンションのそれとは雰囲気が違った。
他は資金面の相談とかで、すぐにコーヒーとかサービスがあって綺麗なお嬢さんが
応対してくれるのだ。そういうのは銀行などから応援に来た方のようだった。

モデルルームなんかの装飾も下手で、要するに容れ物の構造だけはいいんですと、
それしかセールスポイントがない印象だった。
生活協同組合(COOP)が売り主だったので、セールスマンがいなかったのかも
しれないが、その後、管理組合の理事をやった時、検査会社の人に修繕計画の為に
状況を調査してもらったら、非常に良く出来ていて老朽劣化が見られない、という
報告があって、なるほど、質実剛健ということかと納得した。
今年、大規模修繕が終わり、外壁塗装の色も明るい色に塗り替えて綺麗になった。
元々は地味すぎるグレーで、まるでこりゃ刑務所のようだと思っていた。


2007.02.03 投稿者:インファント 投稿日:2007/02/04(Sun) 01:19 No.3645  

「発掘!あるある大事典」の捏造内容の酷さが話題になって久しいが、捏造だとは
言えないものの、仮説のようなものなのに世界的な統一見解というものがあるのでは
ないかと思う。その時点での大多数の総合意見が事実と必ずしも合致していないのは
「それでも地球は回っている」と主張したガリレオを裁判で処刑したことで明らか。
本当にそうなのだろうか、と疑ってみることも大切なのではなかろうか。

一つの例は「地球温暖化」の大騒ぎである。
この地球温暖化は、人為起源の温室効果ガスによって引き起こされたとする説が最も
有力である。全世界で石油を燃やし過ぎだというわけだ。
でも、本当にそうなのだろうか?
そんなことで地球って暖まってしまうほどちっぽけなものなのだろうか?
気温などの測定記録が残されていて統計的な解析に使われるようになったのは最近で、
地球の温暖の変動のうねりに比べたら時間軸が比較にならないほど小さい。
何十年か後には、空騒ぎでした、となるんじゃないかと個人的な感覚で思ってしまう。

「オゾン・ホール」が拡がっていて、それはフロン・ガスが犯人だという。
これも同じじゃなかろうか。オゾン・ホールの拡大なんて最近調査し始めたばかりで、
これも僅かな期間での差を云々している。
実際にオゾンを酸素分子に化学変化させる触媒としてのフロン分子中の塩素の存在は
一つの仮説としては十分に成り立つ考察であるかもしれない。
だけど、誰も目撃したわけではない。状況証拠みたいなものである。
オゾンの絶対量が減っているから、そうなっているのだという証拠があるのかしら。
それなら大量に放出し続けたアメリカが影響源になるであろうに北半球じゃなくて、
日本の南極観測で見られる現象だというのだからわけがわからない。
これも、何十年か後には、空騒ぎでした、となるんじゃなかろうか。

どうも世界中が人為的にヒステリックというか、ノイローゼになってはいないか。
メタボリック・シンドロームなんていうのもそうだろう。
中年の半分以上がこの基準では「病人」となってしまうよ。
極端な肥満や明らかに血液検査で異常な値である場合は別として、そんなに病気の
扱いをされては「メタボリックうつ」という新しい病気を生み出してしまいそう。

フランスでは喫茶店でも酒場でも、とにかく人が集合する場所では禁煙になるという。
煙草って一つの文化だろう。歴史と文化を愛する国とは思えない愚挙だ。
健康かもしれないが健全じゃない。
ザ・ピーナッツの「明日になれば」の世界は成立しなくなる。
喫煙が愚かな行為であることは認めるけれども、そもそも人間が生きてることだって
愚かなことだ。人間なんて一人も居なくても地球は困らない。せいせいするだろう。
地球を大切に思うのならば全員ただちに自殺するべきだ。それが最良の手段であろう。


2007.02.02 投稿者:インファント 投稿日:2007/02/03(Sat) 16:52 No.3643  

今日は何で自分がホームページを作ったり、長文をあちこちに書いたりしてる
のか、その秘密を紹介しましょう。

それは、「自分が見るためのもの」というのが動機の90%を占めています。
あとは同じような趣味・趣向の人が居れば面倒にならない程度の交流が出来たら
いいな、という思惑です。

基本的に人付き合いは苦手です。あまり他人と関わりたくないのです。
人はそれぞれ思惑があるし、事情・都合があるのです。
自分も傷付きたくないし、不用意な言葉で他人を傷つけたくもありません。
自分自身は考えて言っているつもりでも、無神経な言葉になっていると思います。
これはお互い様なので、相互に楽しい気分でいられる程々のところで済ませたい。
だから、「君子の交わりは淡きこと水のごとし」という感じでいきたいのです。

この格言は「小人の交わりは甘きこと醴の如し」と続き、「醴」は甘い酒であり、
我々の職場の付き合いや、日常での交友関係に参考となる格言を遺しています。
「物事をよくわきまえた人の交際は水のようだ」と述べた後に続いて「つまらぬ小人
物の交際は、まるで甘酒のように甘く、ベタべタした関係であり、一時的には濃密の
ように見えても、長続きせず、破綻を招きやすいものだ」と述べています。
実際にもそういうものだと思います。
私には中学校時代からの親友がおりますが、年中逢っているわけではありません。
でも、いつも、どうしてるかな、と、頭に浮かべることがとても多いものなのです。

そういうことなので、別にサイトの内容に多くの方々が反応を示してくれなくても
かまわないし、個人的にメールなどを多く頂くのは好みません。
幸い殆ど無反応で、メールも完璧に来ないので、その心配もなさそうです。
一度、若い方から抗議メールを頂きまして、本当にご指摘された点は私の修行の
至らない部分であって、大いに反省し、同じような過ちは起こさないように自戒を
心掛けています。

さて、本題に戻って「自分が見るため」とは、どういうことでしょう。
自分で書いたものを自分で見て、それのどこが楽しいのか面白いのか、です。
それが実に不可思議なことなのですが、自分で書いておきながら、ネットで読むと
妙に感動してしまうのです。どこか自作ではないような不思議な気分なのです。
例えば、玄関の「ザ・ピーナッツ sings 宮川泰」のCDのご紹介文ですが……

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 このアルバムを聴いていますと、いかに宮川先生がザ・ピーナッツにいい歌を
贈ろうとしていたのかが実感として伝わってきます。
 ヒットしそうな曲を作るという感覚では全くないところが素晴らしいんです。
それではプロとして失格かも知れませんが、その思い入れが私達を圧倒するの
ではないでしょうか。時代時代の世間の流行りモノとは常に別次元のイメージで
作られているから、戦前の歌謡曲みたいであったり、時代を超えて古くならない
良さがあったりもしますが、それらは全て結果としての副産物。
 このアルバム自体が宮川先生のザ・ピーナッツに注いだ「愛情の証」でしょう。
そこには傑作、駄作の区別はありません。これはラブレターと同質のものです。
是非、一行も読み飛ばさずに読んであげて下さい。
************************************************

良い文章ではないと思いますが、とても心が素直に滲み出ている暖かい文面だと
感じます。書き込んだ時にはそうは思いませんでしたが、後でそう思いました。
だから、どうも自分で書いているのだけれど、出て来る言葉は自分が考えては
いないのではないか、という妙な感じがあるのです。
人間の脳は三割くらいしか活動していないとか読んだような気がするし男性の脳は
女性より200グラムほど多いともいうのに男がお利口さんともいえない。
ということはやはり、自分の中に自分が認知出来ない脳活動もあるのではないか。

私は絵画を描くことが滅茶苦茶上手です。自分で褒めてりゃ世話はわけないですが、
どういうわけか自分でビックリしちゃうのです。
だけど描くのは凄く負担に感じます。あまり描きたくないんです。
小中高と学校の先生は絵の道に進めと無責任に言いましたが、描くのは面倒です。
大変な寡作でしたが、出来た絵は誰が描いたんだこれは凄いなあと感心しました。
ただ、これを仕事にしたいなんてことは露ほどにも思ったことはありません。
なんか自分のインターフェイスが追い付いていない感じがするのです。

ようするに、自分がどう出来ているのか、メカニズムがよくわからないのです。
なにか音楽の演奏のようにノってくるとスラスラと勝手に出来てしまうのです。
コンピュータのプログラムを作る仕事をしていた時に同時に3〜4本を並行して
書いたこともありました。パッと全体が俯瞰され完結したイメージが出来上がり、
それを機械的にタイプしている感じで、メモリーマップが脳内に納まっていて、
ミスも起きずに出来てしまうという感じでした。
だから予定納期の半分以下で出来てしまうので苦労したことがなかったのです。

後で見ると、これは巧みだな、天才じゃないか、と思える工夫が頻出していて、
見ていて楽しいのです。早い話が自己満足ですが、それでいいんです。
他人に褒めてもらうなんてことに興味がありません。理解者は自分自身です。
こういう楽しさと同質の感じが自分で書いたテキストにもあるのです。
だから面白いと思うし、当然、自分の興味がある範疇のことばかりなので、また
それも飽きないところでもあるのです。
書いた内容は記憶力が弱いせいか、どんどん忘れるので、自分のサイトを眺める
のが「読み手としての自分が」新鮮に楽しめるのです。
もしや、左脳と右脳がちゃんと繋がっていないとか、不具合でもあるのかな?


2007.02.01 投稿者:インファント 投稿日:2007/02/01(Thu) 17:55 No.3642  

「男はつらいよ」のDVDを毎日1作づつ観ているが、今日は「花も嵐も寅次郎」。
昭和47年の年末公開の第30作目である。
私は作品世界に没入して笑ったり泣いたり、映画はいいなと堪能していたのだが、
ザ・ピーナッツさんは、これだけは見たくない、という思いではなかろうか。
田中裕子と沢田研二が共演し、当時は不倫関係の引き金となった因縁作品だからね。
そう思うと複雑な後味が残ってしまいますな。

沢田研二という人は真面目で誠実で信念を持っている立派な方だと私は思っている。
だから何故、ああいう結果になったのだろうと色々考えてみてしまう。これは哲学だ。
あれは浮気じゃなくて、自分に誠実になるにはあれしかなかったのだろう。
人を好きになるという感情は抑えられるものではない。
こっちが本当の恋だったのだ、と自分を再発見したのではなかろうか。

ザ・ピーナッツにしても沢田研二にしても、有名人なのだから、さぞかし交際範囲が
広くて、色々な人との邂逅があって、異性との巡り逢いも多いのじゃなかろうか、と
思うのは実は我々の勘違いなのかも知れない。
妙な言い方だが、あれって我々の世界の職場結婚と同じじゃないか。
同じ会社でシャボン玉ホリデーという同じ職場で結ばれたのだから狭い世界みたいだ。
仲良し夫婦で、彼も子供をおんぶして洗車してたりする理想的な家庭だったはずだ。

それでも田中裕子と逢ってしまったことが、これが本当の恋というものかと目覚めた。
そういうことだろう。気付いてしまったのだろう。
日出代さんが嫌いになったわけでもないし、子供も愛しているのだけど、自分に嘘を
つけないのが、自分に誠実な人間なのだ。これは世間でいう浮気でも遊びでもない。
幸福な状態を投げうってでも、誰に何と非難されようとも、選びたい道だっただろう。
これは他人にはわからない。人間てそんなに単純なものではない。

私は自分でも厭になるほど執拗な人間だと思う。特定のことに凝り固まる性質だ。
だから、一旦、交際を断わられても、どうして、という理由がないと諦め切れない。
以前に書いた初恋の人にも、一年経ってから再びデートに誘ってみた。
来そうもないと思うでしょうが、これがつき合ってくれるのだ。
また同じことを言うと、また断わられた。
そうやって、七夕様みたいに、一年ごとに六回デートした。
こっちも変ってるが、あっちも変人だ。

ようするに何故、私ではダメなのか、そこを知りたかった。思い違いがあるのなら、
誤解を解きたかった。
気持を励まして色々としゃべろうと思うのだが生産計画とは違い上手く遂行出来ない。
ならば、と思い、手紙を書いた。B4の行間7ミリという用箋に10枚も書いた。
だから意志が伝わっていないということは考えられない。なのに、なぜだ。
「あなたが嫌いなわけでもないし、とても素敵だと思います。だけど、選ぶ相手が
間違っています。お手紙は素晴らしい内容でした。こんなに感動する文章は生まれて
初めて拝見しました。小説なんて問題じゃないほど凄いです。本当はお返しするのが
筋だと思うのですが、これは私に下さい。でも、私はあなたが思い描いているような
人間とは違います。あなたに相応しい人は他に居ます。それは私じゃないんです」
こういうことの繰り返しだった。

結局、これは、哲学とか愛とかいうものではないようなのである。
やっぱり容姿なのではなかろうか。
私が夢中になったのも、彼女がフランス人形みたいに美しかったからであり、華奢で
伊藤月子さんと同じ身長で小さくて、思わず抱きしめてみたくなる感じだったからで
あって、心根がどうこうというレベルまで知っているわけではないのだ。
だから、当方の外観がどうしょうもなくて、相手にしてくれないのだろうと思った。
二枚目には勝てないなというセリフが30話に出てくるが寅さんの言うとおりなのだ。
だからといって女ならなんでもいいとは思えないから、ずっと独身で通すしかないな。
人間は皆平等だなんて嘘だ。そんなことねえな。ああ、空しい、儚い、そう思った。

こっちはどんどん歳をとってしまうのだが、あ、可愛いなという人は次々と現れる。
デートに誘ってはみるのだが、誰々が好きだなんて言うから、じゃ任しておきな、と
まるっきり寅さんの役回りになってしまう。
ボーリングやった後で、彼氏が居るなんて言うから、じゃなんで来てくれたの? と
聞いたら、あの人なら人畜無害。ボーリング教わってきな、と彼氏が言ったそうだ。
こんな三枚目の役回りばかりでうんざりしたが、女性とお話が出来るように進歩した
という面もあった。

そういう準備期間というか修行のようなものは神様が与えた試練であったのだろう。
新たなドラマがあって家内と一緒になれたのだからハッピーエンドに近づいている。
私は自分の人間性が家内に評価されたものだと信じていた。
車も免許もないからデートはハトバス観光をご利用という有様だった。
娘は彼氏とデートで総合防災センターで起震車に乗ったというのは血は争えないとも
言えるが、あまりロマンチックなデートコースではないであろう。
やっぱり人間は中身の問題だったんだ。こうでなくちゃと思った。

しかし……娘がある時、ふと、「お母さんは何故お父さんと結婚したの?」と言った。
「騙されたの」なんて言ってたが、「マジに答えてよ。どこが気に入ったわけ?」
すると家内は、「素敵だったから。お父さんって、かっこよかったんだよ」という。
過去形なのは気になるものの、「優しかったから」とか言うものだと思ってたので、
素敵だとか、かっこいい、なんて言葉が出てくるとは夢にも思わなかった。
そうなのかい、と唖然としてしまったし、随分と長い人生の時間をコンプレックスを
抱いて過ごしてしまって損をしたような気分になった。
「蓼食う虫も好き好き」とか申します。外観なんて悩む必要はないということでした。


2007.01.31 投稿者:インファント 投稿日:2007/01/31(Wed) 17:19 No.3640  

最近8年間、自殺者が3万人という膨大な数字が継続しているらしい。
これは人口当たりで欧米の3倍ほどに相当し、自殺大流行国なのだ。

古典に「幸福な家庭は皆同じだが、不幸な家庭はそれぞれ異なって不幸だ」というが、
「家庭」を「個人」に置き換えても通用する格言だと思う。
心の闇は、様々な悩みに満ちている。死にたくなる理由は星の数ほどあるのだろう。
子供が自殺すれば社会問題として「いじめ」があったとか大騒ぎしてくれるのだが、
大人が3万人も亡くなっても、勝手に死んでいるんだから、仏ほっとけの有様だ。
死ぬ程の悩みや辛さを抱えて苦しんでいる人達を救えないでなにが美しい国なんだ。

悪い事をする議員は昔から尽きないほどいるのだが、そっちの方ばかり知恵がまわり、
国政としての無策さは目に余る。
230万人という多重債務者の異常な多さは国の政治が招いていると私は思う。
昔は高利貸しのコマーシャルなんぞは深夜に限定されていたはずである。
それが規制緩和で野放しになり武富士とかアコムとかアイフルとか興味のない私でも
業者名を知るほどの夥しいCMが茶の間に垂れ流しにされていた。
お金を借りることが最新流行の時代だよといったマインドコントロールに匹敵する
巧みで面白い宣伝が巷に溢れた。ありゃまずかったと思うよ。

どう考えたって、100万円を一年借りると130万円返さなければならないような
借金をするのは愚の骨頂だと思うのだが、そんな単純な事もわからない人達の無知に
つけこんで金を貸すという悪質な業界の片棒を政府が担いでいるようなものだ。
もっと酷い高利の場合はさすがに逮捕に至っているが、そこから借りるような人達は
元々が法定ぎりぎりの業者から借りていたはずで、サラリーマン金融などのCM自体、
規制しなけりゃどうしょうもない。規制しないこと自体が犯罪の共犯だよ。
「当社から10万円の融資を受けると一年後には13万円の返済が必要です。これを
ご承知の上でご利用下さい」という文字を画面一杯の大きさで3秒間表示することを
条件とするなど、私は当然の規制だと思う。そうするのが人間の倫理ってもんだろが。
「計画的にご利用ください」では何の効果もない。規制をわざと甘くしている。
これで首を吊ってしまった人も多いにちがいない。

煙草のパッケージには健康上の問題が多発することを表示することが義務付けられた。
国が自主的に発案したのではなく外国を見習っただけである。外圧みたいなもんだ。
私は酒類のラベルにも同じ程度のスペースを使って悪影響の表示をするべきだと思う。
「この飲料を飲んで車を運転することは重大な犯罪となります」
「この飲料を一日に2本以上飲むことはあなたの健康を阻害する恐れがあります」
「この飲料は、糖尿病などの疾患をはじめ、アルコール依存症候群になる危険を秘め
 ています。適量の愛飲を心掛けてください」
「この飲料を飲めない体質の方が我が国には多数存在します。みだりに他の人への
 強要をしてはいけません。パワーハラスメントには特に留意してください」
「この飲料はあなたの正常な精神状態を一時的に麻痺させることがあります。異常と
 感じたら、そこで直ちに飲用を停止してください」
「この飲料を飲んだことでそれまでの生活を破壊された事例が多く報告されています。
 それをご認識の上でお飲み願います」
禁酒法までやれとは言わないが、上記は必ずしも冗談のようなもんじゃないと思うよ。
お酒のコマーシャルもある程度規制すべきだ。あまりにも多すぎると思いませんかね。
アルコール好きな人は呑まない人の倍の自殺者がいるという統計も出ている。

話が飛躍するが柳沢伯夫厚生労働相が「女は子供を生む機械」だとぬかしやがった。
森喜朗元首相の「子供を作らない女性が楽しんで暮らしておいて老後は税金で面倒を
みろというのはおかしい」という発言と一緒で女性蔑視が無意識下にあるような奴が
国民の代表に選ばれていることが大きな問題だ。
女性を蔑視するという俗物はすなわち人間も蔑視する心の習慣があるに決まっている。
弱肉強食の世の中で落ちこぼれて弱者になっているようなものは眼中にないのだろう。
「それを言っちゃおしめえだよ」って寅さんのセリフがあるだろうが。ちっとは映画
でも見て勉強しやがれってなもんだ。
こいつらの言う言葉が、人の心を傷つけ、人を死に追いやることにも繋がるんだ。
政治家は言葉が命。言葉で人を救い、人を殺す。向かない人はやっちゃいけない職業。

人間はもっと自分を大切にしなきゃいけないと思う。
自分を大事にする習慣はやがて周囲も大切にするようになる。
近年、母子家庭、父子家庭が増えているという。別に死別が増えているのではない。
所帯を持って子供も出来たが、上手くいかないから別れるという状況が多いらしい。
それぞれに都合や事情があるのだろうが、粗忽者だと言わざるをえない。
結婚相手のことがわかっていなかったのではなくて、自分自身のことがわかってない。
自分のことをよく考える、落着いてじっくり考えることが何より大切だと思う。
我慢しろ、と言うのではない。我慢しなきゃならないような状態に思ってしまうのが
そもそも原因なんだ。精神的に未熟なままで結婚するから破局するのだ。

気持が内向するのは良くない。
軽はずみだろうが何だろうが思ったことは言わないと具合が悪くなる。
「あったまきちゃったよ。もうやってられないよ」と職場に戻ったら大声で騒ぐ。
すると「何があったのさ」と、隣のタコ社長みたいのが必ず反応する。
「冗談じゃないんだよ。ま、話を聞いてくれる?」「ああ、聞く聞く、聞くだけな」
とか言いながら、給茶器で紙コップにお茶を入れて二つ持って来る。
話が一段落すれば「まあ、気持もわかるけどさ、あいつはそういう言い方しか出来
ねえんだ、それはわかっているだろ? 悪気はねえんだから許してやんなよ、な」
てなもんで、大体、気持が納まってしまう。これはお互い様で、これも助け合い。
そもそもなにか言われたところで相手も同じサラリーマンなんだから、とんでもない
人種じゃなく、大した内容じゃない。そんなことの繰り返しで、41年勤めた。

職場では休憩時間になると真ん中に大きなテーブルを6つまとめて置いてある場所で
12人が車座になって皆で談笑するのが恒例だった。
私の前には三面鏡のように集塵機が三台置いてある。煙草の煙を吸引させるためだ。
そこから目だけ出して話に加わっていた。これも滑稽な光景だったな。
事務屋なんだが、こういうところは現場風であり、これは他所では見られない光景で、
面白いネタを誰かが提供することで盛り上がる。小グループでの会話はないのだ。
その事件が起きたときに不在だった人に説明する場合、指名されるのが私だった。
同じことでも一層面白く紹介する才能があると見込まれていたらしい。落語家だね。

家でも必ず夕食は全員で揃って食べ、その会話をするために残業などはしなかった。
残業をしなければならないほど私の能力は低くない。18時40分にいつも帰宅。
会社であった面白いネタを私はしゃべるが、背景も言わないとわからないのだから、
普段から登場人物などは言っておかなきゃダメである。
娘は学校での出来事をしゃべる。これも普段から環境を熟知してないと面白くない。
家内はお父さんのためのワイドショー講座担当。テレビと新聞が取材源だ。
つっこむと、そんなことまで知らないわよ、となる。まあ、そんなものでいいのだ。
こういう時間は隣の部屋でテレビがなにをやってるかわからなくなるがそれでいい。
我が家は年代格差が三段階もあるのだが、話が合わないなんてことは起きない。

とにかく、口は食べるだけの道具ではないし、耳はテレビやCDの音を聞くために
だけ付いているのではない。会話をすることが人間の基本。
悩みなんてものは共有しちゃえば屁でもない。わかりやすい人間になることが大切。
病気とか事故とか天災とか、不幸がいつ訪れるか、明日のことはわからないけれど、
現状を余り不幸と感じる必要もないし、どうせ死ぬんだから、急ぐこともないよね。


2007.01.30 投稿者:インファント 投稿日:2007/01/31(Wed) 11:05 No.3638  

国会中継の代表質問と答弁を聞いて個人的にも色々と反省しなきゃと思った。
私もそうだが民衆は為政者の言葉のマジックに騙されやすいと気付いた。
それは安倍政権が繰り出す騙しの技巧が拙いために仕掛けが見えてきたので、
今更のように、そうだったのか、と気が付いたことが多々有る。

小泉さんの時代に盛んに掲げられていた「規制緩和」とか「市場原理」とか、
「自由競争」など、言葉としては正しい事をやろうとしているように感じた。
しかし、これらは「何をやってもいいことにしよう」という意味だったのだ
と今頃気付いた。そんな目的だったのかと後から思っても遅いのだった。

終身雇用の正社員から、派遣社員、パート労働者への切り替えの自由などが
人々の生活の安定基盤を失わせ、業務委託を自由に進めることで品質管理や
責任所在がデタラメになることを招いている。
品質が目に見えるような商品の場合なら品質低下の度合がわかりやすいのだが、
暫く使わないとわからないものや、食品、医薬品などは恐ろしい気がする。
委受託が広範に進んで著しいコストダウンが図られ、国際競争力が高まると
いう図式なのだが、その国際競争力というのがクセ者なのであった。

早い話が外国の低賃金の労働者が作る商品価格と競争出来るか、とか、株価が
乗っ取られないような高価格を維持出来ているかとか、企業経営者にとっての
有利さが目的なのであって、労働者にとっては何のメリットもなかったのだ。
ようするに労働者なんて中国でも日本でも同じなんであって、低い賃金だけを
支払えばいい筈で、日本人だからといって高い給料を維持する必要はない、と
いうことなのだが、はて、お仕事というものはそんなに単純なものなのか?

日本が高度成長を遂げたのは現場が世界一優秀だったからであり、経営者らが
優秀だったわけではない。その水準はむしろ低いのではないか。
だから、労使での賃金格差はそんなに大きいものではなく、それが日本社会の
絶妙なバランスだったのではないかと思っている。
今や、色んな企業が芋蔓のように複雑な下請け孫請け曾孫請けのような状態に
仕事が複雑化して実際の作業は低賃金の労働者にさせるという構図になった。
このために労働者層の給与はどんどん引き下げられて止る所をしらない。
そのうち日本製という信頼は過去のものとなり、亡国の危機は迫るだろう。
金持ちだけ生き残っても、それが、その人達にとって幸福なことなのだろうか?


2007.01.29 投稿者:インファント 投稿日:2007/01/30(Tue) 23:19 No.3637  

私は、ここ10年以上、流行りのメタボリック・シンドロームであります。
腹周=94センチ、体重=75キロ(身長=172センチ)なので肥満体。
ザ・ピーナッツ現役のころの私は、体重=55キロだったので痩身の類い。
しかし、幸福感というのか、呑気な感じと体重は比例しているような感じ。
痩せていたころは、何にでもくよくよして、メソメソしてたように思える。

学校だとか会社だとか行きたくないし、イヤなことや恥をかいたことなどを
いつまでも頭の中でぐるぐる考えていて、まさに灰色の青春だった。
一番ショックだったのは、ザ・ピーナッツさん以外で初めて好きになった
女性に交際を断わられたこと。あれは死ぬ程の苦しみでありました。
昭和45年9月21日に帰りの電車が一緒なので横浜で降りて、古城という
喫茶店でつき合ってください、と申し入れ、その日は、いいですよ、なんて
言ってくれたんだけど、その後、なんか、よそよそしくて、9月30日に
今度は、田園という喫茶店で、避けてるみたいなんだけどどうしちゃったの、
ときいたら、やっぱり、おつきあい出来ません。というのでした。

これを書き出すと山岡荘八の徳川家康の小説なみに長くなるのでやめるけど、
とにかく自分の全てがこの世に否定されてしまったかのごとく、もうだめだ、
生まれて来るのではなかった、などと消え失せてしまいたいと思ったのだ。
しかし、人間はこういう挫折感を味わうことも必要ではないだろうか。
寅さんの気持がわからなければ「男はつらいよ」の名作世界は理解出来ない。
人を好きになるという気持は結果はどうあれ大切なものだと信じたい。

お医者様でも草津の湯でも恋の病は治りゃせず、とか申します。
そういう時は食事も喉に通らなくなって、げっそりするのが相場というもの。
だが、私はそういう時の方がお腹が空いてしょうがなくて良く食べた。
脳味噌というものは思いのほかカロリーを消費するものらしく炭水化物から
体内で化学変化して作られるブドウ糖を欲しがるので甘いものなども同時に
食べたくなり、ベソをかきながら暗い顔で栄養補給していたのだった。

だから、失恋で痩せるということはなかったし、太ることもなかった。
やっぱり食べるという行為は大切で普段使わない頭まで使っているのだから
食べないと具合が悪い。食べると感情も段々落着いてくるものなのだった。
こういう人はたぶん、自殺などしないだろうな、と我ながら思います。
ヤケ酒を飲むという手もあるのだろうが、アルコールからブドウ糖を生成
出来るのかな(出来そうな感じもするが)。呑めないので無縁な話だ。


2007.01.28 投稿者:インファント 投稿日:2007/01/30(Tue) 17:58 No.3636  

ウインドウズ・ビスタとかいう新しいOSがリリースされるみたいだ。
我が家はMacintoshで通してきたので直接は関係がないのだが、マックの
OSもどんどん変ってきて、もうバージョンにすると今のものは5世代も
古いということになる。ウインドウズで喩えるとWINDOWS98の世代だ。
オリジナルのMac.OSの最終世代なので、かれこれ12年は同じようなものを
使い続けていることになる。手足のようなもの。

個人的な操作には何も不便はなく、機械の性能に比べて軽いOSなわけで、
快調そのものなのだが、困るのはインターネットの新しく追加された機能。
最新技術指向のようなサイトはまず開けない。
OS自体は動画コンテンツの機能を元々持ってはいるのだが、別の道具が
流行っているので、それに対応しないのだ。
どんどん買い替えて頂こうという業界の戦略なのでしょうがない。
ユーザーのためではなく売り手の都合なのだ。

パソコンを更新するときに合わせてOSも周辺機器も買い替えようかなと
思っているが、その目安は、性能が10倍になった時点を考えている。
もう来年あたりかもしれないが、気になるのがCD−Rを焼く機械のこと。
現有機なみの性能(音質という意味)を持つような機器が市場から消えて
いるようなので最新OSに対応するこの機器のドライバーがあるのかなと
いうことなのである。他の機器はどうでも良い。新型ほど優秀だろう。

このあたりがダメなら、いっそのことウインドウズに乗り換えてもいい。
会社では当然WINDOWSだったので違和感なんて全くないのだ。
使い勝手なんて同じようなもので特にマックが良いとは思えない。
決定的な違いはそのお姿なのだ。かっこいい。(と勝手にそう思ってる)
俺のマシンだ。家に帰ってきたな。会社とは違うぞ。その感覚が好きだ。
でも、ウインドウズが無性に懐かしい。そういう面もある。複雑だ。


2007.01.27 投稿者:インファント 投稿日:2007/01/27(Sat) 11:45 No.3635  

昨日の日記に書いた安倍首相の施政方針演説関係の個人的感想は無学な自分から
みた主観的なものだったが、どうやら学者や有識者も同様な感じを抱いたようだ。

「戦後レジームを原点に遡って大胆に見直し、新たな船出を。と、憲法改正や集団的
自衛権に言及しているが、実際になにをやりたいのか見えてこない。わざと言わない
のかも知れない」という主旨の感想があった。
第9条の戦争放棄なんてものが外国にナメられる元凶だ。自分の国は自分の力で守る。
こういう国家が美しい国であり、それを目差すとはっきり言えばいい。
そう言うと選挙で負けるから、真意を隠してごまかしている。

目立つのは「新健康フロンティア戦略」「イノベーション」というカタカナ語だ。
「カントリー・アイデンティー」なんて英語には存在しない安倍製カタカナ造語だ。
昨年の所信表明演説では70回のカタカナ語が登場し、今回は50回で少し減少。
「国民をけむに巻くような言葉のレトリック。なんとなく新しいものがありそうな
期待を抱かせる効果があるが、実際は何を言っているのかよくわからない」
これは大学教授の感想なのだが、昨日、私が書いた内容と良く似ていて驚いた。
大学教授でもわからないのだから私がわからなくても無理はなかったのである。
お世辞にも美しい演説とは言えなかったようだ。

欺瞞と矛盾に満ちた方針では国民の参画を促すことは出来ないであろう。
身近な問題で国民は生活に困窮しているのだ。国家云々という時期ではなかろう。
貧しい東北の寒村(我が父はそういう環境で育った)では食えなくて娘を身売りした、
そんな政治下で負債を膨大に増やしても戦艦大和やら零戦を作って戦ったらしい。
軍人や政治家、財閥にはかっこよくて、それは美しい日本にも思えたかもしれない。
どうせ困ったり死んだりするのは弱者だけであり、財閥の息子は徴兵されもしない。
こんな時代に戻ろうとしたいのだろうか? 祖父に見習っているのかな?

カタカナといえば、かなり以前に勤務先で役職名ががらりと変ったことがあった。
うんと上の層では、コーポレート・オフィサーとかプレジデントとかよくわからない
名称が出て来たが、どうせ雲の上で関係ないからどうでも良かったが、課長といった
身近な役職がグループマネージャーなんて名前になって、チームリーダーなんて風に
変ってしまって、なんとも言い難いし、違和感があった。
部長、次長、課長、係長、主任、職長、班長という言い慣れた序列の方が良かった。
その一方で私にはカタカナ役職名は付かず、課長代理だという。
課長なんて役職が消えているのだから、架空の役職の代理だ。全く意味不明であった。

要するにグローバル化ということを目差しているのだが、早い話がアメリカかぶれ。
そのアメリカから査察官が来て、偉い方々が対応していたのだが、
「アナタ達ではラチガアキマセン。シゴトガワカル人ヲ呼ンデ下サイ」てなことで、
急に説明をしなさいと命じられてしまった。
さあ、困った。なんせ高校の時は英語「2」だったんだから、無茶な相談だこれは。
とりあえず資料を抱えてドアを入ったら、ちゃんと通訳の人が居たので、質問点は
なんですかと聞いたら、全然どうってことのない簡単なことだった。

ものの一分もかからずに通訳に説明したら、サンキューてなもんで片目でウインク
なんかしちゃって愛嬌のある査察官で、こっちも思わず微笑んでしまった。
待機室で待ち構えていたお偉い方々は心配していたが、オーケーでしたよと言うと、
さすがだ、なんて賞賛されてしまった。(さすがとはどういう意味なんかねえ)

タネあかしをすると、
査察官は、製造指図のマスター書式を提示されたが、そこに製造番号やロット番号が
表示されている。これはおかしい、ブランク(空白)であるべきだ、と言うのだ。
私はブランクでは、実際にどこにどのような表示がされるのかわからないだろうが、
だから、製造番号として実際には有り得ない「000」をシステムでは印字するよう
にしており、見本である旨を下欄にも表示している。これがベターだと言ったのだ。
なるほど、と直ぐに納得してくれた、というわけ。

英語がペラペラしゃべれても国際人とは言えないと思う。ちゃんとした意思表示を
自信を持って行うことが必要だと思う。
「男はつらいよ」の映画でアメリカ人のセールスマンと寅さん一家が言葉は通じず
とも意志の疏通が出来たばかりではなく、友情やさくらさんへの愛情まで芽生えて
心の友としての絆が生まれた。
伝えたい気持さえあれば良いのだ。正直に伝えようとする心持ちが重要なのだ。

後で査察官のコメント(英文和訳)が紹介されたが、
「ハード的には色々と不満があるし、いくつかを指摘したので改善報告が欲しい。
しかし、働いている人材は羨ましいほど優秀であり多くの工夫と知恵が見られた。
総じて信頼を置くに値するプラントである。これからも精進されたい」
というような主旨なのであった。
私達労働者には、とても嬉しいコメントでニコッと笑った彼の横顔を思い出した。


2007.01.26 投稿者:インファント 投稿日:2007/01/26(Fri) 18:19 No.3633  

安倍首相は初の施政方針演説で、21世紀の日本の国家像にふさわしい新しい憲法の
制定などをうたった「戦後レジームからの新たな船出」を冒頭に掲げ、自らの理念を
全面的に打ち出した。

ほーら、始まったぞ。またまた横文字使って国民を煙に巻いて欺く汚いやり口が。
「戦後レジーム」なんて言ったって大学も出ていない私に意味が通じるわけがない。
どうも「レジーム」とは「体制」という意味らしい。
ようするに、いつまでも戦後じゃない。敗戦国じゃない。もういっちょ前なんだから、
かっこいい体裁にしようということらしい。
なら、「戦後体制からの脱却」という日本語で表現すりゃいいだろ。
義務教育の範囲以外の妙な横文字使うなんてけしからん。人を馬鹿にしやがって!

右も左も、どの党も信用ならねえ。既成政党はみな腐っている。
労働者、年金生活者、障害者など、弱者が立ち上がって「労働党」のような新しい
党を作らなきゃダメだ。このままじゃ悪人達の餌食にされちゃうだけだ。

国民年金は国民からお預かりした血の滲むような「お金」だ。
それを無駄遣いしやがって、もう足りません、だと、ふざけるんじゃないよ。
先見の明がありませんでしたとか、苦しい言い訳をするつもりだろうが、そりゃ嘘。
優秀な大学を出た方々が、そんな不勉強なわけはない。確信犯に決まっている。
本当はそこから直接盗みたいけど、それをすると犯罪になるから、そうはしない。
箱ものなんかを作って、そこの業者からリベートを頂戴する、これならバレない。
これを幾層にも組み合わせて膨大な資金をあちこちの連中が懐にいれるという寸法。

雇用保険だっていっしょ。
とにかく上手く騙して集めた金を本来の目的である国民の生活の安定という以外の
遣い道を色々と編み出して仲間内で、その目的なら遣って良いことにしましょうと
湯水のように遣ってしまう。
これなら直接お金を盗んでくれた方がよっぽどまし。
リベート分まで上乗せして投資しなきゃならないから莫大な無駄遣いが必須となる。
母体が小さい資金源だと夕張市のように破綻してしまうが、大きけりゃバレない。

今日の国会中継を見ていたら、もう呆れたね。
財政再建について勝手な御託を並べていた。
税金や社会保険料などは「取られる」という認識を持って頂きたくないのだそうだ。
国民の安定した生活を保証するためのお金なので必要なものは負担しなさいという
意図であった。

そりゃ確かに「必要なお金」なら、負担する義務はあると思うよ。
しかし、遣いかたがデタラメで、悪人どもの泡銭に化してしまうような莫大な金を
負担する義務なんかないだろう。取られる、どころか、盗まれているんだから。
連中にしてみれば、たかが数千万円の事務経費の妥当性なんかに話題が集っていて、
そんなマスコミ攻撃にも大笑いしているのだろう。
数十兆円にも至るであろう偽装された盗用が行われているであろうから端金なんだ。
寄生している悪人を一掃すれば税金は今の半分でいいんじゃないかな。


2007.01.25 投稿者:インファント 投稿日:2007/01/25(Thu) 18:57 No.3632  

昨年1年間に免職や減給などの懲戒処分を受けた警察官・職員は全国で361人で、
前年より20人(5.9%)増えたことが、警察庁のまとめで分かった。

このような警官の不祥事が増える背景には職業に対するプライドのようなものが
減退しているのではないだろうか。
学校の教師もそうであるが、やっぱり何かしらの尊敬を受けるような職種であると
いう面がないと人は高い矜持を維持でキないのではないかと思う。
今は金の世の中なので、薄給でも高邁な意識を持てというのは無理な相談だろう。
ある程度は選ばれた人材なのであるという意識が持てなければやってられない。
公僕というような古い言い方だけでは尊称にならない。

ここは、なんとかして給与水準を高めてあげたら良いのではなかろうか。
警官や教師など、大変なご苦労があっても、なかなか報われない職業だと思う。
エリート・コースの連中はお気楽なものだと思うけど、第一線はきついだろう。


2007.01.24 投稿者:インファント 投稿日:2007/01/24(Wed) 18:16 No.3631  

今朝の朝刊のコラムに、今や「背信列島」の感がある、という文があった。
 政治家の不透明な資金の流れは連日のように紙面を賑わしている。
 ガス警報機が作動しても適切な処置を怠って人命が奪われる。
 不二屋はデタラメな仕事をしている。
 嘘の談合決別宣言など大手ゼネコンは国民を欺く。
 フジテレビは捏造に満ちた番組を垂れ流す。
潔い日本人はどこへ行ったのか、どうにもとまらない、という歌があったな。

「金の亡者」なんて言葉を書くと持たざる者の僻みという面もあろだろうけど、
そんなに沢山のお金が必要なものなのだろうか?
確かに人それぞれに「夢」があって、それらはかなり「お金」が伴うだろう。
私は究極のオーディオ装置を揃えて、それらの能力が発揮出来るような環境を
備えてみたいものだなという夢がある。それには「億」単位の資金が要るのだ。
だけど、それが叶わなくてもいいじゃないかとも思う。夢は夢でいい。

「立身出世」なんて言葉もある。
サラリーマンの夢だとよく言われるが、私は本音で偉くなりたいなんて思った
ことがなかった。
偉くなるとは、人の上に立てるということだけど、上に立つと何かいいことが
あるのか。なにもないじゃない、と思ってしまうのだ。
幸いなことに41年勤めても組織上の部下というものを持ったことがなかった。
だから、人の査定とか全くせずに済んだ。これは大満足の極みだ。

そのくせ、同期入社の仲間が昇進して、どんどん追い抜かれると、なんとなく、
気分的に穏やかじゃない。なんか物悲しい気分になるのだ。
そういうことは気にしないのが自分じゃなかったのかと自問するのだが理念と
感情というのはなかなか一致しないもので困ったもんだ。
こういうところは修行が足りない、と思わざるをえない。人間一生が修行だ。
昇進した人も、それはそれは大変なのだ。それは傍で見ていてもわかるんだ。
だから、結局、あるがままで良かったんだなと変に納得してしまったりする。

「酒池肉林」なんてのが男子の願望らしいのだが、これも金と権力が必要だ。
しかし、お酒は呑めないし、女性は家内だけで十分で、他に居たら面倒くさい。
特に女体なんてものは好きな人の顔が付いていなけりゃ意味ないんじゃないか。
たくさん群がっていても食傷するだろうと思う。
ビーフステーキがトラック一杯あったら逆に気持悪くなりそうだ。これと同じ。

生活が成り立つだけの収入があり、多少は好きな趣味も出来る。
この程度で十分ではないのか。
どうも世間で目立つ連中は欲が有り過ぎると思わざるをえない。
そんなことより与えられた仕事をきちんとやって、こんなんじゃダメだと思う
ことがあれば自分の損得抜きで上司に具申して正すべきは正すのが誠意だ。
それで降格されたっていいじゃないか。信念がなきゃ生きてる甲斐がない。
「知足」という仏教の言葉があるが、ここに精神的なよりどころがあると思う。
無理するからいけない。嘘や偽りに染まってはならない。
誠実にふつうに生きていることが一番幸せなんだと思うなあ。


2007.01.23 投稿者:インファント 投稿日:2007/01/23(Tue) 18:41 No.3629  

昨日のことだが、ずっと前に職場の後輩だった人の電話番号が知りたいと
いう電話があったので、何かあったの、と聞いたら、ノイローゼだとか、
いわゆる「うつ」になっているようなのだ。
私の勤務先の事業場が昨年に廃止になり、私はこの機に退職したのだが、
もっと下の年齢層はそういうわけにはいかないので、全国の事業所へと、
転勤を余儀無くされていて、そういう人は新しい職場で色々と苦労を重ね、
メンタル面でもかなり辛いことになっている。

私が41年も勤めた企業は総従業員数は一万人以下でありイメージ的には
大企業の感覚ではないのだが、純利益は凄まじいものがあって不調時でも
法人申告所得で全国22位であって、通常はベスト10の常連でもあり、
近年はその上位に居るし、景気に左右されない強靱な業種でもあった。
ほぼ従業員一人で2500万円の利益(売上ではない!)を一年であげる
連続絶好調の奇跡的企業である。

なのにも関わらず、工場を閉鎖されてしまったので、難民のように国内に
散らばらざるをえないという悲惨な勤め人となってしまった。
私の場合は是非来てくれという要請があったのは幸せだったかも知れないが
辞めることを決意していたので、それなら一ヶ月間だけスキル教育を頼むと、
修行する人を臨時にお預かりしたこともあった。
在職中は気になって赴任先へ毎日のように電話やメールをいれたりしたが、
こっちが辞めてしまってからは電話もしにくい。

「どうしてる」「困っていることはないかい」と話をしたくても、ご本人が
電話に先に出てくれるとは限らず、他の人が出ると大変に気まずいのだ。
困っていることの解決アドバイスというような面よりも、愚痴をきいてやる
という効果が大きいものなのだが、そんな電話を度々することはよくない。
「ここが渡世人のつれえところよ」という寅さんのセリフそのまんまである。

今日の新聞の特集記事を見ていたら、ここ5年間ほどで大企業の平均として、
株主配当は、2.8倍。役員給与・賞与は、2倍に増えているそうである。
一方で、サラリーマンの年間給与総額はなんと8年連続で低下しているのだ。
まさにサラリーマン「氷河期」という様相となっているそうなのだ。
私の元の勤務先企業だけではないのだ。日本全体がそうなっていたのだ。
私の時代は気の持ち方にもよるが、サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ、
そのままであり、俺に向いているし、居心地もよかったと思う。
勤め人を虐める政治や企業なんて、ろくなもんじゃねえ。ダメだこりゃ。


2007.01.22 投稿者:インファント 投稿日:2007/01/22(Mon) 15:45 No.3628  

宮崎県知事に「そのまんま東」だって。呆れたもんだな。
事前収賄容疑などで前知事が再逮捕されている最中だけど、東も逮捕歴多数。
宮崎県の有権者は逮捕されたりする人間が大好きなんだね。

今日は運動を兼ねて歩いて税務署へ出かけ、確定申告というやつにチャレンジ。
初めてだったので下書き(ネットでDLした紙)してチェックして頂いた。
パーフェクトに書けていた。年中間違えていたお仕事より完璧だ。
収め過ぎた税金が帰って来るんだね。CD−BOXが三つは買えるほどだ。

失業給付には所得税も住民税もかからないから、これはありがたい。
最高限度額で330日間(会社都合だったから)頂けるのだから大助かりだ。
41年も辛抱して勤めたんだから、このくらいは余禄がなくちゃね。


2007.01.21 投稿者:インファント 投稿日:2007/01/21(Sun) 15:43 No.3627  

NHK総合テレビの日曜討論を見た。
第1部「中曽根元総理に問う 2007日本の政治」            
                (元内閣総理大臣)中曽根康弘 
第2部「“実感なき景気回復”雇用・賃金をどうする」
      (経済同友会代表幹事・日本IBM会長)北城恪太郎
                   (連合会長)高木  剛
                (NHK解説委員)影山日出夫
第1部は総論的なお話なので余り興味がない。具体性のない話は中身がない。
第2部は切実な問題なので興味深く拝聴した。

この番組を通して強く感じたのは企業の従業員に対する見方ということだった。
企業風土というものがあって、一概にはいえないものの、従業員とか労働者層とは
いえ、従来の日本型経営企業においては会社の土台骨を担う存在なのであって、
決して労働コストという捉え方をしてはならないということである。
そういう大切なことを現在の政界・財界・政治家は失念してしまっている。
汗水流して働いた経験がない連中なのは昔からなのだろうが優秀な経営者や政治家は
人の話を聴く耳があり、想像力があったのだろうと思われる。

寅さん映画のとらや(後にくるまやと屋号が変る)のお隣の町工場の印刷会社では、
ひろしさんという従業員がいなければ成り立たないという面があるのだが経営者では
ない。しかし、経営に強い影響力をもっている。
これは日本の企業の縮図なのであって、経営者より優れた能力を持っている労働者も
賃金や処遇のこととは別の面で、プライドとか働きがいというものを胸に秘めていて、
それが生きがいにもなっているし、労使が協調して頑張れる心情的背景を作っていた。

小泉首相の推し進めた「市場原理」というものは「理」としては正しいと私も思う。
サラリーマンが既得権として頭も体も使わずに楽して高給を得ているという面だって
あるであろうし、給与所得者にも雲泥の差があるのだから。
しかし、昨今のやり方は行き過ぎである。利に聡い経営者は政治の後押しを得たりと
ばかりに、労働コストの削減に邁進してしまった。
特に皺寄せが凄まじいのが製造コスト面であり、中国で作ってもいいんだぞといった
脅し文句で労働者を恐喝し、製造業に働く者の賃金をありとあやゆる陰謀を駆使して
引き下げて行った。これはなかなか表面化しないのだが、凄まじいものがあるのだ。

物を造るという企業において、品質管理ということは第一義に考えなくてはならない
重大な要素なのであるが、多くの企業経営者はそこに重点を置いていない。
そんなことはないと誤魔化してはいるのだろうが、それは時間の経過とともにいずれ
明らかになってしまうのだ。その時点で既に隠居してしまえば良いと考えている。
このような人種は企業にとっても消費者にとっても犯罪的裏切り行為なのである。
しかしながら現時点ではこういう連中が「勝ち組」であって、真剣に物事を心配する
人達の多くはその真面目さ故に「負け組」で辛い目にあっているのが今の日本だ。
どこが美しいのであろうか。

私の元の勤務先企業では一般的な事務や製造業務は誰にでも出来るので極端に減給し、
嫌なら転職してもらい、コストの安いメーカーに外注したり、間接業務の部門は他の
企業へ移管して会社にとって優秀な人材が必要な部署だけを高給待遇することにより、
企業競争力を高めるという作戦に出た。
高給待遇を維持され更に成果によって一層厚遇されるのは何のことはない高学歴層が
中心の職務であるから学歴差別を徹底しただけで、古臭い概念へと後戻りしただけ。
高校出などは無条件で賃金三割カットであるが労働組合も高学歴層が牛耳っていて、
働く仲間がどういう差別を受けても知らん顔を決め込んでいた。
他人の不幸は蜜の味というわけで、むしろ企業内の勝ち組として喜んでいるだろう。
良いタイミングで定年を迎えたものだと思う。ラッキーだった。

そうかといって、日本企業の全ての経営者がそのような大馬鹿者ばかりではあるまい。
見識のある人が経営する企業では製造の第一線の現場にもちゃんと人材育成を行って
製造技術と管理技術を継承し向上させる手を打っていると思われる。
お調子者で目先のことしか見えない考えない薄馬鹿社長は墓穴を掘っているのだろう。
これからの日本は衣食住とも安心出来るものではない。
それらは第一線の現場の知恵と工夫と努力で支えられてきた高品質の環境だったから
維持出来たのである。そういう高品質は一部のものだけとなるかもしれない。
これからは安心して乗れない車、火を吹くテレビ、感電、ガス洩れ、電車の衝突など
何が起きても不思議ではない。年賀状がなかなか着かないなんて序の口だろう。


2007.01.20 投稿者:インファント 投稿日:2007/01/20(Sat) 11:11 No.3624  

タレント・風見しんごさんの長女で東京・世田谷区立桜町小学校5年の大下えみるさ
ん(10)が17日、通学途中に交通事故に遭い、亡くなった。午前8時5分ごろ、
青信号の横断歩道を渡っていたえみるさんは、右折してきたトラックにはねられ、
頭を強打。最寄りの病院に搬送されたが、まもなく死亡した。
えみるさんは、学校に向かうため自宅を出た矢先、事故に遭った。片側一車線の都道
交差点で、青信号の横断歩道を小走りに渡っている際、右折しようとした3トントラ
ックにはねられた。
 警視庁玉川署は、業務上過失傷害などの現行犯で、トラックを運転していた埼玉県
所沢市の会社員を逮捕。前方不注意が原因の可能性があるとみて容疑を業務上過失致
死に切り替えて調べる方針。

私は運転免許を持っていない。車を運転したいと思ったこともない。
「走る凶器」と昔は言われたものだが、最近は自動車メーカーの営業妨害という事か、
そういう表現は使われなくなった。陰謀といってもいいかもしれない。
ありとあらゆるものに追突する危険を孕んでいるのが車の運転であるからこのような
操作はその道の専門家ともいえる特殊なプロフェッショナルだけが行うべきであって、
誰でもが簡単に走り回れるような状態が異常なのである。
こんなことは冷静に考えればわかりそうなことなのに集団催眠にかかったようになり、
殆どの人が危ないという危機意識さえ失ってしまっている。

どこかへ急いで行きたいこともあるが、電話でタクシーを呼べば来てくれるのだ。
そんなことは滅多に起きることもないし、年間のコストだって安上がりだと思う。
我が家には自転車もないが、運動不足なので、歩く事がその解消にもなる。
そういえば携帯電話も持っていないが、みんなが必要だ必須だと信じていることでも
本当にそうなのか疑ってみようとはしないのは脳が麻痺しているとしか思えない。
垂れ流しの無駄な消費は抑えてCDでも買ったらいいのにと思ってしまう。

自転車もお気楽に乗ってはいけない代物なのだ。
横断歩道を自転車に乗ったままで走ってはいけないのだ。これだけで犯罪なのだ。
歩行者に当たったりして怪我をさせた場合、過去に500万円の損害賠償となったと
いうケースもあったという。自転車の信号無視で車とぶつかった場合は自転車側が
修理代金を支払うことになるのだし、歩行者に大怪我をさせて2000万円という
膨大な民事訴訟の損害賠償で一生を棒にふった例もあり、自転車の保険も存在する。
便利さと危険が隣り合わせのような代物には関わらない方が安全というものだろう。
起きてから嘆いても取り返しがつかないのだから。


2007.01.19 投稿者:インファント 投稿日:2007/01/19(Fri) 15:39 No.3621  

「あゝ上野駅」などのヒット曲で知られる歌手の井沢八郎(本名工藤金一)さんが
17日午後11時18分、食道がんのため、東京都内の病院で死去した。69歳。

民謡に「お江戸日本橋」という歌があり、ザ・ピーナッツも歌っている。
 ♪六郷わたれば川崎の萬年屋 つると龜とのよね饅頭
  こちや神奈川急いで程ヶ谷(保土ヶ谷)へ コチヤエ、コチヤエ
この歌詞の中に、私の生地と育った場所と現住所の地名が全部入っていて苦笑する。
すなわち東海道沿いの四里ほどしか住処は移動していないのだ。
こういう人間にとっては田舎から集団就職で上京して働いていた方々のご苦労という
ものは想像を絶するものだったろうと思う。

「ふるさとの訛(なまり)なつかし停車場の 人ごみの中にそを聴きにゆく」

これは石川啄木の歌です。
岩手県から希望を胸にはるばる東京までやってきたが、生活は貧しく、ふるさとの
耳になじんだ方言を聴きたくて東北行きの列車の出る上野駅に足を運んでしまうと
いった、どこか淋しい気持ちが詠まれています。
「あゝ上野駅」の心情的なテーマの起源はここにあると私は思います。
「そを聴きにゆく」の「そ」とは、「それを」という意味で、「それ」とは故郷の
方言を指すんだよと小学校で教わったことを懐かしく思い出します。

これは明治時代の作品ですが、「三丁目の夕日」の六ちゃんともリンクするのです。
私は自分のことではなくても想像するだけで涙が滲んでしまう「あゝ上野駅」です。
何でも体験しないとわからないというものではなく、想像力を働かせることが人間の
最も優れた資質だと思います。そこから他人のことを思いやる優しい心も芽生えます。

「おいら炭鉱夫」とか「東京のバスガール」とか「町のおまわりさん」とかのお仕事
を歌った歌も多かった。職業に貴賎の区別はない。働くことが最も尊いのだ。
演歌自体は暗くて好きではないが、このような人生の応援歌という歌謡曲が歌われた
時代というものはみんなに自信と励みを与えようとする気配りがあったように思う。

一方で、ザ・ピーナッツやクレージー・キャッツの歌の世界は気分転換、気晴らしと
いった役割があったと思う。あの時代が背景なのだから跳んでいた面もあるのだ。
そういう様々な歌が、一家団欒の年末に家族みんなが一緒に楽しめるというところに
紅白歌合戦の存在意義があったと思う。歌が活きていた時代だったなあ。


2007.01.18 投稿者:インファント 投稿日:2007/01/18(Thu) 21:39 No.3619  

今日は夕方から鼻水ダラダラで、どうも風邪をひいたらしい。鬼の霍乱だ。
仕事に行く必要はないのだから家でゆっくり養生しよう。

昨日から阪神淡路大震災の追憶番組をあちこちでやっている。
それはまあそういう時期だから不自然ではないのだが、どうもね、内容がね。

「この教訓を活かして」という言葉が頻繁に使われているのだけど、番組の
中では、この教訓というものに相当する中身がさっぱり無い。なにも無い。
やっているのは被災者の悲しい過去のお話ばかりであり、この出来事を風化
させてはならない、とか、いつまでも私達はわすれない、とか、お涙頂戴の
悲話、悲話、悲話。

そんな悲しい出来事はなるべく早く忘れましょう、と、言いたい。
当事者は「忘れたいと思っても忘れられない」に決まっている。
それはそういうもので、他人になんか、その哀しみの大きさはわからないんだ。
それをネタにしてショー化することに、どんな意味がある。
被害者を見せ物にするなんて、なんて失礼な話だ。

「この教訓を活かして」は一体どこへ行ったんだ。
そこがマスコミとしての重要な役割じゃないのか。そこを掘り下げるのが使命だ。
予知なんか無理だろうけど、どうしたら被害を少なく出来るのか、死者が減るのか、
誰がどういう方策で対策をしているのか、それがあるなら紹介すべきだ。
国も自治体も効果的な対策を講じていないならば、そこを突かなくてはならない。

また、復興支援とは言っても、地域インフラ整備だけじゃだめだ。
暮らしていた人々が人間的な生活を営むことが出来るまで面倒を見ているのか、
ビルが立ち並ぶようになったから、順調に活力が戻っているなんて見方はダメだ。
この取材方法や番組の作り方は民放もNHKもほとんど同じようなものだった。
尊い犠牲から得た教訓を活かした実例がなにもないことに問題意識もないのだ。
言葉だけ言えばそれでいいというものじゃなかろう。


2007.01.17 投稿者:インファント 投稿日:2007/01/18(Thu) 10:58 No.3617  

一部事務職の労働時間規制を除外し残業代支払い対象から外す「ホワイトカラー・
エグゼンプション」制度について、自民、公明両党の幹事長、政調会長らは17日、
都内のホテルで会談し、25日召集の通常国会への関連法案提出を見送ることで
一致した。

そもそもがこのような外来語として日本人に定着していないカタカナ語を急に使い、
国民を煙に巻いて欺こうとする姿勢に問題がある。
今回のケースではマスコミが素早く「残業代ゼロ法案」とか「過労死促進法案」と
いう意訳で表現したために、改正法案の悪質さが浮き彫りになって国民の大反撥を
引き出したことは見事だなと思った。マスコミもたまには良い事をするものだ。

この改正法案を提出しようとしたのが厚生労働省であることも言語道断であるように
私は感じる。労働基準法というものはどういうことを目的に存在しているのか基本を
考えればこんなのはおかしい。

   第一章 総則

(労働条件の原則)
第一条  労働条件は、労働者が人たるに値する生活を営むための必要を充たすべき
ものでなければならない。
○2  この法律で定める労働条件の基準は最低のものであるから、労働関係の当事
  者は、この基準を理由として労働条件を低下させてはならないことはもとより、
  その向上を図るように努めなければならない。

これは労働基準法の一番初めの部分を抜き出したものである。日本語が読める人なら、
この法が労働者を「守ろうとしている」ものだということは一目瞭然であろう。
にも関わらず、厚生労働省が労働者を地獄へ突き落とすような改悪の旗振り役になり、
財界経済界のご機嫌とりを勤めてしまっては労働者を裏切る行為であり、犯罪に近い。
安倍政権というものは何故ここまで悪質化してしまったのだろう。

そもそも働いているサラリーマンの側にも問題の根元があると私は思う。
時間外労働を実際にしているのに自らサービス残業扱いにしているケースが多いのだ。
私は31歳まで現場労働者(ブルーカラーというのかな)だったし、当時は一時間が
最少単位で残業代が支払われており、誰の目にも労働していることが明らかだったの
でサービス残業というようなことにはならなかった。
また当時はタイムレコーダーというものでカードに時刻が印刷されているものなので
事務所の女性事務員がチェックもしてくれるから、申告忘れということもなかった。

昭和53年から情報処理関係の仕事に変えられたために他人から見て、一体この人は
なにをしているのだろうか、というような仕事なので、いわゆるホワイトカラーで、
スタッフ的な労働となったのだった。
システム担当だけではなく、このような事務的な間接業務はどうしてもサービス残業
という形に陥りやすい。
この時点ではもう、30分単位で時間外労働の手当が支給されるようになっていて、
私は以後定年に至るまで、漏れなく申告し、頂くべき手当は必ず頂戴してきた。

自分が高年齢になるにつれて、自己申告を適切に行うことが周囲の人のためにも重要
であり、衆の模範となることに留意しなくてはならない。
例え直属の上司でなくても自分より高い年齢の人がサービス残業を行っている場合は
若い人は時間外労働賃金を要求することに遠慮が入って来るのだ。
この点で、殆どの人が無神経な人ばかりであった。

郊外の工場であったために自家用車で通勤する人が7割以上であり、通勤時の混雑を
避けるために、朝6時〜7時には出勤しちゃっている人が多く、また帰りも夜8時頃
まで残っていて道が空いてから帰るという連中が多かった。
こういう人は規定労働時間という概念が喪失しており、だらだら働いているために、
時間外労働の申請なんかしないのである。
現場に残業させておいて俺だけがさっさと帰れないよ、などと言う人も居たりする。
本人はそれでも良いが周囲の同僚や部下は用がない限り、ついつい付き合ってしまい、
そういう人にもサービス残業が蔓延してしまうのだった。

私はそういうことは一切しなかった。早く出社しなければいけない場合でも30分の
刻みで申告したし、帰ろうと思ってたら電話が入って、という場合でも、煙草吸って
30分過ぎるまで職場に居て、30分残業しました、と届けていた。
休日出勤でテストが2時間で終わっても、8時間は会社に居て、8時間分の時間外の
手当を頂くようにした。これは当然の権利であってサービスする義務などないのだ。
労働者側の意識も変えていかなければ問題の本質も改善されないと思う。

政府の魂胆はこれほど見え見えだとどんな鈍感な人にもわかりやすい。
まさに子供騙しであり、国民を馬鹿にしている。
昔、青島幸男議員が、佐藤栄作首相に対し「政府は財界の男メカケ」と揶揄して喝采
を浴びたことがあったが、安倍総理も今やそう言われても反論出来ないであろう。
ご自身がお金持ち人種でもあり、庶民の実体や気持など理解出来ない人物であろうし、
ますます弱い者いじめをし、お金持ち優遇社会に向って邁進するのであろう。


2007.01.16 投稿者:インファント 投稿日:2007/01/16(Tue) 22:04 No.3616  

不二屋の品質管理の杜撰さがマスコミでクローズアップされて話題になっている。
まあ不二屋に限らず食品の会社なんて、いい加減な仕事をしているところが多い
のではなかろうか。口に入れるものを作っているのだけど、そういう概念が麻痺
しちゃっているのかも知れないが、口から食べるものなら多少のものは人間自身
がなんとか処理出来るので大問題にはならない。注射薬なんかは危ないけどね。

こういうのを見ると、ちゃんとやれば出来ることを何故やらないのだろうか、と
苛立つような感覚に陥る。
恐らくはちゃんとやるとコストがかかるのではないかという誤った認識が幹部に
根強くあるからだと思う。これがそもそもの大間違いなんだよね。
現代は情報処理社会であってコンピュータというものはどんなものよりも安価で
効率的なものなのだ。コンピュータ・システムで管理すれば簡単なんである。

私の元の勤務先では品質管理というものは、どんなパートの人に至るまで徹底し、
これをわからないと仕事に就かせるようなことはしなかったし、考えられない。
どんな些細なことでも神経質過ぎるほどに敏感で、問題になりそうな場合には、
全て、廃棄ということが前提だった。そんなこともということまで含まれた。

製造に使われる原料や材料の全てにロット番号が付けられ、その製造元ロットも
情報に含まれ、あらゆる追跡が可能なようにしていた。
段ボールの箱だって例外じゃないし、それを張り付ける接着剤や封をするテープも
ちゃんと使用期限が設定されていたのだし、その期限が迫るものは再度の試験を
促す警告資料を自動的に出力し、それらの原材料は全て製造するロット毎に割付を
行い、どれを使うのか、ちゃんと指図され、期限切れなどが万一発生すれば製造が
不可能になるという緊急事態を通知するような仕組みを作っていた。

こんなシステムを作り運用するのはコストが大変だろうということは想像出来る。
実際に昭和40年代の終わりに企画し、昭和50年代に実用化した当時は莫大な
お金がかかった。それこそ、モスラの映画が何十本も制作出来るほどの金額だ。
コンピュータのメーカーだって、そのようなノウハウがなかったから共同研究だ。
恐らく製造業でここまでの情報管理システムを構築したところは無かっただろうと
思われる。業界のトップメーカーだったが、システム的にも圧倒的だったろう。

しかし、先駆者は大変でも、今の時代なら、色々なパッケージ・ソフトもあろうし、
不二屋なら不二屋自身の特色に相応しいカスタマイズを施せば良いわけであって、
コンピュータ情報処理に踏み切ることなど容易だった筈だ。
そもそも製造指図自体を人間がやってるからダメなのだ。
まあ、いいんじゃないか、とか、こっそりやっちゃえ、なんてことが発生するのだ。
そもそもが、調達から製造〜販売のタイミングさえコントロール出来るのだから、
賞味期限切れ、使用期限切れを使わねばならないような事態が発生しなくなる。
現場の人間や管理者が判断するような問題なのではないのだ。

元の勤め先では、製造販売一環化システムというものがひとつのツールとして機能
していた。これは、日々の品目毎の売上と製造の状況から原材料の調達から入荷時の
受入試験から何から何までが各計画業務担当者がオンラインで照会が出来るという
スグレモノだった。
もちろん責任範疇というものは明確に区分されてはいたが、情報の共有ということで
前後の仕事をしている人にもガラス張りなので意見や警告をすることが出来るという
相互監視、相互支援という助け合いというか、トラブルの未然防止のような考え方を
進めることが出来た。

欠点としては、やはり、使い手にセンスが要求されること。
コンピュータなんて大嫌いだ、という人には、仕事が与えられなくなったことである。
だけど、今どき、電子メールを使えない管理者なんて要らないと思う。
それさえ出来れば、あとは何とかなる。
システムを導入すると必然的に番人が必要となる。このコストも心配なのだろう。
しかし、私の勤務した工場は、総面積2万平方メートルという巨大工場ではあったが、
システム担当というのは、なんと私一人で間に合ったのだ。そういうもんです。

今どきコンピュータ管理をしない企業は潰れるのが当り前だろう。さようなら不二屋。
あ、そうか、他のちゃんと出来る企業が乗っ取ってブランドだけ残せばいいんだね。
なら、不二屋も、ペコちゃんも生き残れるというわけだ。


2007.01.15 投稿者:インファント 投稿日:2007/01/16(Tue) 19:29 No.3614  

年末から、このところずっと泣きの涙で毎日を暮らしております。
……といっても別に悲しい出来事が身近にあったというわけではありません。
「男はつらいよ」の寅さんシリーズを毎日、一話づつ観ているわけです。

そんなに泣くようなもんじゃないものですが、どうも涙もろくていけねえ。
でも、この涙がねえ、これが気持いいんだなあ。
精神安定剤なのかも知れないねえ。
私だけじゃないよね、きっと、日本人全体のだ。

寅さんて煙草吸わないんだね。これ、意外だなあ。
健康には良くないよね、たしかに。適度ならお酒の方が良さそうに思うなあ。
でも、自分はお酒が飲めないんで、飲める人がうらやましい。
お酒を飲む場面が多いね。煙草と違って水でも飲んでるフリが出来るものね。
飲める人はあれが精神安定剤なんかなあ。

映画には煙草って大切なアイテムだと思うな。
歌子(吉永小百合)のお父さん、この小説家のイメージはやっぱり煙草だよ。
その間がないと感情の流れが表現出来ないじゃないか。
煙草吸うヤツは人間じゃないような風潮になっているけど、あれ、狂ってるよ。
集団ヒステリーだね、今の世の中は。

29歳まで煙草吸ったことなかったから、あの匂いと煙りと吸い殻の始末とか、
イヤだな〜と感じる気持はわかるし、なんであんあものをという感覚もわかる。
でもね。世の中には役に立たないものなんて一つもないのだよ。
これは、精神的な潤滑剤だと思う。なかなか良いものなんだよね。
20代までと、30代以降は性格というか気の持ち方が変ったもの。

煙草を吸うとね、まあ、それはそれとしてだな、とか、そんなにカリカリせずに、
とか、さあ、もうひと頑張りするか、とか、一区切りが出来るんですよ。
文章でいえば「句読点」であり「改行」なんだね。これ受け売りだけどさ。
この効果は絶大だよ。人間てのは、いっぺん、落着いて考える習慣が必要なんだ。
「うつ」なんていう病気になるくらいだったら、煙草を薦めます。ほんとに。
絶対悪のように決めつけるのはどうかと思う。
煙草くらい許せる気持の余裕を持たないと、戦争ばかりの地球になっちゃうよ。


2007.01.14 投稿者:インファント 投稿日:2007/01/14(Sun) 15:10 No.3613  

さあ、今度は不二家だ。
企業不祥事が起きるごとに思うのは、企業経営者の無能ぶりだ。
大体がそうだと思うのだが、企業にしても日本全体としても、高収入の連中はゴミだ。
立派な大学を卒業しても、それは単なる受験における点数取りの才能だけに過ぎない。
東大出ようが、それが人間として優秀だという保証はなにもないのに、立身出世する。
創造性の発揮や管理監督なんてことが出来もしなくても幹部になる。患部になるのだ。

えてして同族系の会社の場合に際立つのは、イエスマンの番頭ばかりが幹部を占める。
彼等は寄生虫のようなものなので害にはなっても益はないのだ。
保身しか頭になく、企業の存続とかは二の次なのだ。彼等が従業員の何倍もの収入を
得て遊んで暮らしている。理事なんてのは際たるものだろう。

はっきり言って、実際に企業を支えているのは低学歴の私のような人間であった。
これは製造部門だけではなく、間接部門でさえも高学歴人間は実務が出来ないのだ。
しかし、これからは仕事が実際に出来る人がいる職種を体系から切り離しちゃったり、
派遣社員やパートで良かろうと入れ替えたり、賃下げの餌食にしている。
権力的には力が無い層なので逆らえないのであるが、企業としての実力は明確に低下。
でもそれは直ぐに現れないので現在の幹部は上手くやって逃げ得をする構図なのだ。

第一線の現場を大事に考えない企業は次々に馬脚を顕して転落するであろう。
そんな体制を作った張本人は贅沢をして多額の退職金を頂戴して安泰な老後をおくる。
はっきり言って高学歴で、かつ無能なヤツは社会の悪だ。企業も国家も滅びるだろう。
企業のスタッフなんて偉そうな看板を下げているつもりであっても、データを集める
ことも分析することも出来やしない。ましてや判断なんか無理な連中ばかりだ。

ただ一つ、これだけは感心したのだが、推敲は抜群な才能があると思った。
つまり起案とか作文は出来ないのに私の作った文面を更に適切な表現に向上させると
いう技術は大したものだと思った。そういう才能は抜群なのだ。
さすがに国立大学を出ているだけあるなあと感心関心した。
しかし、こういう才能ばかりでは生み出されるものがないのかも知れない。
評論とか批評は出来ても創造がない。基幹が貧弱なのに枝葉ばかりが立派では強度が
不足するではないか。

随分と昔のことだが、主任という肩書きを頂いたときは嬉しかった。
主にあなたにこの仕事は任せるよ、という意味合いの役職名だったからだ。
それが後年、課長代理ということになった。これはちっとも嬉しくなかった。
代理というのは本業の人が居るということだから、あなたは居なくてもよいのだよと
いう意味ではないか。こんなのは多少お給料が増えても面白くない。
人間の感覚なんてそんなものだ。人情の機微を考えてほしい。

組織表(業務分担表)で、全ての女性に「補助」という表現が使われていたために、
定期面談でそのことを言い、別の表現に改めるべきだと進言した。
むしろ女性の方が業務知識が豊富で、実際の場面では仕事の主役であることが多い。
なのに「補助」とは何事か。女だからといって馬鹿にして差別するつもりなのか。
この義憤を上司は理解してくれて、自分の所属する組織からはやがて消えた。
そんなことはあってはならないのだが現実に女性はお給料が安いし昇進も遅くなる。
だけど有能できちんと仕事が出来るのは女性なのだ。

企業に限らず、このように国を支えているのは底辺で頑張っている人間たちなのだ。
これを疎かにするようでは企業も国も傾くであろう。


2007.01.13 投稿者:インファント 投稿日:2007/01/14(Sun) 01:48 No.3611  

「浮気」について考えてみたい。
男はみんなオオカミで、かつ、浮気者ということになっている。これが世間相場だ。
しかし、私はさっぱりその気がない。そんな元気もないのかもしれない。

独身の時はフーテンの寅さんじゃないが、あ、いいな、と感じたことが多かった。
でも、嫁さんをもらったら、他の女性に眼がいかない。
しいて言えば、ロリコンのようだが、小さい子に眼が行く。
可愛いなあ、と感じるし、おぶったり、だっこしたりしてあげたいと思ってしまう。
動物の子供ってみんな可愛いものだから、これは自然なことだと思う。
とにかく嫁さん以外と性交渉をしたいなどと思うことは皆無だ。
そんな面倒なことをやりたいと思う人は凄い。尊敬に値する。

ザ・ピーナッツは私には異性である。これが大好きというのは一種の浮気だろうか?
ちょっと違う気もする。過去のバーチャル異性と捉えても飛躍が大きすぎる。
それでも家内を含めて3人の女性を愛していることになる。
4人目を好きになるような余裕は私にはない。
もちろん、そんな経済力がないことも歯止めにはなっているのだろうが、例え大金を
手にしても浮気をしてみたいなんて気にはならないだろう。

これもよくわからないのだが、所謂セクシー女優とかいう類いのタレントなんかを
見ても私はちっとも魅力を感じない。
そもそも大きな乳房なんてものは気味が悪くて御免こうむりたい。あれじゃ牛だぜ。
男性の体型とは違うな、という程度で十分じゃなかろうか。
だから、その手のグラビアなんてものを見ても楽しくはならない。
それでもそういう雑誌だとかDVDが良く売れるのは、それが多くの男性の支持を
集めているのだろう。それを素敵だと感じない私は欠陥人間かも知れない。


2006.01.12 投稿者:インファント 投稿日:2007/01/13(Sat) 12:28 No.3610  

昨日は娘は勤めだし家内は美容院に出掛けたので一人留守番。
なので、久し振りに「モスラ」のDVDを観た。

これを名画と賞賛する評論家は皆無なのだが、それは感性が古く鈍いのだと思う。
私にとっては、これぞ「映画」だと思う。「映画」の良さが全てここにある。
中学2年生の夏休み(昭和36年7月)に観た感動が今観ても色褪せない。

最近の特撮映画はコンピューター画像処理の進化で3次元的な合成も簡単に出来て、
映像も素晴らしいので、そういう点では見劣りする面も確かにある。
しかしながら、圧倒的に違うのは、物創りの熱気だ。これは格段の差があると思う。
1961年のこの作品はまさに「熱中時代」だから出来た総合芸術作品なのだ。

映像処理技術面では古い手法ではあっても、創られている「絵」が抜群なのである。
単なる場面ではなく、絵画的に魅せる美術的なセンスが私たちを圧倒する。
その名場面を数え上げたらキリがないが、私が大好きなのが「洋上のモスラ殲滅作戦」
あれは何度観てもシビレる。背景音楽も物悲しい旋律がフィットしている。
怪獣との活劇場面なわけなのだが、この音楽の使われ方は非凡であり、センス抜群。

ザ・ピーナッツ・ファンとしては他の出演作品も観たいとは思うのだが、これ一枚が
あれば、もうそれで十分じゃないか、という気さえするのだ。
モスラの第2作、第3作にもザ・ピーナッツは小美人役で登場するが、この第1作が
最高であり、これで終わっても不足はないとさえ思える。

「シャボン玉ホリデー」が伝説的な素晴らしいバラエティーであった事と相似するが、
当時と現在の何が制作面で違うのかというと繰り返しになるが「熱中度」が違うのだ
と思う。思うなんて生易しい言葉じゃ済ませないほど、断定的な事実だろう。

漫画や小説の映画化じゃなくて、きちんとしたオリジナルの原作がある。
中村真一郎&福永武彦&堀田善衛という映画史上空前絶後の才能の知恵の結晶だ。
関沢新一の脚本がこれを更に練り上げて、高密度の情報を過不足なく表現している。
本多猪四郎さんの監督としてのお仕事もここに集大成的に表出されており、本多色が
これほど色鮮やかに花開いた作品は他にないのではなかろうか。

スタッフも最高なら、キャストも考えうるベストな選択をしている。
映画という当時の時代の先端的なアート表現を駆使するに相応しいセンスを出演者が
意識しているところが賞賛に値する。
世間のバカどもは、ゲテモノ映画と思っているであろうし、21世紀の現代でもまだ
そういう偏見はちっとも変っていないから、最近の特撮映画の方がキャストのレベル
が低いと思わざるをえない。これも事実であろう。
そういう面でも、時代が進んでも、クオリティは何も進歩していないのである。
音楽だってそうであり、退化して腐っている。リズム主体というのは原始人の音楽だ。

本編101分というのは劇映画としては長時間である。
しかし、その長さは冗長さとは感じられない。むしろスピーディーな展開である。
お話が面白いし、編集のセンスが抜群なので、引き込まれっぱなしになるものだから、
最後まで一気に楽しめてしまう。

歌舞伎の舞台のような美しい場面、場面の展開は単に特撮技術という円谷監督の技を
超えた本当の才能が表現されていて、最高峰じゃないかと思う。
テクニックとかアイディアが賞賛された監督であったが、本質的な美の感性そのもの
がこんなに見事に発揮された作品があったろうか。

残念ながらDVDでは(我が家の画面が小さいせいもあるが)映画館で得られる感覚
が失せてしまう点もある。
モスラ幼虫のあの巨大感がスクリーンでは圧倒的な迫力があった。
実際に後年の撮影用の造型物とは異なり、実寸も巨大なのだろう。
あのカメラ位置の低さも効果抜群であって、それはCGのような本物らしさと異なり、
作り物であることは歴然としていながらも、ジオラマのパワーが強烈な説得力となる。

「音響」もそうなのである。
けっして広い周波数帯域を持つ音源ではない。ダイナミックさもさほどではない。
しかし、映画館のアルティックなどのトーキー音響装置は人間の感覚を満足させると
いう面で計り知れない能力を持っているものなのだ。
ザ・ピーナッツの「モスラの歌」の強大なエネルギーは家庭では表現出来ないのだ。
中音域の厚み、緻密さ、パワーというものが家庭用のスピーカーでは出せないのだ。
そこにはそれだけの空間が必要であり、これは無理な相談なのである。

ザ・ピーナッツは本当に幸せな歌手であった。極めて幸運といえる。
こんな素晴らしい映画に出演出来て、しかも、重要なキャラクターであり、唯一無二
の存在として、永遠の生命力をここに残す事が出来た。

ザ・ピーナッツの歌った楽曲はその後も多くの歌手やグループが歌い継いだりして、
また違った味わいになったりするので、それなりの意義があると思う。
しかし、「モスラの歌」は、誰にも真似事すら不可能なのである。全て失敗である。
たかが映画の挿入歌であり、当時はレコードすら発売されなかった。
それなのに、あの歌唱の強烈なエネルギーとパワー感は聴衆の耳に刻み込まれた。
あの存在感は昭和の歴史に燦然と輝いて、歌手としての映画映像の最高峰を極めた。

あんな歌なんて馬鹿馬鹿しい、と感じるのは、感性が貧弱なだけである。
恐らく私の死語もずっと「モスラの歌」は生き続けるであろう。


2007.11.10 投稿者:インファント 投稿日:2007/01/11(Thu) 18:33 No.3609  

ふと、妙な符合に気付いた。それを書いてみたい。
私は昭和59年に37歳で結婚した。家内は21歳になったばかりだった。
この年の差って、ザ・ピーナッツの現役活動期間に合致しているのだった。
つまりザ・ピーナッツの活動した年月は私の時計が止っていたという概念がそこに
あるような気がする。もちろん、こんなのは偶然かもしれないけど。

そんな独身時代が長かったせいもあり、男女の間の機敏とかも含めて世間知らずと
いう面が私には多分にあった。それまでおつき合いした女性も居なかったのだから
恋人どうしや夫婦の会話というものも知らなかった。
いつも不思議に思っていたことは世間で起きる「離婚」という事態のことだった。
そういうものは滅多に起きるものではなかろうと思っていたのだが、職場で同僚が
浮気〜離婚騒動を起こした時は大層驚いたものだった。

しかし、けっこう頻繁に起きることであることも次第にわかってきた。
詳しくは書けないが身内の近くでも起きているのだし、そこに至らずともトラブルは
色々と起きるものなのだ。
異性とおつき合いもしたことのない自分の視点では、好きな人と結婚出来ること自体
とても羨ましいことなのに短い期間で別れてしまうというのは信じられない状況だ。
7年も付き合っていて結婚したら1年で別れたカップルもいた。

浮気でもめているというウワサがあるヤツもいるし、職場の若い娘さんを妊娠させて
しまい問題になって昇進が遅れた所帯持ちのヤツも居たりした。
なんだか滅茶苦茶だなあ、というのが実感で、そんな人物だったのかなあと呆れる
ような普段は真面目な人間もいて、ますます男女の仲はさっぱりわからないと思った。

たしかに自分の一生というのは一回しかないのだから、自分の思うように生きたいと
いった願望は誰にでもあるだろうけど自分勝手に生きることが自分の幸せに直結する
とは限らない。少なくとも結婚するということは相手の人生にも責任を持つことだし、
子供を作ったら、その子の人生にも責任が生まれる。

円満な家庭を築けないようでは戦争なんてものも世の中からなくならないだろう。
そういう基本的なことを学ぶために、この世に生を受けたのではなかろうか。
浮気だの離婚だのトラブルを起こす人間は、そもそもそれだけで人間失格である。
今回の人生は間違いだったのだから、生まれ変わって、また勉強し直す必要がある。
人を泣かせば、必ずその報いはあると思う。倫理に誠実に生きることが大切だよ。


2007.01.09 投稿者:インファント 投稿日:2007/01/10(Wed) 12:47 No.3608  

短大生バラバラ殺人事件の異様さ、猟奇性はテレビの格好のネタのようであり、
執拗に細部まで追跡報道されている。
この事件は犯人も逮捕されており、これ以上なにも視聴者に報道する必要がないと
思えるのに、興味本位での追求が行われている。視聴率稼ぎとしか思えない。
ここから一般の人はなにも得る教訓などないのである。もう見聞きしたくない。

100%正常な精神を持つ人間など居ないことは間違いないとは思う。
私も変態じゃないかと思えるような想像をしちゃったりしているので、痴漢行為や
ハレンチな事件を起こす野郎のことを全く理解出来ないわけではない。
しかしながら頭の中で思っていることと実際に行動してしまうことは別なんである。

一番わからないのが「殺人」なんである。
「殺したい」なんてことは過去一度も思ったことがない。
「こんなヤツ、死んでしまったらいい」と思ったことはあった。
そういう人間が二人居た。その二人は本当に死んでしまった。
一人は白血病。もう一人は(原因がよくわからないのだが)突然死だった。
だから人をそういう風に思ったらマズイ。本当に死んでしまったのだから。怖い。

一人は仕事の後工程の同期入社のヤツだった。
わけのわからないクレームをつけてくるので険悪な言い合いになった。
その昼休み、なんとなく売店でアーモンドチョコレートを買った。
それを持って、さっきはごめんな、いや、俺が言い過ぎた。なんてことになって、
これ喰ってくれ、と、渡したら、お前って、面白いヤツだなあと仲直りした。
しかし、元々のクレームと言い分にはいつまでも腹が立っていたのだった。
白血病で入院して、お見舞いには行ったが、頭はツルツルに毛が抜け痛々しかった。
そして、あっと言う間に亡くなった。

もう一人はボディビルをやってた先輩で見るからに恐ろしい男だった。
一緒に仕事をした時期は私が新入社員の時代だった。
あみだくじで、3時のおやつの資金集めをやらされていたが、当然、私は最後のを
選んでいるのに、また俺が当った。インチキをしているといいがかりをつけられた。
まるでガキのような脳味噌しかない、こんなヤツは死ねと思った。
会社勤めが向かなかったらしく転職したが、後日、突然死したと知った。

こんなことは絶対に偶然に過ぎないとは思うものの、薄気味悪い。
だから、イヤなヤツに遭遇しても、死んじまえ、と思うか、と自問することにした。
すると、そこまでは思えない、という場合が殆どであって、許せることばかりだった。
そんな風だから、私にはとても人殺しなど出来そうにない。
だけど、家内や娘が暴行されたり殺されたりしたら、私はなにをするかわからない。
そういうことが起きないことを祈りたい。


2007.01.08 投稿者:インファント 投稿日:2007/01/10(Wed) 06:53 No.3607  

お正月の報道を見ていて気付いたけど、福袋って買ったことないなあ。
そういえば宝くじというのも買ったことがない。
そういう不確定ななにかに期待するという趣味がないからだと思う。
夢を買うという商品なんだろうけど、品物やお金だけが夢なのかしら?

賭け事とか勝負事も好きじゃないなあ。
競馬はやったことがあるけど損ばかりして、ちっとも面白くなかったし、
競輪は一度だけやって勝ったけど、二度と行く気にならない。
パチンコは結婚するまでは大好きで年中行ったが、ものすごく投機的な
仕組みに変ってしまったので、それ以降やりたいとも思わない。
他の賭け事はしたことがない。面白そうだとも思わない。

麻雀は独身の時はよくやったが、千点=30〜50円くらいのレートで
本当の遊び程度だったし、麻雀をしなくても仲良くしていた友人たちと
だけしかやらなかったので、本当の麻雀仲間とはいえなかった。
将棋や囲碁はルールを教わったものの、あんなに頭を使うものは私には
向いていないような気がして興味が湧かなかった。

家庭農園とか魚釣りなんてのが好きな人が多くて勝負事と並んで休憩時の
職場の話題になりがちなのだが、これにも興味がなくて、考えてみると、
これだけ共通の話題を持たない自分がなんで孤立しないで仲良く付き合って
いけたのか不思議でならない。なんとなくでおつき合いはいいのだろう。
そういえば、酒も呑めないのに宴席で困ったこともなかったような……


2007.01.07 投稿者:インファント 投稿日:2007/01/08(Mon) 23:03 No.3606  

安倍首相の昭恵夫人が大ヒンシュクを買っているそうだ。
「安倍昭恵のスマイルトーク」というブログで、「勝ち組セレブブルジョア日記」
を綴っていて、有権者から「調子に乗るな」とブーイングを浴びているらしい。

あの短大生バラバラ殺人の一家も資産家で評判のセレブ家族。
杉並から引っ越してきた際は建物代2億7000万円をキャッシュでポンと一括
支払いしたとか。大金持ち=幸福とは限りませんなあ。


2006.01.06 投稿者:インファント 投稿日:2007/01/06(Sat) 20:54 No.3605  

今年は「弱者いじめ」の大変な年になってしまいそうな予感がする。

家計への大幅な増税の一方で、法人税の軽減化が行われるようである。
減価償却制度の見直しで大規模設備を有する企業は大喜びであり、業績は増大するが、
従業員の給与への寄与はまず有り得ないという時代である。
昔のような家族的な雇用という概念がなく、資本家と労働者は赤の他人という時代。
利益の還元は株主にしか反映されないことは明らかである。

どんなに残業や休日出勤をしても、会社は時間外手当をつけなくていい――そんな
究極のサラリーマンいじめの「ホワイトカラー・エグゼンプション」の導入が目前だ。
長時間のサービス残業がはびこるなか、厚労省は1日8時間以上働いても残業代を
出さないでいいというのだ。
それでなくとも正社員の採用は減り、派遣社員やパートに労働層は追いやられている。
大手企業も分社化で賃金の安い企業へと実体を移している。

競争原理、市場原理とか色々な造語で庶民を欺いて、富を特権的な階層へ集中させる
というあざとい操作が政府主導で行われているのだ。
障害者自立支援法などという名称と実際の手段が全く逆の法案を施行して障害者への
援助を切り捨てるし、やっていることがもう悪行の極みとしか言いようがない。
美しい日本どころか、悪人だけが幸せを享受する非道で醜い日本を目差しているのだ。

いかがわしい不労所得者優遇にも限度があろう。
庶民の預金の僅かな利息(これも誤魔化しで超低利だが)には20%の税金を課して
いるのに、株式配当には10%しか課税しない金持&不労所得優遇。
高級官僚やら役人やらの天下り先のわけのわからん法人の不要なポストの理事なんて
いう膨大な不労所得者の人員とそこへの莫大な税金の配分。
こいつらは自分の利権のために、更に税金を無駄遣いさせて上前を吸い上げるという
恐ろしいまでに悪質なことを企てて大部分がバレずに成功している。
そのツケは全部、弱者に押し付けられる。悪人が常に勝つのが今の日本であり議員は
与党も野党も手先である。もうどうしょうもない。いつまでこの世は持つのだろうか?


2006.01.05 投稿者:インファント 投稿日:2007/01/06(Sat) 18:49 No.3601  

新年早々に短大生遺体切断などというおぞましい事件報道で気持悪くなった。
犯人が分っているのだから、殊更に、頭髪と胸部、下腹部が切り取られて……などと
細かな状況まで報ずる必要がどこにあるのだろう。
格差社会での勝組である裕福な家庭は理想の極みとも言えるが、人としての幸せは
そんなところにはないということがはっきりわかったような事件だ。


2006.01.03 投稿者:インファント 投稿日:2007/01/04(Thu) 09:59 No.3600  

今日は実家へ訪問。母と弟夫婦と弟の長男家族とご対面。
母は大分老けたけど、一応元気だ。今年で81歳になる。
我が家も実家も箱根駅伝のコース上にあるので、戸塚中継所に来る迄に出発。
混雑を回避出来たが、このイベントは関東地区だけの盛り上がりなのかな?
大学も全国区ではないようなので、関西などでは無関心かも知れない。

大みそかのNHK紅白歌合戦で珍騒動があったらしいが、あんなものには無関心
なので全然見ていなかった。もう歌を聴くという世の中ではなくなっているのだ。
まだ視聴率が40%近くもあるということが、むしろ信じられない。
ろくな歌手が出ていないのだから、なにが起きても不思議じゃない。
あんなのはさっさと止めて、受信料を値下げしてほしいものだ。


2007.01.02 投稿者:インファント 投稿日:2007/01/03(Wed) 01:08 No.3599  

2日の朝に見た夢を初夢というらしいのだけど、今朝、目覚めた時に覚えてたのは、
私が生まれた家(今でも現存するのだが)に娘を背負って向おうとするのだけど、
駅の階段みたいな所が妙な構造になっていて、行きたい場所へどうしても行けない。
どういう意味なのか、さっぱりわからない夢だった。

「男たちの大和」とかいうDVDを借りてきたが、映画としては凡作だなこれは、と
思った。ストーリーの発想や脚本がダメなんじゃなかろうか?
お正月に読もうと思って買い集めた文庫本を、昨日までに全部読んでしまったために、
今日は読物が無いのでつまらない。明日にでもなにか見つけてこよう。


2007.01.01 投稿者:インファント 投稿日:2007/01/01(Mon) 17:26 No.3598  

新年早々に家内の「大変だよ」とか言う声で起こされた。
大変という言葉で真っ先に思い付いたのが「モスラが来るのです」だった。
しかし、モスラでもゴジラでもなく、UFOや核ミサイルでもなかった。
ガスが出ないのだ。といっても屁のことではなく、都市ガスの方だった。

結論から先に書けば「マイコン内蔵のガスメーターの電池切れ」だった。
それが判別するまでは右往左往した。
一応は説明書のトラブルチャートに従いチェックしたが、末端機器の問題じゃなく、
元から供給されていないから、周辺機器はそれぞれのエラーを表示していることが
わかったので、東京ガスに電話してみた。

復旧ボタンを押してみて、とか、色々やってたが、反応がなく、そのうちに、ふっと
思い出して、我が家は「マーツーホー」という監視サービスに入っていたという旨を
告げたら、あっそうですか、じゃ、監視センターに問い合わせて、また連絡します、
ということになり、結局、サービス員がやってきた。

このタイプのガスメーター装置は10年で交換するタイプで通常は電池も10年間は
性能を維持しているものらしい。しかし、電池にはバラツキもあるので、電圧が低く
なってしまうと、その最後の力で、バルブを閉めるようになっているとのこと。
いわば、息も絶え絶えの状態で、安全側の動作をしたということなのだろう。
自動通報システムは電池切れの場合は無理なのだろう。これはしょうがないだろう。

そんなわけでお雑煮を食べるのが少し遅くなってはしまったが、元日の朝だというの
に、24時間の体制をとっているサービス担当の人は大変だなと思った。
それに、なんだかんだでも一時間以内に復旧したのだから大したもんだ。


2006.12.25 投稿者:インファント 投稿日:2006/12/26(Tue) 14:11 No.3597  

全国のハローワーク(公共職業安定所)の窓口で働く職員に対し、給与に上乗せして
支給される約1万円の「調整額」の是非が注目されている。
「失業者に対するため精神的緊張が極めて強い」と存続を求める厚生労働省に対し、
人事院は「時代にそぐわなくなっている」と廃止を求めている。
1万円とはいえ退職金にも反映されるため水面下の攻防は激しさを増している。

 人事院給与局によると、「調整額」は職務の複雑性や困難さに応じて、基本給に
上乗せして支払われる。
ハローワークでは
▽職業紹介にあたる職員
▽失業保険の業務に関係する職員
▽一部の所長、次長が対象となっている。
全国の約470カ所のハローワークの全職員約1万2000人の8割に相当する
約1万人に支給されており、支給額は経験や年齢などによって月6500円から
1万6000円と差はあるが、平均的には1万円程度。全国で毎月約1億円が
支出されているとみられる。

 この問題は一連の行政改革の中でクローズアップされた。
関係者や内部資料によると、厚労省側は、
「来所者は精神的、情緒的に不安定な者が多く、さらに酒気帯び、凶暴性を有する者
もあり、相談する職員の精神的緊張は極めて強い」と存続を強く訴えているのに対し、
人事院側は「現在では求職者自らがパソコンの端末を利用して求人検索するのが主流」
「他の職場の窓口でもさまざまな許認可、社会保障等など財産的利益にかかわる業務
をしており、ハローワークのみが著しく特殊性があるわけではない」としている。

厚労省地方課は
「窓口業務は高い専門性が求められる上、対応に気を使う点も多い。見直しが必要か
どうかは人事院が判断することだが、従来からみて業務実態に変化はなく、よって
見直しが必要との認識はない」。

こんなのは氷山の一角であり、お役人がいかに楽に金を稼ぐ事が出来るかの悪知恵は
いかなるところにも蔓延していることの証ではないかと思われる。

毎月ハローワークに出向いているが、出来ることならば、ここに是非就職させて頂き
たいと思えるような「楽ちんな」職場だということがありありとわかる。
雇用保険料を徴集するときは有無を言わさずに「給料天引き」されてしまうのである。
なのに、この保険の給付を得ようとすると、面倒な手続きを経ねばならないのだ。
どんどん自動的に私の口座へ振り込んでくれればいいはずなのだ。
「再就職をしようという意志を持ち就職活動をしている人にのみ支給する性質のもの」
という目的のために、その審査を経ねばならないのだ。

しかし、実際には、月に2回以上パソコンを2〜30分程度操作してくるだけなのだ。
59歳なのでここに出て来る求人情報など、最高でも月給にして15万円程度である。
これでは働いたら大損なので、就職する意味がないことぐらいすぐにわかる。
おまけに、清掃員、配膳補助、介護補助、などが選択肢であって、一般事務の類いは
年寄りなど採用してくれるわけがないから相当な肉体的重労働である。
だから求人検索など無意味なのに、建て前だけで強要されているのだ。

徴集は勝手に自動化しているくせに、給付となると決められた日の決められた時刻に
必ず出頭しなければならない。遅刻したら、手当は頂けないのである。
私が41年間支払い続けた金額のほんの一部に過ぎない支払いを受けるだけなのに、
金が欲しければ、決められた「20分間」に出向いて来い、というのは偉そうだ。
これでは自分で貯金していた方が金額的にも精神的にも良いに決まっている。
ここの高級取りの職員をなんで貧乏人の私たちが養わねばならないのだろうか??


2006.12.24 投稿者:インファント 投稿日:2006/12/26(Tue) 12:02 No.3595  

今日はクリスマスイブである。
クリスマスとか初詣とかのイベントがある時期は独身時代は悲惨な感じがしていた。
今の家内以前に交際していた女性というものの存在がなかったから彼女居ない歴は
36年余に及び、もうそれが当り前の状況であったわけである。
だから外出などは言語道断なのであって、そんなことをすれば惨めになるだけであり、
家に閉じこもっているしかなかったのである。

今、考えれば、全ての女性が、かっこいい男とデートを楽しむことが理想であったり
するわけではなく、まじめに一生添い遂げることが出来るような男性としっとりした
地味なおつき合いを望む人も多かったはずなのである。
だがしかし、女なんて馬鹿だから、見た目が良く、スポーツマンのように溌溂とした
男性にしか興味がないのだろうと私は思っていたのでコンプレックスの塊であった。

もちろん、黙っていては私の意志は伝わらないので、好意を抱いた女性にはきちんと
意志は伝えたのであったが、誠意は伝わったけど、しっかり断わられた。
とっても可愛らしい女性であったので競争率が高かったのであろうし、一人しか当選
出来ないのだから仕方がない。
それはつまり、当方にも見かけで選んでしまっているという原因があるわけなので、
これじゃダメなんだよな、と反省はしなきゃならない。
これは「男はつらいよ」の寅さんと同じなので、うまく行くわけがない。

それでも人間は一人で暮らすには相当の強い意志が必要なんだろうと思う。
私は独りぽっちで生活をしたことがないので、その状況は想像の外なんである。
独身時代もずっと父母・祖父母・妹・弟と同居だったので、クリスマスでも正月でも
家族的な環境の中でクリスマス・ケーキやお餅を食べていたのである。
テレビドラマとかを見ていると親元を離れて一人で暮らしたいという青年が多いが、
私はそんなことを思ったことがなかった。
周囲から何も言われずに自由にという意図なんだろうが、周囲は心配して色々な事を
言うのであって、いじめや悪口をいうわけではない。素直に聞くべきである。
好き好んで一人で暮らしたい人の意図がなんなのか、今もってわからないのである。


2006.12.23 投稿者:インファント 投稿日:2006/12/26(Tue) 11:25 No.3594  

先日、知人の転入(住所変更)の手続きを支給行わねばならないことが発生して、
タクシーで区役所に急行したが、その際に職員の誠意溢れる対応に感動した。
場所は横浜市南区役所。着いたのが11時40分。
案内窓口で手続きを教わり、書類を提出出来たのが、11時55分だった。
新しい住民票を頂けたのが、11時59分で、昼休みの直前だったのである。
同僚達がお昼ご飯に行くので立ち上がっているのに、そこのベテラン女性職員さんは
ぎりぎりまで私たちのために対応してくれたのだった。

良いことは続くもので、その帰りのタクシーのメーターは、1130円だったのに、
1000円でいいよ、と運転手さんに言われた。
59年という長い人生でタクシー料金をまけて頂くなんてことは初めてであった。
たまたま個人タクシーで、車中でよもやま話しに花が咲いて、愉快な道中だったので
運転手さんも気持が良かったのだろう。
こっちも有難いタイミングで住民票を貰えたので嬉しい気分だったから以心伝心で
楽しい気分が伝わったのかも知れない。人間関係というものは面白い。


2006.12.21 投稿者:インファント 投稿日:2006/12/21(Thu) 19:14 No.3593  

政府税制調査会(首相の諮問機関)の本間正明会長(大阪大大学院教授)は21日、
公務員官舎に不適切な形で入居していたとされる問題の責任を取り、安倍晋三首相に
辞意を伝えた。首相も辞任を了承した。

どうも国の政治を庶民の感覚で遂行出来ないことが問題の根幹を成していると思わざ
るを得ない。
まず、人間的に信用出来ない連中が多すぎる。
確かに頭は良いのであろう。立派な大学を出ている連中ばかりなのだから。
しかし、その頭の良さというものは、真の賢さとは別なのだろう。
受験だけに特化した才能なのであって、バランス感覚を失した異常者が多いようだ。

与党も野党もこのような輩ばかりなので、どっちに転んでもろくな行政は不可能だ。
与党主導であれ、官僚主導であれ、税制は必ず強い者へのサービス供給しか生まない。
企業を優遇した税制になれば企業業績が向上し、賃金も増えるなどというデタラメな
ことをほざいている。これは絶対にありえない。

私が勤めていた企業はとてつもない利益を上げ続けているのだが、製造部門などの
賃金は3割近くカットするという驚くべき暴挙を会社側は押し付け、株主への配当を
驚異的な額に増加させている。今後、あらゆる企業がこのようになるのは明らかだ。
それは外国からなどの買収を避けることで、現経営陣の安泰を図っているだけなのだ。
他企業に買収されようが、倒産して再生法の適用を受けようが、結果は同じなのだ。
物凄い業績を上げても、賃金が3割カットされれば、勤め人には違いがないのだから。

だから、サラリーマンの収入は増えないのに、税負担だけが今後は増え続けるだろう。
その税金をうまくかすめ取っている連中だけが、これからも私腹を肥やして、豪邸を
建て、働きもせずぬくぬくと暮らしていけるわけで、それを支えるのが政治機構だ。
歳出の削減は弱者いじめの項目だけになるであろうし、かすめ取りが出来る歳出先は
温存して、国家組織ぐるみで悪人どもが山分けをするのが政治の仕組みだ。

夕張市の問題など、表には出てこないが、観光施設への設備投資などで、大儲けを
した連中がかなり居るはずなのだ。税金が闇の金に化けて消えているはずなのだ。
方針を誤ったのではなく、確信犯がいて、湯水のように金を遣わせたに決まっている。
その実体までは暴けないのがマスコミの限界なんだろう。
恐らく妥当な歳出が行われる理想的な政治ならば税収は半分で済むのではなかろうか。

若い人達の労働所得があまりに低い時代になってしまい、ますます加速している。
これは税金を搾取して大金持ちになっている一部の悪人たちの悪行三昧のせいなのだ。
これでは国家的にもいずれ破綻するであろうし、人心も荒廃し、汚く醜い日本国家と
なるであろうことは容易に予測出来る。
自分さえ良ければ良いのだ、という連中が国政を担っている限り、進む先は地獄だ。
若い人達が希望を持って、明日に夢を抱いて生活が出来ない限り、子供など生まない。
日本はあと何世紀まで持つのであろうか。


2006.12.20 投稿者:インファント 投稿日:2006/12/21(Thu) 00:41 No.3592  

他人とは思えないほどシャボン玉ホリデーで毎度お見かけした青島幸男さんが
亡くなられました。
今年はマイ・ワールドの中での二つの巨星が消失してしまった悲しい年になって
しまったようです。

あと4キロは体重を落とした方がいいですね、と、医者に言われて、間食なんかを
やめて、コーヒーも人口甘味料で飲んでたりするこの頃なんですが、肥満という
状態も程度問題なんであって、あまり痩身を目差すのも如何なものかという感覚も
持っている。
宮川泰さんも青島幸男さんも近年はかなりお痩せになっていたような気がします。
少しぐらい肥満でも、むしろ、その方が生き抜くパワーがあるのではなかろうか?

今年の紅白の曲目が新聞に出ていたが、歌手も歌もまったく興味が湧かない。
もう「歌」は死に絶えたと思う。せいぜいが80年代前半までではなかろうか。
ここ20年くらい紅白をまともに見ていない。
音なしで画像が綺麗(これは昔と違い圧倒的に美しい)なだけというショーなので、
音楽を聴く必要がないからだ。大概はヘッドホンで別の音楽を聴いて過ごす。

それでも最後だけは、宮川先生が出て来るので、しっかり見ていたのだが、今年は
それもないので、DVDでも見て過ごそうかと思う。

昭和22年生まれの私と、昭和38年生まれの家内も、昭和60年生まれの娘も、
三つの世代が誰も見たいと思わない紅白歌合戦って、いったいなんなんだろう。


2006.12.18 投稿者:インファント 投稿日:2006/12/18(Mon) 23:20 No.3591  

このところ毎日「功名が辻」の連続再放送を見ているうちに、この音楽の
サウンドトラックを聴いてみたくなり、CDを買ってしまった。

私はNHKの大河ドラマというものを殆ど見たことがなかった。
別に理由はないのだが、よく知っている話をテレビで見てもしょうがないと
いった程度のことだったのだけど、この「功名が辻」はなにか私を惹き付ける
ものがあったのかも知れない。
実にうまく出来ていて、毎回見所があるような作りになっていて飽きさせない。

サウンドトラックのCDは恐らく春頃に出ていたであろうから旬を過ぎている。
60年近く生きて来たが、大体が流行に遅れているのが自分なのである。
旬に間に合ったのは「スウィングガールズ」ぐらいしか記憶にない。

どうも感性が鈍くて、なかなか良いものを良いと気付くのが遅いのだ。
この「功名が辻」のテーマ音楽も何十回も聴いてから、やっと気に入ったのだ。
そして、この音楽が親しみやすいのは、理由があることもわかった。
つまり、同じメロディーが形を変えて繰り返される(変奏)ところがミソなのだ。

最近、このような安定型といった感じの音楽を聴くことが少なくなった。
自由奔放な詩や曲ばかりになってしまったと思う。
つまり、曲の良さよりも、アーティスト依存型なのだ。
そのシンガーの世界が好きになったら良さがわかるという世界じゃなかろうか?
飽きるのも早いような気もするけどネ……企業は売れればいいのだろう。
どんどん飽きて、また、別のが売れれば、その方がもっと良いのかも知れない。


2006.12.15 投稿者:インファント 投稿日:2006/12/17(Sun) 15:21 No.3590  

最近、Macintoshのパソコンのコマーシャルをテレビでよくやっている。
i−PODでしっかり儲けているのだから、今更、Macintoshを売らなくていいのに。
そのCMでのセールス・ポイントとしてWINDOWS環境ではウイルスの危険があるのに、
Macにはその心配がない、ということをPRしているのだ。
私は、ちょっとこれはマズイのではないかと思う。

現在のMacのベースはUNIXだ。だから、コマンド操作が可能と思われる。
だから、ウイルスやハッカーの攻撃対象になる可能性は秘めている。
Macのシェアは少ないので、愉快犯がウイルスを作っても話題性に乏しいものだから、
作る連中がいないだけなのであって、CMなんかで挑発したりすると寝た子を起こす
ようなことにならなければいいが、と心配してしまう。
こういうのはマック・ユーザーがこっそりと喜んでいるところに良さがあるのだから、
あまり大っぴらにしないほうがよかろう。

どのみち、私の使っているOS9.1なんてのはWINDOWS95の時代の代物なので、
これのウイルスを今更作ろうなんて物好きなヤツは居ないと思う。
恐らく、全パソコンの1%以下(もっと小さいかも)だろうから、作る側の面白味が
なかろう。おまけに、古いMacintoshの操作はマウス操作でなければ動かない部分が
あるので、外部からはハッキングも出来ない面があるのが大きな利点だ。
パソコンや無線LANなどの機器がイカレたら、それを機にOSを更新しようかなと
思ってはいるものの、もう6年以上もトラブルなく動いているのでその気になれない。
ひょっとして、古いMacintoshのハードは丈夫なのではないかとも思ってしまう。


2006.12.14 投稿者:インファント 投稿日:2006/12/14(Thu) 22:09 No.3586  

今度は定期的な大腸内視鏡検査の予備検査と予約を行ってきた。
一昨日、採血・検尿をしたばかりだが、再び血を抜き取られた。
仕事も用事もないからいいようなものだけど、待ち時間が多いのがイヤだ。
高年齢層の人が増えているからか、予約も一杯で、結局、2月となった。

ハローワークにしてもそうなんだが、病院も人が多い。
元気で働けない人がこんなにいるのかと驚くが、どこの病院も立派な設備で、
住民が多い地域というものは経済力もあるのだなと感じる。
救急医療も色んな設備があって、なんか心強い気もする。
お世話にならないにこしたことはないけど、夕張市のような状況は恐ろしい。

市の財政も厳しく見直しが行われて、市営バス路線は民間への移譲が進んだり、
廃止路線になったりしている。
民間のバス会社も採算の悪いルートは切り捨ててしまうため空いているバスが
来なくなってしまい、そこが残念だし、色んなルートがあったのに、選択肢も
なくなって不便になった。

横浜市でもこうなのだから、もっと利用者が少ない地方であれば公的な交通の
手段が無くなって、自家用車を持てない人は動けなくなる恐れがある。
地方自治体の支出削減は他に色々とあると思うのだが、市民の足からというのは
考えものだと感じる。


2006.12.13 投稿者:インファント 投稿日:2006/12/14(Thu) 15:29 No.3585  

マンションの外壁塗装工事がやっと終わったのでBSアンテナを再設置。
何ヶ月ぶりかでBS放送を見れることになった。
NHKの今年の大河ドラマ「功名が辻」はなかなか面白かったのだが、
見逃した回も多く、全回再放送をBS−Hiでやっているので毎日見てる。

第8回「命懸けの功名」では、敵方の勇将・三段崎勘右衛門(岡田正典)と
死闘を演じ、頬を矢で射抜かれる深手を負いながらも首を挙げる。
一豊が負傷した際、時を同じくして、千代が台所で指を包丁で傷つけた。
この場面で愛の絆というか、神秘というか、虫の知らせのような不可思議な
事象が起きたわけだが、こういう話はよくあるようだ。

父が太平洋戦争で海防艦<千振:ちぶり>に乗務していて米艦載機の爆撃で
真っ二つに爆砕されて昭和20年1月12日洋上に放り出された、その日、
母は父が登場する夢を見たのだという。
濃霧に覆われた竹林を父が血だらけになって歩いて来たのだそうな。
縁起の悪い、そんな夢はその日だけだったので覚えていて、昭和21年に
南方から復員して来た父と後日そのことを話し合ってわかったのという。

それ以前にも軽巡洋艦・五十鈴に乗っていて艦はボコボコに攻撃を受けたが、
艦橋に居たのに無事で、その時は母の夢枕には立たなかったようだ。
いずれにしても、かなりの命の危機をくぐり抜けて生還したのだから強運だ。
山内一豊ほどの戦歴じゃないにしろ、そうやってしぶとく生き抜いたからこそ
私が生まれたので、ありがたいことではある。

後年は夫婦仲も悪くてケンカばかりしていたが、戦時中はそれだけ父のことを
心配していたのだろうと思うと胸も熱くなる。
生還出来なかった夫も多いだろうし、帰って来たら、妻が空襲で死んでいたと
いう例もあっただろう。戦争は悲惨で愚かだ。


2006.12.12 投稿者:インファント 投稿日:2006/12/12(Tue) 23:07 No.3583  

今日は某大学病院で、検尿と血液検査をし、専門医の所見を聞いて来た。
尿中の糖も検出されず、血糖値も安全な領域内であり、糖尿病の気配はまったくない。
ただ、中性脂肪が多めなので、肥満を解消することが必要でしょうということだった。
体重を落とすということはなかなか困難なことなので、とりあえず、5キロ減量でも
効果は十分でしょうということだった。

間食と夕飯後のお菓子やら、砂糖たっぷりのコーヒーやらを異常に飲食していたので
これを抑えれば、かなり違うのではないかと思う。
かれこれ、三日くらい実行しているが、別にガマンが出来ないというほどではない。

とにかく糖尿病の懸念はないので安心した。
昨日からネットで糖尿病を色々調べていたら、これは大変なことになったとドキドキ
の連続で心臓にも悪かった。今日は安心して眠れそうだ。おやすみなさい……


2006.12.9 投稿者:インファント 投稿日:2006/12/11(Mon) 00:14 No.3582  

他に用事があるわけでもないので毎週血圧の検診に通っている医院で定例の
尿検査をやったら、今回なんと、糖が検出されてしまった。
こんなことは初めてである。元の勤務先でも年中検査していたが出なかった。
ということで、もっと大きな病院で詳しい検査を受けることになった。
来週、紹介状を持参して出かけることにしている。

もともとが甘いモノが大好物でお菓子やチョコレートの類いは欠かしたことがない。
会社でもいつも砂糖を匙に2杯は必ず入れていて、他の人が入れてくれるときにも
砂糖はたっぷり入れてください、と注文していたので、どこの事務所へ出掛けても
有名であった。
女性がお茶を入れるという習慣は会社ではとっくの昔に廃止されており、そういう
ことを命じたらもっと上の層からお目玉をくらうのだが、個人的に好意でやることを
規制したりはしないので、お茶の時間には入れてくれたりするのですが、他の職場で
あっても事務の女性はそういうことをよく覚えていてくれるものなのです。

だから、毎日5〜6杯も砂糖たっぷりのものを飲んでいて、そんなのは体に毒じゃ
ないかとよく言われたが、甘いものが好きだと糖尿病になるというわけじゃないよと
言い張っていたし、私がお腹の中に入る時だけ、無性に甘いものが欲しくて欲しくて
ヤミ市で非常に高価な牡丹餅を祖父が買ってきて食べさせたそうなので、体質的にも
蔗糖だかブドウ糖だかの成分を欲しがるように出来ていたとしか思えない。
生まれた途端に、甘いものなんか、見るのもイヤだとなったというから間違いない。

それだけ甘いものが好きだと止めるのは大変か、と医者から聞かれたが、タバコとは
違い、それは飲み食いしなくても全然大丈夫だし、コーヒーは回数を減らしておいて
砂糖の代わりに合成甘味料を使えばいいので、これも問題はない。
たまたま糖が出ただけだろうと思っているので、まだ食事メニューにまで考えること
はしていない。来週の検査次第だ。

ひとつ気掛かりなのは、会社勤めを止めて既に半年以上経っており、体を動かす事が
めっきり減ったということがある。
通勤だけでもけっこうな運動なんであって、このカロリー消費に匹敵する活動がない
ことはエネルギーが脂肪となって蓄積してくるに違いない。
じっとしててもお腹は空くので、以前と同じように食べているから問題かも知れない。
散歩でもしたらいいのだろうが、最近、寒いしなあ……


2006.12.8 投稿者:インファント 投稿日:2006/12/09(Sat) 13:03 No.3581  

65年前の今日は真珠湾攻撃で太平洋戦争が開戦された日である。
戦争自体があってはならないことなのだが、この真珠湾奇襲ほど日本人として
みっともない行為はなかったと思う。
なんたって宣戦布告しないうちに攻撃してしまったのだから卑怯者なのだ。
「トラ・トラ・トラ」という映画で官僚がモタモタしてて宣戦文書が間に合わない
経緯が明らかになっていたが、どうも昔から日本は情報に弱い国民のようだ。

そもそも国力が桁違いのアメリカと戦おうとする異常さが理解の外である。
軍事力だけは当時、2対1で敵の半分はあるということで、あとは大和魂で補うと
いう乱暴な論理だったようだが、資材も燃料も輸入している当の相手と戦うなどは
正気の沙汰ではない。
それでも潔く戦って負けたならサムライの国として面目も立つかもしれないのだが、
大失態の結果、初めから騙し討ちでは武士道が聞いて呆れる。情けない。

戦争はもちろん正当化出来るものではないのだが、大日本帝国の一方的な侵略戦争で
あったという見方は必ずしも当たっていないと思われる。
当時迄は戦力で他国を侵略して勢力を拡大することが悪とも言えない時代だったかも
しれないのであり、列強の大国は例外なくそのようにしてきた。
正義だけで成り立ってきた国家などどこにも存在しない。日本も頑張ってみようかと
背伸びしすぎたのだろう。根拠のない自信で突っ走ってしまったのだ。

悪のりさせたのは政府ではなく、朝日などの新聞であった。慎重な軍部より先鋭的に
民衆を煽ったのは新聞社などのマスコミだったので、ここが真のA級戦犯なのだ。
東条英機などは、むしろ戦争回避に腐心していたのであっが、ハル・ノートの解釈の
誤解があり、最後のチャンスを逸してしまった。
アメリカは満州国からの撤退ではなくて、中国からの撤退を言っていたので、検討の
余地があったのに、中国全土からの引き上げを意味していると誤解してしまったのだ。
またドイツ・イタリアとの同盟解消をしても日本は何も損はなかったのに、威圧的に
言われて腹が立っただけなのである。このような判断ミスがあったからといって彼が
死刑になるような犯罪人ではなかろう。

この新聞社は日本を過った方向に誘導してしまった過去を持ちながら、教科書問題や
従軍慰安婦、南京大虐殺、強制連行など、いろんなことを書き立てて、中国や韓国に
ネタを提供し、国益に反することばかり画策している。
「そそのかし」が得意なこの新聞社は戦争へと国民の意識を誘導し、わすれたころに
今度は、日本の過去の悪事を創出し、根拠なしに暴きたてるので、これは美味しいと
ばかりに中国や韓国は民心の不満を日本向けに転換することに成功した。
売国奴というのはこういう存在ではないのか。

一部の戦犯が企画して国民を欺いたのではなくて日本中が自らを煽ってしまったのだ。
子供を売るような貧しい農村などの内因を外に向けて解放してしまったのだろう。
負けっぷりは世界最高ともいえる見事な敗戦だった。これだけ完敗だと鮮やかである。
多くの人命を失ったが教訓は得られた。一億総懺悔をして出直したのが日本なのだ。
なのに靖国参拝なんかをまだやっている。あの神社はどうも具合が悪いと思う。
みっともない戦争だったのだから、もっとひっそりとした施設でそっと行うべきだ。
日本は間違っていなかった。正しい戦争だった。というディスプレイなど言語道断だ。

戦争の愚かさを示した日本なのだから、世界に誇る敗戦国の見本として二流国家の
ままで存続していけば良い。国連の常任理事国なんかに立候補しちゃだめだ。
戦争を放棄した結果の平和の有難さを示すだけでいいのではなかろうか。
教育基本法改正ではあれだけ大騒ぎした民主党なのに防衛庁の「省」格上げには賛成
の立場になっている。あそこは自民党の別派閥ともいえる存在なので仕方がないけど、
こんな大事な改変なのに……まったくわけがわからない政党だ。


2006.12.7 投稿者:インファント 投稿日:2006/12/08(Fri) 18:05 No.3580  

道路特定財源の一般財源化が抵抗勢力の反対で腰砕け&先送りされてしまった。
利権というものの存在がいかに大きいか、これでわかるような気がする。
盗人にも三分の理、というが、どんな屁理屈もパワーがあれば勝てるのだ。
腐り果てた議員というものはどうやったら、いつになったら駆逐出来るのだろうか。

家庭でも企業でもそうであるように収支のバランスということをまず念頭において
計画するのが当り前なのに、国家となると、とたんに無責任になってしまい赤字で
平気な顔をして、そのうちなんとかなるだろうと、未来にツケを回してしまう。
このままでは国民が飢えてしまうという緊急事態なら赤字国際もやむを得ないかも
しれないが、特定利権のために累々と赤字を出し続けるのはいかがなものだろう。

どうしても必要な税金の使途とはなにか。ここに問題の根本がある。
議員や政党にとって、どうしても必要な支出とは「票集め」に直結する支出なのだ。
本来はそうではあるまい。
倫理面を第一に考えて、不当な支出を抑えれば、現在の税収で不足はないはずだ。
そんなことはない、という理屈はあるだろうが、正しい税金の使い方なんてものは
歴史的に一度も行われたことがないのだから、支出が減らないのだ。

税金が使われる対象の事業には大概「公社」「公団」「協会」などという団体があり、
これら膨大な「特殊法人」とかいう組織が物凄い金喰い害虫となって巣食っている。
そもそもお役所仕事という言葉があるように、ロクに仕事をしなくても仮病欠勤でも
給料が貰えるのが公僕なので、その管理職も管理という仕事すらなおざりで構わない。
すなわちお仕事をしないでもいいのだ。税金で楽をしているのである。
そのくせ同期の誰かが昇進すると同時に「天下り」するのがエリート組なんだそうで、
遊んでいた人間が再就職するのだから仕事などするわけがない。
対お役所対策に居るだけである。こういうのが理事とか称してゴルフなんかやってる。
これを養っているのも税金の間接的流用なんである。

知事の汚職が騒がれているが、彼等には罪の意識はないのかも知れない。
もっと強力な影響力があるヤツならば、明るみに出てこないのだから残念無念だろう。
地域活性化のための公共工事やら公共事業なんてものは、額が大きい方がマージンが
大きく、裏金が巨額となって寄生虫どもの懐が潤おう。
散々に吸い上げておいて、夕張のような状況になって初めて住民は恐ろしい搾取の
構造に驚いて泣きわめいている。

都知事の豪遊や四男過保護への税金利用。区議会議員の公費私用化など、問題の根は
一緒であり、税金は濡れ手に泡で、頂戴出来たら遠慮なく遣い切る。
家計であれば節約という概念がまず念頭に浮かぶ筈だが、税金は既得権で無駄遣いが
慣例であって、湯水のように遣われる。
普段がそういう神経だから、悪事にも流用しても犯罪という意識が薄い。
タウン・ミーティングが悪いイベントなのではなく、支出がデタラメなんである。
あれだけ代理店が儲かれば、確実に裏金がバックで渡されているのだろう。

来年からは700万人という団塊世代のうち多くの労働者が定年失業する。
サラリーマンからの税収は漏れなく吸い上げられていたので税収は潤っていたのだが、
これだけ減少すると、働く人の税負担はもっと過酷なものになるだろう。
その一方では、役人と元役人は一生楽に大金を手に出来て豊かな暮らしが出来るのだ。
公共事業に関わる業者もぬくぬくと税金で優雅に暮らしていけるのだ。
こんな構造は社会的構造的な犯罪といえるのではなかろうか。倫理は死に絶えている。

民主主義でも社会主義でも共産主義でも独裁政権でも「悪」は必ず存在し利権があり
弱肉強食の構造は不滅で、汚く悪賢いヤツが得をするようになっている。
時間軸の切断面ではたしかにそうなのであるが、一生の間その状態で幸せで済むのか、
子供や孫への影響はどうなのか、長期的にみてコツコツと清く貧しく生きている者が
本当は幸せであったりするかも知れないので悲観することもないかもしれない。
うしろめたい気持で毎日過ごさねばならない面が皆無なのは幸福なのかも知れない。


2006.12.6 投稿者:インファント 投稿日:2006/12/08(Fri) 07:31 No.3579  

毎日、同じように生活していても、長調の日と短調の日があるように思う。
別に躁鬱の気があるわけではないと思うが、やたらに元気な日と沈鬱な日があり、
今日はなんとなくブルーな日だった。
あと人生は20年くらいなんだろうな。それ以後の日がどうなっていくのかを
見届けることが出来ないんだな、なんて思うと淋しい気持になってしまう。
女性の方が長生き出来るのはうらやましいような気もするけど、僅かな違いであり、
やっぱり同じように死ぬんだから一緒かな、とも思う。

このように人間というものは、さしあたっての心配ごとがなくても心安らかではなく、
生きているだけで心細い動物なんだろうなと思う。
そういう気持に安堵感を与えてくれるのが宗教だったのではないか、とも思える。
たとえそれが偽りであっても確固たる権威のように教えられると信じることで幸福感
を得られるのかもしれない。
「天動説」が正しいのだという信念で、ガリレオを処刑してしまった宗教団体なのに、
いまでも世界的な教えとして衰えを知らない。
あれこれ食べてはいけないという教義もあれば、約束の地なんだから、民族の土地だ
と紛争を繰返す宗教もある。

不思議なことだが、これだけ科学が進歩している現代になっても「奇蹟」が起きたと
いう言い伝えを信じている信者が多いという事実。
「悟り」のような思考上のなにかを得た宗教上の偉人たちは、余人には口頭や文面で
伝えることの不可能な境地に至ったことは殆どの教義で共通しているようだ。
したがって、ご本人の残した普遍的な教えというものが存在せず、周囲に居た人達が
記録として残したものが、伝えられ、それが教義になっている。

思うに、それら偉人はケース・バイ・ケースで、こうしたらいい、と指導したのでは
ないかと思うのだが、それを、どんな場合にも、どんな人にも適用出来るものなのだ
と過って言い伝え、書き残したのではないのだろうか?
そう考えることで色々な戒律が存在する理由があると思われる。
個別の指導が一般化ルールとして教義になっているのではないだろうか?

多くの人の自由を束縛し、一つの理念に固執することで、本来は人間の幸せのために
存在するべき宗教が逆に戦争や諍いの原因になってしまっている。
恐らく現存する全ての宗教の教えは、人間が作り、自己保守のために都合良く改訂を
繰返してきた代物であろうと思われる。
人を殺めてはならない、とか、犯罪を犯してはならない、とかいった基本的なことを
守れるような人間を育てる宗教が存在しないなんて、全部がインチキだと思わざるを
得ない。聖戦なんて言葉がある教えなどもっての他ではないだろうか。


2006.12.5 投稿者:インファント 投稿日:2006/12/06(Wed) 00:42 No.3578  

NHKばかり見ているが、別に受信料分を見なきゃソンだというつもりではない。
今日はクローズアップ現代「会話してますか(現代の孤独)/傾聴ボランティア」と
ハートをつなごう「IQ=37の世界/母と息子の物語」をじっくり見た。
これらは私の中で、昨日の灰谷健次郎さんのトーク番組ともリンクしてしまった。

現在、一人暮らしの所帯は全国で、1445万所帯なんだそうで、全所帯の3割以上。
こんなに独りぼっちで暮らしている人が多いことにまず唖然としてしまった。
定年後の人とか、ご主人に死に別れた主婦の方とかの高齢者が番組のテーマであった
のだが、そうではなくても独り住まいの人が物凄く多いことにびっくりした。
年間に3万人の方が自殺をすることの一つの要因ではなかろうか?

私はストレスが溜まらない性質に徐々に変ったと思う。
それは話好きなので、職場でも家でも一年中しゃべっていたからだと思う。
周囲から見ていても非常にわかりやすい人間なのである。
お話をするということは頭の発達に好影響があるし、高齢者は認知症の予防になる。
これだけ情報技術が発達し、ケータイでメール交換する時代になっても会話という
行為は人間には不可欠なのだそうだ。

たしかに娘が会社から早く帰ってこないかな、と毎日待っている自分がある。
よく旦那さんが会社から疲れて帰ってきたのに奥さんがど〜でもいいような長話を
すると、いい加減に相槌をうって、静かに過ごさせてくれという風景が見られる。
旦那にしてみれば会話は嫌というほど会社でやってきている。会話で疲れている。
しかし、奥さんはそうじゃない。身内の人と会話をしたくてしょうがなかったのだ。
この感覚が定年してみてつくづくわかった。会話は大切なのだ。
聞いてくれる人がいる、ということの有難さはとても大事なことだったのだ。

さて、その会話=言葉であるが、言葉がなくては人間の関係は作れないのかというと、
そうではないことが、灰谷健次郎さんのトーク番組「子どもに教わったこと/ことば
のむこうにあるもの」で語られた。

発達障害で考えていることも何も伝わってこない子どもを背負ってプールへ行ったが、
水を怖がらないことに安堵して、プールの端から端まで下から支えてやって泳がせる
と、その子が初めて笑っているように見えたという。
それまでは付き添いの祖母だけが、その子の心の動きを理解して、まるで通訳のよう
に、先生と、その子の間のコミニュケーションを果たしていたのだった。
ずっと傍にいた祖母だけが、その子の意志を理解出来るのだったが、プールでの微笑
を感じて、初めて言葉ではなく、伝わって来るものを感じたという。

これを聞いていた時に、私の娘が赤ちゃんから3歳になるまで、言葉を話さずにいて、
それでも私には100%気持ちや伝えたいことがわかったことを思い出した。
我が娘は私に意志を伝えるのに言葉は要らないことを承知していたに違いない。
発達が遅れているのでは、という心配など、これぽっちも私にはなかったのだ。
こっちの言うことは全て理解している様子なのだから、あとは目と目で伝わるのだ。
気の合ったピッチャーとキャッチャーなら、サインは要らないともいうではないか。
考えようによっては言葉でしか伝わらない関係というのは本物ではないのであろう。

IQ=37の世界はとても暖かで、のどかで、詩情あふれるもののようだった。
考えてみると人間は賢くなりすぎているのかもしれない。
欲深くもなっているのだろう。既に豪邸に住んでいる知事や市長が汚職をしている。
何歳になっても純真無垢な赤ちゃんのような眼差しを見ると、どっちが正常な人間
なのだろうかと考えさせられてしまう。
天使のような、その方々も幸せで暮らせるような社会こそが理想の美しい世界だ。


2006.12.4 投稿者:インファント 投稿日:2006/12/05(Tue) 18:00 No.3576  

灰谷健次郎さんのトーク番組を結局全12回、6時間見てしまいました。
後半は少しダレてきたように感じます。前半の方が良かった。

子供の優しさという回では、
火事で焼け出された家族の子供が学童保育施設に入らなければならなくなり、
定員が一杯だから受け付けられないという所を「準」会員という扱いで
ようやく入れてもらったという話がありました。
しかし「準」扱いなので、その子の分だけおやつが無い。残酷な話だ。
施設の人は「予算が無いのだからおやつは出せない」という。

するとおやつをもらっている子たちが、その子に分けてあげたそうです。

子どもに教わるというのは、こういうこと。下手なドラマより泣けます。
子供の方が何が大切な事なのかがよく見えている。

 5.鈍行列車のような人生を選びたい
 6.教室の中の子ども
 7.ことばのむこうにあるもの
 8.子どもは小さな巨人
 9.林竹二先生とわたし
10.はじめて教室でしゃべった子/考える授業
11.優しいということは厳しいということ/考える授業
12.今なお戦争を学びつづける子どもたち

でも、次第にご自分を語るようになってしまったので、自慢話になっていた。
ご自分は色んな職業に就いていた経験があったので視野が広かったのだが、
普通の先生は大学を出ただけでもう「先生」になってしまっている。
初めから「先生」しか知らないことは、教育者としては未熟ではないかとか、
言ってしまってはミもフタもない。それでは他の先生の参考にはならない。

沖縄諸島の島では太平洋戦争の悲惨な実話が今でも生きて語り継がれている。
こういうことは都会の学校では語られない、とか。自然があり、生き物たちと
自分との関係で生命の尊さが実感としてわかる、とか、それはたしかにそうで
あろうけれども、都会では出来ないことを言ってもしょうがないではないか?

学校を出たばかりで不安いっぱいの若い先生にも、指針となるような話であれば、
もっと良かったのに、と思う。
教材に頼らない授業も必要なのだとはいっても、それでは履修不足になってくる。
ゲストで呼ばれるからこそ出来る内容(フリーテーマ)ではないのか?
そこのところをもっと突っ込んで欲しかった。


2006.12.3 投稿者:インファント 投稿日:2006/12/04(Mon) 18:54 No.3575   <HOME>

NHK教育テレビで「灰谷健次郎さんが語るNHK人間大学アンコール」という番組
を見た。出演は11月23日に亡くなられた灰谷健次郎さんで再放送番組だ。
 子どもに教わったこと
 ▽”きりん”との出会い
 ▽子どもを測るものさしはない・わたしの教師時代
 ▽不思議な糸
 ▽子どもの優しさ
こういったサブタイトルで2時間放送されたが、熱中して見てしまった。

灰谷健次郎さんのお話の仕方は決して流暢ではないのですが、言葉のひとつひとつに
真心が溢れているという感じで、引込まれてしまい、チャンネルを切り替えられずに
ずっと見てしまいました。人間力というのか、人間的魅力というのか。
特に第4回の「子どもの優しさ」は感動的で、涙がポロポロ出て来てしまった。
もう遅いけど、生まれ変わったら学校の先生をやりたい。そう思ってしまった。
今夜も明日も引き続き、5〜12回の放送があるので見逃さないようにしよう。


2006.12.2 投稿者:インファント 投稿日:2006/12/03(Sun) 17:57 No.3574   <HOME>

今日は昼寝をしていたら夢を見た。夢はいつでも見ているのだろうけど、目覚める
タイミングによって覚えている時と忘れてしまう時があるのではなかろうか。
子供の頃は恐い夢も見たかもしれないが、もう何十年も面白い夢ばかり見ている。
夢だから断片的だし、ストーリーも一貫性がなく、登場人物も途中で変化したり、
千変万化ともいえる多彩な場合が多い。

子供の頃に、少年少女冒険科学小説全集(名称は怪しい)とかいう本が貸本屋さんに
ズラッと並んでいて、それを片っ端から全部借りて読んでいたのだが、大人になって
もその影響からなのかSFモドキの夢が圧倒的に多い。
あんまり面白いので家内に話すと「すごく平和でいいね」と呆れられる。
しかし、そういう夢なんだから仕方がない。
さらにそこにちょっとエッチな要素が加味されたりするから内容はもっと多彩になり、
色んな意味で映画化も不可能という八方破れの面白さなのだ。
目が覚めてしまったのが残念ということが圧倒的に多い。

今日見た夢では随分昔の人が出て来て、会社を早くに辞めてしまった人なども登場し、
へぇ〜、こんなにあの人のイメージが自分に残っているのだなあ、と自分の脳味噌の
中身に神秘性も感じる。
夢は願望を実現していることが多いようにも思うし、自分の正体を見た気もするが、
金持ちになった夢は見たことがないので、きっとそれは願望にないのだろう。
犬や猫がよく出て来るけど、マンション住まいなので飼えないのが残念ではある。

娘は隣で赤ちゃんの時からずっと寝ているのだが、こっちも面白そうな夢を見ている
に違いないと確信する。ニヤニヤ笑っているし、笑い声や寝言も楽しそうだ。
だけど、金曜日の夜というか今日の明け方だったか、なんかちょっとあやまっている
ような落ち込み気味の寝言をむにゃむにゃと言っていたので、びっくりして起きた。
本人はまた寝返りをうってスヤスヤ寝ているので、まあ安心したんだけれど……。
もう社会人三年目なので、仕事のこととか色々とあるのだろう。
だれでも、生きていくだけでも人間は大変なんだと、つくづく思う。


2006.12.1 投稿者:インファント 投稿日:2006/12/03(Sun) 08:10 No.3572   <HOME>

「ALWAYS 三丁目の夕日」のテレビ放映を見た。
私は昭和22年生まれなので、作中の古川淳之介君と同い年くらいかもしれない。
当時の日本が忠実に再現されているという評判であり、確かにそうなのですが、
昭和30年代というのは凄い成長期なので、一年違うだけでも大差となるんです。
舞台は昭和33年となっているので、ちょっと違和感もあります。

実は我が家にテレビが来たのも昭和33年の初秋のころで、「私は貝になりたい」
というテレビドラマが放映されたのをリアル・タイムで見ましたので鈴木オートへ
テレビが来たのと殆ど同時期の筈ですが、我が家のテレビを見にあのようにご近所が
集ったことはありませんでした。あの状況は、1〜2年前迄だったように思います。

そして、それ以前はプロレス中継を見るために知り合いの家へ行ったことはあったが、
あんなに大騒ぎはしないで皆が静かに見ていましたし、午後8時からの放映に備えて、
待機していて、その前の番組から見ているので、持主が挨拶をしたり、電源を入れて
プロレスがもう始まっているという状況はウソ臭い演出です。

集団就職の時代があんな風だったのか子供だったので実際はわかりませんが、仕事の
内容や会社の規模など本人に知らせないというあの状況は本当かいな、と首をひねり
たくなります。女の子なんですから、売春組織なんかが嘘の情報で募集していたら、
そのまま鵜呑みにするのか、という面があると思うので、あれも眉唾ものです。
自動車修理の職工を雇うのに、女子を採用する理由もわかりません。
(男女雇用機会均等法はこの時代にはないので、性別を指定出来たはずなんです)

確かに農村の「口減らし」という貧しい状況は知っていました。
我が家に突然にお姉さんが三年間増えたことがあります。父の兄の娘さんを我が家で
学校へ行かせてあげていたのです。それだけ農村が貧しかったことは事実でした。
卒業して我が家から居なくなったときは淋しい思いをした記憶があります。
私の結婚式には出席してくれました。「大きくなったネ」には笑えましたが。

最後で、東京タワーが気づかぬ内に出来ていた、なんてのは、ありえない設定です。
鈴木オートの店から工事中のタワーが見えるという背景なんだから蒲田大森あたりの
町工場地帯の筈で、これもわざとらしい演出のように感じます。
まあ、これは映画なんだし、ウソも含めて創作なんで、アラ探ししてもしょうがない。
かなり色んな面で誇張した映画ですが、人情話として良く出来ていて泣かせます。


2006.11.30 投稿者:インファント 投稿日:2006/11/30(Thu) 20:00 No.3571   <HOME>

◆政府の教育再生会議が29日まとめた緊急提言は次の通り。
--------------------------------------
 「いじめ問題への緊急提言」
 すべての子どもにとって学校は安心、安全で楽しい場所でなければなりません。保
護者にとっても、大切な子どもを預ける学校で、子どもの心身が守られ、笑顔で子ど
もが学校から帰宅することが、何より重要なことです。学校でいじめが起こらないよ
うにすること、いじめが起こった場合に速やかに解消することの第1次的責任は校長、
教頭、教員にあります。さらに、各家庭や地域の一人一人が当事者意識を持ち、いじ
めを解決していく環境を整える責任を負っています。教育再生会議有識者委員一同は、
いじめを生む素地をつくらず、いじめを受け、苦しんでいる子どもを救い、さらに、
いじめによって子どもが命を絶つという痛ましい事件を何としても食い止めるため、
学校のみに任せず、教育委員会の関係者、保護者、地域を含むすべての人々が「社会
総がかり」で早急に取り組む必要があると考え、美しい国づくりのために、緊急に以
下のことを提言します。

(1)学校は、子どもに対し、いじめは反社会的な行為として絶対許されないことで
あり、かつ、いじめを見て見ぬふりをする者も加害者であることを徹底して指導する。
<学校に、いじめを訴えやすい場所や仕組みを設けるなどの工夫を><徹底的に調査
を行い、いじめを絶対に許さない姿勢を学校全体に示す>

(2)学校は、問題を起こす子どもに対して、指導、懲戒の基準を明確にし、毅然と
した対応をとる。<例えば、社会奉仕、個別指導、別教室での教育など、規律を確保
するため校内で全教員が一致した対応をとる>

(3)教員は、いじめられている子どもには、守ってくれる人、その子を必要として
いる人が必ずいるとの指導を徹底する。日ごろから、家庭・地域と連携して、子ども
を見守り、子どもと触れ合い、子どもに声をかけ、どんな小さなサインも見逃さない
ようコミュニケーションを図る。いじめ発生時には、子ども、保護者に、学校がとる
解決策を伝える。いじめの問題解決に全力で取り組む中、子どもや保護者が希望する
場合には、いじめを理由とする転校も制度として認められていることも周知する。

(4)教育委員会は、いじめにかかわったり、いじめを放置・助長した教員に、懲戒
処分を適用する。<東京都、神奈川県にならい、全国の教育委員会で検討し、教員の
責任を明確に>

(5)学校は、いじめがあった場合、事態に応じ、個々の教員のみに委ねるのではな
く、校長、教頭、生徒指導担当教員、養護教諭などでチームを作り、学校として解決
に当たる。生徒間での話し合いも実施する。教員もクラス・マネジメントを見直し、
一人一人の子どもとの人間関係を築き直す。教育委員会も、いじめ解決のサポートチー
ムを結成し、学校を支援する。教育委員会は、学校をサポートするスキルを高める。

(6)学校は、いじめがあった場合、それを隠すことなく、いじめを受けている当事
者のプライバシーや二次被害の防止に配慮しつつ、必ず、学校評議員、学校運営協議
会、保護者に報告し、家庭や地域と一体となって、解決に取り組む。学校と保護者と
の信頼が重要である。また、問題は小さなうち(泣いていたり、寂しそうにしていた
り、けんかをしていたりなど)に芽を摘み、悪化するのを未然に防ぐ。<いじめが発
生するのは悪い学校ではない。いじめを解決するのがいい学校との認識を徹底する。
いじめやクラス・マネジメントへの取り組みを学校評価、教員評価にも盛り込む>

(7)いじめを生まない素地をつくり、いじめの解決を図るには、家庭の責任も重大
である。保護者は、子どもにしっかりと向き合わなければならない。日々の生活の中
で、ほめる、励ます、しかるなど親としての責任を果たす。おじいちゃんやおばあちゃ
ん、地域の人たちも子どもたちに声をかけ、子どもの表情や変化を見逃さず、気付い
た点を学校に知らせるなどサポートを積極的に行う。子供たちには「いじめはいけな
い」「いじめに負けない」というメッセージを伝えよう。

(8)いじめ問題については、一過性の対応で終わらせず、教育再生会議としてもさ
らに真剣に取り組むとともに政府が一丸となって取り組む。
------------------------------------------------

非常に真面目にいじめ問題に向き合った建設的な提言だと私は評価する。
マスコミもこの真意を汲み取って各家庭に直結する役割を担って意義のある報道をし、
率先して、いじめ問題の解決に邁進してほしいと感じた。
ところが、
昨夜のテレビ朝日/報道ステーションを見て、私は呆れ、同時に怒りを覚えた。
メインキャスターの古舘伊知郎の発言では、
「これは現場を知らない連中の作文であって効果は期待出来ない。教育というものは
先生と生徒の間の熱い思いで作られるべきでテキストなどの押しつけは逆効果だ」
というような主旨であった。

キャスターというキャラクターの人気を維持する為に権威に逆らう言葉を吐くことで、
カッコ良さを狙っているのだろうが、熱い思いを醸し出す、なんてことで解決すると
本気で思っているなら大馬鹿者である。教育現場の何を知っているつもりなんだろう。
無責任な立場だからこういう寝言を言っていられるのだ。
こういう言動がいじめ被害者を救済する活動の妨げになることに気づかないのだ。
他の局でも、似たりよったりで、概ね批判的、懐疑的な扱いをしていた。

そんな中で孤軍奮闘とも思えたのは、なんと、みのもんた氏であった。
「出席停止の文面を外したのは残念だが、非常に良い提言だ」と好評価を下していた。
TBSテレビ「みのもんたの朝ズバッ!」での発言だが、自宅待機だって意義があり、
この機会に親子でじっくり話し合うことも大切なんだ。いじめをする生徒は家庭にも
問題があることが多いはず、という核心を突いたコメントがあって、思わず、私も、
そうだ、そうだ、と相槌をうってしまった。

私は、学校の生徒会活動で何か出来ないのだろうかと思ってしまう。
団塊の世代で、2100人というマンモス中学校の生徒会会長をしていた経験からも、
生徒同士の連携で自主的にいじめを防ぐことを取り組むことが可能だと思う。
顧問の先生を置いて、よりきめ細かな状況の把握やケースバイケースの対応が可能に
なると思う。学問だけを教わるのが学校ではないのだ。

高校に入ってすぐに、補導委員というのをやらされた。
最初はお互いのことをわからないだろうから、ということで担任の先生が決めたのだ。
冗談じゃないよ、CIAのようなスパイ活動をやるのかと思ったらそうじゃなくて、
起立、礼、のかけ声をやるので、ああ級長のようなものか、と思っていたら、早朝に
門の脇に立って遅刻者のチェックを交代でやらされた。
顔見知りだと、どんどん大目に見るようないい加減なものだったが、生徒にさせると
いうことはよかったのかも知れない。他には何も問題や事件は起きなかった。
工業高校なんで、卒業すればすぐ就職であり、月謝の安いことで人気のあった公立は、
お金持ちのお坊っちゃん、お嬢さんや、いかれたガキなんかいなかったからだと思う。
今はどうなのかわからないが……。

小学校の4年までは無茶苦茶いじめられたが相手は大概一人であったし、その理由も
よくわかった。
当時は環境に対する僻みで、自分より裕福な子をいじめるのだ。
けっして自分の家が裕福とは思えなかったのだが、イジメっ子の家に遊びに行くと、
それはそれは悲惨な状況がよくわかったものだ。
生きていくのがやっとであり、給食費も払えず、遠足にも行けず、こども預金にも
入れない、そういうのを目の当たりにすると自分の無神経さにも気づくのだった。
いつもいじめてたヤツといつのまにか友達になっていた。むこうも関心があったから
いじめてたのだ。そういう時代のいじめとは現代は本質的に違うのだろう。


2006.11.29 投稿者:インファント 投稿日:2006/11/29(Wed) 15:01 No.3570   <HOME>

昨日、少年刑務所を作って、そこへ悪質な少年犯罪者をぶちこめばいいと書いたが、
既に少年刑務所というものは実在することがわかった。不勉強だった。

しかし、一般には余り知られていないのは、ここで服役する少年の数が少ない。
全国で8ケ所あるのだが、20歳未満は7人しか入っていないそうだ。
せっかくの設備なので、少年以外も入っており、実態は青年刑務所になっている。
何故、少年はほとんどここに入れられないのかというと、少年法55条というものが
存在するからである。
↓↓↓
第55条 裁判所は、事実審理の結果、少年の被告人を保護処分に付するのか相当で
あると認めるときは、決定をもつて、事件を家庭裁判所に移送しなければならない。

これでは、殆どの場合は温情的な配慮で保護処分になってしまうものと推察される。
温情は善良な少年に適用してほしいものだが、鬼畜のようなガキに適用されるから、
少年院出身者の24%が再び犯罪を犯している。
特に、14〜16歳の凶悪少年の再犯率は何と46%。矯正にもなっていない。
(仮に矯正したところで殺された人は生き返るわけではないが)。
少年法とはもともと太平洋戦争で両親を失って孤児になった子供を守るための法律。
あの当時は食糧難・闇市が横行する時代だったからそれなりの必要はあったが、ここ
十数年の凶悪な犯罪とは全然関係ない。
つまり時代にあわなくなっている。どう考えても少年法は時代錯誤。

政府の教育再生会議が29日にまとめる「いじめ問題への緊急提言」が28日明らか
になった。提言は8項目。
いじめをした児童・生徒に対する「出席停止」は、「子どもにストレスがかかる」
(委員)という懸念などから明記は見送る。
ただし出席停止措置を念頭に「指導、懲戒の基準を明確にする」ことで、学校内の規
律確保を目指す。
 問題の児童・生徒は、学校教育法に基づき市町村教委が出席停止にできる。
こうした規定の厳格適用でいじめ被害の子どもを守る姿勢を打ち出す。
いじめに加担したり、いじめを放置した教員に懲戒処分を適用することや、いじめを
見て見ぬふりをする子どもも「加害者」と明記し、徹底指導を促す。

「出席停止処分」は提言の「目玉」と私は感じたが、この文言を削除しちゃっては
「仏作って魂入れず」であり、これでは効果を期待出来ない。
また、文部科学相は「出席停止は乱暴で、慎重に対応してほしい」などと述べていて、
改革には極めて消極的である。
何事も「ことなかれ主義」で乗り切ろうとしているのだ。
政府〜地方の教育委員会〜学校は、とにかく、自殺騒ぎだけは収まってほしいだけで、
いじめ自体の解決なんか本気で誰も取り組もうとしていないようだ。

「名誉毀損罪」、「侮辱罪」、「傷害罪(精神的なものも含める)」、「強要罪」、
「暴行罪」、「暴行傷害の教唆」、「現場助勢罪」、「恐喝罪」、「器物破損罪」、
「強制わいせつ罪」、「強姦罪」、「強姦致傷罪」、「傷害致死罪」などなど……
成人の場合には確実に懲役刑となるべきこれらの行為が学校で行われると、いじめと
いう極めて軽い言葉に置き換えられてしまう。恐ろしいことである。
おまけに学校も教育委員会もこれら犯罪を隠ぺいし犯罪者天国作りに加担してきた。
これは教育の問題ではなく、犯罪防止策として扱うべきことだったのである。

「罪を犯してはならない」これは人間の基礎であり、幼年期から躾けなければだめ。
それが出来ていないガキには学校で他の勉強をすること自体が無意味である。
だから、出席停止で良いのだ。鬼畜ではない人間に育て直してから出席させなきゃ、
国語・算数・理科・社会など教えるのは、その後でいいのだ。
それで何年か進級が遅れても本人が未熟だったのだから仕方がない。自業自得だ。

 首相は教育再生会議総会で「いじめは社会全体で真剣に取り組むべきだ。政府も
真摯に受け止め、提言を具体化するよう努力したい」と語った。
この緊急提言の具体化で少しは「いじめ」が減ることを期待したい。


2006.11.28 投稿者:インファント 投稿日:2006/11/28(Tue) 23:57 No.3568   <HOME>

「大局観」という言葉がある。語源は囲碁や将棋の世界から生まれたのかも知れない。
この言葉は非常に大きい意味を持っていると私は思う。
人生は長いのだ。と思うことで随分と救われることが多い。
子供の頃は「宇宙は広い、どんな出来事も些細なものだ」という感覚を持っていた。
そのように考えないと、とてもこの世で心安らかに生きていられない。

常に先のこと(将来)を考えて行動すればよいのだが、なかなかそうはいかない。
こんなことを腹立ちまぎれに言ってしまっては、以後の気まずさで後悔するかも、と、
いう判断がとっさの時にはなかなか出来ない。
そんなことをしちゃっても許してくれたのは、母や祖父母だった。包容力の違いだ。
親父は理不尽な権力者であって暴力も振るうし正論は通じないのだが、こういうのと
生活することで社会勉強になったはずだ。

心が形成されていく過程では、強要されることへの我慢を学ぶ必要がある。
たとえそれが、押しつけであっても、じっと耐え忍ぶ習慣も身につけることが肝要。
だって、会社員になれば使われている身であって、定時に出勤しなきゃいけないのだ。
自分は、毎日、決まりきったことの繰り返しはいやだ、自由に生きたいという人には、
そういう職業もあると思うが、特殊な仕事は狭き門であって、通常は選べない。
だから一律にみんなと同じ行動を強要される。我慢出来ないのは不幸なことになる。

国旗掲揚で起立を強要する。国歌斉唱を強要する。これらは個人の自由を束縛する。
心の問題なので、国家が介入してはいけない、などと教師の一部がほざいている。
起立して国旗を仰ぎ君が代を歌うと、子供が戦争をしたくなるとでもいうのだろうか。
馬鹿馬鹿しくて話にならない。どこからそんな屁理屈が出て来るのだろう。

国旗掲揚と君が代斉唱を学校行事で必ず行うことを私は推奨するつもりはない。
本来は地方自治体が決めるのではなく職員会議で行事の議事進行案を策定すればいい。
そこで「やる」と決まったら、全員が協力し、徹底しなければならない。
教育の現場で「ご賛同頂ける方はご起立願います」なんて進行が言っているのだから、
いじめでも何でもありなんだと馬鹿少年が思っても不思議ではない。
「いじめ反対に、自分は賛同しないから、いじめても良い」という意見があっても、
教師は自分の行動(国旗国歌否定)との矛盾で何も制止出来ないのではなかろうか。

子供は分っているのだ。国旗国歌否定は単なるこじつけであって、体制に反撥をして
面白がっているに過ぎないことをお見通しなのだ。
先生が体制に反撥することを薦めるなら、オレもやってみようと思うのが当然なのだ。
教育というものはもっと毅然とした一貫性がなければならない。
教育の場なんだから、個人の嗜好などで自由に振る舞うことを許すべきではない。
押しつけだ、というのであれば、義務教育自体が押し付けなんである。
教育を受けない自由、教育を受けさせない自由、というものは日本では存在しない。

世の中は自分の思うようにはならない。なにが不自由でなにが自由なのかを理解し、
折り合いをつけることも人生勉強なんである。
学校へは修行に行くのであって、自由に好きなことをしに行く場所ではない。
押しつけとか強要とかいうけど、教育とはそういうものなのである。
押しつけでも国語は教えなきゃ本も読めないし、強要でも算数が出来なきゃ働く事も
出来やしないんだから、そういう面があって当たり前なんである。
学校は必要なことは押し付けて強要しなきゃダメなのだ。

別の視点から考えると世の中を悪くしたもっとも罪作りな法律が「少年法」である。
少年法は「悪質な少年を守り、善良な少年を虐げている法律」なのだから。
罪を犯した少年を保護するのであって、善良な少年は被害にあっても泣き寝入りだ。
こんな馬鹿げた法律はない。さっさと撤廃すべきだ。
善良な市民を悪から守ることが最優先であることが何故高学歴の有識者に分からない
のか不思議である。人権とはそういうものではない。
これだって子供はお見通しの確信犯なのだ。大人になるまで何やっても罪にならない、
こんな特権を活かさなきゃソンだと思って極悪非道を平気でやってるのだ。

少年刑務所というものを作るべきだ。運営費用は加害者の親から徴集すればいい。
いじめとか少年犯罪なんてものは昔からあるが、少年法の存在がある限り減らないの
ではないかと思う。少年犯罪促進法なのだから。
被害者の本人や肉親は少年法の存在が憎くて仕方ないだろう。
こんなに不公平な基本的人権を踏みにじった法律はないと思う。


2006.11.27 投稿者:インファント 投稿日:2006/11/27(Mon) 18:54 No.3565   <HOME>

いじめ提言、29日取りまとめ=教育再生会議が分科会

 政府の教育再生会議(野依良治座長)は27日午前、教育改革の理念や方向性など
中長期的な課題を検討する「教育再生」分科会の初会合を都内のホテルで開催した。
いじめ問題に関する緊急提言の原案を事務局が提示。29日の全体会合で取りまとめる方針を確認した。

やっと、まともな対策を考えるようになったな、と正常な物の考え方が出来る人間が
政府に居ることで、ほっとした気分だ。

こういう提言には、必ず「反対意見」が付きものである。大論争となるであろう。
しかし、断言する。
反対意見は「それでは他に良い方策があるのか」というと「何もしないこと」である、
という結果になることは明らかなんである。
「政治が悪い」とか「学校が悪い」とか「時代が悪い」とか評論はいくらでも出来る。
だから、みんなで「考えましょう」という結論になるのがオチなのだ。

「考えましょう」という結論ほど無責任なものはない。
考えても何も変らない。行為が伴わないと結果は生まれない。
飲酒運転しないようにしましょう、とキャンペーンを行っても人間の心を持たない
ヤツらはいくらでもやるんだ。いじめだって同じ。
こういう連中は「罰」を与えなければダメだ。

飲酒運転するヤツは、まず第一に運転出来ないように処罰するしかないだろう。
免許を取り上げて、あとは悪事レベルに応じて刑務所に隔離するしかないだろう。
いじめをするヤツは、まず第一にいじめが出来ないように処罰するしかないだろう。
学校に来させないで、あとは悪事レベルに応じて少年院に隔離するしかないだろう。

いじめられている子供は将来の美しい日本を構成する大切な優しさを持った人間だ。
いじめなどを行うガキは、この世に生まれて来たことが間違いなので、生きている
値打がなく、害虫以下の存在だ。大人になっても社会に害毒をまき散らす存在だ。
「いじめている子供も、いじめられている子供も大切な人間」というきれいごとを
言ってても何も改善されっこない。理想論は理想的な人間にしか通用しない。

いじめ問題に関する緊急提言の29日以降の動きに期待したい。
また、どんなアホども(これも害虫の一種)が反対をするのかも見届けたい。


2006.11.26 投稿者:インファント 投稿日:2006/11/27(Mon) 08:54 No.3564   <HOME>

ちょっとだけ風邪気味。
セキや鼻水は出ず、体温も平熱なんだが、頭痛がしてダルイ。
風邪薬を飲んで家に引きこもっている。

もう10年以上前から典型的な風邪の症状になったことがない。
いつも、なんとなく、という程度で終わってしまう。
ちょっと風邪気味なんでと会社を休んでも翌日は殆ど平常なので
ズル休みのように思われていたかも知れない。
それが良いことなのか、ウイルスと戦う体力もなくてナアナアで
共存しちゃってるのかわからない。

そういえば父母、祖父母ともに病気で寝ているのを見た記憶がない。
そうなったのは死ぬ前だったので老衰で寝ていたので病気じゃない。
遺伝的に今度、自分が病床に寝るときは死ぬときかもしれない。
最低でも、あと20年くらいは生きたいと思うなあ。


2006.11.25 投稿者:インファント 投稿日:2006/11/26(Sun) 23:38 No.3563   <HOME>

私の布団一式が酷い状態になっていたので買い替えました。
シーツを洗おうとして敷き布団のカバーを外したら、内側の布がボロボロで、
そこから見える綿も変色していて、まさに末期症状。
家内や娘の布団はなんともないので原因は私の異常なほどの寝汗でしょう。
とにかく汗っかきなんで一年中汗をダラダラかいています。
寝汗は子供のころから凄い体質なので、これは体質が虚弱でよくないものと
思ってましたが、なんとか無事に生きています。

どうせまたすぐにダメになるのならということで新しい布団は娘用にして、
娘のお古の布団を私が使うようにしましたが。それでもホカホカです。
いかに私の布団が煎餅のような状態であったかわかるというもの。快適!


2006.11.24 投稿者:インファント 投稿日:2006/11/24(Fri) 22:56 No.3562   <HOME>

徳島市の眉山の急斜面にある土砂崩れ防止用のコンクリート製壁のくぼみで、
6日間にわたって動けなくなっていた犬を、市西消防署の隊員らが22日、
ロープや安全ネットを使って無事救出した。

久々の心暖まるニュースだった。
人間であろうが犬であろうが「命」というものは尊いものなんだ。

「崖っぷち犬」とか「迷犬ラッキー」なんていうニックネームがつけられてるが、
こういうネーミングする人のセンスは凄いなといつも感心してしまいます。
上の崖でこの犬と姉妹と思われる雌犬も保護されて、ラッキー一号、二号という
呼び方をした局もあったが、我が家の娘は、そうじゃなくて、ネットで助かった
ワンちゃんを「ハッピー」にして、その姉妹犬も同時に里親が見つかるだろうと
いうことで、そちらを「ラッキー」と名付けたら良いというご意見でした。
いずれにしても茶の間を明るくする話題です。

東京都の文化施設「トーキョーワンダーサイト」の事業に石原慎太郎都知事の四男で
画家の延啓氏がかかわり、公費での海外出張もあったことについて同知事は24日の
定例記者会見で、「息子であり立派な芸術家。無給で都として便利に使っており、余
人をもって代え難い」と反論した。
悪事や犯罪ではないが、人間の品位としてどうなのだろう。


2006.11.23 投稿者:インファント 投稿日:2006/11/23(Thu) 19:49 No.3561   <HOME>

いじめ撲滅の特効薬とも思える本を買いました。

 * 出版社  : 朝日新聞社出版局
 * 出版年  : 2006.09
 * 税込価格 : 1,050円
プロローグ「学校は涙であふれている」
第1章 いじめを即刻、停止させるには?
  ・学校で襲われた女子中学生の悲劇 
  ・少年院の教育で鬼畜たちは人間に戻るか?
  ・いじめの実態は「恐るべき犯罪」、学校は全くの「無力」
  ・学校が”いじめ”を見逃したために被害者は「自殺」
  ・「シャモリンチ」など、いじめの手口は巧妙・残酷
  ・”葬式ごっこ”から20年、なぜいじめは続くのか?
第2章 「鬼畜の心」に人間教育は通じない
  ・人間教育では「いじめ問題」を解決できない! 
  ・小中学生に広まる“いじめ”が原因の深刻なうつ病
  ・フリースクールは「不登校」の子どもたちの避難所
  ・「いじめ宿命論」が被害者救済を阻み、いじめを助長する
  ・いじめと対決する教師たちの深刻な力量不足
第3章 いじめは犯罪だ
  ・いじめとはまさに“学校犯罪”なのだという認識をもつこと 
  ・学校から去る被害者、居座る加害者という矛盾
  ・警察力を学校に導入し、断固たる少年司法で裁く
  ・いじめられた生徒を守るため、加害生徒を退学処分に
第4章 こうして「いじめ」は消滅する
  ・アメリカ教育界はなぜドッジボールを禁止するのか? 
  ・「ゼロ・トレランス」(不寛容)方式の衝撃
  ・スクールカウンセラーとスクールポリス
  ・「君を守り隊」の成功
  ・これが切り札! いじめ情報収集部と校内パトロール部隊 
  ・え、小学生でも少年院に入れちゃうの?
  ・被害生徒の視点に立てば、加害生徒の立ち直りは二の次
  ・歴史に埋もれた「人権主義」の正体
  ・やがて「人権=犯罪者の権利」という図式が出来上がった
  ・最終解決は人間教育か、正義のルールか
座談会 「お父さん、この学校にはいじめがないんだよ」

読物としての本の出来自体は余り上質とはいえないかも知れないし、中身ももっと
濃いものを期待したが、熱意だけは十分に感じ取ることが出来た。
もっと小冊子にして学校や教育委員会、警察などに配布したら良いかも知れない。

本書の主旨は全く曖昧な表現がなく、明解である。
『いじめ=犯罪に対しては,ためらうことなく警察力を導入し,断固たる少年司法で
裁く必要がある』というものであり、まったくもって同感だ。

いじめがなくならない根本的原因については、東京都知事や金八先生役の俳優が言う、
「少々のことでへこたれない精神力を養いなさい」という「いじめ」自体を肯定した
発言が代表格である。いじめられるのも勉強のうちだという、いじめ加害者を野放し
にすることを世間に影響を与える立場の人がほざいている限り、いじめは不滅なのだ。
いじめの犯人への断固たる裁きがなければ、いじめはなくならない。

この本の感想をネットで見つけた。
いじめとは、学校問題などではなく、刑事事件なのだという著者の主張には全面的に
賛成。学校には捜査権がない。確信犯のいじめに対して学校の取れる選択肢は多くは
ないのだ。悪質ないじめに対して、躊躇せず警察へ通報せよという著者の主張は、
”人間は分かりあえる”と教えてきた教育学者達、「思いやり」や「命の大切さ」を
教えるべきだと叫ぶ人権派マスコミには受け入れられないだろうけれど、現実と向き
合っているのはどちらなのか。

いじめ自殺者は毎日のように発生し、今日も相変わらずテレビで、人の気持になって、
いじめをなくそう、というスタンスで番組が作られていた。
加害者をどうするのかという、本当のことを誰も言えないのだ。
「加害者」を駆逐していくような報道は全くないのである。
加害者の心の救済など(無駄だろうが)、あとでゆっくり時間をかけてやったらいい。
すぐにやらなければならないのはいじめ犯罪の捜査をし、犯人を捕まえることなのだ。


2006.11.22ー4 投稿者:インファント 投稿日:2006/11/23(Thu) 15:28 No.3560   <HOME>

民主党が独自案を出したということは教育基本法の見直しには賛成ということである。
中身は読めばわかるが、大同小異なのであり、要は「手柄」を自分のものにしたい、
野党共闘で自民党の評判を落としたい、というだけのもののようである。

で……実際は基本法そのものの論議よりも、関連質問の方に力が注がれているようだ。
関連とは、いじめ、未履修、やらせ、の三本柱で与党のイメージダウンを図る戦略だ。
マスコミも一緒になって、政府を攻撃している。
そんなことにパワーを注いでなんの意味があるのだろう。

ちゃんと条文を全てありのままに紹介し、解説することがまず大切なことなのである。
これは政府にゴマをするということじゃなくて、マスコミの使命であろう。
テレビ局の方針や評論家の意見は二次的でなければならない。
国民の意識を意図的に彎曲誘導しているのはマスコミの方だとつくづく感じるのだ。

これらの条文を探すのはちょっと面倒だった。
それじゃいけないのじゃないかと思うのは私だけだろうか?


2006.11.22ー3 投稿者:インファント 投稿日:2006/11/23(Thu) 11:45 No.3559   <HOME>

一方、野党である民主党は、独自の対案を掲げている。
↓↓↓

民主党案(日本国教育基本法案)
(前文)
 心身ともに健やかな人間の育成は、教育の原点である家庭と、学校、地域、社会の、
広義の教育の力によって達成されるものである。
 また、日本国民ひいては人類の未来、我が国及び世界の将来は、教育の成果に依存
する。
 我々が直面する課題は、自由と責任についての正しい認識と、また、人と人、国と
国、宗教と宗教、人類と自然との間に、共に生き、互いに生かされるという共生の精
神を醸成することである。
 我々が目指す教育は、人間の尊厳と平和を重んじ、生命の尊さを知り、真理と正義
を愛し、美しいものを美しいと感ずる心を育み、創造性に富んだ、人格の向上発展を
目指す人間の育成である。
 更に、自立し、自律の精神を持ち、個人や社会に起こる不条理な出来事に対して、
連帯して取り組む豊かな人間性と、公共の精神を大切にする人間の育成である。
 同時に、日本を愛する心を涵養し、祖先を敬い、子孫に想いをいたし、伝統、文化、
芸術を尊び、学術の振興に努め、他国や他文化を理解し、新たな文明の創造を希求す
ることである。
 我々は、教育の使命を以上のように認識し、国政の中心に教育を据え、日本国憲法
の精神と新たな理念に基づく教育に日本の明日を託す決意をもって、ここに日本国教
育基本法を制定する。

第一条(教育の目的)
 教育は、人格の向上発展を目指し、日本国憲法の精神に基づく真の主権者として、
人間の尊厳を重んじ、民主的で文化的な国家、社会及び家庭の形成者たるに必要な資
質を備え、世界の平和と人類の福祉に貢献する心身ともに健やかな人材の育成を期し
て行われなければならない。

第二条(学ぶ権利の保障)
 何人も、生涯にわたって、学問の自由と教育の目的の尊重のもとに、健康で文化的
な生活を営むための学びを十分に奨励され、支援され、及び保障され、その内容を選
択し、及び決定する権利を有する。
第三条(適切かつ最善な教育の機会及び環境の享受等)何人も、その発達段階及びそ
れぞれの状況に応じた、適切かつ最善な教育の機会及び環境を享受する権利を有する。

何人も、人種、性別、言語、宗教、信条、社会的身分、経済的地位又は門地によって、
教育上差別されない。

国及び地方公共団体は、すべての幼児、児童及び生徒の発達段階及びそれぞれの状況
に応じた、適切かつ最善な教育の機会及び環境の確保及び整備のための施策を策定し、
及びこれを実施する責務を有する。

国及び地方公共団体は、経済的理由によって修学困難な者に対して、十分な奨学の方
法を講じなければならない。

第四条(学校教育)
 国及び地方公共団体は、すべての国民及び日本に居住する外国人に対し、意欲をもっ
て学校教育を受けられるよう、適切かつ最善な学校教育の機会及び環境の確保及び整
備に努めなければならない。

学校教育は、我が国の歴史と伝統文化を踏まえつつ、国際社会の変動、科学と技術の
進展その他の社会経済情勢の変化に的確に対応するものでなければならない。

学校教育においては、学校の自主性及び自律性が十分に発揮されなければならない。

法律に定める学校は、その行う教育活動に関し、幼児、児童、生徒及び学生の個人情
報の保護に留意しつつ、必要な情報を本人及び保護者等の関係者に提供し、かつ、多
角的な観点から点検及び評価に努めなければならない。

国及び地方公共団体は、前項の学校が行う情報の提供並びに点検及び評価の円滑な実
施を支援しなければならない。

第五条(教員)
 法律に定める学校は、公の性質を有するものであり、その教員は、全体の奉仕者で
あって、自己の崇高な使命を自覚し、その職責の十全な遂行に努めなければならない。

前項の教員は、その身分が尊重され、その待遇が適正に保障されなければならない。

第一項の教員については、その養成と研修の充実が図られなければならない。

第六条(幼児期の教育)
 幼児期にあるすべての子どもは、その発達段階及びそれぞれの状況に応じて、適切
かつ最善な教育を受ける権利を有する。

国及び地方公共団体は、幼児期の子どもに対する無償教育の漸進的な導入に努めなけ
ればならない。

第七条(普通教育及び義務教育)
 何人も、別に法律で定める期間の普通教育を受ける権利を有する。国民は、その保
護する子どもに、当該普通教育を受けさせる義務を負う。

義務教育は、真の主権者として民主的で文化的な国家、社会及び家庭の形成者を育成
することを目的とし、基礎的な学力の修得及び体力の向上、心身の調和的発達、道徳
心の育成、文化的素養の醸成、国際協調の精神の養成並びに自主自立の精神の体得を
旨として行われるものとする。

国は普通教育の機会を保障し、その最終的な責任を有する。

国は、普通教育に関し、地方公共団体の行う自主的かつ主体的な施策に配慮し、地方
公共団体は、国との適切な役割分担を踏まえつつ、その地域の特性に応じた施策を講
ずるものとする。

国又は地方公共団体の設置する学校における義務教育については授業料は徴収せず、
その他義務教育に関する費用については、保護者の負担は、できる限り軽減されるも
のとする。

第八条(高等教育)
 高等教育は、我が国の学術研究の分野において、その水準の向上及びその多様化を
図るとともに、社会の各分野における創造性に富む担い手を育成することを旨として
行われるものとする。

高等教育を行う学校は、社会に開かれたものとなるよう、職業人としての資質の向上
に資する社会人の受入れの拡大、地域、産業、文化、社会等の活性化に資する人材の
養成を目指す関係者との連携等を積極的に図るものとする。

高等教育については、無償教育の漸進的な導入及び奨学制度の充実等により、能力に
応じ、すべての者に対してこれを利用する機会が与えられるものとする。

第九条
(建学の自由及び私立の学校の振興)
 建学の自由は、別に法律で定めるところにより、教育の目的の尊重のもとに、保障
されるものとする。国及び地方公共団体は、これを最大限尊重し、あわせて、多様な
教育の機会の確保及び整備の観点から、私立の学校への助成及び私立の学校に在籍す
る者への支援に努めなければならない。

第十条(家庭における教育)
 家庭における教育は、教育の原点であり、子どもの基本的な生活習慣、倫理観、自
制心、自尊心等の資質の形成に積極的な役割を果たすことを期待される。保護者は、
子どもの最善の利益のため、その能力及び資力の範囲内で、その養育及び発達につい
ての第一義的な責任を有する。

国及び地方公共団体は、保護者に対して、適切な支援を講じなければならない。

国及び地方公共団体は、健やかな家庭環境を享受できないすべての子どもに対して、
適当な養護、保護及び援助を行わなければならない。

第十一条(地域における教育)
 地域における教育においては、地域住民の自発的取組が尊重され、多くの人々が、
学校及び家庭との連携のもとに、その担い手になることが期待され、そのことを奨励
されるものとする。

第十二条(生涯学習及び社会教育)
 国及び地方公共団体は、国民が生涯を通じて、あらゆる機会に、あらゆる場所にお
いて、多様な学習機会を享受できるよう、社会教育の充実に努めなければならない。

国及び地方公共団体が行う社会教育の充実は、図書館、博物館、公民館等の施設と機
能の整備その他適当な方法によって、図られるものとする。

第十三条(特別な状況に応じた教育)
 障がいを有する子どもは、その尊厳が確保され、共に学ぶ機会の確保に配慮されつ
つ自立や社会参加が促進され、適切な生活を享受するため、特別の養護及び教育を受
ける権利を有する。国及び地方公共団体は、障がい、発達状況、就学状況等、それぞ
れの子どもの状況に応じて、適切かつ最善な支援を講じなければならない。

第十四条(職業教育)
 何人も、学校教育と社会教育を通じて、勤労の尊さを学び、職業に対する素養と能
力を修得するための職業教育を受ける権利を有する。国及び地方公共団体は、職業教
育の振興に努めなければならない。

第十五条(政治教育)
 国政及び地方自治に参画する良識ある真の主権者としての自覚と態度を養うことは、
教育上尊重されなければならない。

法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その
他政治的活動をしてはならない。

第十六条
(生命及び宗教に関する教育)
 生の意義と死の意味を考察し、生命あるすべてのものを尊ぶ態度を養うことは、教
育上尊重されなければならない。

宗教的な伝統や文化に関する基本的知識の修得及び宗教の意義の理解は、教育上重視
されなければならない。

宗教的感性の涵養及び宗教に関する寛容の態度を養うことは、教育上尊重されなけれ
ばならない。

国、地方公共団体及びそれらが設置する学校は、特定の宗教の信仰を奨励し、又はこ
れに反対するための宗教教育その他宗教的活動をしてはならない。

第十七条
(情報文化社会に関する教育)
 すべての児童及び生徒は、インターネット等を利用した仮想情報空間におけるコミュ
ニケーションの可能性、限界及び問題について、的確に理解し、適切な人間関係を構
築する態度と素養を修得するよう奨励されるものとする。

すべての児童及び生徒は、文化的素養を醸成し、他者との対話、交流及び協働を促進
する基礎となる国語力を身につけるための適切かつ最善な教育の機会を得られるよう
奨励されるものとする。

すべての児童及び生徒は、その健やかな成長に有害な情報から保護されるよう配慮さ
れるものとする。

第十八条(教育行政)
 教育行政は、民主的な運営を旨として行われなければならない。

地方公共団体が行う教育行政は、その施策に民意を反映させるものとし、その長が行
わなければならない。

地方公共団体は、教育行政の向上に資するよう、教育行政に関する民主的な組織を整
備するものとする。

地方公共団体が設置する学校は、保護者、地域住民、学校関係者、教育専門家等が参
画する学校理事会を設置し、主体的・自律的運営を行うものとする。

第十九条
(教育の振興に関する計画)
 政府は、国会の承認を得て、教育の振興に関する基本的な計画を定めるとともに、
これを公表しなければならない。

前項の計画には、我が国の国内総生産に対する教育に関する国の財政支出の比率を指
標として、教育に関する国の予算の確保及び充実の目標が盛り込まれるものとする。

政府は、第一項の計画の実施状況に関し、毎年、国会に報告するとともに、これを公
表しなければならない。

地方公共団体は、その議会の承認を得て、その実情に応じ、地域の教育の振興に関す
る具体的な計画を定めるとともに、これを公表しなければならない。

前項の計画には、教育に関する当該地方公共団体の予算の確保及び充実の目標が盛り
込まれるものとする。

地方公共団体の長は、第四項の計画の実施状況に関し、毎年、その議会に報告すると
ともに、これを公表しなければならない。

第二十条(予算の確保)
 政府及び地方公共団体は、前条第一項又は第四項の計画の実施に必要な予算を安定
的に確保しなければならない。

第二十一条(法令の制定)
 この法律に規定する諸条項を実施するため、必要な法令が制定されなければならな
い。

(附則)第一条(施行期日)
 この法律は、公布の日から施行する。ただし、第十八条第二項から第四項までの規
定は、別に法律で定める日から施行する。

(教育基本法の廃止)
第二条 教育基本法は、廃止する。


2006.11.22ー2 投稿者:インファント 投稿日:2006/11/23(Thu) 09:07 No.3557   <HOME>

こちらが、改正法案である。


   教育基本法案

 教育基本法(昭和二十二年法律第二十五号)の全部を改正する。

目次

 前文

 第一章 教育の目的及び理念(第一条―第四条)

 第二章 教育の実施に関する基本(第五条―第十五条)

 第三章 教育行政(第十六条・第十七条)

 第四章 法令の制定(第十八条)

 附則

 我々日本国民は、たゆまぬ努力によって築いてきた民主的で文化的な国家を更に発
展させるとともに、世界の平和と人類の福祉の向上に貢献することを願うものである。

 我々は、この理想を実現するため、個人の尊厳を重んじ、真理と正義を希求し、公
共の精神を尊び、豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成を期するとともに、伝統
を継承し、新しい文化の創造を目指す教育を推進する。

 ここに、我々は、日本国憲法の精神にのっとり、我が国の未来を切り拓く教育の基
本を確立し、その振興を図るため、この法律を制定する。

   第一章 教育の目的及び理念

 (教育の目的)

第一条 教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として
必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。

 (教育の目標)

第二条 教育は、その目的を実現するため、学問の自由を尊重しつつ、次に掲げる目
標を達成するよう行われるものとする。

 一 幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い、豊かな情操と道徳心
を培うとともに、健やかな身体を養うこと。

 二 個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を培い、自主及び自律の精
神を養うとともに、職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養うこと。

 三 正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神
に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。

 四 生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと。

 五 伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、
他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。

 (生涯学習の理念)

第三条 国民一人一人が、自己の人格を磨き、豊かな人生を送ることができるよう、
その生涯にわたって、あらゆる機会に、あらゆる場所において学習することができ、
その成果を適切に生かすことのできる社会の実現が図られなければならない。

 (教育の機会均等)

第四条 すべて国民は、ひとしく、その能力に応じた教育を受ける機会を与えられな
ければならず、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育
上差別されない。

2 国及び地方公共団体は、障害のある者が、その障害の状態に応じ、十分な教育を
受けられるよう、教育上必要な支援を講じなければならない。

3 国及び地方公共団体は、能力があるにもかかわらず、経済的理由によって修学が
困難な者に対して、奨学の措置を講じなければならない。

   第二章 教育の実施に関する基本

 (義務教育)

第五条 国民は、その保護する子に、別に法律で定めるところにより、普通教育を受
けさせる義務を負う。

2 義務教育として行われる普通教育は、各個人の有する能力を伸ばしつつ社会にお
いて自立的に生きる基礎を培い、また、国家及び社会の形成者として必要とされる基
本的な資質を養うことを目的として行われるものとする。

3 国及び地方公共団体は、義務教育の機会を保障し、その水準を確保するため、適
切な役割分担及び相互の協力の下、その実施に責任を負う。

4 国又は地方公共団体の設置する学校における義務教育については、授業料を徴収
しない。

 (学校教育)

第六条 法律に定める学校は、公の性質を有するものであって、国、地方公共団体及
び法律に定める法人のみが、これを設置することができる。

2 前項の学校においては、教育の目標が達成されるよう、教育を受ける者の心身の
発達に応じて、体系的な教育が組織的に行われなければならない。この場合において、
教育を受ける者が、学校生活を営む上で必要な規律を重んずるとともに、自ら進んで
学習に取り組む意欲を高めることを重視して行われなければならない。

 (大学)

第七条 大学は、学術の中心として、高い教養と専門的能力を培うとともに、深く真
理を探究して新たな知見を創造し、これらの成果を広く社会に提供することにより、
社会の発展に寄与するものとする。

2 大学については、自主性、自律性その他の大学における教育及び研究の特性が尊
重されなければならない。

 (私立学校)

第八条 私立学校の有する公の性質及び学校教育において果たす重要な役割にかんが
み、国及び地方公共団体は、その自主性を尊重しつつ、助成その他の適当な方法によっ
て私立学校教育の振興に努めなければならない。

 (教員)

第九条 法律に定める学校の教員は、自己の崇高な使命を深く自覚し、絶えず研究と
修養に励み、その職責の遂行に努めなければならない。

2 前項の教員については、その使命と職責の重要性にかんがみ、その身分は尊重さ
れ、待遇の適正が期せられるとともに、養成と研修の充実が図られなければならない。

 (家庭教育)

第十条 父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有するものであっ
て、生活のために必要な習慣を身に付けさせるとともに、自立心を育成し、心身の調
和のとれた発達を図るよう努めるものとする。

2 国及び地方公共団体は、家庭教育の自主性を尊重しつつ、保護者に対する学習の
機会及び情報の提供その他の家庭教育を支援するために必要な施策を講ずるよう努め
なければならない。

 (幼児期の教育)

第十一条 幼児期の教育は、生涯にわたる人格形成の基礎を培う重要なものであるこ
とにかんがみ、国及び地方公共団体は、幼児の健やかな成長に資する良好な環境の整
備その他適当な方法によって、その振興に努めなければならない。

 (社会教育)

第十二条 個人の要望や社会の要請にこたえ、社会において行われる教育は、国及び
地方公共団体によって奨励されなければならない。

2 国及び地方公共団体は、図書館、博物館、公民館その他の社会教育施設の設置、
学校の施設の利用、学習の機会及び情報の提供その他の適当な方法によって社会教育
の振興に努めなければならない。

 (学校、家庭及び地域住民等の相互の連携協力)

第十三条 学校、家庭及び地域住民その他の関係者は、教育におけるそれぞれの役割
と責任を自覚するとともに、相互の連携及び協力に努めるものとする。

 (政治教育)

第十四条 良識ある公民として必要な政治的教養は、教育上尊重されなければならな
い。

2 法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育
その他政治的活動をしてはならない。

 (宗教教育)

第十五条 宗教に関する寛容の態度、宗教に関する一般的な教養及び宗教の社会生活
における地位は、教育上尊重されなければならない。

2 国及び地方公共団体が設置する学校は、特定の宗教のための宗教教育その他宗教
的活動をしてはならない。

   第三章 教育行政

 (教育行政)

第十六条 教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めると
ころにより行われるべきものであり、教育行政は、国と地方公共団体との適切な役割
分担及び相互の協力の下、公正かつ適正に行われなければならない。

2 国は、全国的な教育の機会均等と教育水準の維持向上を図るため、教育に関する
施策を総合的に策定し、実施しなければならない。

3 地方公共団体は、その地域における教育の振興を図るため、その実情に応じた教
育に関する施策を策定し、実施しなければならない。

4 国及び地方公共団体は、教育が円滑かつ継続的に実施されるよう、必要な財政上
の措置を講じなければならない。

 (教育振興基本計画)

第十七条 政府は、教育の振興に関する施策の総合的かつ計画的な推進を図るため、
教育の振興に関する施策についての基本的な方針及び講ずべき施策その他必要な事項
について、基本的な計画を定め、これを国会に報告するとともに、公表しなければな
らない。

2 地方公共団体は、前項の計画を参酌し、その地域の実情に応じ、当該地方公共団
体における教育の振興のための施策に関する基本的な計画を定めるよう努めなければ
ならない。

   第四章 法令の制定

第十八条 この法律に規定する諸条項を実施するため、必要な法令が制定されなけれ
ばならない。

   附 則

 (施行期日)

1 この法律は、公布の日から施行する。

 (社会教育法等の一部改正)

2 次に掲げる法律の規定中「教育基本法(昭和二十二年法律第二十五号)」を「教
育基本法(平成十八年法律第▼▼▼号)」に改める。

 一 社会教育法(昭和二十四年法律第二百七号)第一条

 二 産業教育振興法(昭和二十六年法律第二百二十八号)第一条

 三 理科教育振興法(昭和二十八年法律第百八十六号)第一条

 四 高等学校の定時制教育及び通信教育振興法(昭和二十八年法律第二百三十八号)第一条

 五 義務教育諸学校における教育の政治的中立の確保に関する臨時措置法(昭和二
十九年法律第百五十七号)第一条

 六 国立大学法人法(平成十五年法律第百十二号)第三十七条第一項

 七 独立行政法人国立高等専門学校機構法(平成十五年法律第百十三号)第十六条

 (放送大学学園法及び構造改革特別区域法の一部改正)

3 次に掲げる法律の規定中「教育基本法(昭和二十二年法律第二十五号)第九条第
二項」を「教育基本法(平成十八年法律第▼▼▼号)第十五条第二項」に改める。

 一 放送大学学園法(平成十四年法律第百五十六号)第十八条

 二 構造改革特別区域法(平成十四年法律第百八十九号)第二十条第十七項


     理 由

 我が国の教育をめぐる諸情勢の変化にかんがみ、時代の要請にこたえる我が国の教
育の基本を確立するため、教育基本法の全部を改正し、教育の目的及び理念並びに教
育の実施に関する基本となる事項を定めるとともに、国及び地方公共団体の責務を明
らかにし、教育振興基本計画の策定について定める等の必要がある。これが、この法
律案を提出する理由である。


2006.11.22ー1 投稿者:インファント 投稿日:2006/11/23(Thu) 08:45 No.3556   <HOME>

教育基本法の改正がマスコミを賑わしているのだが、肝心の基本法条文を殆どの
人は読みもしないで、あ〜だ、こ〜だと言っている。
そんなに長文でもないので、ちゃんと読んで、自分で考えることが必須である。
まずは、現行の基本法の「全て」。


教育基本法

昭和22(1947)年3月31日 法律第25号
昭和22(1947)年3月31日 施行
------------------------------------------------------------------------
 朕は、枢密期間の諮詢を経て、帝国議会の協賛を経た教育基本法を裁可し、ここに
これを公布せしめる。
------------------------------------------------------------------------
教育基本法
 われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界
の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本にお
いて教育の力にまつべきものである。
 われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するととも
に、普遍的にしてしかも個性豊かな文化の創造を目指す教育を普及徹底しなければな
らない。
 ここに、日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基
本を確立するため、この法律を制定する。
------------------------------------------------------------------------
第一条(教育の目的)
 教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義
を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に満ちた心身とも
に健康な国民の育成を期して行わなければならない。

第二条(教育の方針)
 教育の目的は、あらゆる機会に、あらゆる場所において実現されなければならない。
この目的を達成するためには、学問の自由を尊重し、実際生活に即し、自発的精神を
養い、自他の敬愛と協力によつて、文化の創造と発展に貢献するように努めなければ
ならない。

第三条(教育の機会均等)

 すべて国民は、ひとしく、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければ
ならないものであつて、人種、信条、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教
育上差別されない。

 国及び地方公共団体は、能力があるにもかかわらず、経済的理由によつて修学困難
な者に対して、奨学の方法を講じなければならない。

第四条(義務教育)

 国民は、その保護する子女に、九年の普通教育を受けさせる義務を負う。

 国又は地方公共団体の設置する学校における義務教育については、授業料は、これ
を徴収しない。

第五条(男女共学)
 男女は、互に敬重し、協力し合わなければならないものであつて、教育上男女の共
学は、認められなければならない。

第六条(学校教育)

 法律に定める学校は、公の性質をもつものであつて、国又は地方公共団体の外、法
律に定める法人のみが、これを設置することができる。

 法律に定める学校の教員は、全体の奉仕者であつて、自己の使命を自覚し、その職
責の遂行に努めなければならない。このためには、教員の身分は、尊重され、その待
遇の適正が、期せられなければならない。

第七条(社会教育)

 家庭教育及び勤労の場所その他社会において行われる教育は、国及び地方公共団体
によつて奨励されなければならない。

 国及び地方公共団体は、図書館、博物館、公民館等の施設の設置、学校の施設の利
用その他適当な方法によつて教育の目的の実現に努めなければならない。

第八条(政治教育)

 良識ある公民たるに必要な政治的教養は、教育上これを尊重しなければならない。

 法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育そ
の他政治的活動をしてはならない。

第九条(宗教教育)

 宗教に関する寛容の態度及び宗教の社会生活における地位は、教育上これを尊重し
なければならない。

 国及び地方公共団体が設置する学校は、特定の宗教のための宗教教育その他宗教的
活動をしてはならない。

第十条(教育行政)

 教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行われ
るべきものである。

 教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立
を目標として行われなければならない。

第十一条(補則)
 この法律に掲げる諸条項を実施するために必要がある場合には、適当な法令が制定
されなければならない。

附則
 この法律は、公布の日から、これを施行する。


2006.11.21 投稿者:インファント 投稿日:2006/11/23(Thu) 08:24 No.3555   <HOME>

日産自動車は20日、主力車「スカイライン」を5年ぶりに全面改良して発売した。
同社の伝統的な技術の血筋を継承するクルマであることを盛んにPRしているのだが、
私の世代にはそんなウソは通用しない。
「プリンス・スカイライン」の末裔なのだから、元祖は「プリンス自動車」である。
当時の技術面はプリンスが国内では圧倒的だったように記憶している。
単に日産自動車が吸収合併したに過ぎない。
プリンス自動車の優秀な技術陣は、日産自動車のたいした技術もない連中のいじめに
遭って、逃げ出したというウワサがあった。無念であったと思われる。
しかし、当時の素晴らしい性能の言い伝えが、スカイラインという名前で生き残って
きたのだから、技術者としては感慨無量だろうな。


2006.11.20 投稿者:インファント 投稿日:2006/11/22(Wed) 19:00 No.3554   <HOME>

「15人に1人が不正を働いたり、疑惑を持たれている仕事は他にないだろう。
恥ずかしくて自分の仕事を言えない」と、ある県の知事が嘆いたという。

尊敬される職業というものが昔はあったように思う。
「職業に貴賎なし」とは言うものの、国会議員、知事、市長などは私が逆立ちしても
なれない尊いお仕事だと思うし、「先生」と呼ばれる人達も昔は私なんかとはレベル
の違う人格も備えている人達だと思っていた。
公務員の人は民間に比べて薄給であっても世の中のために懸命に尽すというイメージ
で、尊敬の目で見られていたように思う。

ところが、現代では、もう滅茶苦茶である。
全員がそうではないだろうが、とんでもないヤツの存在割合いが大きくなっている。
受験に強いことがまず勝ち組の秘訣であろうし、バレないように犯罪ギリギリの行為
で金儲けするヤツが勝ち。不条理だろうが何だろうが金儲けの達人が成功者。
仮に税金の使途なんかをきちんとトレース出来たとすると、直接、または間接的に
悪賢いヤツがたっぷり盗み取っていて、大部分が騙されているような気がするなあ。


2006.11.19 投稿者:インファント 投稿日:2006/11/20(Mon) 17:17 No.3552   <HOME>

日記ではあるものの、このところ毎日「いじめ問題」ばかり考えている。
身の回りに「いじめ問題」が存在するわけではないのだが、他人事ではなく、
人間とは……という哲学的領分にまで達する重要な課題だと思うからである。

今朝の東京新聞に篠原鋭一さんという曹洞宗のご住職の談話が掲載されていた。
その一部だが、
「世界には生きたいのに生きられない命がたくさんある。『私なんかこの世に
いない方がいい』と思っている人は、こういうふうに納得してほしい。
あなたはただ、いるだけでいい。いるだけで家族はうれしい。そして時間の力
を信じましょう。不幸も幸福も永遠には続かない」
これを読んで、いやあこれは凄い真理だなあと感心してしまった。

なかには居ることが疎ましいと思う家族もいるかも知れない。それは悲劇だが、
誰かが一人でも自分が存在していることをうれしいと思ってくれている人間が
いるのではなかろうか?
もし、最悪の場合、誰からも疎まれていたとしても未来永劫そのままだという
わけではないかも知れない。まあとりあえずは40歳くらいまで生きてみたら
何か見えてくるのではないだろうか。死ぬのはそこからでもいいじゃないかな。

いじめ問題というのは「いじめられる側だけの問題ではない」と思う。
いじめの当事者が判明しても、その生徒を追及しても、否認されるのだろう。
両親も「うちの子がするはずない」と言い張るに違いない。
しかしバレなければ、罰せられなければ、それでよいわけではないだろう。
うまく誤魔化せたとして、それが長期的視点で見て、結果OKではなかろう。
これはより大きな犯罪を起こす芽を育成していることに繋がるのだから。

相変わらず「教育基本法の改正」の反対運動が盛んだ。
盛んだ、と言っても、目立つからといって、それが世論の大多数ではないだろうが、
たった便箋二枚程度の条文にそんな重大な意味が含まれているのだろうか?
曰く、
「個人を尊重し人格の完成を目指すものから、国のために喜んで死ねる国民をつくる
ものに変えようとしている」
「改正案は教育への国家介入を許す改悪法」
「法律で愛国心を押し付けるな」
「愛国心教育については、内心の自由を保障する憲法に抵触する恐れがある」
「いじめや必修科目の未履修など現在の教育問題について、教育基本法のどこに責任
があるのか。拙速な強行採決ではなく、十分に議論すべき」
「採決強行は、いじめが原因とみられる子どもの自殺など直面する課題の事実解明と
深い教育的議論を放棄するもの」
「日の丸・君が代の時と同じように、法案が通れば、愛国心の強制が始まる」
「『採決を急ぐな』という国民多数の声を無視した暴挙」
「教育の独立性を規定した十条を踏みにじり、全国学力テストなど教育現場をむしば
む競争主義を導入しようとしている」
「教育ではなく、子どもの調教と呼ぶべきことだ。子どもの人格を尊重したとは考え
られない」
「教育の目標を基本法に盛り込むことは、憲法的にも法理論的にも間違っている」

そうなのかなあ? 考え過ぎじゃないの? わざとこじつけていないか?
強行採決だなんて表現してるけど野党側が真剣に審議に応じなければ何年かかっても
いっしょでしょうが。106時間も討議したというじゃない。まだ足りないの?
そもそも、「強行採決」させようという野党側の作戦なんだろうと思う。確信犯だ。
一見、与党の横暴のような印象を持たせることで、イメージダウンを画策して、選挙
での攻撃ネタにするという野党陣営のもっとも汚く古臭い戦術だとしか思えない。
国民や教育というものを真剣に考えてはいないどころか、自分にとって何が得なのか
ということだけに腐心している情けない野党に成り下がってしまったようだ。


2006.11.18 投稿者:インファント 投稿日:2006/11/19(Sun) 16:38 No.3550   <HOME>

17日夕方に文部科学大臣から、いじめによる自殺という痛ましい事件が依然として
発生している状況を踏まえ、いじめの問題についての呼びかけが発表された。

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          文部科学大臣からのお願い
「未来のある君たちへ」

 弱いたちばの友だちや同級生をいじめるのは、はずかしいこと。
 仲間といっしょに友だちをいじめるのは、ひきょうなこと。
 君たちもいじめられるたちばになることもあるんだよ。後になって、なぜあんな
はずかしいことをしたのだろう、ばかだったなあと思うより、今、やっているいじ
めをすぐにやめよう。
    *          *         *
 いじめられて苦しんでいる者は、けっして一人ぼっちじゃないんだよ。
 お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃん、きょうだい、学校の先生、
学校や近所の友達、だれにでもいいから、はずかしがらず、一人でくるしまず、
いじめられていることを話すゆうきをもとう。話せば楽になるからね。きっとみん
なが助けてくれる。

 平成十八年十一月十七日
      文部科学大臣 伊吹 文明
----------------------------------------------

どうも世の中全般に、このような通達を真剣に読まず、扱わず、粗略に扱うことが
かっこいい、と思っている風潮がある。
教育に関わる最高責任者という位置付けの方の発言を軽々しく捉えて良いわけがない。
なのに……
当日夜半過ぎの日本テレビのニュースを見ていたら、私は愕然としてしまった。
たったこれだけのわかりやすい内容の文面を更に省略してしまっていたのだ。
それも、「いじめられて苦しんでいる者は、」以降を抜粋して解説していたのだった。

大切なことは私は前半にあると思う。99%は前半に問題の根幹があると思う。
前半の網に洩れて、それでもなお、いじめが起きてしまった時でも、自殺することを
なんとか回避しようという水際の切羽詰まったときの対処が後半なのである。
文部科学大臣が切に願っていて、お願いしたいことは「いじめをやめよう」という
ことなのである。
他のテレビ局は見ていないので比較は出来ないが、日本テレビの報道局という部署は
無見識で、モノの道理もわからない、宣伝マンのような薄っぺらい頭脳集団だろうと
確信した。ここの報道は気を確かにもって注意深く見聞きした方が良さそうである。


2006.11.17 投稿者:インファント 投稿日:2006/11/18(Sat) 17:46 No.3549   <HOME>

16日発売の週刊文春を見たら、<新聞不信>というコラムで、
「いじめできれいごとはもうたくさん」という記事があった。
その記事の後半の抜粋である。↓↓↓

 もうきれいごとをいう段階ではなく、この社会では<いじめはなくならない>と
いう前提の記事が必要ではないか。
 昨今の幼児虐待も実際には社会的不満があり、人間的に未熟な親が子どもにあたり
ちらしているという図だろう。それは小中学校のいじめに通じている。
さらにいじめには、恐喝といっていい犯罪まで含まれている。
 単に学枚だけの問題ではなく、家庭教育のいいかげんさがいじめの遠因になって
いることは、各紙の紙面を読むとよくわかる。
 いじめは犯罪であり、それには親も貫任があるとはっきり断言し、そのうえで
ときには学校に警官が導入されても仕方がないと書くべきだ。
 いじめに負けるな、誰かに相談しろ、などと生ぬるいことをいっているから、
加害者は図にのっているのだ。

まったく同感である。
加害者への圧力なしに犯罪が減るわけがない。何をされても我慢しろという論旨は
ことなかれ主義の際たるものだ。これだけ生徒や校長の生真面目な尊い命を無駄に
し続けてよいわけがない。もっと真剣に実効がある策をとるべきなのだ。
連載記事のタイトルも、
「子どもを守る いじめから」(朝日)
「死なないで いじめ 救いの手どこに」(毎日)
「なくせ いじめ自殺」(読売)
といった受身の表現にしかなっていないのだ。こんなバカな発想はないだろう。

「いじめ」というのは子供がやってるのだから大したことはないので、それくらいで
自殺なんかするなよ、という意識が見え見えである。
ところが実際には「恐喝」という犯罪行為だってあるし、暴力もある。
「いじめ」の語句を実際に行われた行為の語句で置き換えてみればはっきりする。

 子どもを守る、恐喝(暴力)から。
 死なないで、恐喝(暴力)からの救いの手どこに。
 なくせ、恐喝(暴力)による自殺。
なんてキャンペーンになってしまうではないか。
こんな連載記事はありえないだろう。寝言言ってないで検挙するしかないじゃないか。
「子供を守る、飲酒運転による轢き逃げから」なんてことが実現可能なのかい。
被害者に救いの手を差し伸べるのは二の次だろうが。
加害者(犯罪者)を野放しにし、加害者の人権を優先するなんて本末転倒である。
性悪なヤツを懲らしめなきゃ社会が成り立っていかない。

娘が小学生の時に、戦争体験の本の感想文を親と子が書くという宿題があった。
その後、それが文集になって配布されたが、私の感想文は非掲載だった。
殆どが、戦争の悲惨さがよくわかった。二度と戦争はごめんだ。戦争からわが子を
守りたい。戦争へ誘導するような教育はなされるべきではない……などなど……
至って類型的で、どこかで見たような作文ばかりで、教師の主義に沿ったものだけが
掲載されていた。

私は、クラスの仲間をのけものにしたり、いじめたりするところから解決しない限り、
戦争というものはなくならない。他人が平和にしてくれるわけじゃなく、自分達が
まず仲良く出来ればそれが次第に大きな友情の輪になって世界平和が実現するのだ。
だから、他人事じゃない。兄弟や父母とも意思の疏通が出来ないようでは、とても、
他国の人と平和を共存出来るわけがない、とか、書いたのだが、おそらくセンセイは、
それと戦争とは別でしょ、と思ったに違いない。
予想外の感想だったのだろう。自分が考えていないことは評価出来ないのである。
こんなところでタブーな「いじめ」の言葉を持ち出してほしくなかったかもしれない。

金八先生役でお馴染みの武田鉄也はこんな風に言っている。
「いじめる奴を説教しても変わらない。問題はいじめられる奴で、大事なのはいじめ
られる奴を鍛えること」
石原都知事と要旨は同じで、これは強者の論理だ。世の中は弱肉強食であり弱い者が
虐待されるのは自然の摂理なんだから、強くなって戦え、ということである。
弱い者は次々に駆逐されるのだという論理。これでは絶対に世界平和は実現しない。
「いじめは昔からあるし、今後も絶対になくならない。問題は自殺することなので、
それをどうしたら防げるかという、極めて狭い問題なのである。」
これが大勢の意見であって、マスコミも殆どが同一色で染まっている。

しかし、これで良いのだろうか?天下の大悪党石川五右衛門の辞世の句とされる、
「石川や浜の真砂は尽きるとも 世に盗人の種は尽きまじ」を、その通りだと認めて、
「世にいじめの種は尽きまじ」なので、これにはお手上げで良いとする世相である。
警察は犯人を捕まえることは二次的で、本来は「犯罪の予防」である筈であるし、
交通取締も違反車の検挙が目的なのではなく、交通違反を少なくすることなのだ。
酔っぱらい運転なんて永遠になくならない。こういう意識では事故は減らない。

加害者連中に対してのアクションというのは、言うは易しで実際には難しい面もある。
だからこそ、そこに人類の叡智を結集して、どうすれば理想に近付けるかを模索する
べきなのだ。
おおげさに言えば、これが出来ないようでは、人類に明るい未来はない。
逆に、これが出来るようになれば、世の中の全ての犯罪行為が消え失せるような未来
が拓けるのかもしれない。
いじめの解決は(自殺の防止じゃないぞ)人類の最大のテーマかも知れない。


2006.11.16 投稿者:インファント 投稿日:2006/11/17(Fri) 17:02 No.3547   <HOME>


ヒマなので本屋でこんな文庫本を買って読んだ。
あまりにも無教養極まりない人間なので常識というものを摂取しようと試みたと
いうことだから、別に宗教に興味があったわけではありません。
しかし、以前、なんかの雑誌コラムで読んだ内容ですが、外国人と付き合うとき、
自分は仏教を信じているという方が、何も信じない人間だというよりもマシという
事実に驚きました。日本人の多くは私と同じようにあまり信仰心はないのではと
思うからです。

もちろん、こんな本は初心者向けなのであって、本格的に学ぼうとか信じようと
思っているわけではないのですが、例えば「シバの女王」なんて曲は、歴史的な
背景がわからないと、なかにし礼さんの素晴らしい詩の意味もその本質が分からず、
非常に勿体ないことになります。
映画にしてもそうだし、クラシック音楽などはある程度の背景認識がないと感動も
薄くなります。とにかく、作った人の心を理解することが大切だと思いました。

その感想をここに書くつもりはないのですが、ある箇所が非常に印象に残ります。
それは「新約聖書」の方、つまりキリスト教の聖典の記述なんですが……
キリスト様が自筆で書いているわけではなく、言い伝えではあるんですが……
よく知られているのは、実践的な規範として、
「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」であり、
考え方は、
「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。
門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は
見つけ、門をたたく者には開かれる。あなたがたのだれが、パンを欲しがる自分の
子供に、石を与えるだろうか。肴を欲しがるのに、蛇を与えるだろうか。このように、
あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知って
いる。まして、あなたがたの天の父は、求める者に良いものを下さるに違いない」。

ここで、あっと気づいた。
子供を栄養失調にさせて殺してしまう事件があったが、あの親はキリスト様でさえ
想定出来なかった人間外の何か禍々しい魔物じゃなかろうか、ということ。
だって、悪人でさえ自分の子供は大切にするに決まっているということを前提に、
教義が成り立っているのだから、キリスト教ではもう救えないのではなかろうか。
もう善悪を超えた人間外の魔物であり、「人でなし」の規格外の化物に弁護士を
付けて裁判をすること自体が無意味のように思える。

子殺しに至らないまでも、虐待をするヤツは人間ではない。法律なんてものの適用を
するまでもない。性善説に基づく人権擁護に当てはまる対象ではないのだ。
「実母による子殺し」は、例え死者が一人であっても無条件で死刑で良いと思う。
この女どもは人間とはいえないのだから、情状酌量など無用。抹殺しか選択肢はない。
刑務所で生かしておくこと自体が税金の無駄遣いだと思う。


2006.11.15 投稿者:インファント 投稿日:2006/11/16(Thu) 11:34 No.3546   <HOME>

教育基本法改正案は15日夕、衆院教育基本法特別委員会で、自民、公明の与党の
賛成多数で可決された。
新聞の記事(東京新聞)では、<子ども不在「目は上に」><現場監視さらに……
不安の声><国の権限強化狙う>などと害して「批判調」である。社説も然り。

しかし、何かがおかしい。
民主、共産、社民、国民新の野党4党は、改正自体を反対しているだけであるから、
106時間という審議中も、現在の教育現場の問題は政府が悪いという主旨での、
「批判」を繰り返していただけで、教育基本法改正案の条文について、一言一句を
吟味するという協力的な努力をしていない。
多数決論理が民主主義なのだから、改善点を指摘することで野党の意見を提出する
こと以外では彼等の存在自体が意味をなさない。少数意見でも尊重することが民主
主義なのだが、その意見を出さないで、改正審議自体に反対では議会が成立しない。

野党の反対主旨は、
1.スケジュールを決めて進めるような課題ではない。一ヶ月では短い。
  ↓↓↓
スケジュールを立てることは悪いことではなく、むしろ当たり前である。日程案を
作らないようでは無責任極まりない。一ヶ月を無為に過ごしたのは野党側である。

2.今は教育基本法の改正などを悠長にやっている時ではない。
  ↓↓↓
ならば、さっさと(各論的実践法である)教育指導要領の改正案を提出したら良い。
そのためにも、悠長に教育基本法改正反対などしているヒマはないのだ。
人間が作る法なのだから完全無欠とはいかないだろうが、そこを補うような建設的な
意見を言うべきではなかったか。
いじめや未修課目の問題を解決出来るような法案があるのなら出してみれば良い。

3.国の権限強化をしてはならない。
  ↓↓↓
具体的にどこが問題なのか野党の指摘している箇所がもっと主観的で分かりにくい。
軍国主義へ復活反対とか、国民の自由を奪うとか、そんなことが何処をどう読めば
書いてあるのかを具体的に示さなければならない筈だ。
国から地方自治体や学校への権限委譲を進めて来た結果が、今の状況なのであり、
民主党議員から「いじめという文字が教育指導要領に書かれていない。書かないと
指導出来ないのではないか」という意見も出ているように、野党自体も指導強化を
しなきゃダメともいっている。矛盾と混乱は野党において特に激しい。

結局、なにも反対する根拠がないのではないか?

戦前の「教育勅語」から「教育基本法」への改正時に「個人の権利」という概念を
強く打ち出したために、「自由」という言葉が一人歩きして、なにをやっても良い
ような風潮が蔓延したのが現状であり、改正案は、そうじゃなくて公共性と義務を
強化したように感じる。無責任な自由ではなく、責任ある義務の上に成立する権利
と自由を確立している。素晴らしいとも言えないだろうが、改良・改善であるのは
認められると思う。恐らく誰が作っても同じようなものにしかなりえない。

この教育基本法改正の問題に関しては野党は単純に党利党略のムード的な国民反撥
意識を煽ることだけを目差していた。まず自分の党の存在、しいては議員としての
己の存在を最優先し、国民をないがしろにしたり、誤った誘導をしていた責任は
大きい。これは新聞やマスコミも同罪だ。肝心な論点がさっぱり出てこないばかりか、
ダメ出しばかりで政権批判ばかりやっている。具体的な改善案など見たこともない。
大学まで出た知識と素養は一体どこに消えたのか、税金を使って何を学んだのだろう?


2006.11.14 投稿者:インファント 投稿日:2006/11/14(Tue) 17:42 No.3545   <HOME>

野党が教育基本法改正に反対していて、それは、やらせ問題の決着がついていない
とか、いじめ対策や未履修課目などの対応さえ出来ていない段階ではそんな審議に
応じられないとか、かなりもめそうである。
何をどう変えようとしてるのか、改正案にどんな問題があるのか勉強してみた。
とりあえず、新旧の比較。↓↓↓
http://seijotcp.hp.infoseek.co.jp/edu0604.html

こういう法案の解釈は専門家じゃないからはっきりしたことは言えないのだけれども、
改正案でいいんじゃないの? どこに問題があるの? という素朴な疑問が浮かんだ。
けっこう改善されているように思うんだけどなあ。
たとえば、こんなのも追加されている。

(家庭教育)第十条
(1)父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有するものであって、
生活のために必要な習慣を身に付けさせるとともに、自立心を育成し、心身の調和の
とれた発達を図るよう努めるものとすること。
(2)国および地方公共団体は、家庭教育の自主性を尊重しつつ、保護者に対する学
習の機会および情報の提供その他家庭教育を支援するために必要な施策を講ずるよう
努めなければならないこと。

私は個人的にだけど、
 > 父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有するものであって、
 > 生活のために必要な習慣を身に付けさせるとともに、
ここなんか、とても良いと思うのです。
保護者は子供の教育については真っ先に責任があるんだよと宣告しているわけなので、
授業をおとなしく集中して受けることが出来るとか、学校へ行く前に子供に躾をする
義務があることを鮮明にしたし、ましてや、給食費を払わないとか、国旗・国家を
無視するとか、いじめをするとか基本的な学校生活の心構えが出来ていないのは保護
者の責任が重大で他に責任転嫁することではないと明言していることを評価したい。

おしなべて当たり前の行動的規範を定めているのであり、反対することの為に野党が
存在するみたいな、いちゃもんつけ、揚げ足取りのような時間の無駄は慎むべきだ。
これは「基本法」なので、ここをどうこうしても、現在起きている現場レベルの危機
を救済することは出来ないのだ。さっさと可決して、具体的な細則の整備に入ったら
良いのではないか。こんな段階で審議拒否や引き延ばしをするのは国民を裏切る行為
としか思えない。毎日のように子供がいじめられ、自殺が起きているのだ。

すぐやらなくてはならないこと……
担任の先生には、早く「ギブ・アップ」して、上司に報告し、職員室全体での問題と
して取り上げてもらうようにスピードアップしてほしい。
それで成績の査定が下がってもしょうがないではないか。
そして、「ギブ・アップ」せずに、秘匿していた先生には強烈なペナルティを課して、
より以上の査定ダウンをする評価基準にするべきだ。

「三人寄れば文殊の知恵」というではないか。教頭やカウンセラーの助力を求める。
授業を妨害したり、いじめを繰り返したりする、どうしょうもないガキは、特別の
問題児学級を設けて、すぐにそこに押し込む。給食費不払い児童もそこに入れる。
ここではまともな授業は不可能だろうが、その子の学力が落ちるのは自業自得だ。
それが不満な保護者はカウンセラーと三者面談し、復帰させる場合は保護者が授業を
10日間程度参観することにするとか、再発防止を徹底する。

殆どのケースでは問題が発覚すると「仲良くしなさい」とか「ケンカはやめよう」
などと、子供当事者の関係に起因することだと決めつけている。
そうすることで責任が教師に及ばないように逃げている。
しかし、いじめは加害者と被害者がはっきりしていて、善悪も明解なのだ。
被害者には責任がない一方的犯罪行為なのに、判定者になることから逃げているのだ。
まあ、いじめをするようなガキの親はろくな人間じゃないので、そっちの方が恐くて
被害者側の保護者にだけ良く観察してあげてください、といって現実逃避する。

悪人を悪人といってはいけない、異常者を異常者といえない、おかしな風潮がある。
しかし、お前のやったことは悪いことだとちゃんと分からせないと加害者でいる内は
バレなきゃいいや、弱虫より強い子なんだからいいや、いじめ側なんだからいいや、
と安心していると、とんでもない事件となって、今度は家族ぐるみ全員が世間からの
いじめにあうという羽目になる可能性が大きいのだ。
なにしろ、相手が自殺してしまうという仕返しの核爆発で立場が逆転してしまうのだ。
そういうことをマスコミも「大きな声で」教えてあげなければならない。

4人組のいじめガキは登校出来ず、カウンセラーが家庭訪問しているというし、恐喝
して1500円を奪ったガキは、泣きじゃくってしまって、捜査が進まないといった
加害者側の惨状をもっとトップニュースで伝えるべきだ。
いくら名前を伏せたって、その学校の内部や区域住民には全部バレているはずである。
ほ〜ら、こんなことになってしまうんだよ、と、いじめ進行形のガキと親に対しては
徹底的な脅しのプレッシャーを与えて、毎日ビクビク暮らすように仕向けなきゃダメ。
「自殺した子は天国へ行くが、自殺させたガキは現世で地獄をみる」これで行こう。


2006.11.13 投稿者:インファント 投稿日:2006/11/14(Tue) 06:53 No.3542   <HOME>

> 中学生の自殺相次ぐ=大阪1年女子、埼玉3年男子−いじめか、学校側対処遅れる?

> 同級生から「ちび」と言われ悩んでいたり金銭の要求があったりするなど、いずれ
> もいじめを苦にしていたとみられる。
> 学校側は「いじめの前兆段階として担任が指導していた」(大阪)、
> 「相談を受けており相手の生徒に早く指導すればよかった」(埼玉)としており、
> 対処が遅れた可能性もある。

いじめ〜自殺問題が連日テレビや新聞で報道されているが適切な対応が全く採られず、
沈静化の目処も立っていない。嘆かわしい現状だし、危機感も政府にはないようだ。
ネットの投稿を見ていたら珍しく核心をついた意見があった。

> いじめを無くしたいなら、
> <いじめをする連中を処罰する制度の確立>(親や教師も含め)
> この一言に尽きます!

私も同感だ。
これしかないのに、やらないことが国や地方自治体の怠慢であり、何もしないこと
自体がむしろ犯罪行為だと思われる。
自殺者の親は都道府県と同時に、法律の不整備が招いた惨劇として国を訴える行動を
起こすべきだと思う。被害者の会を作り、集団訴訟を起こせば良い。

自殺が発生する事が問題なのではなく、いじめが起きていることが問題の本質なのに、
「自殺なんかしないで、頑張って生きなきゃダメだ」という論調に収束されている。
問題をいじめられる側の「弱さ」「脆さ」にあるとしているのは新聞もテレビも同じ。
国家の運営を任された人間も、有識者達もまるで脳味噌が腐っているとしか思えない
思考の膠着化が起きていて、弱者救済への手立てを考えようともしていない。

物事にはスピードとタイミングが必要である。
<NHK受信料不払いを処罰する制度の確立>
<学校での給食費不払いを処罰する制度の確立>
なぜ、こんなこともさっさとやらないのであろうか。
国会議員は何をしているのだろう。

先日、「いじめをすることも個人の自由だ」という子供の発言があって驚いた。
これは日頃の教師の威信失墜が招いた悪影響のひとつだと思われる。
日本国の国旗と国歌を否定し、国旗掲揚や国歌斉唱を拒絶して、日本国憲法の遵守を
拒否することを身をもって生徒の前で示し、それが個人の自由だ、と高らかに宣言。
みんなもこれを見習えというのだから、なにをしてもいいんだと思うのが当然だ。

思考、信教、言論の自由は保証されていても、他人への強要は憲法違反だ。
そもそも憲法違反する自由と言うものは存在しない。
憲法で守られていることをみだりに行使しておいて、憲法を無視することは矛盾し、
そういう整合性のないデタラメなことを率先している教師たちの言うことなど何の
規範にもならないから、教育自体が崩壊してしまっているのだ。


2006.11.12 投稿者:インファント 投稿日:2006/11/13(Mon) 08:34 No.3541   <HOME>

私はケータイを持っていないので、私に用がある人は従来の固定電話にかけてくる。
だから、鳴ったら出なきゃ、どんな用件だかわからないので、出ざるを得ない。
ところが、日頃おつき合いの少ない私に用事がある人というのはこれまた極小なので、
かかってくる電話の殆どが何らかの勧誘電話である。

「リフォームしませんか」というのが一番多いようだ。「お墓の斡旋」も多い。
マンションを買いませんか(売りませんかも)、サプリメントの紹介もありますな。
けっこうしつっこいのが「先物取引」や「金融商品」。けっこう食い下がる。
いかにもインチキという匂いがプンプンなのがいたので「興味がないからごめん」と
電話を切ったら、「興味がないなんて言い方は失礼じゃないですか」と言い出した。
「人の話も全部聞かないで、興味がないというのは人間の会話になっていない」と、
「あんたはこの電話をかけて給料貰うのだろうが、こっちは自分の休養時間なんだ。
それを邪魔する権利はあなたにはない。興味のないことに時間を費やす義務も無い」。

そんなことを言っては切り、またかかってくる、それを繰り返していたが、
「見込みのない無駄な時間を使ってたら、あんたは低能率者の社員だと評価されるよ。
ノルマってのがあるんじゃないの。早く他の所へ電話して騙さなきゃクビになるよ。
そもそも、こんな仕事はクビにされて辞めた方がいいかもな。正業に就きなさい」
これでブチ切れたのか、以後、電話が鳴りっぱなし。
しょうがないので、放っておいて、買物に出掛けた。以後、かかってこない。

「人に迷惑をかけない」これが人としての最低限のマナー。
これが出来ないヤツは人間とは認められない。
こういう人間の格好をした非人間どもの数が増大しているのが現代。
先日、給食費を払わない親が激増しているニュース報道を見た。
堂々とインタビューに応じていることにも驚いた。
「義務教育なんだから給食費も無料でなきゃおかしいから私は払わない」
なんて、とんでもない無知なことを平気で言っている。

第四条(義務教育)

 国民は、その保護する子女に、九年の普通教育を受けさせる義務を負う。

 国又は地方公共団体の設置する学校における義務教育については、授業料は、これを徴収しない。

現行の教育基本法は私が生まれた年に公布され施行されているのであるが改正法案に
おいても上記部分の根幹は不変である。
すなわち、義務というのは親にあるのであり、国又は地方公共団体の設置する学校は
授業料を負担しなくても良いということなのであって、子供が食べる食事は保護者が
負担するのは当然なのである。なにをデタラメなことをほざいているのだろう。

NHK受信料の不払いといい、自分勝手な屁理屈をつけて、他人に費用を肩代わり
させようとする卑劣な人間が増大していて、盗人猛々しい有様だ。
ちゃんとした人間を前提にした法律はこのような輩には効力がない時代になった。
すべての条項に「罰則規定」を設けなければならない時代なのであるから、改正し、
こいつらを片っ端から検挙してブタ箱に放り込む必要があると思われる。


2006.11.11 投稿者:インファント 投稿日:2006/11/13(Mon) 07:38 No.3540   <HOME>

二〜三日前の新聞に<消費者金融>大手4社 グレーゾーン廃止で通期決算も赤字と
いう記事が載っていた。

> 消費者金融大手4社の06年9月中間連結決算が8日、出そろった。グレーゾーン金利
> で過去に徴収した利子への返還請求に備え引当金を大幅に積み増した結果、最終(当期
> )損益は4社とも大幅な赤字に転落した。通期の連結最終損益もそろって大幅赤字の見
> 通しで、上場来初の赤字決算となりそうだ。高金利での貸し出しを背景に高い収益を上
> げてきた大手4社は、経営戦略の見直しやリストラなどに動き始めた。

そもそも、消費者金融一社で、何百億円とか利益が出るなんて尋常ではない時代だと
思っていた。サラ金の多重債務の返済に困ってという強盗犯罪が多いのは当然だろう。
昔はサラ金のCMには規制があり、深夜だけとか歯止めがあった筈だ。
CMの内容にも問題がある。便利だよ〜。オシャレだよ〜みたいな感覚でお気軽に、
お財布代わりにど〜ぞ、とばかり、借金することなんか何でもない風潮を作り出して
とにかく欲しいものをすぐ手に入れるのが現代人だという錯覚を植え付けていた。

最近はかなり大人しくなってはいるし、米粒みたいな小さな文字だった年金利なども、
見える大きさになったし、計画的に利用して、とか表示もするようになった。
しかし、そもそもお金のことを計画的に考える人が利用する商品ではないでしょう??
とにかく巧妙だし面白いCMが多いので、これは規制しないと問題だろうと思ってた。
業績不振ともなれば自動的にCMも減少するので結果的に良かったのではなかろうか。


2006.11.10 投稿者:インファント 投稿日:2006/11/11(Sat) 18:03 No.3538   <HOME>

先日の日記でも書いたことだが「いじめ」がいよいよ社会問題化している。

文部科学省に「いじめが原因で11日に自殺する」という差出人不明の予告手紙が届い
た問題で、石原知事は、いじめを苦にした自殺が相次いでいることについて「甘った
れている」などと指摘。問題解決のために「もうちょっと親がしっかりしたらいい」
との持論を述べた。
「親はなんで(いじめ問題に)関与してこないのかね。まず親が関与すべきじゃない
か。私なんか、子供にけんかの仕方を教えましたよ。そしたら効果があって、たちま
ち相手を倒して番長になっちゃった。そういうことを親が教えればいい」

この論旨には「ちょっとなあ……」と、私は賛同しかねる。
これは強者の論理だ。石原知事のような強い人には弱者が理解出来ないのであろう。

いじめがあった時「いじめる方が悪い」と考える子どもが中学、高校で半数にも満た
ないことが、民間団体の調査で分かった。

こういう記事もあった。

一連の報道で学校へのパッシングが目立つのだが、いじめる連中へのパッシングは
どこへ行ってしまったのだろう。それが最も重要で解決へのたった一つの道なのに。

そもそも、いじめをするヤツが100%悪いに決まっている。
いじめられる方にはなにも落ち度はない。これはいかなる場合に於いてでもそうだ。
いじめなどするヤツは基本的に人間じゃない悪いケモノだ。抹殺されるべき存在だ。
これをもっともっと信念を持って報道すべきである。

自殺した生徒のいじめ側の4人は登校出来ずに家に引きこもっているらしいのだが、
もっと、ここを、この状況を強調して欲しい。
悪い事をすれば悪い酬いがあるのだ、ということをしっかりPRするべきなのだ。
被害者ばかりクローズアップしてどうなるというのだ。
メディアは悪人の味方なのか。善人には人格はなく、加害者の人権だけ養護すると
いう、とんでもない誤った報道姿勢が根本的な問題の解決を妨げているのである。

誰にも迷惑をかけずにひっそりと暮らしている善良な市民に危害が及ぶ恐れがあると
いう状況下でも、群馬県警は身内の極悪人巡査長の指名手配において当初は顔写真の
公開もせず、身長も10センチの幅を持たせるなど、わざと本人が特定出来ないよう
配慮した卑劣な情報公開を行った。これは県民の安全をないがしろにした犯罪報道だ。
悪人を悪人として処理出来ない身内第一主義の実に嘆かわしい状況になっている。

酔っぱらい運転での人身事故でも、被害者のその後はフォローするくせに加害者が
どのような量刑になって、本人や家族がどんな目にあってしまったのかが報道されず、
悲惨なのは加害者になることなのだぞ、という再発防止の目的を達していない。
10万円以下の罰金となる、というような報道では、じゃあ、100円かも知れない
などと誤った認識を持つ恐れがある。
こういう加害者側に回る連中は、そもそもノータリンなわけなので、わかりやすく
罰則の実例を紹介して見せなければ理解出来ないはずなのである。

「いじめ」というとゲーム感覚のイメージで軽い響きであるが、やっていることは
犯罪であり、刑事事件なので、加害者は犯罪者にほかならない。
「少年法」の壁に守られているのは善良な人間ではなく、悪辣非道な犯罪者達なのだ。
これでは少年なら何をしても罪に問われず、犯罪を推奨する悪法になっている。
更正可能である少年という概念は統計的に有為なのかを検証するんが科学というもの。
百歩譲って、少年である時期に再犯を繰り返す人間は確実に更正不可能が実正されて
いるのだから、2回目以後は少年法は不適用とするのが妥当であろう。

学校は治外法権のようなものではなく、公道のような場所であり、先生たちだけが
管理することは不可能なので、犯罪行為があったならば直ちに警察が関与するべきで
さっさと悪ガキは教室からしょっぴって取り調べを行うことが妥当である。
現代の学級は殆ど崩壊していると聞いているし、実際に参観日に行ってみても明らか
に勉強する態度が見受けられない欠陥人間が大きな面をして授業を妨げている。
この悪ガキは明確に先生の「公務執行妨害」という重罪を犯しているのである。
こういうバカ人間とその親には厳罰をもって非を認めさせる必要がある。

このような通常の人間としての倫理を外れる欠陥者は、まとめて処分しないと善良な
ふつうの人間の学ぶ権利や生きる権利を保証出来ない。
全寮制の更正学級を都道府県に一つは設けて、徹底的に人間形成の指導を行えば良い。
そこにおいても改善が見られないならば、更に極悪人用の施設へ島流しにして体罰を
含む強硬な手段で矯正し、18歳を超えてそこを卒業出来ない者は刑務所へ編入させ、
一般の社会から隔離しなければ犯罪の抑止が出来ないであろう。
ここを卒業した者はそれを履歴書に書く必要があるのだから、実質的に前科者と同じ。
いじめを行って人を差別して苦しめた酬いとして差別されることは至って当然である。

「三つ子の魂、百までも」というではないか。犯罪者の更正など無意味である。
飲酒運転を行った者は永久に運転免許を剥奪すべきである。
そういう資質の人間なのである事実を時間の経過で曖昧にする必要は絶対にない。
とにかく事実の吟味は慎重にするべきであるが、間違いない犯罪人と断定出来るなら、
厳罰を与えて、善良な市民とは異なる危険な生き物として区別し、徹底的な監視下に
置いて、再犯を防ぎ、それでも罪を重ねるようなヤツは基本的人権を剥奪して終身刑
として獄中で生涯を終えさせるようにすべきである。

とにかく犯罪者を甘やかしているのが、諸悪の根元である。法律改正が望まれる。


2006.11.9(2) 投稿者:インファント 投稿日:2006/11/10(Fri) 12:14 No.3536   <HOME>

ウィーン・フィル管楽器群の危機を救ったのは、日本の楽器メーカー、ヤマハである。
1973年、自分自身の楽器の老朽化に直面し、トランペット奏者としての役割に危
機感を抱いたワルター・ジンガーが、ヤマハに相談を持ちかけた。
ジンガー愛用のウィーン・タイプ・ロータリー式トランペット製造の伝統は絶え、新
型の開発はおろか、旧タイプの複製を造ってくれる工房も見当たらない−というのが
当時の実状であった。
 切羽詰まったジンガーの求めに同調して、依頼に相乗りした同僚もいたが、反撥も
また激しかった。
「東洋人に何が判るか」という本能的な嫌悪感、「ドイツあたりのメーカーに頼むな
らまだしも、日本の、それもピアノ・メーカーに開発を依頼するとは何事か」という
発言も、オーケストラ内部に渦巻いた。
しかも、新製品の開発に消極的だった地元メーカーまでが、「ジンガーは、われわれ
の店を潰す気か!」と騒ぎ出した。勝手なものである。
 そんな逆風の中で、ヤマハとウィーン・フィル内部の何人かは、共同で”音造り”
をはじめた。
 楽器製作とは、実に微妙なものである。開発は素材からスタートしなければならな
いのだが、ウィーンで昔は容易に手に入った素材が、そのときには影もカタチもなく
なっていた。そうしたなかでの、当時の感動的なエピソードとして、往年の名トラン
ペット奏者へルムート・ヴォービツシユが、「私は引退しているから」と言って、
伝説的銘器である愛器(ヘッケル)の一部を金挟みで切り取り、「材料研究の一助に」
と差し出したという無償の行為などが伝えられている。

これは当時、オーディオに凝っていた私にヤマハの横浜店の人がくれたパンフレット
に詳しく載っていたのでよく覚えている。
単純に楽器を壊してまで切片をくれたということではなかったのである。
当時も今もそうであろうが、日本の工業製品の精密さは絶対に世界最高なんである。
物作りの真剣さは他国を圧倒するものなのである。
真剣そのものにトランペットの試作品を作ってはウィーンとの間を行き来する姿勢に
彼等も感動したのである。オートバイの超精密なピストンまで作る技術力が管楽器の
製造にも活かされているのである。ミクロの世界の技を目の当たりにしたからこそ、
彼等は、あとは素材だけの問題じゃないかと大きな期待を持ったのであろう。

さて、なにが音色の秘密だったのだろう。
その答はここに↓↓↓あります。
http://www2.yamaha.co.jp/u/musicoasis/kangakki/oa0098.html

このヤマハの誠実さと技術力の凄さに完全に存続の危機に瀕したウィンナオーボエの
製造も依頼されました。
しかし苦労して作ったオーボエが、マーラー、リヒヤルト・シユトラウスならそれな
りの音を出せるのに、ハイドン、モーツァルトになるとまったく駄目というように、
科学がどのように進歩しようと、最後の<何か>はどうしても再現できない。
<吹き心地>もしかりである。感性の次元に話が移ると、開発プロジェクトは難渋を
極め、挫折の危機がいくたびもチームを襲った。
 しかし、結果は成功−と言っていいだろう。誰がどのように使っているのか、詳し
いことは分からないが、ヤマハをはじめ、ムラマツのフルートなど、日本製の楽器が
数多くウィーン・フィルで使われるようになった。
正直に言ってウィーン・モデルの市場は、<極小>というに近い。何年かかったのか、
技術者と職人の何人がこの仕事に携わったのか……苦闘をドキュメントふうに語った
テレビ番組もあり文献もあるらしいが、正確には判らない。確実なことは、開発した
日本メーカーにとって、利益は限りなくゼロ、むしろ永遠の赤字事業になっているの
ではないかということである。
 現在ウィーン・フィルが奏でる独特な響きは、ヤマハが支えているといっても過言
ではありません。ヤマハの楽器開発や音楽に傾ける情熱はウィーン・フィルにも伝わ
り、ウィーン・フィルの伝統的な音を救ったお礼としてウィーン・フィルよりヤマハ
へ感謝状が贈られました。

こういうエピソードは日本人の美点として世界に誇るべきものであろう。
税制面での優遇や産業への援助など国家的にもっと支えてあげなければならないと
感じるのは私だけであろうか。
市場第一主義、成果第一主義というのは、今日〜明日の目先の問題に過ぎない。
もっと大切なことをアメリカの物真似で失おうとしているのが今の日本であろう。


2006.11.9(1) 投稿者:インファント 投稿日:2006/11/10(Fri) 11:55 No.3534   <HOME>


この本を読みました。
独身の頃は彼女もいなくてヒマなので、コンサートによく出掛けました。
来日オーケストラも聴きましたが、ウィーン・フィルは別格でした。
指揮は故サー・ゲオルグ・ショルティという方で、
ワーグナーの「ニーベルングの指輪」の極めつけのレコード化でも有名。

音楽へのアプローチの面で、ショルティとウィーン・フィルは水と油。
こんなに相性の悪い組合せはないのではないかという通説ではある。
しかし、私は自分の耳と感性を信じたい。
自分が実演で聴いたベートーベンの交響曲第7番は素晴らしい体験だった。
オケと指揮者が取っ組み合いの大喧嘩をしていたのかも知れないけれど、
出て来た音が、凄絶な音楽が魂を揺さぶった。あれは凄かったぞ。

最初の曲目はお馴染みの「美しき青きドナウ」だったけれど、ショルティは
最初の合図だけで、あとは何もしていなかった。
お客さんと一緒に聞き惚れていただけの風情だった。これはオケの音楽なんだと
100%ウィーン・フィルにお任せだった。それでいいんだ、という風に。
その分、ベートーベンでは指揮についてこい、といわんばかりだった。
この2曲の対比ぶりにも仰天したものだ。

弦楽器の響きの美しさは筆舌に尽し難く、世界最高であることに誰も異論はない
ことであろうが、この本を読んで、意外だなと思ったのは、その楽器。
バイオリンを始めとした弦楽器は銘器中の銘器であろうとは、私だけじゃなく、
誰しもそう予想するのではないだろうか、さぞかし高価なものであろうと……
しかし、実際はアメリカのオーケストラをはじめ、NHK交響楽団が使っている
楽器のお値段より、一ケタ〜二ケタは安い品物なのだそうである。

私がきっと素晴らしい楽器なのだろうと思ったのはおっちょこちょいなのでなく、
現世で最高と称される指揮者フルトヴェングラーでさえ、そう勘違いしたのである。
ウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団の音楽監督就任の際にウィーン・フィル
同等の流麗な響きをこのオーケストラにも期待した彼は、ウィーン・フィル所有の
楽器と同じメーカーに弦楽5部全ての楽器を製作してもらったのであった。
レムベックという楽器に統一したわけだったが、出て来た音は鈍くて光沢のない
酷い音だったそうで、すぐに従来の楽器に戻したのだという。
(同名だが後年のトーンキュンストラーとは異なるオーケストラでの話)

同じウィーンという立地でありながら、同じ楽器を使ってもウィーン・フィルの音は
出ないものだったのである。
レムベックというメーカーの楽器を使わなければウィーン・フィルの音は出ないが、
レムベックを使えばウィーン・フィルの音が出るわけではないということだ。
演奏にも伝統的な技があり、オーケストラの全員が伝統の担い手だったのである。

さて、これら弦楽器は優に400年は持つといわれている。むしろ音色は熟成される。
ウィーン・フィルは楽器の手入れは専門の技術職人が一切の面倒をみているのだから、
600年は寿命があるので、まだまだずっと安泰でありうる。
しかし、管楽器はそうはいかない。100年以下で、数十年という楽器もあるのだ。
木管楽器はフランスが本場で製造も廃れていないから良いのだが、金管楽器は困る。
どちらもウィーン・フィル特有の響きが必要なので、華やかできらびやかな音色が
得られればよいとか、弾きやすく大きなエネルギーが出れば良いわけでもないのだ。


2006.11.8 投稿者:インファント 投稿日:2006/11/09(Thu) 11:31 No.3532   <HOME>

私の生まれるずっと昔から人のやることや考え方なんてものは変らないのだと思う。
ただ、どんどん恥知らずな人間が増えて、のさばりつつあるような気がする。
倫理とかマナーという概念が次第に失われているのだ。
自分さえ良ければ、とか、自分のことだけしか考えられない欠陥人間が増えている。
自分の幸せの達成のためには、それはけっして寄与しないはずなんだが、それには
気づかない未熟者が多くなっているのだ。

身近な問題では、NHKの受信料不払い問題がある。
全国集計で、一千万件近い未契約者が存在するという。
また不祥事を理由にした百万件を超える不払いなども、もともと支払う気のない便乗
組に決まっている。こんなにも恥知らずの人間が居ることには驚かざるを得ない。
馬鹿正直な人間・家庭だけが負担すればいい。あんなもの払わなくても法律的には
罰っせられないことを知らない無知な連中だとせせら笑っているのかも知れない。

だかしかし、一事が万事という言葉があるように、このような環境で育った子供達は、
盗人にも三分の理(どんなことにでも理屈はつけられるということ)という屁理屈で
世渡りが出来るという信念に汚染され、やがて犯罪者への道を辿ることにもなるのだ。
盗人猛猛しい(盗みや悪事をはたらき、それをとがめられても、ふてぶてしい態度を
とったり逆に居直ったりするさまをののしっていう意味)開き直りぶりをテレビ等で
よく見られるのが最近の風潮でもある。

やはり、どんな事柄においても誠実に生きていかなければならないのだ。
児童虐待なども根は一緒なのだ。
自分さえ良ければ、という考え方は、結局は自分を追い詰めて不幸になってしまう。
子供を慈しみ育てることは自分の幸福に直結するのに何故そう思えないのだろう。
小さい子供を眺めているだけでも何ものにも代え難い幸福感に包まれるし充実した
毎日を送る事が出来る。子供は大きなものを与えてくれる存在なのだ。
おしっこもするし、ウンチもするけど、さっぱりさせてやるとご機嫌な笑顔になる。
泣く時は泣くけど、泣く理由があるし、子供には子供の都合がいろいろとあるんだ。
大人ほど理不尽なことで困らせたりはしない。不機嫌になる親は想像力が足りない。
目先の些事や気分に走らずに大局観を持って人生を生きなきゃダメなんである。

飲酒運転をしても事故さえ起こさねば良い、検問に引っ掛からなければ問題ないとか、
スピード違反、駐車違反、不正な車庫証明など、本人は悪い事だと思っていても自分
一人だけがやってるわけじゃないという言い訳がまかり通ると思っている。
サラリーマンだったので脱税などしたこともないし、生まれてから不正やら犯罪行為
にも全く無縁だ。NHKの受信料をきちんと払ったところで生活には困らない。
なぜ、清々しく生きようと思わないのだろうか。実に爽快なのに。
病んでいるような社会で正気で生きるには、気をたしかに持たなければならないなあ。


2006.11.7 投稿者:インファント@管理人 投稿日:2006/11/08(Wed) 23:52 No.3531   <HOME>

> 漫画家、松本零士さん(68)から「銀河鉄道999」のセリフを無断使用したと抗議され
> ている歌手、槇原敬之さん(37)が7日、自身のHPで“盗作”を全面否定し、松本氏
> に謝罪を求めた。

この男、たしか以前に何か悪い事をして捕まってなかったっけと思い検索したら、

> 1999年8月 覚せい剤取締法違反で逮捕される。本人は300万円の保釈金によって釈放、
> その後に執行猶予付きの有罪判決を受けた。

「バレなければ大丈夫」という類いの犯罪者であったという履歴だ。
覚醒剤所持程度許してやってもいいじゃん、という風潮が若者に広まるのが恐ろしい。
執行猶予が付いていても間違いなく前科者である。これを忘れてはならない。
罪を清算した人間を差別することはいけないことだが、統計の数値は事実であるから、
これは認識しておかなければならない。

刑法犯検挙人員の再犯者率は「40%」で、覚せい剤取締法違反者では「51.2%」
つまり、この人は、以後も50%の確率で、再び犯罪を犯すであろうということ。
したがって「バレなければ大丈夫」という倫理面が欠如した人間が、今回のような
罪を犯したのかもしれないという確率は無視出来ないと思われる。

何を聴くのも個人の自由だが、私はこういう人の作品は聴かないことにしております。


2006.11.6 投稿者:インファント@管理人 投稿日:2006/11/07(Tue) 11:21 No.3530   <HOME>

「のだめカンタービレ」という番組を初めて見た。
以前から放送していたのを知ってはいたが、どうせドタバタした番組だろうと思い
敬遠していたけど、昨夜はベートーベンの第7シンフォニーの一部が流れたので、
ついついずっと眺めてしまった。

原作は漫画だということなので、いかにもそれらしいノリ自体は悪くはないと思う。
上野樹里はこういうキャラクターにはぴったりだろう。
実際はもっと本格的な演技が出来る女優さんなんだろうけど、「のだめ」の役は
この人をおいて他にはいないと思われる。

ドラマの出来としてはこれで良いものなのだろうが、もっと細部にこだわって音楽を
表現してくれれば深い感慨も生まれるようにも思う。
音楽が主題なのであれば、もっと「音」で表現してもらいたいと(私は)感じた。
「楽譜に忠実に演奏してくれ」という指揮者のダメ出しの場面があった。
それは具体的になんなのか、どういうことを指しているのか、突っ込みが足りない。

ちゃんと練習しているのか、今日はもうこれで終わりだ、各自で練習してくれ、と、
いうことになったのだが、それは違うだろ、と思ってしまった。
個人練習のレベルかよ。それじゃ楽譜通りに弾けていないということかい?
それでは合奏そのものが成り立たないでしょ。指揮云々の問題以前にメンバーの力が
足りないという意味だから、2〜3日でどうこうなる話じゃないはずだ。
もっと微細なニュアンスの問題でしょ。個人でとか合奏の技術を向上させる問題では
ない「解釈」という高度な段階のお話だと思うのです。

だったら、そこを具体的に「音」で指摘して、そこをどう直すか、表現やアクセント
を「音」の違いとして聴かせてほしいところで、もっとも重要な場面ではないか。
そこを単なる「録音」を被せて、それもリアル感のないただの演奏を流しているので、
画面に映っているメンバーから出ている響きとは完全に遊離してて作り物である事が
歴然としてしまう。絵空事のドラマなんだから、それでいいじゃないかと見るのなら、
それでもいいけど、せっかくの題材なんだから、もったいないなあ。

オーケストラの演奏がただのBGM効果としてしか音になっていないから臨場感が
なくて、演技パフォーマンスだけで楽しさを表現している。
そうじゃなくて、「演奏」としての音楽の楽しさ、既存の古い枠を超えている有様を
音楽として表出して欲しかった。
それが出来ていたのが「スウィング・ガールス」だったのではなかったか。
(出演者の自演という面もあるが、実際に演奏しなくても、それは出来ると思うのだ)
劇場用映画とテレビ・ドラマじゃ作り方のレベルが違うなんてのは言い訳にならない。
予算とかじゃなく、やり方でなんとでも出来そうに思う。
もっともっと凄いドラマに脱皮してほしいと感じました。一応、来週も見てみよう。


2006.11.5 投稿者:インファント@管理人 投稿日:2006/11/07(Tue) 08:57 No.3527   <HOME>

昨夜のテレビ朝日で、あの「信長の柩」を映像化したのをやっていた。

松本幸四郎は良かった。太田牛一とはこういう風采の人かと思ってしまうほどだ。
他の役者の演技もまあこんなものだろうとは思ったが、全体としては興醒めだった。
ビジュアルで見せることの限界を感じるのだ。
2時間半(実質は2時間)程度で完結しなければならないので話はトントン拍子に
進んでしまう。推理に推理を重ね、それを丹念に実証して行くわくわくする過程が
ないし、秘中の秘ともいえる重大事を登場人物がペラペラしゃべってしまう。
心の中で呻吟している苦悩だからこそ辛いのに(それじゃ見ててわからないから)
口に出して言ってしまう。重みが全く無くなってしまった。
書き物の魅力というのは、やはり絶大だ。
同じ事が私はレコードとDVDでも感じる。
録音は広大な想像力を喚起する世界だが、映像は見たままでお終いである。
わかりやすければいいというものではないとつくづく思った。


2006.11.4 投稿者:インファント@管理人 投稿日:2006/11/04(Sat) 21:51 No.3526   <HOME>

昨日はNHKで「熱中時間〜忙中”趣味”あり〜」」、夜は民放でモーツアルトの
天才脳徹底解明という番組を見たが、この二つは関係がないようであって、関係が
あるようでもあった。

いつもながら茂木健一郎さんのお話はとても面白くわかりやすく興味深いのですが、
モーツアルトは天才なのだけど、その天才の素質というものは皆んなが持っている
可能性があるんだ、というところが意外であった。
なにかのきっかけで「褒められたこと」が脳にとっては重大なトリガーになるらしい。
そして、人間はひとりひとり「実験」をするために生まれて来るのだという。
つまり、どんな「個性と才能」を発揮することが出来るか、人間の可能性の多岐さを
試されているのではないか、という。

それなのに、皆が同じようなことばかり目差していたって生まれて来た甲斐がない。
その点で、「熱中時間」での異様な各人のこだわり方はとても面白い。
昨日は「鉄道マニア」というテーマだったが、な〜んだ、ああいうのか、と思うと、
とんでもない多彩さがあった。なににこだわるかが、それぞれ違うのである。
「それが何の役に立つんですか?」
「それの目的って何ですか?」
「それのどこが楽しいのですか?」
わざとゲストの若い女性(名前知らない)に言わせているのが、返って効果的だった。

「鉄道模型〜ジオラマ」、「建造物からの古レール履歴追跡」「車掌姿フェチ女性」、
「廃線跡熱中人=東急玉川線の支線→砧線を追う」、「自宅が駅舎」その他を百人の
観客=全部これが鉄道マニアが集ってイベント大会のように番組を繰り広げたのだが、
全部説明しないうちに、すぐに反応が現われるのはマニアが共有する感覚なんだろう。
「グリーン車マニア」は座席の写真(各角度から)、寸法、多項目のチェックリスト
まで作って、サービスから何から色んな情報の総合体系を作っていたり、物好きとは
恐ろしい才能が発揮された状態をいうのだろうと感動してしまった。

私が素晴らしいと思うことは、ここには「勝ち組」も「負け組」もないってことです。
モーツアルトは天才だと賞賛されてはいるが「勝ち組」なのかというとそうではない。
借金まみれの彼の葬儀には誰も惨烈してはいない。奥さんが一人で埋葬したのだ。
その埋葬だって、嵐の日で道に迷ったので実際はどこに埋めたのかわからないらしい。
35歳という若さで他界するなんて、常識的には不幸なことである。
芸術家では幸せな生涯だった人は少ないであろうが、本人は幸せだったかも知れない。

鉄道オタクの集まりで印象的だったのは「他人の生き方を認める」という雰囲気だ。
鉄道を風雨などの災害から守る植林だけに興味がある人のことでも何でも、お互いに、
あ、そういうのありなのか、という感嘆に似た、オ〜ッという歓声が上がるのである。
この声がどんなに励みになったことだろう。マニアはマニアを知るというところか。
私達の普段の人間関係も本当はこうでなければならない筈なのだ。
個性の尊重とはこういうモノなのだ。分類なんかしちゃいけないものなのだ。

自分も類型的な生き方をするのじゃなく、日本で、いや、世界中でも、こんなことに
こだわっている人間はいない、というくらいの極めて狭い世界にこだわって生きたい。


2006.11.3 投稿者:インファント@管理人 投稿日:2006/11/04(Sat) 18:28 No.3525   <HOME>

筒井康隆さんにおける差別表現と表現の自由の問題でも過去に論争を巻き起こしたが、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AD%92%E4%BA%95%E5%BA%B7%E9%9A%86
それだけ、差別問題というのは微妙で、そこに便乗し悪用する輩もいるのである。
人種差別はあってはならないことだが、身体障害者への差別も無論しかりである。
しかしながら、身近には様々な障害があることも事実。こんなこともあった……

職場は違ったが、同じ「課」に、耳の不自由な方を採用し、配置されることが決まり、
それではというので、2ヶ月前から、その職場の人達は全員で手話の本を買い求め、
毎日の朝礼で、その特訓を繰り返していた。
市だか県だかの紹介で、やがて配属された方には筆談用のボードを用意したりして、
懸命に仕事の内容の説明をし、必ず一人がつきっきりで教えていたのだが、さっぱり
本人が理解出来ないので、何も仕事が出来ない。

どうしたものかと皆で悩み、色々と対策も考えてみたが、雑談などは全部分っている
ようだし、エッチな話題などニコニコして聞き入っている。
それなのに仕事を教えようとすると、わからない、わからないを繰り返すしてばかり、
結局、仕事など何もしたくはなく遊びに来ているだけではないか、そのように見ると
行動の全てに納得がいくのだ。それに全然聞こえないのでもないみたいでもある。

職場のそんな感じを素早く察知したかのように、突然出社しなくなり、非は受入れに
あるようなことにして退職してしまった。就職努力はした、ということなんだろう。
そこの職場の人達の好意と懸命の努力を踏みにじった実に情けない所業だったと思う。
あのやろう! と全員、手話の本はゴミ箱へ投げ捨てた。
だからといって、全ての聴覚障害者がこのような人間であるわけがないのであるが、
もう二度と、そういう人を受け入れる土壌はこの職場に育つはずはない。
身障者の差別を撤廃する問題で一番大きいのは同じ身障者側にあるのかも知れない。


2006.11.2 投稿者:インファント@管理人 投稿日:2006/11/04(Sat) 17:09 No.3524   <HOME>

夕方のテレビを見ていたら、奈良市職員休暇休職問題をテーマに追跡取材をした
内容を放送していた。
悪質な個人の問題かと理解していたが、必ずしもそうではないようである。

 環境清美部の元職員(42)=懲戒免職=の長期欠勤問題で、奈良市議会は1日、
総務水道委員会(高橋克己委員長、9人)を開いた。問題発覚後の議会委は初めて。
まず福井重忠・助役が「奈良市全体の名誉を傷つけ、心からおわび申し上げます」と
一連の事態を謝罪。議員からは病気休暇制度の見直しや同和対策事業見直しに対する
質問が相次いだ。
 委員全員が出席し、傍聴を希望する市議や報道関係者も詰めかけた。福井助役の謝
罪のあと、平岡譲・市長公室長が今回の事態を報告。部落解放同盟のメンバーだった
元職員に診断書を発行した四つの医療機関への事実照会をはじめ、元職員が実質経営
する建設会社が、9月にあった市発注の入札で談合したという疑惑についても言及。
平岡公室長は「既に公正取引委員会に調査を依頼した」と述べた。また、資料を精査
した結果、元職員に支払われた給料は、01年からの5年8カ月の間に8日出勤し、
約2500万円だったことも明らかにした。
 この日は5人が質問。山本清議員(政翔会)は「なぜこのような長期の病気休暇取
得が許されたのか」とただすと、巽一郎人事課長は「現状では、病名が変われば新た
に休暇を認める制度になっている。今後見直したい」と話した。また松岡克彦議員
(共産)は、診断書が不正でないかしっかりと照会するよう要望。その上で「市と部
落解放同盟の不正常な関係が問題の根本にある」と指摘し、「部落解放同盟との連携
を強化する」との内容で93年に助役名で出された依命通達の廃止を訴えた。
 福井助役は「今回は個人の問題で、組織の問題ではないと認識している」としなが
ら、「同和行政を見直す検討委員会を今月中に発足させ、その内容を踏まえて見直し
を進める」などと答弁した。<11/2毎日新聞>

どうやら不正な休職をしている人間は100名を越すらしい、これを全部税金で負担
しているのだからたまったものじゃない。
奈良だけじゃないらしい。関西圏は特にこの圧力団体が推薦した人間は採用せざるを
えないような風潮らしい。これはれっきとした犯罪行為そのものだ。
胸くそ悪くて、もうこの問題を考えるのも精神衛生上良くないのでやめた。


2006.11.1 投稿者:インファント@管理人 投稿日:2006/11/01(Wed) 18:50 No.3523   <HOME>

毎月、一日になると、勤め人だった頃のことをついつい思い出してしまいます。
情報システム担当だったので、月初日は前月データの締め切り日のため、休暇は
もちろんダメだし、定時で帰れることはないと覚悟していた。
責任感からくる緊張のためか体調を崩したこともなかったし、例え何が起きても
何とかしなきゃならないと張り切っていた面もあった。

殆どがユーザーのミスの後始末なのだが、自分が間違えたこともあった。
システム担当のミスというのは致命的であり、大量のデータが対象となるので、
磁気テープを抱えて新幹線に乗って大阪へ急行したこともあった。
後年はデータの転送などどうにでも出来る時代になったが、昔は特殊なデータは
送るツールがなかったのだ。あの時は冷汗ものだった。

この仕事は自分には向かない、といって二人ほど先輩たちが他職種へ異動したが、
自分はこれは適職だと思ったから天国だった。こんな楽な仕事はないと思ってた。
ストレスが溜って大変だろう、というのが大方の見方だったし、希望者も皆無。
でも私は希代の臆病者なのだが、怪我をしそうだとか、命が危ないという懸念さえ
なければ平気だった。他のことには至って大胆不敵。だって命に別状ないんだもの。

十人十色というけれど、これは人類が生き延びるための天の配慮なんだろう。
個性というものは恐ろしいほどにあるものだと感じる。
それに自分がおっちょこちょいな人間なので、それだけに危険予知能力が優れてた。
考えられるミスを列挙するのは大得意だったのでロジックを考えるのに向いていた。
リカバリーの○○さん、と渾名をつけられるほど、トラブル対応が得意だった。

事故を起こした方は蒼くなってるけど、こっちは事件がないと退屈でしょうがない
方なので、嬉々として解決案を策定する。そういうことが好きなもんだから才能が
発揮されて、普段は廻らない頭が超スピードで回転する。
自分で出来ることと持ち時間の見極めが良くて、必要ならSOSを的確な人に送る。
だから、困ったり悩んだりすることもなく100%解決してきた。

どうもありがとうございました、とお礼を言われると嬉しいけれども、苦労をした
わけじゃないし、楽しかったから、ニコニコしてて叱ったことなんかなかった。
ものすごくいい人だと思われたかも知れない。(笑)
スイッチ入れたけど画面が真っ暗なままなんです、と電話が入ったりするとすぐに
駆けつけて、プラグが抜けているのを発見。こういう場合はこれは傑作なギャクだ、
と笑い話にする。大掃除で机の下や裏を掃除した時に接触したのだろうが、それで
抜けてしまうのは問題なので、ケーブルごと交換してやった。
そこの上司があとで電話をくれて「私でも確認出来ることだったのに申しわけない」
なんて謝ってくれるので、こっちが恐縮してしまった。

こうやって、すぐに対応というか、お世話してあげていると、こちらの都合にもすぐ
対応してくれるので、お互いさまなのだ。
おつき合いの人のネットワークでお互いの気持がとても良い関係になる。
すると会社へ行くのも苦痛じゃなく、楽しくもなる。
今から思っても遅かったけど、学校でも同じだったろうな。いじめ合うなんてことは
お互いに楽しくはないだろうに、ちょっとした気持の持ち方だろうなと感じる。
中にはどうしょうもない行く末は犯罪者になる腐った卵も居るだろうけどね。
そんな場合は先生も力を合わせて腐った卵は棄てなきゃ。
少年法なんて無意味だ。更正なんて出来る人間は初めから悪い事なんかしないって。


2006.10.31 投稿者:インファント@管理人 投稿日:2006/11/01(Wed) 16:47 No.3520   <HOME>

とうとう必修科目の履修漏れ問題で校長が自殺してしまった。
今の時代に蔓延る「成果主義」の犠牲者だ。
「成果主義」とは、早い話が「金儲け主義」ということだ。

私は今年定年退職したが、その日付で「職種別賃金制度」が導入された。
製造部門に従事する従業員や一般事務などの仕事は、誰でも出来、誰が
やっても同じ成果しかないので、市場原理に基づいて製造業一般水準や
パート雇用なみの賃金を払えばいい、早い話が中国で生産したっていい、
という経営者側の一方的な理念に会社側べったりの労組も異を唱える事
もなく、唯々諾々と従った。組合執行部は将来の昇進を見込んで自分の
ために、働く仲間を売った。

誰がやっても同じ成果(金儲け)しか出ない職種は企業にはたくさんある。
経理部門やシステム部門など殆どの間接業務がこれに当てはまる。
営業とか開発部門くらいしか商品の販売に戦略的に寄与出来ないことなど、
初めから分っている筈である。他の部門はコストダウンとか品質の安定化
など、縁の下の力持ちの存在であって直接売り上げを増やすわけではない。
金儲け成果というものは存在しえないのに、利益を生み出さない職種なので
儲けを減らしている無駄な部門だという誤った認識にたってしまっている。

成果を数値化しないと具体性がないことは私も理解出来るが、数値項目を
提示しても、それがいくらの「儲け」になるのかという金額換算が出来る
数値項目しか見ないなら、それらの職種には努力目標が原理的に存在する
ことすら出来ない。
本当に誰がやっても同じ結果しか出ないと思っているとは信じ難いのだが、
経営者も賃下げをして儲けを出すという自己の成果を狙っているのだから、
長期的には誤った判断であろうが自分が居る時だけ、自分の評価が上がる
ことを最優先なので、無責任であろうと知った事ではないという発想だ。

それで、今年から25%の賃金カットが実施されている。
まだ勤めている仲間にはとんだ人災だ。まるで倒産して管財人が管理する
企業に勤めているのと同じような境遇になってしまった。
会社は空前の利益を出しているのに、従業員は赤字転落会社なみの処遇だ。
成果主義というものは、公平なようなイメージを与えてはいるが、これは
何を隠そう、あからさまな「差別と弱者いじめ」であるに過ぎない。
経営者側が確信犯なんだから、どうしょうもない。

「お金を儲けて何が悪い」なんていう発言が例の事件でありました。
倫理を踏まえないで、お金を儲けることは「恥」ではなかったか。
恥知らずが大きな顔をして勝ち組だと威張っているイヤな時代になってます。
誰が悪いのだろう。誰がこんな風な世間にしてしまったのだろう。
実際にそうなのかは分からないが、私達、団塊の世代の責任じゃないのかな。
私はさっさと脱落したけど、競争が激しいので、自分さえよければという
自己保身、利己主義風土の醸成を率先実行してしまったのではないだろうか?
本当にそういう連中が多過ぎた。どうしょうもない世代だ。あ〜いやだ。


2006.10.30 投稿者:インファント@管理人 投稿日:2006/10/30(Mon) 19:22 No.3517   <HOME>

今朝から、また「いじめ〜自殺」の話題で新聞もテレビも大騒ぎでした。
現代の何がいけないかというと、責任ある立場の人の潔さがないよね。
校長とか社長とか「長」の付く人が、地位から得る収入だけにしか関心がない。
同様に、医者もそうだけど「先生」と呼ばれる連中がこれもどうしょうもない。
全員がそうではないだろうが、その無責任人間の比率は高まっているだろうネ。

必修科目の履修漏れ問題なんかも処罰がなにもない。
こんなのは、少なくても該当した学校の校長は全員すぐ左遷すべきだろう。
教頭なども格下げしなきゃ。
不適切だった、なんて生易しい問題じゃないはず。彼等は教育者失格なんだから。
赤信号みんなで渡れば恐くない、なんてことを生徒に示したら教育になりません。
戒告処分なんて、実質なにも効果がない。
すみませんでした、なんて、謝って幕引きする問題じゃないだろう。

教育委員会なんてのも、一種の天下り先なんじゃないのかな?
頭も使わず、汗も流さず、地位と収入だけが得られるタナボタの寄生虫なんだろう。
大体がそうだろうと思っているが、豪邸に住んで贅沢な暮らしをしている連中は、
世の中から甘い汁を吸う権利を得た汚い者が大半だと思う。
そこを目差してのお勉強なんだろうから、世の中がダメになって当然なんだろう。
こちとら、学歴も地位も天下り先もない貧乏人だが、潔くて気持がいいや。


2006.10.29 投稿者:インファント@管理人 投稿日:2006/10/29(Sun) 12:03 No.3515   <HOME>

今朝のサンデーモーニングという番組中の「風を読む」コーナーで教育の問題を
とりあげていた。
これは昨今始まった問題ではなく、永遠の課題なんだと思う。
とにかく、親が学校に期待すること、子供が望んでいること、教師が考えている
こと、政府が意図していること、それらすべてが異常なことを理想としている。
矛盾ばかりの目標に向っているのだから、ますますおかしくなって当然なのだ。
私が子供のころから、ずっと変だったのであって、急に異常化したんじゃない。

学校なんてものはもっとシンプルなことを目標としているはずなんだ。
義務教育という言葉が示すように、中学校までは人間として生きていく上での
基本的な学習をさせて、本人や家族がどう反対しようとも強引にでも基本的な
教育を施さねばならない。たった、それだけのことなんだ。
団体生活でのマナーを身に付け、基礎的な学問を学ぶ。それだけのことなんだ。
何が不得意で、何が得意なのかも、理解して、自分というものがわかることも
その中で自然と個性が芽生えることにもなる。
散々にいじめられたけど、それも修行のひとつ。そういうヤクザもののような
生徒も先生も現実に居るということと、自分との折り合いをつけることも勉強だ。

自分がいじめられた経験があるし、赤ちゃんの時から娘を観察していると自分と
同じ憶病者だということがわかり、これは同じようなことで悩むことになるなと
思っていたから、授業参観などの後の面談で先生にどうなのか聞いてみた。
休み時間などみんなと遊ばないで一人でお絵書きなんかしていますが、それはね、
個性だと私は思っているんですよ。その行動や生活姿勢には何も問題はないです。
これが先生の感覚で、へぇ〜と私は思った。昔なら問題児扱いだったはず。
いじめに逢ってないですか、と問うと、あははは……と先生は笑って、言った。
あんなに自己主張をはっきり言う子は珍しいくらいです。そういう子は絶対に
いじめの対象にはなりません。ご安心ください。だってさ。

私の時代は徒競走なんてのは単純に背の順で区切られて、よ〜い、ドン、だった。
それが今は、走行タイムで区切って、差が顕著につかないように配慮されている。
おまけに一番でゴールしたからといって賞品なんか出ないらしい。

随分と運動音痴の子に優しい時代になったものだと呆れるばかりである。
私は徒競走は万年ビリだった。
ある時、一人が転んだのだが、その子が立ち上がるまで待ってて、やはりビリを
走っていたという母の証言もある。そんなだから、父はもう来なかったし祖母が
お昼のお弁当の時間になるころやってきた。
このお昼の扱いも近頃は変化していて教室で給食を食べるらしい。
これは全員の父母や祖父母がお弁当を持って参加出来るとは限らないからという
理由らしい。細かな配慮をするようになったものだ。

驚いたのは娘が中学生の時、男女混合の「騎馬戦」なんかがあったこと。
男女平等という校長の基本方針で、女生徒もこれをやらされるのである。
これが教育の指導者の考えることなのか、と、私は唖然とした。権利が平等なので、
同じ事をすることが平等なんかじゃない。こんなことが大学も出てわからんとは!
幸い怪我した女の子はいなくて良かったが、どうせ、いつかは大事に至るのだ。
それで非難されて止めるに決まっている。事件が起きなきゃ気がつかぬ大馬鹿者だ。
いちおう、私は担任の先生には言っておいた。女生徒の騎馬戦はやめさせなさい。
そもそも騎馬戦とか棒倒しなんて競技はスポーツとはいえない。
学校でやる運動会の主旨から考えて、観客の受けなんて狙ってはいけない。
安全第一で即刻やめた方がいいですよ、と言ったら、その先生も同じ意見だった。
校長たち前時代的大馬鹿者の老人パワーに屈しているようであった。

もっと呆れたのは、卒業式だ。
国歌斉唱・国旗掲揚で、ご賛同頂ける方は御起立願います、と、きたもんだ!
私はもちろん、起立して、国歌も堂々と歌ってやったぞ。
ここは教育の場である。
あの国歌、あの国旗のせいで、日本は侵略戦争を引き起こしたという論議は結構。
それを論じるのは、この卒業式ではないのだ。
「決められたことは守る」その大切さ、「協調性を学ぶ」その意図を学習すること
が教育の基幹である。個人の思想の自由とこれとは別物である。

個人の自由に何でも好き勝手に振る舞って良い、そんなことは絶対に許されない。
日の丸を国旗と認めない自由なんて存在しない。君が代を国歌と認めないのも同じ。
そんな自由を認めたら、教育も日々の生活も成り立たなくなってしまう。
学校へ生きたくない意志の尊重。教えたくない意志の尊重なんて認めてどうする。
イヤなヤツを殺す自由。欲しい物を盗む自由。強姦する自由。それと同等のことを
教育者自らが肯定している。国歌斉唱・国旗掲揚へのテロ的破壊活動を行っている。

東京都だったかは訓戒・減給処分を行い、それに反対して裁判沙汰になっている。
世も末とはこのことだ。処分自体が甘い。教師失格なんだからクビにしなきゃダメ。
「例え国家が決めようが、クラスのみんなで決めたことであったとしても自分自身が
納得出来ない場合は、それに同調する必要はないのです。それが個人の意志の尊重」
そんなことじゃ、何も子供に教えられない。こんな教師に教わったら異常人格者が
形成されてしまう。この恐ろしさにも気づかず、ムードだけで煽動しているんだ。

卒業式も生徒の自主性に任せたパフォーマンス・ショーに堕落してしまっている。
楽しくやるのが一番だ、という理由なんだろうが、厳粛さなど吹っ飛んでいる。
「螢の光」「仰げば尊し」なんか当然歌われない。
学校生活への別れの心情を歌ったり、先生への思慕を歌うなんて馬鹿馬鹿しいのだ。
もっとかっこよく若者向けに作られた流行歌(これも騙しの手口なんだがネ)を
歌って、若者らしい(って何だか本人たちもわかってないくせに)門出を祝う、と
いう感覚でいる。そこには育ててくれた親や教師への感謝なんて何もないんだ。

これは先生方が毅然と出来ていないからだ。教える立場の人間が未熟者だからだ。
教育をする人間がきちんとした教育を受けていないから無理なんだろう。
今の世の中は、お金がすべて。金持ちになるために、その近道として受験に有利な
学校へ行き、受験テクニックを磨いているだけ。人間を磨こうなんて誰も思わない。
あらゆる環境が昔も良くはなかったが、今もさっぱり良くなっていない。
世の中が良くなるなんてことは幻想なのだろう。
自分自身をしっかり見据えて生きることが、どんな時代でも大切なのだと思う。


2006.10.28 投稿者:インファント@管理人 投稿日:2006/10/28(Sat) 22:35 No.3514   <HOME>

「いじめ」の問題が深刻化している。
「いじめ」なんかに無縁の人は幸せであるが、私には他人ごととは感じられない。
小学生の時はクラスで一番のいじめの標的だった。
憶病者で気が弱いものだから、年中泣かされていた。
私がすぐ泣くものだから、それが面白くてやってたのだろう。
私が泣くまで徹底的にやられるのだから始末が悪かった。
5年生くらいで、そういうものは収まったのだが、本当に学校がイヤだった。
成績は50人余りの中でいつもトップクラスだったから、勉強がイヤというわけ
ではなく、いじめられるのがイヤだった。
気分的な問題なんだが、それが体調へも影響し、朝、学校へ着くなり吐いたり、
急激な腹痛に襲われたりした。一年中ビクビクしていた。

今でもそうなのだろうと思うが、学校の先生なんてものは大概ダメな人間がなる。
いわゆる「でもしか先生」が大半である。
まともな企業に就職出来ないから、先生でも……先生しか……なんである。
おまけに「いじめ」なんていう問題意識用語がない時代だから、いじめられる方が
悪いに決まっているという時代だったのだ。オーバーではない本当のことだ。
知恵遅れの子や身体の不自由な子は差別されるどころか、悲惨な程に虐待されてた。
先生も身から出た錆みたいに放置して、学校へ来ない方が有難いと顔に出していた。
そんな時代が昭和だったのだから、今が悪くなっているのではない。それが問題だ
と弱者の立場を考える余裕が出て来た良い時代になってきたのである。

体育の時間が最も辛かった。私は普通の子が出来ることが9割以上も出来なかった。
出来ないからといって先生は許さない。出来るまで教えるというなら話はわかるが、
出来ないことを徹底的に辱めるのだ。わざと一人でやらせるのだ。恥をかかせては、
クラスの笑い者にして、どうだ面白いだろうと他の生徒の人気を集めるのだった。
それでは通信簿は「1」かというと、そうは出来ないのだ。保健・体育だったから、
保健の成績が良ければ「3」にしかならない。先生は悔しかっただろうな。
5年生の時は、これだけが「3」で、あとは全部「5」だった。
6年になったら、担任が変り、もっとあからさまヤツになって、無理矢理に成績を
落とされた。金持ちのPTA役員の子が二人いて、色々とプレゼントをもらったり
していたので贔屓してやらなきゃダメだから、私の「5」は5科目に減ったのだ。

直接いじめるヤツはあまり悪党じゃなくて、僻みっぽいコンプレックスの固まりの
ような情けないヤツが殆どだった。精神面での発達が遅れている馬鹿なんである。
今だって同じようなものだろう。賢い人間はいじめなんかやりゃしないのだから。
だから、いじめられた方が自殺をするなんて、とんでもないことだ。
私も悔しい思いは幾度も味わったが、悪いのはこっちじゃないし罰を受けなければ
ならない立場ではないのに何で自分を死刑にしなきゃならないんだ。
だから、いつかはどんな陰湿な手段でもいいから仕返しをしたかったが、自分を
追い詰めるようなことは理不尽だからしなかった。

これだけは、苛められている人に言いたい。自分を大切にしなきゃいけない。
なぜ被害者がもっと悲惨な目にあわなきゃならない。理屈が通らない。
いじめを回避する一番の特効薬は、クラスに友達を作ることだ。
たくさんは要らない。一人だけでもいいから親友に近いほど仲良くなることだ。
今はもっと人数が少ないだろうけど、昔は50人以上いたのだから気の合うヤツは
必ず居るものなのだ。友人が一人いるだけで、もういじめには逢いにくくなるんだ。
それと、いじめられたら大騒ぎした方がいい。
私は、ワアワア泣いて、廊下へ走り出したり、家に帰ったりした。
これはヤバイと相手も思う。何度か繰り返すと先生もほっておけなくなる。
いじめがあったぞ、と、高らかに宣伝しちゃうのだ。その方がいい。

中学生にもなって、いじめなんかするなんて、知能が人間の水準に達していない。
現代の子はそういう意味でいつまでも成長出来ていないのかも知れない。
既に小学生の高学年で収まっていたが、中学生からはいじめからは無縁になった。
生徒会の役員になってしまったからだ。
友人が私をもっと積極的な人間に変えるんだと一念発起してクラスをとりまとめ、
選挙運動なんかやって生徒会副会長にされてしまった。後で会長にまでなった。
そうなると、いじめは不可能になるんだ。
ある日、私の靴箱から何故か靴が出せない。なんとスニーカーが釘付けになってる。
一般生徒ならこれは泣き寝入りだろうが、生徒会顧問の先生に見てもらった。
さあ、翌日の職員室は大変な騒動になっていた。犯人グループが捕まったのだった。
職員室の床に正座させられて竹刀で猛烈に殴られている。まるで軍隊のようだった。
一生徒に対する悪戯では済まない。生徒会と学校に対する挑戦と受取られたのだ。
虎の威を借りた狐のようではあるが、いじめは自分でなんとかしなきゃダメなんだ。
とにかく自分を責めるのが一番いけない。他の対抗手段を考えよう。


2006.10.27 投稿者:インファント@管理人 投稿日:2006/10/27(Fri) 17:25 No.3512   <HOME>

今年も文化の日が近づき、文化勲章やら、文化功労者が選定された。
文化功労者の一人には高倉健が選ばれている。
どういう基準で選ぶのか分からんが、なんだかムードだけで選んでいないかな。
高倉健といえば、仁侠映画のチャンピオンだろう。これで名を売ったのだ。
青少年の心の育成にどんなに悪影響を与えたか計り知れない、と私は思うのだ。
実際、彼の映画の虚像に憧れて、道を過った人や既に命まで失った人達がいる
であろうことは容易に想像出来る。これが歴史的認識というものだ。
また、彼は一人の女性歌手の魂も救ってあげることが出来なかった情けない男だ。
ただ、自分勝手に好きな事を好き放題にやって生きていただけじゃないのか?
こういう人が文化功労者としての栄誉を受けるに値するのだろうか? 疑問だ。

歌舞伎俳優という人種も必ずといって良いほど選出される。
ところが歌舞伎の名門というのは世襲制なので、自動的に名人の位になるのだ。
機会均等ではない。大部屋俳優は例え技術が日本一であっても地位は低いまま。
だから生まれた時点で収入面も地位も確立している。歌舞伎が嫌いでなければ、
どんなに大根役者でも、一生安泰で申し分ない環境と名声が保証されている。
評価が低くて落ちぶれて失職したなんて前例がないのが、その証拠。
生まれただけで、文化勲章やら文化功労者になれるなんて、不平等極まりない。
功労など無く実際には技術の向上や発展に寄与出来ていないのではなかろうか。

真の文化貢献者は世の中の底辺を支えている一般の人達ではないかと思う次第。


2006.10.26 投稿者:インファント@管理人 投稿日:2006/10/26(Thu) 23:57 No.3511   <HOME>

日本シリーズ。日本ハム・ファイターズ優勝。
前身の東映フライヤーズ時代以来、44年ぶり2度目の日本一ということだが、
1962年の水原茂監督の胴揚げや優勝パレードもよく覚えている。
当時は、10チャンネルで駒沢球場からのパ・リーグのテレビ中継もあったんだ。

それにしても、あのしぶとい中日ドラゴンズによく勝ったものだと感心する。
去年の阪神タイガースもいいところを見せられずにあっけなく敗退したのだが、
どうもセ・リーグの優勝球団は相手チームを甘く見過ぎているような気もする。
ファイターズはドラゴンズの急所をしっかり把握して挑んだのではなかろうか。
中日も是非、来年もがんばってリベンジしてほしい。もっと強い筈なんだからネ。


2006.10.25 投稿者:インファント@管理人 投稿日:2006/10/25(Wed) 14:19 No.3510   <HOME>

今日は駅まで徒歩で買物に出かけた。歩かないと体に悪いからだ。
そもそも子供の頃からスポーツというものをやったことがないのだ。
だから、せめて歩く程度のことはしなきゃマズイだろうとは思う。

スポーツが苦手なのは、(恐らく世界一の)憶病者だからなのだ。
本当に怖がりなのだ。ただ走るだけでも転ぶのが恐いくらいだ。
ジャングルジムなど昇ったことはないし、ブランコも上手く漕げない。
マット運動など怪我しそうで恐ろしげだし、飛び箱なんて跳べたことは皆無。
体育の時間は恐怖の時間、おまけに先生が皆の前でバカにするのも辛かった。

今、いじめとかで先生が率先してやってたなんて大問題化されているのだが、
あんなのは昔は日常茶飯事。私など年中苛められていたんだからネ。
とにかくスポーツは身の危険を感じるので、なにも出来なかった。
当然ながら、泳ぐことも出来ない。水からは逃げ回っていた。
人間は絶対に沈む。必ず溺れて死ぬ、としか考えられないのだからしょうがない。
そのくせ見るのは好きだ。自分では出来るわけがないことをやってるのは凄いと
思うからだ。特に野球が好きだ。

硬球というものを手に持ってみると、こんな石みたいなものを平気で投げたり、
おまけにそれを変化させてみたり、弾丸みたいな恐ろしい早さのものを打ち返し、
とんでもない遠くへかっ飛ばすなんて、奇跡を起こしてるとしか思えない。
会社のグラウンドでやってる練習をちょくちょく見にいってたら、好きなんだね、
と声をかけられて、打ってみる? なんてバットを渡されたんだけど……
まあ、その球の早いこと、変化球の恐いこと、打席に立ってるだけで精一杯でした。

もっとも、その時に投げてくれた人は、元大洋ホエールズのピッチャーなんですよ。
球速は一流だったらしいのですが、コントロールがダメで辞めたそうなんだって。
そりゃ凄いよね。シュ〜〜ッって風を切る音が球の後から聴こえてくる感じだもの。
人が悪いよネ。もっと普通の人に投げてもらいたかった。
練習すれば打てるよ、なんて、バッティングセンターへ一緒に行ってくれたけども、
バットに当たって前へ飛ぶのは、時速80キロのボックスでだけでした。
100キロの場所では何とか当たりはするけども、チップして足にぶつかるのが痛い。
150キロのプロ野球の世界って想像を絶します。

お昼休みにキャッチボールくらいはしないと運動不足だろうな、と思って仲間入りを
させてもらうと捕り方が悪いせいだろうけど左手がイテテテ……となってしまう。
色々考えて、スポーツ店でグローブを三つ買って来た。
事務所の女性二人にそれを渡して、三人で一緒にキャッチボールをするんです。
女の子だから、ふわ〜と投げるので、私の手も痛くならない。これはいい。
周りの男どもは、独身貴族の考えることは違う、このグルーブ高級品だぜ、と呆れ顔。
ところがネ。女性も慣れてくると、私より球速が出て来るんだな、これが……。

そんな運動音痴の私でも唯一体を動かす趣味でハマったものがある。ボーリングだ。
いやだやだというのにつき合わされて生まれて初めてやったゲームで131点とった。
お前すげえ素質があるんじゃねえの、なんて言われて嬉しくなった。
素質なんかあるわけがないけれど、スポーツ類で「人並みに出来る」ことがある、と
いうことだけで、これはいいもんだ、とすっかり好きになってしまった。
足に落とすくらいしか危険性がない、ことが、恐怖を感じないことがなによりだった。

ボーリング場の会員になって、マイ・ボールも作って、ロッカーを借りて、衣装まで
こしらえてしまった。仲間と一緒に「サイドワインダー」なんてロゴを染めてみたり。
会社の帰りには殆ど毎日寄って投げてから帰宅した。
ある日、サービス・デーだったので、営業時間ギリギリまで投げ抜いた日があった。
翌日、今日は眠くて……と会社でお仲間に言ったら、何をしてたの、と聞かれたので、
昨夜、24ゲーム投げたから、と言ったら、信じられねえ、と驚嘆の目で見られた。
それだけやってても決して図抜けて上手くなったわけではなかった。
「人並みに出来る」ことで十分に嬉しかったのである。

会員なので大会のお知らせを毎回目にするし、フロントでも良く誘われるのだったが、
「今回、初めての試みで、定例会で優勝した人を除いた大会を企画したんですよ」と
声をかけられて、それなら恥ずかしくないかも、と、初めて大会に出てしまった。
ところが……二つのレーンを交互に使うあの順番さえ私にはわからないし、練習を
見ていたら、皆さんプロみたいにフォームが奇麗だし、ああ、出るんじゃなかったと
後悔していたんです。90レーンで繰り広げられる派手さにも畏縮してしまいました。

ところが……奇跡というものは起きるんです。
4ゲームトータル=897ピンで、私が優勝しちゃったんです。信じられない出来事。
レーンコンディションがかなり遅いな、という感覚はありました。
私のボールは殆ど曲らないんです。そういう風に作ってもらっているのです。
運動神経がないから、ほとんど真直ぐにしか投げられないからです。
それが当日のレーンに合ってたようでした。ボール一つ半くらい食い込むんです。
他の人は凄いカーブ軌道になってしまうので、その日はコントロールが難しかった。
私の15ポンド9オンスの遅いスピードが回転を良くして、やたらにピンを倒すんで、
結果としてストライクが続発。もともとスペアは得意なんで良いスコアになった。
こんなのマグレ以外の何ものでもないので、逆にもう出場するのが恥ずかしくなった。
後にも先にもスポーツ関係で賞を頂いたのは、それっきり。

当時は、体重=60キロ(身長172)で体調もよく、トランペットも20年以上も
吹いていたし、散歩が好きで、二時間くらい歩き回っていたから、過激なスポーツは
しなかったけど体に良いことをしていたのかも知れない。
現在は体重が75キロもあって家でゴロゴロしてるだけ、考えたらボーリングの球を
三つも四つも体にぶら下げているような体重増なんだから心臓にも過負荷だろうし、
血圧が上がるのも当然かもしれない。もっと体を動かさないといけないなあ……


2006.10.24 投稿者:インファント@管理人 投稿日:2006/10/24(Tue) 15:23 No.3509   <HOME>

今日は文藝春秋11月号の団塊世代「幸福への一千日計画」(堺谷太一)を
読んでいました。
「職縁社会」からの自らの脱皮という点で、職場の仲間に逢いたいなあ、などと
思うのは後ろ向きな発想なんだなと思いました。
これからは「自尊好縁」を薦めたい、というのが、今月号の主旨。
「自尊好縁」なんて聞き慣れない熟語ですが、これは、自らの考えを尊しとして
好みの縁で結ばれた仲間を集め合おう、という考え方です。

まず、「他人の意見」に惑わされないことが大事。「他人の意見」とは何かというと、
いわゆる世間、つまり職縁社会なのです。それが途切れるのだから「自分が正しい」
という自信を持つ、これが「自尊」。
また、ものごとを「損か得か」で判断することをやめなくてはいけません。職縁社会
は客観的な社会ですから、経済的な観点から「損か得か」は他人も判断出来ましたが、
「満足が大きいか、小さいか」は本人にしか判断出来ません。

ところが30年以上もサラリーマンをしていると(私の場合は41年もだよ)、何が
幸せで何が不幸かを自分で判断出来なくなります。(一般的な人のことだけどネ)
本当にしたいことから目をそむけるように教えられて生きてきたのです。
その不幸な呪縛から定年後は自由になったわけです。第二の人生は「有利」よりも、
「好き」を選ぶべきです。そして好きこそものの上手なのです。

ほんとうに好きかどうかが分かる目安は二つあります。
一つは「それをいくらやっても疲れないもの」、
もう一つは「それについてはいつでも誰とでも喋りたいもの」です。
さらに、この「好き」を探す場合に留意するべきことは、「三つの自由です」。
「世間からの自由」「経済からの自由」「未来からの自由」です。
さあ、もう引用はやめましょう。だって、自分がやってること、やってきたこと、
そのまんま、でいいんだとわかったんだもの。

世間からの自由とは、ザ・ピーナッツのサイトなんかやってて、世間から何だろ、と
思われることなんか気にしないこと。もっと世の中の役に立とうなんて思う必要なし。

経済からの自由とは、ザ・ピーナッツのサイトをやった結果、おカネが儲かるなんて
ことはないのだから、金儲け目的からの自由があります。

未来からの自由では。資格を取得して、それを将来何かの役に立てようという発想も、
自らを呪縛しています。将来も絶対に何の役にも立たない、ザ・ピーナッツ・サイト
をやっていくこと、満足感はここから生まれるのです。

高齢者にとって幸せな社会とは高齢者が自らの日々に「楽しみ」と「誇り」が持てる
社会なんだそうです。これは他人が与えてくれるものじゃないんです。
自分の心・気持の課題です。
「楽しみ」と「誇り」をもって、これからもサイト運営をエンジョイします。


2006.10.23 投稿者:インファント@管理人 投稿日:2006/10/23(Mon) 17:57 No.3508   <HOME>

今日もハローワークに失業認定を受けに行ってきました。
毎度のことながら、若い方でも失業者がうじゃうじゃいるのですね。
昔は、あんた働く気があるのか、と脅されるとかウワサで聞いたけど、
そんなおっかないところじゃございません。(笑)
最初の手続きでも、事情を説明すると、えっ、あの工場がなくなるの?
そりゃ残念ですよね〜、なんて同情してくれました。

素敵なお嬢さんだったので、それから行くと目で探したりしていますが、
よくみるとそんなに凄い美人でもないかなと冷静になったりしています。
(おいおい、なにをしに行ってるんだ)
失業認定というのは遅刻も許されません。その時間帯に行かないと給付が
28日分頂けなくなります(先送りになるのかな?)。
でも20分くらい早めに受け付けてくれるので、時間ギリギリに行くのは
絶対にソンです。お勤めの人と一緒に家を出るのが賢い選択。

認定が終わったら(15分くらいで終わります)その足で求人情報検索の
パソコンがあるコーナーへ移動します。
就職の意思をもって、そのための活動をしていることが雇用保険給付条件。
ちなみに給付金額水準というものは毎年8月に見直しが行われるのですが、
私は、21万8680円/28日分(給付最上限)となっています。
これは個人情報でも何でもなく、国のサイトで見ることができる情報です。
これを上回るお給料を無能な59歳の人に支払う求人なんてありゃしません。
まあ、特別な資格などを持っている人であれば適職があるかもしれません。

59歳という年齢を前提で求人検索したら何もないのでは、と思ったけれど、
これが、結構あるものなのです。でも、これはネ、理由があるのです。
昔はいざ知らず、現在は男女雇用機会平等法とかもあって、雇用機会は平等
でなければならないという理念が活かされているために、年齢も性別同様に
差別するならば、その理由を明確に示すための根拠が必要なようなんです。
だから、年齢不問となっていても実際は若い女性の事務員を欲しいのだろう
という感じを察知する必要があります。59歳を欲しいケースは非現実的。

この歳になって今更ながら社会勉強をしている感覚もあります。
現在、どういう人材を労働者として求めているのか、よくわかります。
介護ヘルパーなど慢性的な人出不足のようで、たくさん出てきます。
正社員は欲しくないけど、パートでの募集はかなりあります。
こんな大事なことをパートに? というお仕事もコスト最優先で考えている
時代になっているようです。
かなり興味深いお仕事を今日は発見しましたのでプリントしてお持ち帰り。
でも東京なんで、ちょっと通勤が大変だから見送りますけどね。

その足で、血圧の定期検診。先生が、あれっと首をかしげて計り直しする。
思わず、こっちも、ええっ、となったが、120〜70という良すぎる値で
先生が、あれれ、となったのがわかって、なあ〜んだ、と、一安心。
最近はストレス皆無だから調子がいいみたいなんです。
以前、退職した方を招いて会食をしたときに退職時にはくたくたにやつれて、
大丈夫なのかな、と心配した人がやたらに元気になってて仰天。
こりゃあ、どっちが現役だかわかんねえ、やっぱ現役は辛いもんなんだなと
感じましたが、それは特に中間管理職層がその傾向が強かったようですね。
お給料は安くとも私のような終身非管理者の方がお気楽であったのでしょう。
サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ、でなければなりませんよね。


2006.10.22 投稿者:インファント@管理人 投稿日:2006/10/22(Sun) 10:33 No.3506   <HOME>

早期退職制度を利用させて頂いて繰り上げ定年で会社を辞めてから半年が経過。
団塊世代の定年退職問題を一足先に味わっているわけですが、先日、NHKで
団塊世代のこれからといったテーマで討論会があり、それを見ていたのだけど、
定年なんてのは、どこの世代でも発生していたわけで、なにをいまさらという
妙な感覚を抱いた。

働くなんてことは生活の為にやっていたことなので、まだまだ働きたいなんて
感覚はまったく私にはない。そう宣言してしまうと雇用保険給付が頂けない
ので、いちおうすぐに再就職したいという建て前で書類は出してはいるものの、
この歳の人間を労働力として歓迎する企業なんかあるわけがないのであるから
結果はいっしょで相変わらず自由気ままに生活している。

仕事人間なんていう概念から最も遠いところに自分を置いていたために退職を
しても、ああ、さっぱりした、というだけで、仕事を懐かしいなんて、そんな
面はこれっぽっちもない。
だけど、会社へ行って一緒に過ごしていた仲間たちと会えないのは寂しいな。
これだけは痛切に感じます。
たまには逢って話がしたいなあ、と思っても、工場が閉鎖されてしまったので、
散り散りバラバラで遠方に出向かないと会えない。まあ、しょうがないかな。


2006.10.21 投稿者:インファント@管理人 投稿日:2006/10/21(Sat) 18:40 No.3503   <HOME>

今日から日記帳に改めましたが、最新の書込みは、そのまま暫くご覧頂けます。

旧掲示板に皆様から頂戴した貴重なご投稿は過去掲示板倉庫に保管してあります。
↓↓↓ (もちろん玄関のインデックスからも入れます)
http://homepage.mac.com/infant/log/kakoban.html

かなり懐かしい書込みも見ることが出来ますので、どうぞご利用ください。


お引っ越しです 投稿者:インファント@管理人 投稿日:2006/10/20(Fri) 14:09 No.3502   <HOME>

今日から新しい掲示板を開設しましたので引っ越します。
↓↓↓
http://s03.as.wakwak.ne.jp/bbs/mkres5knx/mkres5k.cgi?infant

どうぞ、引き続き、遊びに来て下さい。

こちらの板は、今後、インファント日記として活用する予定です。
(書込みはできません)


オーディオ話(その後) 投稿者:インファント@管理人 投稿日:2006/10/17(Tue) 11:25 No.3489   <HOME>

サイトのコンテンツ更新は中断しちゃうし、掲示板はお休みしちゃうし、
来訪される方には誠に申し訳ない限りです。

あの、ですが……気分的に停滞しているのではないのです。むしろ最昂揚状態。
あれから、CDR−HD1500で、CD−Rを120枚くらい焼いています。

これで焼いたCD−Rの音の魅力ときたら病みつきになります。(なってます)
昨日から、新たにmaxell(音楽用)を試してみました。
ああ……またこれが凄い。こいつ絶品だ。きっと。

昔、カートリッジを色々買って来て、とっかえひっかえして聴いた時期があったけど、
色んな響きがするのだから、各社のCD−Rで全部聴いてみたい気がしてきました。

三菱化学のアゾ系が重心が低い音でアナログ風で好きでしたが、この機器になって、
太陽誘電(ザッツブランド=シニアン系)がスタンダードの風格で、これで決まりか
と思ったが、日立(マクセルブランド=シニアン系)がアクティブな音色で魅力が
あって、これも凄い。今のところ、ポップス&歌謡曲ならば、これが最高かな?
TDKとかビクターもお店にあったが、聴いてないので最高かは不明なんだけどネ。

楽曲の編集(スタートと末端部の処理)や、並び買えはパソコンでやった方が便利で、
これにパソコンを占有させていたので、迷惑メールの削除などが滞ってましたが、
ぼちぼちCD−R焼きも一段落しますのでサイトの更新や掲示板再開をする予定です。


Re: オーディオ話(その後) アマクサのシロ - 2006/10/20(Fri) 00:53 No.3495  


インファントさん。
恐れ入りました!そんな短い期間でCD−Rを120枚も焼いたの凄いなぁラベルのプリントもしなければならないよね。


Re: オーディオ話(その後) インファント@管理人 - 2006/10/20(Fri) 06:51 No.3498   <HOME>


今度採用した機器は録音用CD−Rしか使えず、その中で好きな音質のものは
プリンタブルがなかったので、ラベル印刷はやってません。
だもので、すぐにケースに仕舞わないと何が入っているのかわからなくなって
プレーヤーで聴いてみたりしています。(♪お馬鹿さんなのわたし)


Re: オーディオ話(その後) インファント@管理人 - 2006/10/20(Fri) 10:46 No.3500   <HOME>


もうデジタルの時代になったんだから、音なんて皆同じさ。
というご意見の方もいらっしゃるかも知れませんが、全然違うんだな、これが。
例えば、ザ・ピーナッツの大量のCD群。同じ曲でも音はそれぞれ違うのです。
おおまかに区分すると……

ザ・ピーナッツ・デビュー20周年企画ころまでのCD。
 ザ・ピーナッツ・ドリーム・ボックス(10枚組)
 可愛い ピーナッツ!
 バカンスだよ ピーナッツ!
 ポップスだよ ピーナッツ!
 レッツ・ゴー・ピーナッツ!
 スタンダードだよ ピーナッツ!
 恋する ピーナッツ!
 ときめきの ピーナッツ!
 アナザー・サイド・ピーナッツ!
 さらに、ザ・ピーナッツ全集(6枚組)
これらはアナログ・レコードのバランスのままに素直にデジタル化された音色。

ザ・ピーナッツ・シングルスの時期のCD。
 ザ・ピーナッツ・シングルス〜可愛い花〜(2枚組)
 ザ・ピーナッツ・シングルス〜恋のバカンス〜(2枚組)
 ザ・ピーナッツ・シングルス〜恋のフーガ〜(2枚組)
 ザ・ピーナッツ・シングルス〜モスラの歌〜(2枚組)
 さらに、ザ・ピーナッツ・ドリームCD−BOX(5枚組)
これらは、リマスタリングでメリハリが付き、ややコントラストが強く聴こえる。
幾分かは最近のJ−POPの音色に慣れた耳に相応しい音作りが意識されている。

ザ・ピーナッツ・メモリアルBOX(10枚組)以降のCDリリース
最近のCD全てに当てはまるが、再度のリマスタリングが行われていると推察する。
アナログのマスターテープ音源からの吸い上げが見事である。進歩を感じる。
当時のアナログ・テープ装置の環境を何らかの手段で再現したという感じがする。
商品までの音色の面倒見が良くなり、コンプレッサーなどを用いて聴き応えがある
ように工夫がされていても嫌な響きにはならず、非常に感触がいい。
 
商品のCDでも俄然”音”が良くなっている。
私達の作るCD−Rダビングも様々なファクターで色々な音色が得られるのです。
昨日ネット注文で届いた日立マクセルの録音用CD−Rは残念、期待外れでした。
同じマクセルでもシリーズが違うと音色が異なることが判明した。
100枚もまとめ買いしたので約一万円損した気分だが、お勉強コストと割り切る。
今日、やはり誘電だろうと思い、セラミックコート品を100枚注文し直しました。
ヤマハのオーディオマスターは誘電の低速メディアと相性がとても良いらしいし、
他のメーカーのは実際には誘電が作っているらしいから、この際無視します。

オーディオマスター使っての結果の良かったものがあったら、教えてネ。