フォノ・カートリッジの話(1)

フォノ・カートリッジとはレコードの溝に沿って針先が振動し、それを電気エネルギーに変換させる
部品のことです。オーディオの世界では常に常識的に言われることですが「変換」という行為には
大きな音質の違いが現れやすい、厄介な、だからこそ面白い部分です。
どこをとっかかりにして話をすすめようか悩ましいとこですが、ザ・ピーナッツ・ファンに相応しい
そんな切り口からお話を始めましょう。

1.可愛い花

このレコードはザ・ピーナッツのデビュー曲です。
昭和34年4月発売なので、時代から想像つくようにモノラル録音です。
モノラルとは「ひとつの」という意味ですから、立体的ではありません。
レコード盤には下図のように音の振幅が刻まれています。

レコード盤には四万十川のような蛇行した軌跡の溝が刻まれています。
それが音の振幅であり、それに沿って針が左右に動くので、それを元の音波に
戻してやれば音楽が再現出来るというわけです。

2.偉大な発明<その1> 音の記録

このように音を残す、録音することを考えたのは、あの発明王エジソンです。
でも彼は、縦方向の振動に変えることを思いついただけでした。
つまり、溝が浅くなったり、深くなったりするわけです。
録音する元の音は空気の振動でありますから、そんなに強い力ではありません。
振動を刻み込む素材というものはだから柔らかいものでなくてはなりませんでした。
エジソンの鑞管というものがそれです。

1877年11月、エジソンが蓄音機を創案して特許を得ました。
このときのレコードは、円筒に錫箔を巻いて手動で音の溝を刻んだものでしたが、
その後、鑞の円筒に改良されました。この録音の際の針先の振動は縦方向でした。
この手段で録音は出来るのですが複製が出来ず、レコード産業を生み出すには至りません。
第一、針先の振動で音の溝を刻むのですから、柔らかい素材でなくてはならず、その柔らかさが
再生時に次第にすり減ってしまうので、繰り返し聴くにも限界がありました。

3.偉大な発明<その2> 筒から円盤へ

1887年、この円筒はベルリナーによって平円盤に改良されました。
これは、縦振動を横の振幅に変えただけです。振動板を横向きにするだけの単純な発想の転換です。
しかし、この新案が、大変な技術革命であったわけです。この発明も偉大だと感じます。
これは硬質ゴムに真鍮版の技術を用いて音溝をプレスするものであり、グラモフォンとよばれました。
グラモフォンレコード gramophone record あるいはディスクレコード disc record の始まりです。
それから約10年の後、シェラック(ラック貝殻虫の分泌液)を使った音盤が考えられました。
このシェラックまたはセラックという物質を自分の仕事で実際に手にしたことがあるのですが、
なんでこんなものでレコードを作るのだろうか、という不思議な思いをしました。
あまりにも表面の微細な突起があってミクロの世界ですが、摩擦というか引っ掛かる代物なんです。
後年の塩化ビニール素材による音溝の役割以外に積極的に針先に引っ掻いてもらって盛大に音を出す、
そんな意図があったのかも知れません。かなり激しく針先を削る紙ヤスリのような代物です。
このような性状に関する記述がネット上で探しても見当たりません。
なぜ、シェラックを使ったのか? そういうことが読み物としては面白い筈なのですが?

1900年にはワックスに原盤をとる方法が考案されて世界各国にレコード産業がはじまりました。
ラッカー盤という表面の大変柔らかい素材に音を横振動の波形として刻み込むことで複製が作れる
ようになったからです。
もちろん、柔らかい状態そのままではどうしようもないことは容易に想像がつきます。
ここで思いついたのが、そこに金属メッキを施すことです。
これを引き剥がせば、凹凸が逆になった精密なコピーが作れます。

上図はLP時代の最新のレコード盤製造工程であって、当時のものではありませんが、このような量産が
可能となった技術の基盤はやはり「横方向に音の溝を刻む」という偉大な発明があったからこそです。

当時はあくまで物理的な音をメガホンのようなものでエネルギーを収束させて振動板を震わせるので、
レコードは声楽がその90%を占めたそうです。それはそうでしょうね。(笑)
管弦楽曲の大曲の全曲録音のはじまりは、1909年のチャイコフスキーの『くるみ割り人形』だとか。
だけど、メガホンで集めた音なので、ちゃんと聴こえるものだったのでしょうか?
日本でも明治40年(1907年)、日本コロンビアの前身である日米蓄音器製造会社がつくられて、
42年(1909年)に邦楽のレコードが発売されたそうです。

1920年代に入ると電波放送が始まったわけですから、1924年に電気吹き込みがレコード録音に
使用されたのは特に発明とも言えない当然の流れだったと思います。
また、1948年(昭和23年)には塩化ビニールを原料とするLP盤が発明されました。
溝と溝との間隔をつめた極微溝(マイクログローブ)の方式をとり、回転を33回転3分の1と
遅くして長時間の演奏を録音できるようにしたもので、レコード技術に大きな進歩を加えたのですが、
大進歩であることに間違いはないのですが、飛躍的な発明ではないと思います。
特に、LP盤がコロンビアレコードが提唱した規格だったので、1949年にはRCAビクターでEP盤が
発売されたことなど、企業間の規格主導争いのいやらしさが出ています。
結局、45回転盤もドーナッツ盤として定着し両者ともに併存出来た希有の例となりました。
このような歴史から、
 SP:standard playing
 LP:long playing
 
EP:extended playing
の三種が一時期は共存することになりました。

LPやEPのレコード溝はそれまでのSP盤のそれとは大きく異なります。
極微溝(マイクログローブ)の名のように、従来の1センチ当たり30本〜50本を飛躍的に超えて、
1センチ当たり200本となり、音溝の幅も狭く、針先の半径も下図のようにミクロ化しています。

さて、SP盤について触れたので、蓄音機にも触れてみたい。
音楽を聴くのは、蓄音機に限る。そこにこそ真の音楽性がある、というような
お話をよく見聞きするのですが、果たして本当にそうなのでしょうか?

結論としては、私は、他人に説得力を持つような科学性はないと言いたい。
でも、趣味性は大いにあるのだと思う。
SP盤再生のメカニズムはアコースティックなメカニズムを最大限に引き出した
非常に高いエネルギー変換を物理的な振動増幅だけで行っている。
シェラックという盤質素材そのものが大変な摩擦抵抗があり、これを引っ掻くだけで
無音の溝でさえ、シャーというかなりの音量が発せられている。
ピンと張りつめた状態の発音盤に針先が直結していて、さらにその後ろには音道が
朝顔のように拡がっているか、または、キャビネットの中に折り畳まれた構造で
格納されていて、いわば振動に過敏なメガフォンの化物のようになっている。
何も足さない、何も引かないというウイスキーのコマーシャルがあったが、この場合、
かなり蓄音機自体が盛大に何かを足した上で、大きな音量を響かせている。

この蓄音機は音の専門職人が作った(または設計した)代物である。
銘機というものになると、それはあたかもバイオリンのストラディバリウスの世界と
共通するような楽器的な香しい音色を奏でることになる。
そういうサウンドであるから、全ての楽器が生々しく鳴るというようなことはなくて、
弦楽器や管楽器、人声などで特有の艶めいた音色が聴けるのだと思う。
しかしながら、そういう音楽だけではないのが今の時代だし、そのような著名銘機や
SP盤そのもの入手やメンテナンスなど、余程の趣味人でないと続かない。
また、よく誤認される話で、電気回路を含まないことが素性が良いという論法だが、
電気吹き込みされているのが普通なので、これは冗談みたいな話である。
余談だが、蓄音機の銘機ビクトローラを世に出した名門ビクター社は電気再生機の
時代の波に乗り遅れ、経営不振となったが、RCA社が買収して名ブランドの消滅が
防がれたという。

そういう客観性を踏まえた上で、蓄音機の音色を素晴らしいと感じる心情は愛おしく、
それでないと心を揺さぶられないというのも、大変なハイセンスの持ち主と思います。
これは個人の崇高な感性の世界です。

4.偉大な発明<その3> バリアブルピッチ

レコードは人智の限りを尽くしたかのような偉大なメカニズムです。
まだまだ、面白い仕掛けが秘められているのです。
次に紹介したいのが、音の強弱によって溝の間隔を調節する発想と技術です。
バリアブルピッチまたはバリアブルグレード(variable grade)と称します。
次の写真をご覧下さい。

白っぽい筋が二本走っているのは曲間の無音溝ですが、そうでないところでも
溝の影に激しい濃淡があることがわかります。
音量の大きな場所が荒々しくうねっているのですがその違いがわかると思います。
正確に言うと振幅が大きいところは主に低音が大きいところなのです。

レコードは円盤なので中央からの同芯円ではなくて徐々に内側へ隣の溝と接触しない
幅を常に持たせて音溝を刻み込んで行かなければなりません。
常識的には一定の幅を持たせるように内側へ進ませることになります。
最大の振幅というのは録音時に決めているので、それさえ守れば安全なわけです。
しかしながら、この方法だとどんどん内側へ刻んでしまいますから、余り長い曲や
沢山の曲を一枚に入れようとすると音量の大きさを小さくしなければなりません。

この相反するニーズを解決したのが、可変送り技術です。
つまり、大きな音がする場所は隣の溝との間隔を大きく空けて、小さな音の場所は
狭く詰めてしまえば良いわけです。
実はこれはSP盤の改善のためにドイツで考案された技法なのであって、9分間程も
SP片面に入れられたということですが、当然、LPにも転用可能な技術でした。

これによってレコードが飛躍的に素晴らしい音質で、長時間の収録が出来ると言う
夢のようなことが実現出来たのです。私はこれは拍手喝采ものだと思います。
もちろん、これはテープレコーダーがあるからこそ、先の音量が予測出来るのだし、
自動的に送りピッチを変化させられるのです。
コンピュータも無い時代に回路メカだけでよく実現させたものです。偉いです。

後年、ダイレクト・カッティングというレコードが出たことがありました。
これはテープレコーダーに録音することによる音の鮮度の低下を無くしたいという
意図で企画されたものです。
昔と同じにリアルに直接刻み込んでしまうので、演奏も失敗出来ないのです。
カッティングする技師はリハーサルの時の音量の記憶や楽譜とにらめっこです。
自動的にはバリアブルに送り幅を加減出来ないから手作業です。
やっぱりこうやって作ったレコードは片面4曲くらいしか入ってませんでした。
ダイレクトだからなのか、それだけ入念にやったからなのか、音質は凄かったです。

5.偉大な発明<その4> RIAA特性

これもまたまた大変な大発明だと思います。
これで原音に近い音量差を録音することができるようになり、再生装置の進歩と
相まって、ハイファイを楽しむ風潮が生まれた。といっても過言ではないでしょう。

エジソンの時代や電気吹き込みではない時代の録音では低音の量感は望めず、
また高音は針音のノイズに埋もれてしまうし、ホーンを通過しているうちに
華やかな音色は消え去ってしまいます。

じゃあ、どうしたら元の音に似た録音と再生が出来るのか、と考案されたのが
RIAA特性(Recording Industry Association of America curve)。
他にも同じ目的のものが多種あったのですが、米国レコード協会が提唱したこの
特性が世界のスタンダードとして定着しました。
これは何をどうしようと企てたものなのでしょうか?

まず、低音を原音と同等のレベルでレコードに刻み込むことを考えたのです。
レコード盤の狭い幅に大きな振幅を持つ低音のエネルギーをそのまま刻み込むことは
不可能です。そこで、低い音に向かう程小さな音で(振幅で)刻んでおくようにして、
再生する時は逆に低い音に向かう程大きく増幅してやれば元のバランスに復帰させる
ことが出来る、というアイディアです。

次に高音域ですが、いくら塩化ビニール盤の滑らかな溝をトレースさせるにしても、
針先で辿るのですから、針が擦れる音や微細な塵で高い音は汚されてしまいます。
少々やかましい場所でも大声で話せば聴こえるのと同じ原理で、高い音に向かうほど、
エネルギーを強くしておけばノイズに打ち勝てるわけです。
勿論このままではカン高い音での再生になってしまいますから、高い音に向かうほど
再生する時に音量レベルが下がるようにすれば、これまた元のバランスに復帰させる
ことが出来る、というアイディアです。

なんて賢い発想なのでしょう。
元のバランスとイコールにするから、フォノ・イコライザーと呼びます。
これは電気回路でしか出来ません。逆RIAAイコライザー回路とも言います。
フォノ・カートリッジの中には安物に限りますが、圧電素子を用いたものがあり、
セラミック型やクリスタル結晶型のこれが上手いことに逆RIAA特性に近い発電を
行うので(圧力に比例して電圧が変わるから)便利ですが、性能はお話にならない。
(昔の家電ステレオにはこれが多用されてました)

このイコライザーというのがなかなかのくせ者で、理想を望んでいたらきりがなく、
この回路だけのアンプでボルダー社の440万円という代物まであります。
別にプロ用でもなくて、オーディオマニア用なんだから、凄まじいものです。

6.偉大な発明<その5> 45-45方式ステレオレコード

レコード盤に注がれた最後のビッグ・アイディアがステレオ化です。
一本の溝しかなくて、一本の針しかなくて、なんで二つの音が入れられるの?
ほんとうに不思議です。
理屈が判ってからも、なお、不思議です。

モノラル・レコードでは水平方向だけの左右の振幅エネルギーをコイルとマグネット
で電圧に変えてそれをアンプに送り込んだから、音楽信号は一つでした。
ステレオにするには、縦方向の動きを加えてやれば二次元になる、これがステレオ化
の発想でした。
英国のデッカ・レコードでは縦方向の振動と横方向の振動を右と左に分ける考案をし、
VL方式として製品化までしましたが、この方法ではモノラル・レコードをかけると
片方のスピーカーからしか音が出ないことになります。

一方ウエストレックス社の45/45方式と言う左右の音を溝の左側と右側に分けて、
しかも、溝に対して45度の方向に記録する方法が現れました。
これだとモノラルレコードを聞く場合には左右から同じ信号を取ることができるし、
もし、モノラル・プレーヤーで45/45方式ステレオレコードを再生する場合にも
ステレオの左右音が合成されて左右から同じ音を再生できるなどのモノラルレコード
との互換性が確保されていたために、この45/45方式が世界的に採用されました。
もっともそれだけが理由ではなくて、左右が同じ条件下にあって音色や特性面での
差異が出来にくい、その良さが現在のステレオ再生の主流となったわけです。

ただし、これは便宜的な面だけであって、実際にはステレオレコードをモノラルの
専用カートリッジでかけるのは良くない。モノラル用は上下の動きを抑制している
構造のためレコード盤を傷めるからである。
ちなみに、デッカ製のVL方式カートリッジは端子の接続を変えることで互換性が
あり、45/45方式の再生も出来るところが面白く、その独特な音色に惚れ込んだ
ファンがいたため、現在でも入手出来る筈です。

実に巧妙な方法で左右の音を一つの針先で拾うことが出来た45/45方式でしたが
テープなどでの左右の分離に比べると、やはり一つの物体が振動するわけですから、
音が混じってしまうのは避けられない事実でした。
それでも人間が聴くには差し支えない左右の洩れなのであって、実際の音楽でさえも
右だけとか左だけに完全に偏る音は少なく、物理的な洩れなので、アンプ内部での
滲みは雑音となるけれど、カートリッジのそれは音楽性ともなったと思われます。

これも余談ですが、45/45方式のカッテイングで絶対に行ってはいけないのが
逆相接続です。逆相とは片方のチャンネルをプラスマイナス逆にすることです。
これがテープやCDならば単に低音が打ち消し合って出なくなるだけで済みますが、
45/45方式での針先の動きを頭の中でシミュレートすれば判ると思いますが、
逆相だと低音が左右の波形に刻まれず、溝をえぐったり浮き上がったりしちゃいます。
これではレコードにならないどころか、カッテイングマシンが壊れるでしょうね。
そういうミスは起きないようになっていると思うので、単なる考察の話です。

7.月影のナポリ

ザ・ピーナッツ初のステレオ録音のレコードがこの「月影のナポリ」です。
アメリカで45/45方式のステレオレコードが発売されたのが、1957年。
この「月影のナポリ」は、僅か3年後の1960年にステレオで発売されました。

正確な発売時期は1960年7月で、これは異様とも思える素早いステレオ録音が
行われていたわけで、以後、特殊な録音一曲以外全てステレオで収録されています。
これは他のポップス/歌謡曲の歌手に比べ、2年以上は早いのです。
例えば、世界的大ヒットの「上を向いて歩こう」
    レコード大賞受賞曲の「いつでも夢を」
    ザ・ビートルズの初期ヒット曲など、これらはモノラル録音なのです。
1959年(昭和34年)デビューの歌手なのに、95%程の高率でステレオ盤が
あるということは、キング・レコードの英断ということが出来ます。

そしてこの唯我独尊(でもないだろうけど)時代の録音が素晴らしく良いのです。
むしろ後年の録音より個人的にはこの60年代の「音」が好きです。
古いだろうとか、技術も拙いだろうという先入観はぶっとびますよ。
なんといっても「空気感」「奥行き」「自然感」が最高なのです。
録音技術者が良く言う科白に「ノイマンとスチューダーがあればなんとかなる」。
ノイマンはマイクロフォン、スチューダーはテープレコーダーのことなのですが、
もうこの時代にキングレコードのスタッフはそれらを自在に使っていたのですから、
後年の録音に比べても遜色ないどころか、相当入念に仕上げているのが判ります。
凄いやる気と熱気が感じられ、同時録音ならではの歌手、楽団、録音スタッフの
息の合った見事な仕事の成果がここに残されているのです。
<拍手>

8.アナログ・レコードは音が良いのか?

私の結論ははっきりしてまして「そんなことはない」です。

じゃあ何でこんなにアナログ盤を熱く語っているのだと疑問に感じられるかも
知れませんが、先人の知恵、熱意を記録したいからなのです。
後述しますが、デジタルだから全て音が良く感動的だとも言えないのです。
要は作り手側の感性の問題であり、それは技術の進歩より上のレベルなのです。

ザ・ピーナッツの音源を聴く限りにおいてはCDの方がグッドだなあと感じます。
それは、手持ちのアナログ盤がモノラルだったり、かなり聴き込んでいるので
盤面が傷んでいるものが多いという面もあります。
しかし、それ以上に、CDの危なげの無さが買いです。
ピーナッツのアナログLPが、ネットのオークションで、3万円とか4万円などと
高価なのに驚きますが、あれはジャケット狙いなんだろうなと思います。
CD化が進んでいるので、デジタルでなら割と手に入るアルバムだからです。

ところが最近、そんなデジタル肯定派の私を驚かす事件がありました。
それを書いておきたいと思います。

 東海林修先生の公認ファンサイトである<GREEN GINGER>掲示板に
 お邪魔した際に、100人の弦楽器奏者を揃えたアルバムを作ったという話に触れ、
 たまたまそのレコードを所持していたので、その旨をお知らせしました。
 また、それはお引っ越しの時に紛失されたとのことで、常に先の作品に前向きに
 取り組まれるアーティストの先生らしいと思いながらも、やはり私のお気に入りの
 一枚は是非もう一度耳にして欲しいと思い、CD−Rに焼いて贈りました。

 それは、「STRING SPECTACULAR (100 STRINGS)」というポピュラー名曲に
 東海林先生の絶妙のアレンジが施され、豪華な演奏陣による生々しい録音が聴かれる
 という夢のようなアルバムなのでした。
 (このアルバムについてはじっくりとレビューを後日書きたいと思います。)
 俗にムード音楽とかイージーリスニング音楽などと称されるジャンルに入れられて
 売られるのが常なので、実際に私が購った時も、今はない川崎駅ビル四階にあった
 トチザワ・レコードでワルター指揮のベートーベン交響曲第五番というお馴染みの
 LPと一緒に買ったのですが、「ムード音楽」の棚にあったのでした。

 しかしながら、このアルバムはそんじょそこらのムード音楽と一緒にされては困る
 ような、いわば芸術の香り漂う大変なアレンジと演奏なのです。
 きちんとスピーカーの真正面で居住まいを正して聴くような格調があるのです。
 このような演奏レコードは世界的にも希有のものだと思われますし、さほどのマニア
 ではないので確たることは言えませんが、世界最高峰の出来栄えと思います。
 お前ごときに何が判るかと叱られそうですが、例えばマントバーニのLPだけでも
 8枚は持ってますので、比較にはなると思います。

 現在は処分してしまいましたが、30年は付き合ったタンノイ・レクタンギュラー・
 ヨークで聴くこのLPのサウンドはそれはそれは情け深く感動的な音楽でありまして、
 なかなかこれだけの音は生で聴くこともないだろうという程の素晴らしさでした。
 デジタル肯定派の私としては、このアルバムのCDが出るといいのにと思ってました。
 ところが先日、全部の曲ではないのですが、うち2曲だけがオムニバスのCDとして
 出ていることを上記掲示板で知ることが出来ました。
 全曲ではないのが残念ですが、オリジナルマスターからデジタル化されたそれを早速
 購入して聴き比べてみたのです。

 前置きの経緯説明が長くなりましたが、事件というのはその「音」だったのです。

 スクラッチ・ノイズは当然無いわけで、音質は爽やかで耳当たりも良く、さすがに
 デジタルだとは思いました。
 ところが、
 なんと「感動」が薄いのです。なんでだろう。

 そんなのは気のせいかと思って家内にも聴いてもらいました。
 するとやはりレコードの方がいいと言うのです。
 全然違うよ、とも言います。

 ここで昔読んだ、五味康祐著の「西方の音」という本の内容を思い浮かべました。
 剣豪小説で有名になった方ですが、音楽ファンで大変なオーディオマニアなのです。
 この本はもう手許にはないのですが、こんなことが書いてありました。

 あるレコード会社で、クラシックの録音からレコードプレスまで立ち会って好きな
 ように作ってあげるという企画があったそうです。
 カッティングマスターというテープを作る際に、20サイクル以下はカットして、
 7千サイクル付近のレベルを下げて、1万サイクル以上をやや盛り上げますという
 技師の説明を聴いていた五味先生は、そんな妙な味付けをして欲しいとは思わない、
 フラット(平坦)で作って下さい、と注文を出したのだそうです。

 ところが出来上がったテスト盤を聴いてビックリ。
 味も素っ気もなくて、音楽が鳴っていなくて、ダメだこりゃ、となったそうです。
 そこで技師が彼のセンスで仕上げたテスト盤はそれはそれは素晴らしい音だったとか。
 ようするにそこには永年のカンやコツがあったというわけです。
 プロというものの技がどこにでも関与しているということがわかったのでした。

 さて、そこで、先ほどのCDです。こちらはマスターから作っています。
 一方のアナログレコードは恐らく当時のカッティング技師が経験と自分の耳で判断し、
 これならば、という音質に仕上げたのではないかと思われます。
 だから、そこに心がこもっている。これも一種の芸術じゃないでしょうか。

 どうもCDは他のアルバムからの曲も一緒に入れる都合もあって、単純にレベルを
 合わせる程度の関与しかしていないようにも感じられます。
 やはり、一つのアルバムからしっかり思いを込めて耳で聴きながらリマスタリングを
 して欲しいものだと思います。素人の知らないノウハウがある筈なのです。
 そうすればアナログレコードよりも素晴らしいCDが出来るのではないでしょうか。

レコードの方がCDより良いという感想は、案外、素材やフォーマットの違いでは
なくて、どっちが本気で仕事をしているかの違いなのかも知れません。
ハードやソフトだけじゃなくて「心」がこもっているかが決め手になるのでしょう。
もちろん、そういうことまでをも気づかせることが出来る「音楽」がそこにあるから
という事が最も大きな要素であり、これが一番肝心なことですね。

9.脱線のいいわけ

フォノ・カートリッジのことを書こうと思っていたのだが、アナログ・レコードの
話だけで、長い論文になってしまいました。(笑)
また、ページを改めて、フォノ・カートリッジ編を書きたいと思います。

つづく

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