10周年特別公演 

世界を駈ける可愛い花 ザ・ピーナッツ フェスティバル

            1969年(昭和44年)1月21日〜2月4日

愛するタヌキ
              TVディレクター 秋元近史(五十音順)
 いつごろからか、よく覚えていないが、「シャボン玉ホリデー」のピーナッツに
愛称がついた、タヌキという。そういわれてみると似ていないでもない。起源につ
いては、はっきりとしないが、恐らくハナ肇あたりからだろう。番組の終わりに、
スター・ダストをピーナッツが唄う、そこへハナ肇が入ってきて、ニクまれぐちを
たたいて、ピーナッツにガツンと肘鉄を喰わされる。どうやらこのニクまれぐちか
らタヌキの愛称が始まったとみてよい。毎週続いている「シャボン玉ホリデー」に
タヌキは、もう八年もどっかと腰を落ちつけている。四〇〇回も番組新記録が生ま
れたのも、ホステス役の二匹のタヌキの弛まざる奮闘、努力と愛される性格が原因
といえる。
 元来、タヌキという動物は人をだますものとされているが、どっこい、ウチのタ
ヌキ共は、人をだますどころか誰からも愛される性格を持っている。その愛される
タヌキがデビューして十周年を迎えることになった、心からおめでとうを云いたい。
作曲家、宮川泰、すぎやまこういち、振付の小井戸秀宅等、優れた調教師の努力も
さることながら、この恵まれた環境の中で、ますます二匹のタヌキは、大いなる飛
躍をつづけることだろう。世界一の愛されるタヌキになってゆくことと確信する。
 古タヌキにならず、いつまでも愛される可愛いタヌキでいて欲しいものだ。

十年の栄冠に祝福!
              音楽評論家 伊奈一男
 十年前、私は日劇の楽屋に取材に出かけた。
 名古屋から出てきたザ・ピーナッツの取材。そのころ、双生児のコーラスなんて
珍しかった。楽屋で、かわいらしい女の子二人が”よろしくどうぞ”と頭を下げた。
 そんなふうに、こちらは覚えているが、むろん彼女たちは忘れている。あがりっ
ぱなしの初公演で誰に合い、どんな取材をされたかなどということを覚えているは
ずがない。でも、この一週間の気持だけは十年間、いつでも心に刻みつけていたと
思う。そうでなかったら、今日の「ザ・ピーナッツ」はないだろう。
 私は、彼女たちの十年間は”努力”の十年だったと思う。いつでも二人が一緒に
いるために、努力しているのだ、という悲愴感はあまり外面に現われてはこない。
そのために、何ろなく十年を過ごしてきたみたいな感じを持つ人がいるかも知れな
い。でも、実際は違うのだ。
 先頭に立っているもののつらさ……。それはいつでも自分で道を切り拓いて前進
しなければならないことである。常に創造しなければならないのだ。
 「ザ・ピーナッツ」はそれに耐えた。耐えられるだけの素材だったことはいうま
でもないが、勉強はさぞ大変だったことだろう。新しいレパートリー、踊り、演技、
衣装……。でも、そこに”十年”という栄冠があった。祝福しよう。そして”前進”
するピーナッツのさらに今後に期待しよう。

私の恩人ザ・ピーナッツ
              作詞家 岩谷時子
 私がまだ東宝の文芸部にいた頃だから、昭和三十六・七年だったと思うが、作曲
家の宮川泰さんと私が、日本放送の「今月の歌」という番組で、ピーナッツさんの
ために毎月一曲づつ新曲を書いたことがあった。
 ピーナッツさんも宮川さんも私も新人?で、なかでも私などは「お時さんが書い
た歌はゼッタイ当らない」ので有名だった頃である。
 この番組で、思い出せばなつかしい「あれは十五の夏祭り」「山小屋の太郎さん」
などという歌を夢中で作っているうちに、その中の「ふりむかないで」が、どうし
たわけか当ってしまった。
 当っていちばん驚いたのは私で、続いて「恋のバカンス」「ウナ・セラ・ディ東
京」などがヒットし、ピーナッツさんは、当らないので名高かった私にとって、一
生忘れることの出来ない恩人になってしまったのである。
 舞台やテレビの本番は別として、ふだん仕事をしている時のピーナッツさんは殆
ど素顔で飾り気がなく、歌に対して良い意味でいつもムキになっている。そして、
そんなピーナッツさんが私は大好きだ。
 悩みなくすごすことの出来ない人生と歌の道を二人で手を取り合って乗り越え、
いつまでも私たちに美しいデュエットをきかせて欲しい。そしていつの日か幸福な
結婚の歌をかなでてほしい。
 その時こそ私は宮川さんとすてきな愛の歌を贈って、ご恩がえしをしたいものだ
と思っている。

おめでとう!ザ・ピーナッツ
              歌手 江利チエミ
 エミちゃん、ユミちゃん、ザ・ピーナッツ十周年記念公演おめでとう。
 十年ひと昔と一口にいっても、時の流れがスピーディになったこの頃では、三年
ひと昔どころか浮沈の激しいこの芸能界では一年経つか経たぬかの束の間にすっか
り地図がぬり変ってしまいます。その中にあって、ちっちゃな南京豆(ザ・ピーナ
ッツ、誰が名付け親かほんとにいい名前だと思います)が、喜こびや哀しみを分ち
合いながら助け合って生きぬいた十年間、頭の下がる思いです。
 ピーナッツといえば”シャボン玉ホリデー”がすぐ頭に浮かびます。お二人は覚
えているかしら……たしか三十六年、まだ番組がスタートして間もないころ”ソレ
ユケ ピーナッツ”でゲスト出演した私のことを……。
 エミちゃん、ユミちゃんも当時もっとグラマーで一生懸命歌っていました。
 その後、舞台ではご一緒する機会はなかったけれど、お二人にとっても、私にと
っても忘れることのできないこの日劇のステージで又、ご一緒できるのはうれしい
ことです。
 私もこの道十八年、ほんとにいろいろなことがありました。そこでちょっぴり先
輩格の私から一言……「初心忘るべからず」。
 そして、この公演を出発点に次の十年に向って力強く羽ばたいて下さい。

ホップ・ステップ・ジャンプ
              作曲家 すぎやまこういち
 ピーナッツ、十周年、おめでとう。
 十年といえば、僕にとっても、TVディレクターになって今年で十年だし、作曲
をはじめて十年目、さらに”ザ・ヒット・パレード”の演出をはじめてから十年と、
ちょうど、ピーナッツと同じように芸能界を歩んできたように思われる。
 先日、キングレコードのそばの護国寺を通りかかったら、古びたソロバン塾があ
って、一枚のポスターがはってあった。おそらく十年の雨風にさらされ、色あせた
そのポスターに「私たちもソロバン二級なのよ」というコメントが書いてあり、な
およく見ると、風船玉のように丸々と太ったピーナッツがにっこりこちらを向いて
いた。それを見つけた僕は、思わず吹き出してしまったが、我に返った時に、十年
の歳月の長さをしみじみと感じて、お互いによくここまでがんばってきたものだと
思った。これだけ、浮き沈みの激しいこの世界で、今日まで歌い続けながら、なお
かつ、デビュー当時に持っていた良いものを失わずに、更に新しいものをどんどん
吸収してきていることは、本当に大変なことだと思う。
 常に新鮮さを保ちながら、「丈夫で長持ちする」これが本当の大人のタレントと
いうものであろう。十周年に当って発表する新曲「悲しきタンゴ」は、いろいろな
意味を含めて、ピーナッツの新しいジャンプ台になるものだと信じている。
 皆さん、我らがピーナッツを応援しようではありませんか!

冒険だよ!ザ・ピーナッツ
              コメディアン ハナ肇
 デビューした時から、ザ・ピーナッツは優等生だった。
 レコードでも、テレビでも、映画でも、彼女たちは、常に優等生だった。
 外国へ出かけていっても、ザ・ピーナッツは、優等生だった。
 仕事をはなれて、単に隣の家の住人として見ても、二人はまことによき優等生で
ある。
 十年間、いつもかわらず優等生であったザ・ピーナッツ。
 デビューした時から、二人は、可愛いザ・ピーナッツと言われていた。
 レコードでも、テレビでも、映画でも、二人はいつも、可愛いザ・ピーナッツと
言われていた。
 外国へ出かけていっても、やっぱり可愛いザ・ピーナッツだった。
 十年間、二人は、いつもかわらず、可愛いザ・ピーナッツと呼ばれてきた。
 そこで、ボクは思うのだが、果して、このままこれから先、いつまでも優等生で、
可愛らしいザ・ピーナッツであっていいのだろうか。
 ひとつ、十年を機会に、思いきって、ここらで冒険して、大人の芸に挑戦してみ
てはどうだろう。彼女たちなら、必ずやれると僕は信じているのだが。
 ひと皮むけたザ・ピーナッツを期待するのは、ボクだけだろうか。

二人のひとりごと

 出番を待つ舞台の袖で、ガクガクと音をたてて小きざみにふるえる両ひざ。お互
いに相手の耳にまでとどきそうに高鳴る心臓の鼓動。無我夢中で歌った私たちのデ
ビューは、同じこの日劇の舞台でした。
 いまだに忘れることのできないあの日の客席の拍手。あの拍手のひびきが、私た
ちの心の底にしっかりと焼きついて、その後の私たちをいつも支えてくれていたの
ではないかと思っています。
 レコーディングの曲が、うまく歌えなくて何度もやり直しを繰返している時。踊
りの振りが覚えられなくて、レッスンを重ねる時。テレビのビデオどりが夜明けに
なっても終わらず、必死になって睡魔と闘っている時。
 ヨーロッパで、不自由な外国語に悩まされながら仕事を続けた時。広いアメリカ
の街で、ふと日本が恋しくてたまらなくなった時。そんなとき、きまってあの拍手
のひびきが、私たちの脳裡をかすめるのです。するとたちまち、なぜか、私たちは
勇気をとりもどして、仕事に対するファイトをかきたてることができました。
 思えば、私たちは、いつも良いスタッフに囲まれ、いい先輩たち、いい友人たち
に支えられて、幸運な仕事をしてきましたが、それ以上に、やっぱり、良いお客さ
またちに恵まれていたのだということを、いまになってしみじみと感じます。そし
て、そういう客席の声援に応えることはやっぱり、立派な、たのしい舞台を、いっ
しょうけんめいつとめることだと思います。
 又、今日も、あの日のあの時と同じように開幕のベルが鳴っています。私たちの
ひざがかすかにふるえてきました。さあ、幕があがります。

ザ・ピーナッツといっしょに10年
                   渡辺プロダクション副社長 渡辺美佐

 よくもまあ、あきないものだと、自分でも呆れるぐらい「ザ・ピーナッツ」に関
するエピソードを、私は、いろいろな機会に、新聞や雑誌に書かされたり、テレビ
やラジオで、何回も喋らされてきた。そして十年、もうネタぎれだろうと言う人も
あるけれども、やっぱり彼女たちのこととなると、ひとこと口を出さずにはおれな
い私。そこで、ここには、まだ誰にも話したことのない思い出ばなしだけを、いく
つか拾ってみた。
        *       *       *
 ヨーロッパでのザ・ピーナッツの年令は、公称十八才ということでスタートした。
それがドイツの人々に信じてもらえるギリギリ最高のところだったから。
 アメリカでは更に二・三才低くしなければ通用しない。半ば損したような、半ば
得したような複雑な気持であるが。
 それから三、四年経って、何度目かの渡欧のとき、もうすっかり度胸のすわった
私とザ・ピーナッツは、チューリッヒの空港で、いきなり通訳なしの記者会見にの
ぞんだ。
 日本人が外国できかれることは、たいていどこでも同じようなことばかり。三人
とも、わりといい気持で、色々答えているうちに、うっかりヨーロッパ年令がいく
つになっているのかを忘れてしまって、大あわて。急にドイツ語が判らなくなった
ような下手なお芝居をしながら三人で、指を折って、数え直し、あれから何年たっ
たから、十八、十九、二十才……と、意見統一をしてから、さて、改めて質問に答
えるという、珍妙なアトラクションに冷汗をかいた。
        *       *       *
 カテリーナ・バレンテ・ショーに出演したとき、オランダの国営テレビ局から、
特にこの番組の功労者として、ザ・ピーナッツだけが選ばれて記念品を贈られた。
世界一流のゲスト・スターばかりが集った中で、この光栄ある名誉をうけた嬉しさ
は、格別だった。感激という言葉がこの時のためにあるのではないかと思ったほど。
 この記念品が、すばらしく大きな壷でずっしりと両手に重く、感動も一しおだっ
た。ところが、そのあと、この大きな荷物を抱えて、ヨーロッパの各国をまわった
時の辛さ。毎回この壷を処理しなければならないわずらわしさ。
 参った参ったを連発したヨーロッパでの毎日だった。
        *       *       *
そのカテリーナ・バレンテ・ショーの時に、いっしょだったスターの中で、とりわ
け、ザ・ピーナッツを可愛がってくれたのが、ダニー・ケイであり、フランク・シ
ナトラであり、フレッド・アステアだった。中でも、ハリウッドの有名な振付師、
ニック・キャッスル氏のほれこみ方はたいへんなものだった。
 彼はパーティーの席上で
 「我々にとってこの中でいちばんおそろしいのは日本から来たザ・ピーナッツで
ある。この小さい二人の才能がどこまでのびるか、それを考えると、本当におそろ
しくなる。アメリカが真珠湾以上に日本をおそれなければならないものがあるとす
れば、それは、ザ・ピーナッツである」
 そういうスピーチをして、ザ・ピーナッツと固く握手して、満場の喝采を拍した。
このニック・キャッスル氏も、昨年、惜しまれながらこの世を去った。
        *       *       *
 とにかく、大きな栄光を得るためにはそこに、いつも厳しい試練があった。
 外国旅行だけを例にとっても、私自身、何度投げ出してしまおうと思ったかしれ
ない。けれども、ザ・ピーナッツはやりとげてきた。これからも、やってくれるだ
ろう。
 アメリカでも、ヨーロッパでも、日本でも共通して言えることは、誰からも愛さ
れるザ・ピーナッツということである。
 まわりにいる全ての人を、ザ・ピーナッツのためにいっしょうけんめいにならざ
るを得ないように、いつの間にかしてしまう、そういう無限の才能を持った二人、
ザ・ピーナッツ。
彼女らに幸あれ……

<出演者>

ザ・ピーナッツ
   伊藤エミ
   伊藤ユミ
   
特別出演

布 施   明
--------------
フォー・メイツ
東京コラリアーズ
   
世 志 凡 太
小 松 政 夫
  (28日まで)
な べ・おさみ
E・H・エリック
  (29日から)
   
スマイリー小原とスカイ・ライナーズ
--------------
日劇ダンシング・チーム
--------------
日劇オーケストラ 指揮:多忠脩
--------------
ゲスト(日替わり)
1/22(水)ハナ肇とクレージー・キャッツ
1/23(木)森 新一
1/24(金)園 まり
1/25(土)ジャッキー吉川とブルー・コメッツ
1/26(日)加山雄三
1/27(月)ザ・ドリフターズ
1/28(火)中尾ミエ
       ザ・ワイルド・ワンズ
1/29(水)梓みちよ
       ピンキーとキラーズ
1/30(木)ザ・タイガース
1/31(金)伊東ゆかり
2/ 2(土)江利チエミ
2/ 3(日)西郷輝彦
2/ 4(月)田辺昭知とザ・スパイダース
2/ 5(火)坂本 九

<スタッフ>

構成演出----山 本 紫 朗
    ----岸 田 英 弥
音  楽----宮 川   泰
    ----森 岡 賢一郎
振  付----県   洋 二
    ----小井戸  秀宅
装置衣装----真 木 小太郎
照  明----村 井 嘉兵衛
音響効果----秋 山 周太郎
舞台監督----橘   市 郎
    ----狩 野 健 司
--------------------------
制  作----宇 田 良 弼

第一景 いつも二人で
               音楽 宮川泰
               演奏 スマイリー小原とスカイ・ライナーズ
☆ウナ・セラ・ディ東京   ザ・ピーナッツ
第二景 ビート・ゴーズ・オン
               音楽 宮川泰
               振付 小井戸秀宅
☆アナザー・オープニング・アナザー・ショー
             ザ・ピーナッツ
             布 施   明
             フォー・メイツ
             東京コラリアーズ
☆ミュージック・ミュージック・ミュージック
             ザ・ピーナッツ
☆イン・ザ・ムード    ザ・ピーナッツ
             フォー・メイツ
☆マンボ・バカーン  (演奏と群舞)
☆ユー・アー・マイ・デスティニィ
             布 施   明
             東京コラリアーズ
☆ミッシェル       ザ・ピーナッツ
☆テイスト・オブ・ハニー ザ・ピーナッツ
☆デイ・トリッパー    ザ・ピーナッツ
☆マーシー・マーシー   ザ・ピーナッツ
☆ゴーイング・トウー・ア・ゴーゴー
             ザ・ピーナッツ
             フォー・メイツ
第三景 愛のカルテット
               音楽 森岡賢一郎
               振付 小井戸秀宅
             コーラス 東京コラリアーズ
☆愛の香り        布 施   明
☆愛の園         布 施   明
☆華麗なる誘惑      布 施   明
☆愛のカンツオーネ    布 施   明
第四景 心のふるさと
               音楽 森岡賢一郎
☆南部牛追い唄      ザ・ピーナッツ
          (姉)伊藤エミ
          (妹)伊藤ユミ
        (男の子)小松政夫ORなべおさみ
        (その父)世志凡太OR E・H・エリック
第五景 スカボロー・フェア
               音楽 宮川泰
               振付 県洋二
☆スカボロー・フェア
             ザ・ピーナッツ
             東京コラリアーズ
第六景 クレオパトラが双児なら
               音楽 森岡賢一郎
               演奏 日劇オーケストラ

     (クレオパトラ)ザ・ピーナッツ
         (若者)布 施   明
      (アントニオ)世志凡太OR E・H・エリック
       (シーザー)小松政夫ORなべおさみ
第七景 ヒット・パレード
               音楽 宮川泰
               演奏 スマイリー小原とスカイ・ライナーズ
☆恋のロンド       ザ・ピーナッツ
☆メドレー        ザ・ピーナッツ
 可愛い花
 ふりむかないで
 情熱の花
 恋のバカンス
 銀色の道
☆愛のフィナーレ     
ザ・ピーナッツ
☆銀の涙         ザ・ピーナッツ
             布 施   明
☆男でよいしょ      ザ・ピーナッツ
☆伊勢佐木町ブルース
☆新宿育ち
☆貴方のブルース
☆悲しきタンゴ
      ザ・ピーナッツ
第八景 ゲストと歌おう
               音楽 森岡賢一郎
               演奏 日劇オーケストラ
☆ゲストの唄       ザ・ピーナッツ
☆恋のフーガ       ゲスト&ザ・ピーナッツ

●ゲスト・コーナー   (日替わり)
第九景 ガラスの城
               音楽 宮川泰
               振付 県洋二
               演奏 スマイリー小原とスカイ・ライナーズ
☆恋のフーガ〜ガラスの城
             
ザ・ピーナッツ
             コーラス 東京コラリアーズ
第十景 いつも二人で
               音楽 宮川泰
☆ウナ・セラ・ディ東京  ザ・ピーナッツ
ザ・ピーナッツ栄光の10年
                           佐藤 有
 双生児コーラス・グループ、ザ・ピーナッツ<姉・伊藤エミ、妹・伊藤ユミ>は、
早いもので芸能界にデビューして10周年を迎える今日このごろである。彼女たち
は声のハーモニーがよく合い、ヴァイブレーション(声をふるわせること)を用い
ても、ものの見事にピタリと合ってその効果は絶大……こんな音楽的な素質に恵ま
れていたからこそ、ザ・ピーナッツが、女性コーラスの本命として終始一貫、華や
かな人気の座を守り抜けたのだろう。
 昭和16年4月1日、名古屋市郊外で生まれた伊藤姉妹は、出身地・名古屋の一
流ナイト・クラブ「ヘルナンド」で歌っていたところを、渡辺晋<渡辺プロダクシ
ョン社長>に認められ、高校を2年で中退して上京、当時ロカビリィ・マダムと言
われた渡辺美佐夫人のもとにひきとられ、徹底的な英才教育、今でいう”特訓”を
受けたのである。ザ・ピーナッツの名付親は日本テレビの井原高忠ディレクター。
ピーナッツはひとつの殻に入っていること、割ったらウリ二つの形になるのを思い
浮かべての命名だそうだが、この芸名などは正しく名は体を現わす良き例といえる
だろう。
 ザ・ピーナッツの初めての仕事は、34年2月の「日劇第2回コーラス・パレー
ド」であるが、以下10年間の彼女たちの歩みを年度別に記してみよう。
<34年>
 日劇公演(1)コーラス・パレード。レコード会社での争奪戦が行われ、キング
レコードと契約。レコードでのデビューは「可愛い花」……グレン・ミラー、ベニ
ー・グッドマンのバンドで活躍していたクラリネット奏者ピーナッツ・ハッコーの
吹き込んだレコードが当時ヒットしていたが、ザ・ピーナッツの「可愛い花」が発
売されると、これが面白いように売れたのである。次の「情熱の花」ではリズミカ
ルな好唱をくりひろげて”歌う通訳”の異名をとるスタア歌手カテリーナ・バレン
テの本命盤に少しも遜色を見せなかったのは、非凡の器といっても過言ではない。
その他のヒット曲は「チャッキリ・チャチャチャ」「キサス・キサス」。
<35年>
 日劇公演(2)ラテン・フィエスタ。日劇公演(3)ピーナッツ・ホリデー。
出演映画「私と私」<東宝・杉江敏男監督>「乙女の祈り」「悲しき16才」「月
影のナポリ」「月影のキューバ」などのヒット曲があるがマンネリ化して自信をな
くし、ザ・ピーナッツとしての行き詰まりがささやかれている。
 インファント注釈:出演映画「私と私」は37年の作品で明らかな記述ミス。
          まだ2年目でマンネリ化など囁かれとは思えないが......
<36年>
 日劇公演(4)ピーナッツ・ホリデー。
「シャボン玉ホリデー」<NTV>のレギュラー出演。この番組は8年間400回
も続いて、なお高い視聴率を誇っている。同じ局、同じ時間、同じ出演者、同じス
ポンサーで「シャボン玉ホリデー」ほど長期にわたって通し続けたプロは他にない
とか。あのプロの魅力の支柱として、ザ・ピーナッツの存在は忘れることは出来な
いだろう。ヒット曲は「スクスク」「ペピート」「ハロー・メリー・ルー」「コー
ヒー・ルンバ」「ポケット・トランジスター」「イエロー・バード」「涙のスクリ
ーン」「悲しき片思い」。
 渡辺社長より、現在住んでいる家<世田谷区玉川仲町>を贈られる。
 インファント注釈:この年の重要な記述が抜けている。「モスラ」(東宝)への
          出演である。現在DVDでピーナッツの歌を聴こうとすれば、
          モスラ三部作しか無い程最重要な事柄である。
          同じ東宝系列なのだから、これは特記すべきだと思うが....
<37年>
 日劇公演(5)新春スタア・パレード。日劇公演(6)ピーナッツ・ホリデー。
 ヒット曲は「モスコーの夜は更けて」「若い季節」「恋のジュークボックス」
「ふりむかないで」。
 インファント注釈:ヒット曲の記述は妙なセレクト。「恋のジュークボックス」
          など「レモンのキッス」の裏面曲であり流行った実績なし。
          資料を元に適当な曲名を転記しているだけのようだ。
          どうせ適当に書くのならA面曲を書くべきだと思うが......
<38年>
 日劇公演(7)無責任だよ!ピーナッツ。
 日劇公演(8)バカンスだよ!ピーナッツ。
 初めての海外旅行でヨーロッパに出かけたが、「情熱の花」を歌ったことが縁で、
カテリーナ・ヴァレンテと親交を深める。ザ・ピーナッツに惚れ込んだヴァレンテ
に招かれ、オーストリアのテレビ番組「カテリーナ・ヴァレンテ・ショウ」に出演。
テレビ・ディレクターのマイケル・フレッガーに認められる。「恋のバカンス」
「スキヤキ<上を向いて歩こう>」の2曲を歌うだけなのに、リハーサルがなんと
一週間も行われたが、外国のショウ・ビジネスの厳しさに、ザ・ピーナッツも大い
に張り切る。ヒット曲は「チャオ」「恋のバカンス」「こっちを向いて」。
<39年>
 日劇公演(9)初笑い ほんとにクレージーだよ!ザ・ピーナッツ。
 日劇公演(10)まこと 六月だよ!ザ・ピーナッツ。
 出演映画「わてら祇園の舞妓はん」<東宝・佐伯幸三監督>、「モスラ対ゴジラ」
<東宝・本田猪四郎監督>。
 西独のババリア・プロ制作のテレビ番組「ショー・ビジネス・イン・ジャパン」
<マイケル・フレッガー監督>に出演、好評を博している。ここにザ・ピーナッツ
の名前は全ヨーロッパに紹介されたのである。そのため海外における出演交渉が殺
到し、西独のミュンヘンで制作された一時間半番組「スマイル・イン・ザ・ウエス
ト」に主演。ヒット曲は「ドミニク 」「ダンケ・シェーン」「ラ・ノビア」「花
はどこへ行った」「夢見る想い」「ウナ・セラ・ディ東京」「ブーベの恋人」。
なかでも「ウナ・セラ・ディ東京」はレコード大賞作曲賞に輝き、ザ・ピーナッツ
はカンツォーネのプリマ・ドンナといわれるミルヴァとの競作にも負けずに大ヒッ
トさせている。
<40年>
 日劇公演(11)初笑い ほんとにクレージーだよ!ザ・ピーナッツ。
 日劇公演(12)歌う ザ・ピーナッツ。
 映画出演「ウナ・セラ・ディ東京」<松竹・番匠義彰監督>。
 西独新人歌手コンテストが行われるバーデン・バーデン音楽祭の「ジャーマン・
ヒット・パレード」にゲスト・スタアとして招待される。この時「ショウ・アラウ
ンド・ザ・ワールド」にも出演。ザ・ピーナッツはドイツで彼女らのために作曲さ
れた「ホイテ・アーベン」などをドイツ語で歌いこなし、双生児歌手という物珍し
さだけではない、チャーミングで情感のこもった歌唱力を示したのである。
 この後、ケルンでエレクトローラ・レコードにドイツ語で3曲、パリでパティ・
マルコニー・レコードにフランス語で4曲を、レコードに吹き込み、名実ともに日
本のザ・ピーナッツはヨーロッパ・ポピュラー・ミュージック界のアイドルに祭り
あげられたのである。ヒット曲は「かえしておくれ今すぐに」「あなたの胸に」
「明日になれば」
 インファント注釈:松竹映画「ウナ・セラ・ディ東京」には出演していません。
<41年>
 日劇公演(13)今年もクレージーだよ!ザ・ピーナッツ。
 40年のザ・ピーナッツのヨーロッパでの活躍ぶりが、アメリカのショウ・ビジ
ネスに伝わると「エド・サリヴァン・ショウ」「ダニー・ケイ・ショウ」といった
文字通り本場の檜舞台の出演が決ったのである。ザ・ピーナッツが世界の超一流の
歌手の仲間入りが実証されたヒトコマといえるだろう。アメリカは自国の芸能人の
職域保護とドル流出防衛のために、外国から来る芸能人の活躍を制限するような取
り締まりを行っているのが現状であるが、ザ・ピーナッツがその厚い壁を撃ち破っ
たのは、とても価値あることだと思う。ヒット曲は「ローマの雨」。
<42年>
 日劇公演(14)クレージーだよ!ザ・ピーナッツ。
 日劇公演(15)ピーナッツ・ホリデー ジャニーズと共に。
 オランダで行われた「カテリーナ・ヴァレンテ・ショウ」に出演。ヒット曲は
「東京ブルーレイン」「しあわせの花を摘もう」「恋のフーガ」「離れないで」。
<43年>
 日劇公演(16)クレージーだよ!ザ・ピーナッツ。
 沖縄公演、アメリカ民音「ザ・ピーナッツ・ショウ」。
ヒット曲は「恋のオフェリア」「愛のフィナーレ」「恋のロンド」「愛への祈り」
「ガラスの城」「たった一度の夢」。
ザ・ピーナッツの10年間をレコードの上で総決算した「ピーナッツ・ゴールデン
・デラックス」(SKK475〜6)は、ザ・ピーナッツの過去10年間の実力を
2枚のLPに結集したもので、彼女のファンはもとより、多くのポップス・ファン
も絶対に見落とせない魅力盤といえるだろう。ポップス・シンガーとしてのベスト
ヒット曲が網羅されており、ザ・ピーナッツの傑れたパーソナリティが100%発
揮されている。CXTVの人気番組「ザ・ヒット・パレード」500回を重ねる。
<44年>
 日劇公演(17)世界を駈ける可愛い花 ザ・ピーナッツ フェスティバル。
 ザ・ピーナッツは10年間、ショウ・ビジネス<歌・映画・テレビ>に撤し、ス
タア街道を快調に飛ばしてきたが、それでも何度か他人には判らない、苦しいスラ
ンプに突き当ったこともあったようである。栄光のかげにはこうした苦悩はつきも
のである。それを乗り越え、なみなみならぬ精進を続けた結果、ザ・ピーナッツは
大きく着実に成長してきたのだと思う。彼女たちにとって海外での仕事が多いこと
は、本当にプラスしているかどうかは一考する余地があるにしても、日本を代表す
る国際的な歌手としての地位を不動のものに築きあげたことは意義あることだろう。
世界の人から愛され、親しまれるザ・ピーナッツ……やはり彼女たちは体こそ15
3センチ、41キロと小さくても、その内容は大きく充実している。なんにしても
”大きいことはいいことだ!”。
 ザ・ピーナッツにとって、日劇での2週間公演は初めての試みだが、必ずや成功
裡に終ることと思う。彼女たちは10周年を迎えた44年を境目に、またまた大き
く羽ばたくことだろう。正確で美しいデュエット・ハーモニーを身上とするザ・ピ
ーナッツには、いつまでも人の心に残るいい歌を歌い続けて欲しいものである。
 やがて、ザ・ピーナッツも、それぞれ良きパートナーを得て、幸せな家庭生活に
入り、可愛い花から可愛い奥さんへと開花していくだろうけど、今から白髪まじり
の可愛いおばさんになった二人が歌うさまを想像しただけでも楽しい。これがぼく
のザ・ピーナッツへの願いでもあり、祈りでもある。
 

PRチラシ(表)(裏↓)

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