CDの高(好)音質化について
今月から4ヶ月連続してザ・ピーナッツのデビュー50周年記念CDアルバムが21
種類もリリースされます。今回は幾つかの付加価値もあるようです。
タイトルが「ザ・ピーナッツ/オリジナルLP紙ジャケット・コレクション」であり、
アナログLPの魅力の一部に迫った感触を真っ先に謳っています。
しかし、極めて個人的という前提ですが、紙ジャケットには全く魅力を感じません。
オリジナルLPを持っているからです。これの縮小サイズのおもちゃは要りません。
ジャケットは原寸サイズでこそ価値がある。違うかな?
紙のジャケットだと、汚れたらケースを替えるということが出来ないので心配ですし、
今、家にある他の紙ジャケットものはサイズが妙にまちまちで好ましく収まりません。
しかし、これはこれで21タイトル揃えば圧巻だと思うので良しとしましょう。
大歓迎すべきは未CD化音源が幾つかのアルバムに入っていることです。
10タイトル買い上げ毎の特典にも、未CD化音源が存在します。
中には未発表音源も出てくるので、これはこの機会を逃すわけにはいきませんね。
このように少しずつ小出しにするやり方が良いことばかりだとは思えませんが悪意が
あってやっているわけじゃないでしょうから素直に喜びましょう。
これも、極めて個人的という前提ですが、私が最も期待しているのは、最新デジタル
リマスタリングという表記です。
オリジナル・アナログマスターからの高品質(ハイビット24bit)リマスタリング
といったコメントになっています。
もちろん、通常のCDが発売されるわけですから、16ビットにダウンコンバートが
されているわけで、SACDやDVDオーディオのような純正24ビットじゃなくて
製作過程での24ビット処理です。
近年このような処理を施すことが普遍性を持ちはじめました。何故なのでしょう。
今回の記事はそこに迫ってみました。
デジタル・オーディオの代表格でもあるCDの高音質化挑戦が各社で行われている。
これは、従来のCDの音が良くないということから発生した現象ではないと思う。
CDは確かにアナログレコードとは違う音がしますが、レコードに比べて音質が劣る
というようなことは絶対にありません。物理的データ上は多くの項目でCD優位です。
オリジナルのアナログテープにどちらの音質がより近いのか、ということなのですが、
そんなのはキングレコードの技術者にしかわからないことですし音質以外の要素では
レコード盤は完敗なのはわかりきったこと。ジャケットの魅力は別ですけどね。
また、高音質CDというのは、巷で囁かれるCD価格の実質的な値上げを意図した
詐欺商法といったようなインチキな販売戦略という見方も当っていない。
(と私は思う)
誰がどう意地悪く受け取ろうが、純科学的に高音質であると証明可能なSACDの
ような全く別の規格による異次元の改善であれば文句のつけようがないのであるが、
現行の一般的なCDプレーヤーのままで音質が改善されるという謳い文句にはその
科学的根拠が無いというイチャモンが付きやすく、データに基づく検証が必要だと
いう否定的な意見も多い。
最も典型的なのは、フォーマットが同じデジタル・データが起源なのに音質が変動
するわけがない、という概念が強烈であるということ。
そのように思い込んでしまったら、文字通り聞く耳を持たないという状態になって
自己暗示をかけてしまうから、同じに感じてしまう。聴くのは脳だからだ。
CD音源をパソコンに取り込んだら、何万回コピーしても、符号なんだから劣化は
しない。するわけがない、という理論が根底にあると思われます。
そこで、これをまず御覧下さい。
これは某雑誌の先月号の記事である。2月号が出たからいいかなと思って掲載した。
CDプレーヤーは、その中身の90パーセントがアナログの機器であると言い切る
私には心強い援軍だ。(笑)
デジタル機器だから安物も高価な物もみんな同じだと思うのは自由だし、性能面で
数値的な差はないので高級とはなにかを誰も客観的に表現出来ない。
しかし、裁判じゃないので全て証拠がなきゃダメというものでもないだろう。
iPodでも非圧縮モードで収録することも出来るが、圧縮したって音は一緒だし、
圧縮した方がかえって音が良い、という人はもう論外です。
情報としてしか音楽を聴かない人は、それでも勝手だが、音質を云々する資格なし。
どこのビールだってビールだから一緒だよ。美人も不細工も女だから一緒だよ。
ザ・ピーナッツもこまどり姉妹もピンクレディもWINKも二人だから一緒だよ。
それは本人がそれでいいなら構わないけど、他人は、こいつ阿呆だなと思いますよ。
今度出るザ・ピーナッツの紙ジャケCDはアナログマスターから24ビット処理で
高次元のデジタル・リマスタリングを行うと予告されている。
何をやろうが、CDはCDで音質なんかみんな一緒だよ、という固定的閉塞観念を
お持ちの方は、まず、デジタルなら何でも同じというお馬鹿さんから卒業しなさい。
ハイビジョン撮影した映像を普通の映像に変換して放送しても断然に綺麗でしょ。
あれと同じなのです。その違いを人間の感性はわかるものなのです。
それなのに頑として同じだという硬直した概念の人がいる。馬鹿の壁です。
今、高音質化のため様々なアプローチが現行CDフォーマットに加えられている。
考えれば、こんな回り道をしなきゃならないこと自体が罪作りな過去にある。
16ビットをデジタル・オーディオの主体としたことが苦労のタネだったわけだ。
パソコンのモニタの色数で称すれば、3万2000色だ。それらしく見える限度。
24ビットなら、1670万色。ほとんど自然界の色と見分けがつかないだろう。
これで行くべきだったんだろうね。もっともフィリップスはもっと少ない基準で
カセットテープ並みの音で行きたかったらしくソニーが頑張ったんだそうだが。
だから、せっかくSACDなどで、やっと24ビット・オーディオに向かうかなと
思ったが、ちっとも普及しない。
今の16ビットでも十分だし、圧縮しちゃってもオーケーだよ、なんである。
なんで世の人々は音質にはこんなに無頓着なんだろうか。
ハイビジョンだ、ブルーレイだという時代なのに、CDはレーザー・ディスクの
技術水準で停滞しちゃったままだ。低次元のデジタル処理で満足しちゃってる。
これは文字どおり「目に見えない世界」には関心が向かないからだと思われる。
もう既にキングレコードにあるザ・ピーナッツのマスター・テープの音質同等の
高音質をユーザーに提供出来る技術が確立しているのに、それが出来ない。
SACDでリリースすれば完璧なのに、それが出来ない。
そんな高音質は要りません←これが世間なのでしょうがない。残念無念である。
世の人々がCDを聴く装置しか買わないのだからしょうがない、ということで、
CD規格のままで、高音質化出来ないか、そもそもCDだって本当はもっと良い
音で再生出来るはずじゃないのか、というのが最近のアプローチだ。
実際、我々聞き手は、アナログのマスターテープがどのような音質であるのかを
知る機会がない。だから、レコードの音にせよ、CDでも、こういうものか、と
思うしかない。不満がないのは、マスターの音を知らないからなのだ。
むしろ、アナログレコードからCDになった時に、マスターテープの音質の良さの
ある一面を知ってしまったので、マスターは凄いと気づいたくらいだった。
しかし、レコード会社の技術者は本来の音を知っているので、商品化されたCDが
アナログマスターに比べて魅力が減退していることにまっ先に気付いたと思われる。
だから、高音質化はユーザー主導というよりも、製造側からの自発的なアプローチ
じゃないのかしら、という気がするのです。
知ってるから、知っちゃってるからこそ何とか出来ないかな〜と思ったのでは?
日本人は真面目な人種です。特に物作りにはこだわる人たちです。
私もメーカーに勤めていましたが、上司は、もっと品質の良いものを作れなどとは
言わないのです。意外でしょうか?
むしろ、ここは芸術作品を作る工場じゃないんだ。過剰品質は要らないと断言する。
熟練していない人でも同じ品質のものを安定して作れるようしろ、と言うのだ。
ところが従業員は真面目だし、バカだけど、自分の手掛けたものに自信を感じたい。
私は、マスタリングをする技術者は、アナログテープレコーダーを朝早く出社して
ウォーミングアップさせて安定させたり、接続コードをあれこれと吟味したりとか
どうやったらザ・ピーナッツのCDがレコード世代の人の耳に違和感がなく、かつ、
レコードより魅力的に鳴らすように出来ないか腐心すると思うのです。
そんな凝ったことはしてないんじゃないの?
そうかなあ。それじゃ仕事が楽しくないじゃん。好きになれないじゃん。
プロフェッショナルというのは私達じゃ出来ないノウハウと感性を持ってる筈です。
これも雑誌などに書いてある記事なので自分が体験したわけではないのですが……。
CDを作る為の最終的な16ビットのマスター音源は、かなり良い音なのだそうです。
ところが、いざ製品のCDになって聴くと酷い音になってしまう。
これは一体どうしてだろう、と、心あるメーカーは必死にその原因を探して、対策を
立てる。そうすると良い商品が出来る。しかし、スペシャル品質ということになって、
別の価格帯の商品になってしまう。営業サイドはそういう方向へ持っていく。
本来はそうじゃなくて、普通のCDを普通の値段で買ったら、最近のCDは音が良く
なってきたね、という状態になるのが条理というものだと思います。
その点で、今回の最新リマスタリングでは営業的な利潤を抜きにしていて良心的。
だからこそ、その苦心している過程をもっとPRすればいいのに、と思ってしまう。
謙譲の美徳であろうところを勝手に推測で掘り下げたいと思った次第です。
さて、アナログという区切りや切れ目のない流れをどうしたらデジタル化出来るか。
とにかく、とりあえず際限なくきめ細かくデジタルにしてみようということなのが
アナログからの24ビットでのマスタリングでしょう。
32ビットでやれば、もっと細かくなりますが24ビットで十分だろうと思います。
しかし、残念ながらCD商品は16ビットです。
どうしても品質を落とすしかないんです。
そこで、ディザ、ノイズシェイピング、音楽エネルギー等価交換などのテクニック
を考え、色々と組み合わせて、自社のノウハウとしたのではないかと思われます。
(ディザ加算方式とは)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%B6
(ノイズシェイピング方式とは)
http://www.okuma.nuee.nagoya-u.ac.jp/~murahasi/dsm/index.html
(音楽エネルギー等価交換方式とは)
適当な記事が見つかりません。相当に難しい概念であり、決まった手段じゃなくて
創意工夫が色々とあるからだと思います。まあ、ちょっと近い例を……
http://www.jvcmusic.co.jp/k2hd/k2hd.html#top
この中でも最も興味深いのが「音楽エネルギー等価交換方式」です。
これは一体何をやろうとしているのでしょうか?
この図はビクターのK2HDコーディングの概念図なのですが汎用性があります。
この例では音楽を録音すると幅広い周波数の音が記録されるが、CD商品に収録が
出来るのは一点破線で縦に区切った左側だけになってしまいます。
極めて高い周波数の音は無かったことにしましょうというのが従来のCD作りです。
後期高齢者は居なかったことにしようなんて概念と似ております。(違うだろ!)
これで大丈夫、蝙蝠じゃあるまいし、どうせ高い音は聞こえないんだから。
そう思ったが実際は、そうじゃなかった。どういうわけか人間は違和感を感じた。
純科学的には未解明の部分なんだが、違って聞こえるのは事実。
もちろん知覚の問題なので、個人差も大きく、気にならない人も結構存在する。
切り捨てのセンスで16ビットのデジタル・データを音楽から作ると、2万Hz
より高い周波数の音は収納されません。無理な相談なんです。
だけど、アナログレコードはこのようにスパッと切り捨てることはしません。
しちゃダメだから、じゃなく出来なかっただけです。
だって録音に入ってるから変なフィルターを通すと音が悪くなるし、ということ。
ところが、これが逆にCDの最大の弱点じゃなかろうかということになった。
ある周波数より上が無いなんて自然界とは隔絶してるじゃないか、ということだ。
かといって、こんなに高い音程の楽器なんか存在しないし、ここにはどんな音が
入っているのかというと、もう、気配のような、雑音のようなものなのです。
なんだけど、これが入っていると音楽が活き活きとする。生の気配がしてくる。
レコードはこれが良くて、CDはこれが欠落しちゃってるのだろうと気付いた。
さて、どうしたものだろう、と、技術者は色々と知恵を絞ったのでしょう。
こうなると人間の聴感とはどういうものだろうという人間の脳の働きに迫った。
こんなことを書くと、違うよ、とか言われそうだが……。
要は、人間への騙しのテクニックを考案したのだ。これって結構凄いことだよ。
周波数としてはCDに取り込めないのだが、あるエネルギーとして付加してやれば
人間の脳は、CD再生可能帯域以外の音が鳴っている時と似通った感覚を感知して
くれるのではないか、こう考えたのです。
エネルギーって何かと言えば、上図でいうと22.05ヘルツ以上の部分の面積。
これを積分計算して求める。コンピュータでやれば出来る。
これをどうやってCDの音域内に挿入というか反映させるか、ここがポイント。
ここにサブリミナル効果と良く似た手段をとるのです。
一部におまけ成分を載せた信号で置き換えてやるのです。
どういうことか説明します。
この図は「恋のバカンス」の69秒目から70秒目にかけてCDに納められた
波形です。CDだから16ビットです。
16ビットでもかなり細かな様相となっていることがわかります。
横軸は1秒で約4万の情報に区切られます。約4万プロットのグラフということ。
縦軸は、1プロットにつき、約65500階調の表現が出来ます。
1秒での話にすると大変なので、5000分の1秒にしましょう。
こんな数字が並ぶのだろうと思います。
12345 12345 12345 12345 12345 12345
12345 12345 12345
5000分の1秒の間だけなので、まあ、同じ数字が並ぶことの方が多いでしょ。
そこに、さりげなく、さっきのおまけ成分を加算してやるのです。
(例1)
12345 12345 12345 12345 12346 12345
12345 12345 12345
(例2)
12345 12346 12345 12345 12345 12345
12345 12345 12346
実際に、どこにどうやって埋め込むのか知りません。
だって、どこに埋め込めば良い、という科学的根拠がないのですから。
この符号を立てる(おまけを付加する)最適タイミングを見つけるのに技術者は
大変苦労したそうです。聴感とかセンスの問題です。人間の官能の問題です。
ベテランミクサーと一緒にあらゆるジャンルの音楽で視聴を繰り返し、どこに
持ってくるのが音楽感としてベストになるのかを徹底的に検討したそうです。
こういうところは、ほとんど企業秘密のようなものじゃなかろうか。
それに初めからこうすればこんな効果があると予測したのではなくて、やってみたら
これはけっこういいんじゃないか、という結果が得られたということでしょう。
ピュアな見方からすれば邪道でも、上位目的からすれば正道。
重要な観点は静止画のような分析じゃなく、ダイナミックな時間軸でのアプローチ。
時間という重みを利用することで、「0」か「1」の世界に「0.3」「0.7」が
あたかも存在するかのように「人間には聞こえる」。頭いいなあ!
なんか、凄いことを私は書いていますよ。
お前は、そんなことの専門家なの? 違うだろ。デタラメ書いてるんじゃないの?
う〜ん、そう突っ込まれると困るんだ。
こういう情報なんか、ネットの世界で探しても無いのですよ。引用も出来ない。
だから、自分なりに本で読んだことから、こうじゃないのかと謎解きしてみたんです。
だから、同じことを書いてるサイトってたぶん無いよ。挑戦者であります。エヘン。
私は概念を自分が理解出来る表現に置き換えているので現実はどうやるのか無知です。
だから、些細な違いは無視して下さい。
概念が違っていたら、是非、教えて下さい。
以上が、ソフトウエアでのCDの高音質化アプローチの例です。
以下、ハードウエアでの高音質化アプローチを簡単に紹介しておきます。
何故、簡単に済ますのかといえば、ザ・ピーナッツのCDには採用されないからです。
CD素材の改良例。
SHM−CD(スーパー・ハイ・マテリアルCD)
液晶パネルに用いられる低分子のポリカーボネイトをCD素材に活用したもの。
低分子ということは分子の鎖が短いから、ねばりが弱く割れやすいと思われますが、
複屈折が少なく、透明性が良く、流動性も良いので精緻なビットが形成出来る。
私が実際に購入したのはまだ3枚に過ぎないが、高音質というよりも感動音質とでも
言うべきか、ダイナミックでグサッとくる。繊細さよりも大胆でふてぶてしい音。
これでいいだろ。なんか不満があるか、と強引に納得させられてしまう響きだ。
通常CDとは明らかに音が違う。どういうわけか心を揺さぶられる不思議な音がする。
http://shm-cd.co-site.jp/about/index.html
HQCD(ハイ・クオリティCD)
素材の改良はSHM−CDに準じるが、こちらはHD−DVD用に開発した素材活用
技術なので多少の違いはあると思われる。
そして大きな特徴は、CDの信号反射面に通常はアルミ反射膜を使うが、銀反射膜を
使う新技術となっている。反射率は銀の方が良いことは証明されている。
http://www.hqcd.jp/
ブルースペックCD(Blu-spec CD)
ビジュアル分野のブルーレイディスクを製造する技術をCD製造に応用したもの。
こちらはビットの中心位置の正確性の向上と形状の精緻な加工が特徴である。
SHM−CD、HQCDとは逆に、高分子のポリカーボネイトを使うため、柔らかく、
SACDの素材には使えない。(SACDは6ミリ板を貼り合わせるため)
http://av.watch.impress.co.jp/docs/20081105/sme.htm
他にも別のアプローチ(緑色塗装とか)があるが主なものだけに止めます。
また、再生側でも32ビットで処理をするという凄いCDプレーヤーも登場しました。
http://denon.jp/company/release/dcdsx.html
たかがCDと言ってしまえば、身も蓋もありません。
そんなこと言ったら、たがが人生、とか、たかが命、とか、全てが否定されてしまう。
CD一枚に込められたロマン。これを味わい尽くそうじゃありませんか!!!
最後に、CDが出来るまでの、おさらいです。
http://www.riaj.or.jp/makingcd/index.html
(2009.01.14記)
おまけ→疑似ステレオの技術解説(キングレコード方式?)
(2009.01.27追加)
遂に「ザ・ピーナッツ オリジナルLP紙ジャケット・コレクション」が完結した。
こうして俯瞰すると、音質面での金字塔だ。偉業だと絶賛したい気持になった。
不思議なことだが、ザ・ピーナッツの録音物はアナログレコード時代もCDでも、
その音質についての評価どころか、音質については半世紀の間、誰も無関心だ。
我が国の1億3千万という人口の全てが何も感じていないかのようだ。
そんな記事やらコメントなど、どこにも載ったことがない、話題にもなりゃしない。
他の一部の歌手の場合はしばしばオーディオ的な視点での記事が出ることがある。
その歌手の歌声を装置のチューニングに使うといった愛好家がいたりする。
これが、ザ・ピーナッツの録音には、ず〜っとなんにも見当たらないのだ。
もしかするとザ・ピーナッツの録音に触れることはカッコ悪いことなのだろうか。
俗っぽいからなのだろうか?
私は、その音質に魅せられてきた。
そんなことを書くことは恥ずかしいのだろうか?
出版物はおろか、ネット中を探しても無い。全然無い。私だけ、ここだけだ。
孤軍奮闘。天上天下唯我独尊という状態なんであります。
「月影のナポリc/w白鳥の恋」の初ステレオ録音(昭和35年5月26日、31日)の
時点で、もう最高なんである。この時から、ずっと凄いのである。
それなのに本当に誰も気付かないのかなあ。信じられないことだ。
今回の「ザ・ピーナッツ オリジナルLP紙ジャケット・コレクション」の音質は
従来のCDのそれを圧倒的に凌駕したと思う。おったまげた出来である。
CDフォーマットでここまで出来ることが奇跡のようにも感じる。
SACDの響きを100点とすれば、85〜90点くらいはいってそうだ。
あくまで私の感覚上のことだが、「シングルス」の時代の音はギラギラしてて嫌だ。
「ドリームCDボックス」もギラギラしてる。同じ時期だからかも知れない。
それならむしろ、初期の「ドリームボックス」の方が自然体だった。
また感覚的に嫌なのはアポロン音源のCD全般だった。電気の音がするからだ。
ところが今回ボーナストラックに収録された「それ」は好ましい音質に変っている。
これなら、いっそのこと全てのアポロン音源のリマスタリングをやってほしい。
もっと強く要望したいのは、ギンギンの音のドイツ盤のあれのリマスタリングだ。
マスターテープを入手して、日本でリマスタリングしてほしい。断然良くなるぞ。
とにかく、今回の音質の特徴は、しなやかで滑らかなことだ。
間違って理解してほしくないのは、そんな風に加工したということじゃないはずだ。
実は高音質というものは全てそういう風に聴こえるものなのだ。
しなやかで滑らかじゃない方が似合う音楽は、高度なオーディオに向かない音楽だ。
そういう音楽も確かに存在する。否定はしない。それが好きなんだからそれでいい。
強靱なマグネットを背負ったスピーカーからは実は素晴らしくしなやかな音が出る。
野放図に振動板が暴れるような制御の効かないスピーカーからはど派手な音が出る。
そういうものなのであり、しなやかさは高級オーディオの代名詞でもある。
ザ・ピーナッツのCDにもシンバルや金管楽器の華やかな音が存在する。
存在するが、それは必ず、ある距離感を持って、空気の振動として聴こえるものだ。
それがマスタリング次第で、スパイクのように耳に直線的に突き刺さったりする。
そんな響きではない筈だ。なにかが間違っている。これがデジタル臭い音と言われる。
楽器に耳を付けて聴く音楽など存在しない。アコースティックでなければならない。
ザ・ピーナッツの声音は人間の声帯の響きなのだから金属質に響いてはならない。
音を聴いて楽しむのが音楽なんだから、どんな音質でも良いわけはないだろう。
音質に無関心、無頓着という人たちが多いのは仕方がないという面がある。
これは科学的にも証明されていることなんだが、人間は本質的に聴感は二の次なのだ。
脳のリソース(脳みその使われ方)は視覚と聴覚が同時に処理されると、その比率は
20対1とか(数値化は難しいのだが)で視覚情報が最優先されてしまう。
いわば聴くという感覚は全体として隅っこで細々と処理されることになってしまう。
だから、ちゃんとザ・ピーナッツを聴くためには、全身全霊を傾け、心頭滅却して、
ひたすら耳を澄ませて脳の資源を音を聴く為だけに活性化しなきゃダメなのである。
これは一種の修行といって良いだろう。
修行だから全ての人が成就して悟りをひらくというわけにはいかない。
人間は習慣の動物だから、車を運転しながら聴くという人は音楽自体は聴いていても
音色までは頭のリソースが使われない。使う習性がない。スイッチが入りにくい。
普通にしてても20対1なんだから、何かしながらじゃ、もう全然意識が向いてない。
携帯プレーヤーでも良い音だというのは、そこに起因する。どうでも良い音なのだ。
ということだから、音質に無頓着なのは現代人として極めて一般的とも言える。
そういう聞き方でも歪みは判る。しかし現代のオーディオはどんな機器でも歪まない。
だけど美音が聞き分けられないのだ。脳の関心がそこに向かないからであろう。
私は極めて目が悪い。強度の近眼と僅かな乱視が合成されている。
検眼〜眼鏡作りは関内馬車道の「横浜眼鏡院」の技術でなければ不可能なのだ。
ここまで悪いと理詰めでは矯正出来ない(らしい)。狭い意味での科学は通用しない。
網膜までの距離を計測して、とか、実用的視力を得るには意味をなさない(らしい)。
こんなところで妥協してという匙加減がわからないと頭痛がして酷い事になるのだ。
こんな風だから比較的に聴感の方へ脳の資源がシフトしちゃってるのかも知れない。
それでもライナーなんか、ついつい見てしまうと、その僅かな時間の音の記憶が消し
飛んでしまうことがある。小説を数行分を読み飛ばした感じで慌ててしまう。
これほど聴くという意識は脆いものなのだ。
だから聴覚以外を遮断する時間を持てるということは実は大変に贅沢なことなのだと
思うようになってきた。朝・昼・晩と家内がご飯作ってくれるし、豪勢なことだ。
「時は金なり」なんていうが、逆の意味で非生産的な時間を持てるのは絶大な価値だ。
あらゆる雑事から完全に解放される時間というものは案外少ないものなのだろう。
だから独身時代が他人の2倍も3倍も長く持てたのは不幸というより幸福だったのだ。
親離れなんて概念は毛頭なかった。だってお世話してくれるんだもの最高でしょう。
もうレコードばかり聴いていた。生活の心配なんかしないし雑用一切なしだものね。
そして今は出勤しなくて良いし、会社時代の人とも無縁だからしがらみはないわけで、
余計な付き合いなんか要らない。フリータイムばっかりである。贅沢の極みだ。
腹が立つのは怪しい勧誘の電話だ。そこで音楽を聴けなくなる。中断されてしまう。
尽きるところ音質云々なんて気にしてるというのは贅沢な生活をしてるからなのだ。
ここでいう贅沢とは、お金の話じゃない。気持の持ち方の問題なのだ。
あのパイオニアが不振でやばいことになっているらしい。
一万人も従業員削減だなんてことになりそうだ。
「聴く」ことの専門家集団だったのに「見る」方の企業へ発展した結果なんだろう。
繰り返すが、聴く、と、見る、じゃ、20対1、それ以上かも知れないが「見る」は
誘惑が大きい。競争も激しいに決まっている。優秀な技術者達が無念なことだと思う。
「聴く」方はなかなか商売になりにくい。「聴く」方へ人間の意識が向かないから。
だから、SACDの規格をパテント商売にしたソニーは見当違いだったと思える。
もっと大局的に、慈善事業的に無償でフリーな規格にすれば良かったのだと思う。
人類の音楽鑑賞のために寄与すれば良かった。今更そうしたって、もう手後れだろう。
せっかくの固定メディアの高音質化の機会を失わせてしまった。残念なことだ。
これで20年以上は音質面の進化が停滞しちゃったように思う。
今度はどんなチャンスがあるのかな。私が生きてるうちに何か起きるのだろうか?
こんな音質無頓着の世情の中。よくぞ高(好)音質化へトライしてくれたと思う。
どのくらい良くなったかというと、自分のCDプレーヤーが1ランクアップしたかの
ような聞き応えがある。価格的にいえば3倍くらい高価なものに換えたかのようだ。
そういう違いなのだが、無頓着人種には「別に?」という反応となるかも知れない。
「目に見える世界」じゃないことは辛いけど、「目に見えない世界」にこそ趣味の
醍醐味があるように私は感じます。
キング・レコードは社名のように、レコード(CDもレコードだよ)作りに職人の
技をこれからも発揮してほしい。いい仕事は長い目で見れば実を結びます。
職人の仕事は粋筋の人にしかわからない面もあるけど、それでもいいじゃないか。
(2009.04.23追記)