クレージー年忘れ爆笑公演 東京宝塚劇場

昭和43年12月公演 (ザ・ピーナッツ特別出演)

御挨拶
              東宝株式会社専務取締役
              菊田一夫
 今年一年……公演の思い出を数々残して、また新しい年を迎えること
になります……
 今月の当劇場は、皆様に佳い春を迎えていただくための、歳末笑いの
総決算とでも申しましょうか、”クレージー年忘れ爆笑公演”をご覧い
ただくことになりました。
 ご存じの通り、ハナ肇をリーダーとするクレージー・キャッツのメン
バー……植木等、谷啓、犬塚弘、桜井センリ、石橋エータロー、安田伸
は、今やその個性をそれぞれ十二分に発揮して、人気コメディアンの第
一線を歩んでおります。
 且つまたこの面々は、すべて楽器の使い手……音感を身につけた歯切
れのよいコミック演技が、現代の笑いの舞台を、より一層高める要素と
もなっております。
 更に今回は、特別出演の”ザ・ピーナッツ……伊藤エミ、ユミ姉妹”
や、清川虹子、野川由美子、小坂一也、小松政夫、その他の人々も賑や
かなアンサンブルとなって、この公演を華やかに飾ります。
 演し物は、田波靖男作、竹内伸光演出の”ドレミファ物語”と、塚田
茂構成・演出の”クレージー大音楽会”。
 歌あり、踊りあり、音楽あり……楽しさいっぱいの舞台が展開するこ
とでしょう。
 本日はようこそのお運び、年忘れのひとときをどうぞご存分にお過ご
しくださいますよう……。
昭和43年12月

<出 演 者>

クレージー・キャッツ
 ハ ナ   肇
 谷     啓
    *
 犬 塚   弘
 安 田   伸
 桜 井 センリ
 石橋エータロー
    *
 植 木   等
---------------
ザ・ピーナッツ
   伊藤エミ
   伊藤ユミ
---------------
フォー・メイツ
 渚  一郎
 川原たけし
 山崎イサオ
 吉野 和夫
---------------
木谷二郎と
 ブルー・ソックス・オーケストラ
津々美洋と
 オールスターズワゴン

ザ・シャンパーズ
-------------
日劇ダンシングチーム
--------------
東京音楽学院
  スクール・メイツ
---------------
東宝劇場オーケストラ
  指揮:大谷義一
     伊沢一郎

<スタッフ>

構成演出----塚 田   茂
音  楽----宮 川   泰
衣  装----真 木 小太郎
照  明----今 井 直 次
振  付----県   洋 二
    ----小井戸  秀宅
演出部 ----中 根 公 夫
    ----伊 藤 敬 熙
    ----尾 崎 洋 一
    ----佐 藤   洋
制  作----山 本 紫 朗
    ----水 野   誠

第一景 VIVA MEXICO
♪ランチョグランデ
     日劇ダンシングチーム
     ザ・シャンパーズ
     スクール・メイツ
     フォー・メイツ
♪メキシカン・ハット・ダンス
     ザ・ピーナッツ (他全員)
振付----県   洋 二
第二景 マリンバ
(A)クレージー登場
     クレージー・キャッツ
     ザ・ピーナッツ
     他全員
(B)シェリト・リンド
     ザ・ピーナッツ
     ザ・シャンパーズ
     日劇ダンシングチーム
(C)ゴロンド・リーナ
     植木 等
     ザ・ピーナッツ
 
第三景 これぞピーナッツ!<祈り>
     ザ・ピーナッツ
     ザ・シャンパーズ
     フォー・メイツ
     スクール・メイツ
振付----県   洋 二
第四景 王朝クレージー版
★植木の万葉集
     植木等
★蹴鞠
(世田谷のゴリラ麿)ハナ肇
(紫式ブ     )谷啓
(犬塚のワン麿  )犬塚弘
(桜小路綾麿   )桜井センリ
(石の橋市麿   )石橋エータロー
(玉腰美代麿   )安田伸
(植木の等麿   )植木等
(黒子      )小松政夫
 

第五景 王朝ピーナッツ版

     ザ・ピーナッツ
     ザ・シャンパーズ
     フォー・メイツ
     日劇ダンシングチーム

 
第六景 エキサイティング・フラッシュ
♪サウンド・オブ・サイレンス
♪シー・シー・ライダー
♪ビー・マイ・ベビー
     ザ・ピーナッツ
     津々美洋と
       オールスターズワゴン
     フォー・メイツ
     ザ・シャンパーズ
     スクール・メイツ 
振付----小井戸  秀宅
第七景 クレージーのヒット・パレード
ご案内役 ハナ肇
♪小さなスナックーーーーー
クレージー・キャッツ
♪たそがれの銀座ーーーーー
クレージー・キャッツ
♪天使の誘惑ーーーーーーー伊藤エミ
          (女)桜井センリ
      (ホッケ太鼓)小松政夫ほか
♪夕月ーーーーーーーーーー伊藤ユミ
          (男)植木等
♪今は幸せかいーーーーーー谷啓
         (泥棒)犬塚弘
♪おかあさんーーーーーーー安田伸
        (女の子)桜井センリ
♪伊勢佐木町ブルースーーー植木等(唄う女)
♪待ちくたびれた日曜日ーー谷啓(おかしな女)
♪花と蝶ーーーーーーーーー安田伸
♪恋のしずくーーーーーーー桜井センリ(唄う女)
         (百姓)石橋エータロー
♪廃虚の鳩ーーーーーーーー谷啓
         (学生)植木等、犬塚弘、安田伸
♪霧にむせぶ夜ーーーーーー谷啓
♪星影のワルツーーーーーー植木等
        (聖歌隊)スクール・メイツ
♪恋の季節ーーーーーーーーハナ肇(ピンキー)
             
クレージー・キャッツ(キラーズ)
演奏----木谷二郎と
     ブルー・ソックス・オーケストラ

第八景 ピーナッツのヒットパレード

♪恋のフーガ
♪ガラスの城
♪恋のロンド
     ザ・ピーナッツ
     ザ・シャンパーズ
     フォー・メイツ

振付----小井戸  秀宅
第九景 フィナーレ(A)

♪笑って笑って幸せに-----ハナ肇と
             
クレージー・キャッツ
 
第十景 フィナーレ(B)

♪ドレミの歌
     
クレージー・キャッツ
     ザ・ピーナッツ
     他全員
振付----小井戸  秀宅

ひとこと
        (渡辺プロダクション社長)
         渡邊 晋
 「女は氏なくして玉の輿に乗る」と言われたのは昔のはなし、今は「タレント
も氏なくしてスターの座に着く」と言われているそうである。ところが、現実は
まことに厳しくて、玉の輿もスターの座も、そう易々とは転がりこんではこない
ようだ。「ローマとスターは一日にして成らず」一歩一歩地道に築き上げた訓練
の成果が、人格となり、芸風となって、身についてこそはじめてスターの座に着
く資格ができるのだと思う。極言するならば、氏と育ちなど問題にしないで裸一
貫で生きている人、それがタレントという人たちであり、スターと呼ばれる人た
ちである、と私は思っている。
 クレージー・キャッツの場合も、彼らが音楽グループとして世に出たというこ
とが、その後の彼らの人生に大なり小なりの影響を及ぼしていることを忘れては
ならない。軽快なリズム感と何とも言えない間のとり方のうまさ、それは、クレ
ージーが音楽を通じて体得したものであり、それがいまや、表現技術をともなっ
て演技力にまで昇華したもので、正にクレージーの独壇場である。そして年と共
に多芸多趣味のコメディアンより以上に、あらゆる意味で豊かな大型タレントに
育ちつつあることは、何より嬉しいことである。
 今回は東京での第ニ回長期公演である。一昨年の好評にすっかり気をよくした
メンバーが更に自信満々で贈る「ドレミファ物語」は、クレージーの生い立ちを
フィクションにした苦労ばなし。そして「クレージー大音楽会」は、もはや古典
の一つにさえ数えられる十八番でクレージーでなければ出来ないプログラムであ
る。
 特に今回はザ・ピーナッツが共演してクレージーと息の合ったところを見せて
くれる。とにかく人を笑わせることの好きな連中ばかりである。十二月を笑いと
ばして、大いにたのしんでいただければ幸いと存じます。
やあ、ハナちゃん
         市川 崑
 長い間、私はハナちゃんに合わなかった。ハナちゃんたちのクレージー・
キャッツが出演している映画も舞台もテレビも観ていない。それには、この
ところ俳優さんたちと組んで仕事をすることがなかった(今年の6月、ある
事情で、ちょっとそんなこともあったけど)ということも理由の一つである
のだが、それにしても自称クレージー・キャッツ後援会名誉会長としては全
く面目ないことだと思っていた。
 そんな時、私は銀座でばったりハナちゃんに出会った。半地下室のこじん
まりしたクラブのような店でグループサウンズの音楽が渦巻いていたが、久
し振りに会ったハナちゃんの声は、それに負けぬほどハリがあった。
 近況をたずねると、
「喜劇はむつかしいですね。むつかしいです。喜劇は」
 鼻に小じわを寄せて、ハナちゃんはそう云った。真剣な表情だった。相変
わらずだな、と私は思った。
 初めて彼に会った時から数えれば、もう十年くらい経っている。ハナちゃ
んもそれだけ年をとった。でもハナちゃんの俳優としての心意気はむかしも
今も変っていない、とあらためて思い知らされた感じだった。
 ハナちゃんは本来素朴で生まじめな人なんだ。
 こんなことがあった。むかし、私がある劇映画を作った時、場面の中にテ
レビ局のスタジオ風景が出てくるのでハナちゃんたちクレージー・キャッツ
に、クレージー・キャッツとして出演してもらった。演奏のことで一同がも
め、それぞれ罵詈雑言を吐いて、怒鳴り合うという場面である。台本がある
わけではないのでアドリブ的に、こんなことを云おうじゃないか、こお云っ
たら面白いとか、みんなで打合せをしていて、私が、
「こんなセリフどう。クレージー・キャッツは解散だ……」
 その時、私の方を振り返ったハナちゃんの顔。ギョッとした表情が一瞬走
った。おそらくハナちゃんは、とんでもないッ、我々は簡単に解散するよう
な薄っぺらな結びつきじゃないんだから、どんな場合でも滅多なこと云って
くれるなと、思わず私を凝視したのであろう。私としても素晴らしいチーム
ワークを承知していてわざと逆のことを云ったのであるが、ハナちゃんのチ
ームを愛するひたむきな気持に、ちょっと感動したものである。
 そんなハナちゃんだからこそ、得がたい個性を持っているクレージー・キ
ャッツの面々とがっちり組み合い、リーダーと信頼され、むつかしい統括役
を立派にやりこなし、今日に至ったといえるのだ。
 また、そんなハナちゃんが喜劇をやっているのだから、なんとなく矛盾し
ているようだが、そこにハナちゃん独特のニュアンスが沁み出してたまらな
い魅力になっているのだ。この線をあくまで押し通すか、違った方向に転ず
るかは今後の課題であるのだが、私としてはやはり、ハナちゃんが自分の個
性をじりじりと追いつめ、見極めて、日本には数少ないと言われている本物
のボードビリアンとして成長してほしいと思う。
 なるほど、喜劇はむつかしい。
 ある賢人が云った言葉を少し違えて書いておく。『喜劇役者が喜劇という
立場から、考慮しなければならぬ最初の人間は、役者自身である』。
マンガミュージックよ永遠に
              高橋 圭三
 ぼくはマンガミュージックをやっているクレージーが大好きだ。
 もちろん各自芝居はうまいし立派なショーマンであり過去十数年種々の仕事を
してきた。でもぼくはクレージー・キャッツとして例のギャグを連発している時
一番うれしくなるのである。この種のものは悪ふざけが過ぎたり品が落ちたり汚
れたりするものだが、クレージーは相当きわどいことをやっても下品にならない。
人柄というべきだろう。ところが近頃マンガミュージックをやることにテレてい
るんではないだろうか……と思われる節がある。今さらマンガでもあるまいとい
うのかしら……。
 偉そうなことをいうようだが日本の芸能界も遅ればせながら層を厚くし幅を広
げているように見受けられる。「楽しみ遊ぶ」ことが悪徳ではなくなり大人も大
いに楽しむべしという時代になって来たからである。これからは日本でも老いた
る歌謡曲歌手や年輩の二枚目スターが可能だといってよい。現実にアメリカでは
70歳のピアニストがキャーキャーといわれているのである。ところが現在の日
本の芸能各界でそうなり得る可能性を持ったスターは何人いるだろうか……。
多くはない。
 ぼくは時々クレージーがマンガミュージックをやっている夢を見る、決してゲ
ラゲラではない、暖かくしかもどぎつくないやわらかい笑いが客席を包んでいる。
額が広くあるいは白髪のあるいはヒゲを生やしたあるいはツルツルのおつむの、
なんともほほえましいクレージーがそこに居る。他にこういう夢を見せてくれる
グループはダークダックスなのだが、お爺ちゃんダークがチロルハットをかぶり
赤・青・黄のチェックのチョッキを着て歌っている……これまたいただけるでは
ないか。
 クレージーは何といってもマンガミュージックの家元であり元祖だ。ぼくのい
うお爺ちゃんになってもこれの出来そうなグループが他にあるだろうか? クレ
ージーを除いてない、元祖は全うしてこそ元祖といえる。何とか工夫してマンガ
ミュージックを続けるところにぼくは意義を見、クレージーの大きな使命であり
それが義務だと考える。クレージー・キャッツガンバレ! いつまでもマンガミ
ュージックを!
クレージー・キャッツ万々歳
              青島 幸男
 年末になるとみなさんいろいろ大変でしょう? 生意気にも自然は冷たくなっ
て、「たまには湯どうふ位食べさして!」なんて、女房子供はブスブス言うよ。
借金取りも来るね。私にも経験ありますけど……、来た! それッ!てなもんで
お父ちゃんは押し入れに入ったりしてそのため押し入れの家賃が上って押し入れ
専門の不動産屋が出来たりして、もう大変な有様。だけどね、これが年末という
もののあわただしさで、こいつがなければ一年間暮らした気がしないなんて人も
よくあちこちにいるもんでね、酔狂なんですよ実に……そんな種類の人間のバカ
バカしい集りがこれわがクレージー・キャッツだ。
 私はですね、ほぼクレージーとのつき合は10年間に及びますよ、皆さんご存
知のとおり私がクレージーとした仕事は、フジTVのおとなの漫画から始まって、
クレージー・キャッツショー、シャボン玉ホリデー等で、年中いっしょになって
いたもので、クレージーについては良きも悪しきもすべてまるごと全部理解して
いるつもりだし、そう言っても決して過言ではないぐらいなものですよ。
 さて、クレージーの面々をいろいろ私なりに語ってみると、ハナ肇を筆頭に全
員バカバカしくまとまっていると言うのが最初の感想だね。
 安田伸君は居ても居なくてもいいような顔をしているけど、本当はこれ大変な
曲者で、ハナのヒステリックな言辞を一身に受けて、チームをやわかくし、もり
たてているんだね。ご存知のように竹腰美代子さんなどと言うもう美人のかみさ
んをもらっていることひとつ取ってみても、そいつはよく解るね。偉い人になる
よこの人は。
 桜井センリ君は、これまたバカバカしくもおおざっぱに知織家で教養高く、外
国語をばっちりマスターしていると言うバカバカしい男なんだね。彼は早大の政
経学部を出ちゃったというインテリなんですよ。それがお呼びでないピアノなど
ほろほろやっているんだからますますバカバカしいね。
 ワンちゃんこと犬塚弘はもともとハワイアンのベースなどぽりぽりやっていた
けども、演劇的なセンスにすぐれていて、とくにパントマイムなんかやらせれば
これ抜群で、無口な方だけども、きっと今に益田喜頓氏みたいになって、喜劇界
をリードしていく人物になりますよ。
 石橋エータローは音楽的というよりも大変な感覚派で、ビーバップで全盛をき
わめた男だね。よく女形になって皆さまにおめにかかるでしょうが、本当はとて
も男らしいクールな男ですよね。
 植木等君は、もう言うまでもなく、バカバカしいの一言につきるね。何をやら
してもバカバカしくおもしろくて、ただ彼が舞台のスソに一寸たてばそれだけで
バカバカしくおもしろいんだね。息子が歌手でデビューして親父よりもギターが
うまいなんて言ってバカバカしてよろこんでいると言う。とっても家庭的ないい
親父なんだね。それが東宝の映画に出るとますますバカバカしいんだね。まった
くバカバカしさとヴァイタリティーのかたまりみたいな男だね。
 谷 啓! これまた考えてみるだけでバカバカしくて、どうしてこんな男がこ
の世にいるかと私はもう不思議に思うね。火星人的で、大宇宙的で、いやもうと
にかくバカバカしくてすごいね。これがまた四児の父だなんて、まるで考えられ
ないね。後世、こいつは世界の七不思議に入るって位なもんですよ。
 さて、どんじりでひかえたはハナ大将だよ。彼はもうドロくさい親分肌の男で、
言うなれば清水次郎長の生き永らえた姿だね。あんまり彼は頭のいい男じゃない
かも知れないけれど、そんなことプイとぶっ飛び、十分に余りあるような律儀さ
と、スケールの大きさがある。このハナの個性こそクレージー・キャッツをまと
め、なおかつ息の長い活動をしえた所以であろうと私は思っている。
 とにかくクレージー・キャッツ万々歳だよ。こんな面白くて、センスがあって、
スマートでいかにも現代的なグループはそうおいそれと出て来るもんじゃない。
 彼らの今後の大発展を、私は祈りたいし、実にそうなって行くことを確信して
います。
音のギャグの達人たち
              山本 紫朗(演出家)
私がクレージー・キャッツを日劇ではじめて手掛けてから十数年経つ。早いもの
である。ジャズ流行の期にジャズ演奏家が集まり楽器を使用してのコメディアン
になると聞いて私は感激したものだ。何しろ楽器を持たせたら、そんじょそこら
のジャズ演奏家より遥かに達人に近い腕の持主ばかりである。その音が悪かろう
筈がない。立派にジャズスタンダードを演奏する腕でギャグの音を出すのだから
実に感激そのものであった。私の若い頃、あきれたぼーいずという楽器を持って
のコメディアンが当時のブームの上に立って、どの舞台でも新しさと奇抜な音楽
を基盤のアイデアに観客を湧かせたものだ。その残党には益田喜頓、山茶花究、
坊屋三郎がいる。現在の三人の演技から想像するも難事であろうと思われるが、
三人共ギターを抱えて唄って芝居してテンポがよく、それを観に行くうち仲好し
になり彼等と共鳴、それがやみつきでこの商売に突入してしまった私は、クレー
ジー・キャッツに巡り合い地獄に仏とばかり喜んで日劇のステージの名物に仕立
てた。あの頃はハナちゃんはじめ他のメンバーも若く新鮮だった。あれやこれや
と音のギャグをひねり出すハナちゃん、それをすぐ立体化するメンバー、次々に
呵々大笑すべきギャグが湯水のごとく流れ出し、客はそのムードにとけ込んで大
笑い。私も袖で腹を抱えたものである。石橋エータローが病気になり桜井センリ
が替ってピアノを弾く、やがて病癒えてエータローが帰って来た。どうするのか
心配になったが、次のステージには、一台のピアノの前に二人が椅子にかけて弾
奏したのには笑えない涙ぐましい場面があった。たとえ一時、臨時に入れたもの
にも愛着がある。離すことが人情として忍び難い、えい、二人でピアノを弾かせ
ろとこんな心境がリーダーのハナちゃんの迷った末の結果になって表われたので
はないだろうか。一事が万事この人情で押し通すハナちゃん。強情な半面涙もろ
い所にリーダーハナちゃんの面目躍如たる心情がある。それでこそ昔の姿を偲ぶ
よすがもない程大成して東宝映画の儲け頭になってしまった現在でもクレージー
・キャッツの団結は破れないのであろう。人情紙風船のごとき昭和元禄に浪花節
は生きている。立派に生きている。しかし私は嘆く、クレージー・キャッツが楽
器を離れてそれぞれ一本立のコメディアンになってしまったことを。今一度楽器
にかじりついて音のギャグを生み出して欲しい。いやそれより立派な腕でモダン
ジャズの演奏を聞かしてもらいたい。楽器を扱ったギャグ、これこそクレージー
・キャッツの本来の姿ではないだろうか。
クレージー・キャッツと私
              浜 美枝
 クレージーの皆さんとお仕事で初めておつき合いしていただいてからもう七年
になりました。先日封切りました「日本一の裏切り男」で二十五、六本の作品を
ご一緒させていただきました。一本一本の作品の中で色々なことを教わり学ばさ
れることばかりでした。いつも兄の様に可愛がっていただいてきましたクレージ
ーの皆さんが一緒の折にいつも感じるのですが、日本の民族・風土の中で喜劇は
大変育ちにくいと云われています。そんな中で格調高き喜劇と言うか、現代の生
活の中に溶けこんだ喜劇を演じていることに、私は大変魅力を感じるのです。
 喜劇を演じるのには、痛烈な風刺と人間の持つ本来の悲しさを演じる才能が必
要なんだなあと思います。現代生活を生きぬくためのバイタリティを演じる人間
の内に生み出したものが今日のクレージーではないかと思うのです。それもクレ
ージーの皆さん個人個人が大変強烈な個性の持主だと云うことです。そして個人
個人が色々な種類の触覚を持ち、たえず世相の中に風刺・笑い・悲しみ・ありと
あらゆるものを敏感に吸収し、掌握しながら、一方大変な努力家であり勤勉家で
あると云う事です。天才的なものも含まれてそんな強い触覚が羨ましくもあり同
じお芝居をする私も身につけたいことだと思います。
 今年も「クレージー年忘れ爆笑公演」がやって来ましたが、今回は残念ながら
出演出来ません。来年はクレージーの皆さんとは八年目を迎えることになります
が、新しい年にどんな新しいクレージー喜劇を魅せて頂けるか、楽しみにしてい
ます。
 今年最後の笑いが盛大でありますよう お祈りいたします

7人のヘンな男たち
              坪島 孝
 子供の頃、カクレンボをしてよく倉の中へ逃げ込んだ。その倉の暗い壁面に、
窓に打ちつけてある板の節穴から洩れる光が、ハッとするような色彩で鮮やかに
外の景色をさかさまに投影させていた。
 これが私の、映像よ、こんにちわ! である。
 十年前、これでよくブラウン管が無事でいてくれたと感謝したくなるような中
古品のガタガタテレビを買った。それでも嬉しくて、兵舎のようなアパートのサ
サクレだった畳の上にジカに置いて、早速スイッチをひねる。画面にヘンな男た
ちが7人現われた。そしてこの7人、へんなことをやって私をいたく面白がらせ
た。何かといえば、アルマイトの洗面器を持ち出して、いきなり脳天をひっぱた
くのである。
 これが私の、クレージー・キャッツよ、こんにちわ! である。
 それから5年の後、私はうろたえたいだけうろたえていた。映画監督としてや
っと処女作を世に問うたばかりの私は、会社から次にクレージー・キャッツの映
画を撮れといわれたのである。喜劇映画を見るのは好きだが、自分で監督するな
どとは夢にも考えたことはない。第一、貴劇映画の監督なんてカッコ悪い。これ
はイケマセン、絶望デス。破滅デス。誰に何といわれようと、芸術的良心にかけ
てこの話だけはダンコ断わろうと、その時私は固い決意を抱いたのである。
 それ以後5年間というもの、『くたばれ! 無責任』、『無責任清水港』、『
クレージーだよ奇想天外』、『クレージーだよ天下無敵』、『クレージー黄金作
戦』、『クレージーの怪盗ジバコ』、『クレージーメキシコ大作戦』と、私はあ
きもせずクレージー・キャッツ主演の喜劇映画を撮り続けてきた。
 全く、フザケタ話だ。アキレタ奴だ。クシカランと思う。
 何故、私は5年前の決意を自分で裏切り、しかも裏切り続けてきたのか?
それは、日本の芸能界にいまだかってなかったフレッシュなスタイルとチームワ
ークで登場したクレージー・キャッツ7人の、さまざまな個性と人柄の魅力にと
りつかれて行ったからだともいえるし、7人の困難な喜劇作りへの限りない情熱
と努力に打たれたからだともいえる。したがって、私の喜劇映画作りは、クレー
ジー・キャッツなくして始めることはなかっただろうし、また続けることもない。

それにしても人間は、いや人間だけが何故笑うのか? 何故、笑いたがるのか?
私は今、こんなことを考えている。いつの日か、クレージー・キャッツ出演映画
の決定版を作る。超満員の観客は、映画が始まると同時に笑い出し、笑って笑っ
て、ハラの底から笑い転げて、遂にガマン出来なくなってエンド・マークと共に
全員笑い死ぬ。こうして、人口過剰に悩む人類にいささかなりとも貢献したいと
……。                     (映画監督)

2005.3.5:掲載

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