10周年特別公演
世界を駈ける可愛い花 ザ・ピーナッツ フェスティバル
1969年(昭和44年)1月21日〜2月4日
愛するタヌキ 十年の栄冠に祝福! 私の恩人ザ・ピーナッツ おめでとう!ザ・ピーナッツ ホップ・ステップ・ジャンプ 冒険だよ!ザ・ピーナッツ |
二人のひとりごと 出番を待つ舞台の袖で、ガクガクと音をたてて小きざみにふるえる両ひざ。お互 |
ザ・ピーナッツといっしょに10年 よくもまあ、あきないものだと、自分でも呆れるぐらい「ザ・ピーナッツ」に関 |
<出演者> ザ・ピーナッツ <スタッフ> 構成演出----山 本 紫 朗 |
第一景 いつも二人で 音楽 宮川泰 演奏 スマイリー小原とスカイ・ライナーズ ☆ウナ・セラ・ディ東京 ザ・ピーナッツ |
第二景 ビート・ゴーズ・オン 音楽 宮川泰 振付 小井戸秀宅 ☆アナザー・オープニング・アナザー・ショー ザ・ピーナッツ 布 施 明 フォー・メイツ 東京コラリアーズ ☆ミュージック・ミュージック・ミュージック ザ・ピーナッツ ☆イン・ザ・ムード ザ・ピーナッツ フォー・メイツ ☆マンボ・バカーン (演奏と群舞) ☆ユー・アー・マイ・デスティニィ 布 施 明 東京コラリアーズ ☆ミッシェル ザ・ピーナッツ ☆テイスト・オブ・ハニー ザ・ピーナッツ ☆デイ・トリッパー ザ・ピーナッツ ☆マーシー・マーシー ザ・ピーナッツ ☆ゴーイング・トウー・ア・ゴーゴー ザ・ピーナッツ フォー・メイツ |
第三景 愛のカルテット 音楽 森岡賢一郎 振付 小井戸秀宅 コーラス 東京コラリアーズ ☆愛の香り 布 施 明 ☆愛の園 布 施 明 ☆華麗なる誘惑 布 施 明 ☆愛のカンツオーネ 布 施 明 |
第四景 心のふるさと 音楽 森岡賢一郎 ☆南部牛追い唄 ザ・ピーナッツ (姉)伊藤エミ (妹)伊藤ユミ (男の子)小松政夫ORなべおさみ (その父)世志凡太OR E・H・エリック |
第五景 スカボロー・フェア 音楽 宮川泰 振付 県洋二 ☆スカボロー・フェア ザ・ピーナッツ 東京コラリアーズ |
第六景 クレオパトラが双児なら 音楽 森岡賢一郎 演奏 日劇オーケストラ (クレオパトラ)ザ・ピーナッツ (若者)布 施 明 (アントニオ)世志凡太OR E・H・エリック (シーザー)小松政夫ORなべおさみ |
第七景 ヒット・パレード 音楽 宮川泰 演奏 スマイリー小原とスカイ・ライナーズ ☆恋のロンド ザ・ピーナッツ ☆メドレー ザ・ピーナッツ 可愛い花 ふりむかないで 情熱の花 恋のバカンス 銀色の道 ☆愛のフィナーレ ザ・ピーナッツ ☆銀の涙 ザ・ピーナッツ 布 施 明 ☆男でよいしょ ザ・ピーナッツ ☆伊勢佐木町ブルース ☆新宿育ち ☆貴方のブルース ☆悲しきタンゴ ザ・ピーナッツ |
第八景 ゲストと歌おう 音楽 森岡賢一郎 演奏 日劇オーケストラ ☆ゲストの唄 ザ・ピーナッツ ☆恋のフーガ ゲスト&ザ・ピーナッツ ●ゲスト・コーナー (日替わり) |
第九景 ガラスの城 音楽 宮川泰 振付 県洋二 演奏 スマイリー小原とスカイ・ライナーズ ☆恋のフーガ〜ガラスの城 ザ・ピーナッツ コーラス 東京コラリアーズ |
第十景 いつも二人で 音楽 宮川泰 ☆ウナ・セラ・ディ東京 ザ・ピーナッツ |
ザ・ピーナッツ栄光の10年 佐藤 有 双生児コーラス・グループ、ザ・ピーナッツ<姉・伊藤エミ、妹・伊藤ユミ>は、 早いもので芸能界にデビューして10周年を迎える今日このごろである。彼女たち は声のハーモニーがよく合い、ヴァイブレーション(声をふるわせること)を用い ても、ものの見事にピタリと合ってその効果は絶大……こんな音楽的な素質に恵ま れていたからこそ、ザ・ピーナッツが、女性コーラスの本命として終始一貫、華や かな人気の座を守り抜けたのだろう。 昭和16年4月1日、名古屋市郊外で生まれた伊藤姉妹は、出身地・名古屋の一 流ナイト・クラブ「ヘルナンド」で歌っていたところを、渡辺晋<渡辺プロダクシ ョン社長>に認められ、高校を2年で中退して上京、当時ロカビリィ・マダムと言 われた渡辺美佐夫人のもとにひきとられ、徹底的な英才教育、今でいう”特訓”を 受けたのである。ザ・ピーナッツの名付親は日本テレビの井原高忠ディレクター。 ピーナッツはひとつの殻に入っていること、割ったらウリ二つの形になるのを思い 浮かべての命名だそうだが、この芸名などは正しく名は体を現わす良き例といえる だろう。 ザ・ピーナッツの初めての仕事は、34年2月の「日劇第2回コーラス・パレー ド」であるが、以下10年間の彼女たちの歩みを年度別に記してみよう。 <34年> 日劇公演(1)コーラス・パレード。レコード会社での争奪戦が行われ、キング レコードと契約。レコードでのデビューは「可愛い花」……グレン・ミラー、ベニ ー・グッドマンのバンドで活躍していたクラリネット奏者ピーナッツ・ハッコーの 吹き込んだレコードが当時ヒットしていたが、ザ・ピーナッツの「可愛い花」が発 売されると、これが面白いように売れたのである。次の「情熱の花」ではリズミカ ルな好唱をくりひろげて”歌う通訳”の異名をとるスタア歌手カテリーナ・バレン テの本命盤に少しも遜色を見せなかったのは、非凡の器といっても過言ではない。 その他のヒット曲は「チャッキリ・チャチャチャ」「キサス・キサス」。 <35年> 日劇公演(2)ラテン・フィエスタ。日劇公演(3)ピーナッツ・ホリデー。 出演映画「私と私」<東宝・杉江敏男監督>「乙女の祈り」「悲しき16才」「月 影のナポリ」「月影のキューバ」などのヒット曲があるがマンネリ化して自信をな くし、ザ・ピーナッツとしての行き詰まりがささやかれている。 インファント注釈:出演映画「私と私」は37年の作品で明らかな記述ミス。 まだ2年目でマンネリ化など囁かれとは思えないが...... <36年> 日劇公演(4)ピーナッツ・ホリデー。 「シャボン玉ホリデー」<NTV>のレギュラー出演。この番組は8年間400回 も続いて、なお高い視聴率を誇っている。同じ局、同じ時間、同じ出演者、同じス ポンサーで「シャボン玉ホリデー」ほど長期にわたって通し続けたプロは他にない とか。あのプロの魅力の支柱として、ザ・ピーナッツの存在は忘れることは出来な いだろう。ヒット曲は「スクスク」「ペピート」「ハロー・メリー・ルー」「コー ヒー・ルンバ」「ポケット・トランジスター」「イエロー・バード」「涙のスクリ ーン」「悲しき片思い」。 渡辺社長より、現在住んでいる家<世田谷区玉川仲町>を贈られる。 インファント注釈:この年の重要な記述が抜けている。「モスラ」(東宝)への 出演である。現在DVDでピーナッツの歌を聴こうとすれば、 モスラ三部作しか無い程最重要な事柄である。 同じ東宝系列なのだから、これは特記すべきだと思うが.... <37年> 日劇公演(5)新春スタア・パレード。日劇公演(6)ピーナッツ・ホリデー。 ヒット曲は「モスコーの夜は更けて」「若い季節」「恋のジュークボックス」 「ふりむかないで」。 インファント注釈:ヒット曲の記述は妙なセレクト。「恋のジュークボックス」 など「レモンのキッス」の裏面曲であり流行った実績なし。 資料を元に適当な曲名を転記しているだけのようだ。 どうせ適当に書くのならA面曲を書くべきだと思うが...... <38年> 日劇公演(7)無責任だよ!ピーナッツ。 日劇公演(8)バカンスだよ!ピーナッツ。 初めての海外旅行でヨーロッパに出かけたが、「情熱の花」を歌ったことが縁で、 カテリーナ・ヴァレンテと親交を深める。ザ・ピーナッツに惚れ込んだヴァレンテ に招かれ、オーストリアのテレビ番組「カテリーナ・ヴァレンテ・ショウ」に出演。 テレビ・ディレクターのマイケル・フレッガーに認められる。「恋のバカンス」 「スキヤキ<上を向いて歩こう>」の2曲を歌うだけなのに、リハーサルがなんと 一週間も行われたが、外国のショウ・ビジネスの厳しさに、ザ・ピーナッツも大い に張り切る。ヒット曲は「チャオ」「恋のバカンス」「こっちを向いて」。 <39年> 日劇公演(9)初笑い ほんとにクレージーだよ!ザ・ピーナッツ。 日劇公演(10)まこと 六月だよ!ザ・ピーナッツ。 出演映画「わてら祇園の舞妓はん」<東宝・佐伯幸三監督>、「モスラ対ゴジラ」 <東宝・本田猪四郎監督>。 西独のババリア・プロ制作のテレビ番組「ショー・ビジネス・イン・ジャパン」 <マイケル・フレッガー監督>に出演、好評を博している。ここにザ・ピーナッツ の名前は全ヨーロッパに紹介されたのである。そのため海外における出演交渉が殺 到し、西独のミュンヘンで制作された一時間半番組「スマイル・イン・ザ・ウエス ト」に主演。ヒット曲は「ドミニク 」「ダンケ・シェーン」「ラ・ノビア」「花 はどこへ行った」「夢見る想い」「ウナ・セラ・ディ東京」「ブーベの恋人」。 なかでも「ウナ・セラ・ディ東京」はレコード大賞作曲賞に輝き、ザ・ピーナッツ はカンツォーネのプリマ・ドンナといわれるミルヴァとの競作にも負けずに大ヒッ トさせている。 <40年> 日劇公演(11)初笑い ほんとにクレージーだよ!ザ・ピーナッツ。 日劇公演(12)歌う ザ・ピーナッツ。 映画出演「ウナ・セラ・ディ東京」<松竹・番匠義彰監督>。 西独新人歌手コンテストが行われるバーデン・バーデン音楽祭の「ジャーマン・ ヒット・パレード」にゲスト・スタアとして招待される。この時「ショウ・アラウ ンド・ザ・ワールド」にも出演。ザ・ピーナッツはドイツで彼女らのために作曲さ れた「ホイテ・アーベン」などをドイツ語で歌いこなし、双生児歌手という物珍し さだけではない、チャーミングで情感のこもった歌唱力を示したのである。 この後、ケルンでエレクトローラ・レコードにドイツ語で3曲、パリでパティ・ マルコニー・レコードにフランス語で4曲を、レコードに吹き込み、名実ともに日 本のザ・ピーナッツはヨーロッパ・ポピュラー・ミュージック界のアイドルに祭り あげられたのである。ヒット曲は「かえしておくれ今すぐに」「あなたの胸に」 「明日になれば」 インファント注釈:松竹映画「ウナ・セラ・ディ東京」には出演していません。 <41年> 日劇公演(13)今年もクレージーだよ!ザ・ピーナッツ。 40年のザ・ピーナッツのヨーロッパでの活躍ぶりが、アメリカのショウ・ビジ ネスに伝わると「エド・サリヴァン・ショウ」「ダニー・ケイ・ショウ」といった 文字通り本場の檜舞台の出演が決ったのである。ザ・ピーナッツが世界の超一流の 歌手の仲間入りが実証されたヒトコマといえるだろう。アメリカは自国の芸能人の 職域保護とドル流出防衛のために、外国から来る芸能人の活躍を制限するような取 り締まりを行っているのが現状であるが、ザ・ピーナッツがその厚い壁を撃ち破っ たのは、とても価値あることだと思う。ヒット曲は「ローマの雨」。 <42年> 日劇公演(14)クレージーだよ!ザ・ピーナッツ。 日劇公演(15)ピーナッツ・ホリデー ジャニーズと共に。 オランダで行われた「カテリーナ・ヴァレンテ・ショウ」に出演。ヒット曲は 「東京ブルーレイン」「しあわせの花を摘もう」「恋のフーガ」「離れないで」。 <43年> 日劇公演(16)クレージーだよ!ザ・ピーナッツ。 沖縄公演、アメリカ民音「ザ・ピーナッツ・ショウ」。 ヒット曲は「恋のオフェリア」「愛のフィナーレ」「恋のロンド」「愛への祈り」 「ガラスの城」「たった一度の夢」。 ザ・ピーナッツの10年間をレコードの上で総決算した「ピーナッツ・ゴールデン ・デラックス」(SKK475〜6)は、ザ・ピーナッツの過去10年間の実力を 2枚のLPに結集したもので、彼女のファンはもとより、多くのポップス・ファン も絶対に見落とせない魅力盤といえるだろう。ポップス・シンガーとしてのベスト ヒット曲が網羅されており、ザ・ピーナッツの傑れたパーソナリティが100%発 揮されている。CXTVの人気番組「ザ・ヒット・パレード」500回を重ねる。 <44年> 日劇公演(17)世界を駈ける可愛い花 ザ・ピーナッツ フェスティバル。 ザ・ピーナッツは10年間、ショウ・ビジネス<歌・映画・テレビ>に撤し、ス タア街道を快調に飛ばしてきたが、それでも何度か他人には判らない、苦しいスラ ンプに突き当ったこともあったようである。栄光のかげにはこうした苦悩はつきも のである。それを乗り越え、なみなみならぬ精進を続けた結果、ザ・ピーナッツは 大きく着実に成長してきたのだと思う。彼女たちにとって海外での仕事が多いこと は、本当にプラスしているかどうかは一考する余地があるにしても、日本を代表す る国際的な歌手としての地位を不動のものに築きあげたことは意義あることだろう。 世界の人から愛され、親しまれるザ・ピーナッツ……やはり彼女たちは体こそ15 3センチ、41キロと小さくても、その内容は大きく充実している。なんにしても ”大きいことはいいことだ!”。 ザ・ピーナッツにとって、日劇での2週間公演は初めての試みだが、必ずや成功 裡に終ることと思う。彼女たちは10周年を迎えた44年を境目に、またまた大き く羽ばたくことだろう。正確で美しいデュエット・ハーモニーを身上とするザ・ピ ーナッツには、いつまでも人の心に残るいい歌を歌い続けて欲しいものである。 やがて、ザ・ピーナッツも、それぞれ良きパートナーを得て、幸せな家庭生活に 入り、可愛い花から可愛い奥さんへと開花していくだろうけど、今から白髪まじり の可愛いおばさんになった二人が歌うさまを想像しただけでも楽しい。これがぼく のザ・ピーナッツへの願いでもあり、祈りでもある。 |
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