2007.07.07 投稿者:インファント 投稿日:2007/07/07(Sat) 11:01 No.3729 | |
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| 参議院選挙戦が始まったが、どうも私は虚しさを感じてしまう。 それは、どの政党にも日本の政治を任せることが出来ないという感覚だからだ。 どの政党も我田引水、自分達の保身だけしか考えていないし、イデオロギーは 先鋭的で国民の安全と平和を本当に優先しているのか不安な連中ばかりだ。
まず、安倍政権の掲げる「美しい日本」という基本方針がまやかしである。 「美しい」という言葉は形容詞であり、表現自体に数値目標や客観性がない。 美しいか醜悪なのかは人間の主観に基づくし、心象を表わす言葉なのである。 「美しくする」なんて目標は政治理念として最も相応しくない無責任なものだ。 美しいという表現には誰も反対しないだろうという実に姑息な表現である。 こんな曖昧な表現を使って国民を欺いてはいけない。
そもそも安倍さんの言う「美しい日本」には、次のような感覚を私は抱いている。 それは武家的な発想であり、貴族的な主観である。 自分の領国を守るとか、国家としてのプライドを第一義に考えているということ。 領主とか藩主のような政治の発想なのである。 国家のためには国民の犠牲もやむを得ないというところへ行き着く道筋なのだ。 我々国民にとっての「幸せ」とか「安全」を忘れてしまっている。
1.文化、伝統、自然、歴史を大切にする国 2.「自由」と「規律」を知る、凛(りん)とした国 3.未来に向かって成長するエネルギーを持ち続ける国 4.世界に信頼され、尊敬され、愛される、リーダーシップのある国 これが理想とする国家であるとし、具体的政策として、 1.政治のリーダーシップ 2.「イノベーション」と「オープン」による経済活性化 3.健全で安心できる社会の実現 4.主張する外交 5.自民党改革のさらなる推進 6.戦後レジームからの新たな船出 という項目を列挙している。
内容を云々する以前に、いつから日本は米国の属国になったのかと嘆きたい。 国家の方針を語るのに、何故こんなにカタカナ英語を使うのだろう。美しくもない。
先日、テレビを見ていたら、日本は世界でも稀なほど、外来語の影響を受けていない 国なのだという。 諸外国は日常語の中に外来語がそのまま使われることが多いのだそうだ。 これは意外であったが、明治時代の賢明な主導者が外国へ行って、その国の言葉を なんとか漢文で表現出来ないかを賢明に模索したのだそうだ。 日本語で使われている漢語は実に素晴らしいセンスで構築されていて、これは中国 へも逆輸出されている言葉が二千種くらいあるそうなのだ。 明治時代の国家を支えた知識人や政治家の理念の高潔さがわかるというものだ。
私も例えば「交響曲」なんていう表現は世界で最高の音楽用語だと思っている。 こんなに見事な語彙は世界的にも稀なことだろう。 日本語というものは元来、美しく、意味も深いものなのである。
「未来に向かって成長するエネルギーを持ち続ける国」(安倍) 「未来に向かって成長する気力と活力を持ち続ける国」(日本的表現)
「世界に信頼され、尊敬され、愛される、リーダーシップのある国」(安倍) 「世界に信頼され、尊敬され、愛される、率先垂範力のある国」(日本的表現)
「イノベーション」と「オープン」による経済活性化(安倍) 「既成概念からの脱却」と「開放路線」による経済活性化(日本的表現)
「戦後レジームからの新たな船出」(安倍) 「戦後に作られた憲法など基本的枠組みからの新たな船出」(日本的表現)
上記のように、正しく日本語で表現して頂いた方が「美しくわかりやすい」だろうが。 工業高校の僅かな国語単位しか履修していない私でも、このように書き直せるのだ。 ということは、成蹊大学法学部政治学科を卒業しても日本語が使い切れないのだろか? そのような「うつけ者」なのか、もしくは確信犯で国民を煙にまいてしまおうという 策略を使う悪党なのか、日本語よりも英語とフランス語を怪しげに扱う奇人である。 こういう詐欺的な言葉を使う人はあまり信用が出来ないなあ。
野党もろくでなしばかりだが、それは別の機会に……。 |
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