インファントの拙いオーディオ遍歴

1961年(昭和36年)〜       14歳〜15歳

親の仕事の関係で家には常にレコードをかける機器が存在した。
また、富士電機製の真空管式テープレコーダーもあった。
ラジオはナショナルの普通の据置型だが、下部にナショナルの
レコードプレーヤーを置いていた。
 (左の写真/写っているのは弟)
前部を手前に倒すとプレーヤー部分がスライドして出て来る。
33回転〜78回転のリムドライブ20センチターンテーブル、
ターンオーバー式のクリスタルカートリッジがプラスチックの
アームに付いていた。
決してハイファイといえるような代物じゃなくて、ただ単純に
レコードがかけられるという代物だった。

初めて私が買ったレコードは、インファントの娘/草原情歌。
次いで、あれは十五の夏祭り/スクスクドール
    スクスク/カカオの瞳
更に、2ヶ月間くらいで既発売のレコードを殆ど買い揃えた。

1963年(昭和38年)        16歳

ステレオ電蓄が我が家にも登場した。メーカーはコロンビア。
スライド棚部分にアンプ。天蓋の下にプレーヤーが入っている。
外観は家具調で洒落ているが、エコー装置とかDSD方式とか、
音質の本質を改悪するような付属物ばかり付いたダメ機械。
6W×2というアンプ部の出力だったが、昔の高能率だった
スピーカーと吸音材など使わない箱だったので大音量で鳴る。

それでも一応ステレオなので「祇園小唄」のLPから以後は
モノラル盤と併売されていたステレオ盤を購入していった。

この電蓄のプレーヤーでかけ続けるとレコード盤の溝が痛むので
何とかしなければと心を痛めていた。

1964年(昭和39年)        17歳

日本電気運輸(日給550円)と電気部品会社(日給500円)
でアルバイトをして、プレーヤーだけ単体で購入した。
部品の会社は色んなメーカーの回路の一部分だけを作っていた。
ハンダ付けを教わって、その技術だけはプロ級になったはずだ。

プレーヤーはパイオニアPL−6
付属カートリッジはMMなので電蓄には使えない。
秋葉原へ行って店員に暫定的になにか良い方法はないか相談した。
リオン(補聴器などで有名)のクリスタルカートリッジはどうかと
薦められ、シェルへの取り付け方も実演で教えてくれた。
たった2100円のパーツを1700円で講議付きで面倒を見る。
秋葉原の商人は素晴らしい人達だと感動した。

これを電蓄のAUX(外部入力端子)へ繋げば良いと教わった。
これはEP&LP専用のもので、幾分はレコードに優しかった。

1965年(昭和40年)〜       18歳

カートリッジをオーディオ・テクニカAT−3(MM)に更新。
プリ・メイン・アンプにトリオW−46を購入。
  20W+20W(記憶曖昧?)真空管(5極管)アンプ
スピーカーにはパイオニアCS−71
  25センチ・ウーハー、ホーン・ツィーターの3ウエイ
  バスレフ箱の昔ながらの大きな図体だった。
FMチューナーはトリオの廉価品(型番失念)。
  3素子アンテナ。東京タワーが家の2階から見えていた時代。

親は学費を出すから大学へ行けと薦めたが
私は働いてオーディオ機材とレコード盤を
買いたいので就職したかった。
今でも正しい道を選択したと思う。(笑)
その金で部屋を作ってくれて自分の城域を
持つ事が出来た。
給料でコンポーネントを買い揃えて行った。

さあ、俺のステレオだと期待に胸膨らませたが
それは思ったほどのいい音ではなかった。

1966年(昭和41年)〜       19歳

自分に音響自体の認識と経験がないのだろうと何となく感じて、
素人が手掛けやすいスピーカーシステム作りに挑戦してみた。

フォスター(現:フォステクス)のユニットをいくつか買って、
平板バッフル、密閉箱、バスレフ方式、バックロードホーンなど
色んなスタイルを試行してみた。
インピーダンスの適合ユニットを探していてカタログで見つけた
英国ワーフェデール社スーパー3に邂逅したのはこの時だった。
これは運命的な出合いだったと思われる。偶然のように出会った。

巨大なマグネットを背負ったツィーターとしては直径の大きな
コーン紙の奇怪なユニットだった。低い周波数からも使える。
2ウェイの中高音域、3ウェイの高音域として色々試してみた。
金粉をまき散らすような倍音が盛大に出るユニットだったので
まともに使うと聴いていられなくなる不思議な代物だったから、
小さな箱に入れて天井に向けたり横に向けたり瓶やボーリングの
ピンに反射させたり色んなチャレンジをしてみた。
後年流行となったリニアフェイズにも行動実感として体験もした。

率直に感じたのは英国の音作りの見事さ、気品あふれる気高さ、がそこにあり、
スピーカーは英国製に限るのではなかろうかという実感だった。
その後も家でこれだけの品位が奏でられることはなかったようにも感じている。
ここに英国崇拝のコンプレックス的なトラウマが身に付いてしまったのだった。

1967年(昭和42年)〜       20歳

パイオニア社はスピーカー作りで有名になったメーカーであったが、
プレーヤーにも人気があった。
PL−41という高級プレーヤーに使われていたモーターは静寂で正確無比。
OEMメーカーの横浜工学という社名まで脚光を浴びた。
しかし、このシステムはトーンアームが不釣り合いでカートリッジも不似合い。
そのため、ターンテーブル単体としてのMU−41に人気が出た。
それならということでカートリッジ・レスでトーンアームを格段高級化させた
PL−41Cというプレーヤーシステムを発売した。
普通の勤め人の月給2ヶ月分というお値段だったが飛ぶように売れ続けた。
このベストセラー機を私も購入した。確かに素晴らしいS/N比が感じられた。

カートリッジも真価を発揮し、オーディオテクニカのAT−21S(IM型)、
オルトフォンのVMS(だったかな?)シリーズの滑らかさに夢中になった。
シェアーのM95(型番不詳)の楽しくて逞しい音もこの頃聴いたと思われる。

1968年(昭和43年)〜       21歳

音を実際にちゃんと聴いたわけでもないのに英国タンノイ社の
スピーカーがシュリロ交易とかいう会社で輸入販売されることが
発表されて欲しくなり、テレビ音響(秋葉原)が自社製の箱に
入れたTANNOY Monitor Gold III-LZを購入した。
合板で作られた密閉箱でトールボーイ型の長身だった。

これを鳴らすアンプとして、LUX SQ505を購った。
それまで頑に半導体アンプを発売しなかった老舗ラックス社が
モトローラ製の石ならいけるということで作った滑らかな音が
するトランジスタアンプだった。
最近のネット記事などでは、LUXMAN SQ505と表記されているが、
このシリーズでは「ラックスマン」の表現は使われていない。

しかし……この音がどうにもいけない。頭を抱えてしまった。
三極管アンプで鳴らすのが良いとかオリジナル・ボックスで
なければダメとか雑誌には書いてあるが、買い直すには資金が
要るし、試せることをやってみた。

スピーカーキャビネットを変えてみるだけならお金はそんなに
かからない。そこでタンノイ社の指定設計(正式なものなのか
知らないが複数存在した)で作られたサトー無線の箱や、
箱専業のインペリアル工芸製造の箱を買って取り付けてみた。
全部、音が違った。時間の経過とともに(当時は無知だったが、
エージングが進んだわけだった)かなり良い音がし始めたし、
結局、最適な箱を特定出来たのだった。

ポイントは「密度が高く、叩くと気持の良い音がして、板厚は12ミリ位」が
良いのだった。これはコロンビアの電蓄と同じようなセンスで鳴っているのだ。
吸音材も多過ぎてはダメで、補強もやり過ぎてはダメ、ネジも締め過ぎない。
もはやこれは楽器に近いのだ。そういう鳴らし方が必要なのだ。

置台も重要な要素であった。ブロックを試してみたが、味もそっけもないからダメ。
一石二鳥でレコード収納ケースを2個買ってこれを敷いてみたら変な響きでダメ。
一番良いのは、家具屋で買ってきた電話の置台を加工して自作した台だった。
最近になって、HARBETH Super HL5というスピーカーの専用スピーカースタンドを
見て驚いた。自作のスピーカー台とそっくりだ。これも良い音で鳴るのだろう。

この台の足元に何を付けて床に置くか、でも音が変化するし、台とスピーカーの
間に何を置くかで音が変化する。
駅ビルの中にハンドクラフトのお店があり、そこに色々な素材の小物が売ってて、
仕事の帰りに何かを買って来るのが楽しみだった。
最終的に、台の足元には堅い半球状のもの(元が何だったか忘れた)を接着し、
台の上には10円玉を両面テープで付けておくのが一番良かった。
防振ゴムなんかが良さそうに思えるのだが、そういう理詰めでは結果は出ない。

スピーカーケーブルにも色々と凝ってみた。秋葉原に小柳出電気商会などという
電線だけの専門店がある。
ラインケーブルなどはアドバイスを受けるし、お薦め品を買うが、スピーカーの
ケーブルはなんとなくこれがかっこいいというのを選んで色々と使った。
英国製のせいか、ルーカス線という緑色の四角い断面のが合っていたように思う。

1969年(昭和44年)〜       22歳

この時期は所得倍増計画&諸物価高騰などで給料が毎年
20〜30%も増えたが、家に入れる金額は据え置きで
おかげで独身貴族のオーディオ遊蕩三昧となった。
カートリッジ類はオーディオ雑誌に出ている評判の物を
片っ端から買い求めた。
左の写真以外にも、エンパイア、エラック、シュアー、
フィデリティ・リサーチ、ピカリング、スタントン、
テクニクス、サテンなど超絶的に高価な物以外は聴いた。
ずっと所持するわけではなくオーディオ好きの三馬鹿で
物々交換をしていた。
三人の所有物を寄せ合えば、ちょっとしたショップ様相。

その一人が,JBL K2 9500を買ったので聞きに
来て下さい、と言ってたが、突然死してしまった。
あのスピーカーを家族の方はどう処分したのだろうか。
まさか、420万円では形見に下さいとも言えないし、
そういうこと言い出せっこないよな。

自分との相性がトップ要因だったろうと思う
のだが、それ以外にもアームとの関係や組み
合わせた機器の鳴り方の影響もあって、
グレースF−8Cが常用の地位についた。

ずっと後で、ヤマハMC−1sが本妻の
地位獲得。しかしF−8Cも棄て難く、
結局共存させることになっていくのだった。

この二つのカートリッジはMMとMCの違い
があり、本来似るはずがないのだが、周波数
特性が似ていて、それが好みの元になってい
たのかも知れない。

1970年(昭和45年)〜       23歳

オーディオ病膏肓に入るという精神失調気味になったような?

名門ラックスが既に定評を得ていた、SQ−38Fの改良版を
出すという記事が雑誌に載っていたので秋葉原に飛んで行き、
25%引きの先払いでお金を払ってしまった。

それがこのSQ38FD。珠玉の真空管アンプ。
実物もかっこいいが、白黒でもカラーでも写真映りが素敵。
たちまちベストセラーになっちゃった。
家で眺めていると思わず触って電源を入れたくなるという
不思議な魅力があった。

製造番号=5番というフレッシュなプリ・メイン・アンプを
配達もさせず、取りに行ってお持ち帰りしてしまったのだ。
20キロ以上もあったのだろうが、火事場の馬鹿力なのだ。
京浜東北線のラッシュアワーもなんのその、勤め帰りなのに
秋葉原へ行ってしまうのは若さだったのだろう。
私が行く迄、お店を開けて待っててくれました。(笑)

デザインと出て来る音の魅力が似通っていて工業製品として
抜群のセンスが凝縮された、まさに銘機中の銘機。
非常識な価格ではなく、精一杯の技術者魂の良心が込められ、
内部配線まで匠の技の芸術作品のようなものであった。

著名な作家でオーディオ・マニアとしても有名な故五味康祐
氏がIIILZとラックスのSQ38の組み合わせを評して、
「家庭でレコードを楽しむのに、この程度以上に何を要求
する必要があるのだろう」 と言わしめたというし、
オーディオ誌が「黄金の組合せ」と讃えたのは機器評論の
歴史で唯一のこと。法外な価格帯ではない製品をこれだけ
褒め讃えたのも希有の事。
その片割れを手にしたのだからタンノイもこの際オリジナル
ボックスを入手しなきゃ、という義務感のようなものも感じ、
国産箱入りの品物の倍の価格にはなるのだが、遂に買って
しまったのだった。
TANNOY IIILZ in Cabinet mkII \87,500(1台、1967年発売)
という代物である。
店頭ではたまたまローラ・セレッション・ディットン25
とかいうスピーカーの音を聴いて、こっちは1台9万ちょっと
だが、これの方がよく弾む楽しい音で素敵だが、初心貫徹で
タンノイにこだわった。今でも間違っていたかな、
と思う面もある。

さて、その音の違いは歴然としたもので、エージングもしな
い内からとても柔らかい響きが奏でられた。今迄聴いてきた国
産箱のサウンドとはまったく別物という感じだ。
今回、資料写真をネットで探していて、今更ながら気付いた
事が色々見い出された。
1.私の初期の品物と、その後のものでは、ケーブルの扱いが
  違い、私のは左の写真のようにケーブル直出しであったが、
  後期はちゃんと接続端子が備わっている。
  これは元来がプロ用途のモニター機器なのでケーブル末端
  未処理直出しであるが、日本では家庭で聴かれるユーザーが
  大半という事情なので輸入商社がメーカーに働きかけたに
  違いない。こんな違いはオーディオ誌でも見た記憶がない。
2.オリジナル箱の裏蓋を開けたことがなかったがネットワーク
  匡体が前面の板に取り付けられている。これは知らなかった。
  私は後ろ側の板にネジ止めして使っていたのだ。これでは
  響きが違うだろう。
  鳴き止め補強の意味からも後ろ蓋に取り付けたが、後方の
  板は積極的に鳴らしてしまうのがメーカーの意図だったの
  だろう。今頃勉強してもしょうがないが。
3.更に後期のものになると見本写真は添付しないが、箱がバス
  レフ構造になってる。これはどうなのだろう。
  私の実験では、密閉の方が圧倒的に良かったはずなのだ。
  空気を抜いてしまうと独特の響きが失われてしまうように思われてならない。
  ユニットが変って、特性が変化したのかも知れない。
  私の感覚はあくまで、モニターゴールドの時代を差している。
  更に旧いモニターレッドや、新しいHPD以降の響きは聴いてないので不明だ。

スピーカーのエージングも兼ねるFMチューナーも
トリオKT−7000に新調した。
後年、友人に譲り、安物で十分なので、ヤマハ
TT−11に更新。

1971年(昭和46年)〜       24歳

突然、妙なものが大流行となった。
それは4チャンネル再生ブームだった。


山水電気が火付け役で、QS−1というマトリックス・
4チャンネル・デコーダーが発売され、生産が追い付か
ないほどに売れた。予約でようやく買った。
あと2チャンネル分のアンプが必要になったが、タイミ
ングよくSQ38Fの持主がセパレート・アンプに更新
するというので安く譲ってもらった。

タンノイIIILZとラックス球アンプによる、なんとも
豪勢な4チャンネルサラウンドの環境が整えられたわけだ。
確かに面白いことだけは間違いない。
効果音の世界は抜群な臨場感。4チャンネル盤もいくつか
買い、デモ的にはかっこいい世界が繰り広げられた。
だがしかし、音そのものに品性が欠落してしまっていた。
音の密度が失われ、間延びしたしまりの無い響きばかりで
安っぽい音になった。

(これは翌年のことであるが、ついでに書いておく。)
きっとこれはQS−1の部品のクオリティが低かったり、
研究不足であったりなどのメーカーの力量が足りないの
ではないかと思った。
そこで、色々なチャレンジを繰り返した挙げ句に、三菱
電気のDA−Q100という新しい4チャンネルデコー
ダーに買い替えてみた。
回路上もQS−1の機能を上回るSEロジック回路を
搭載するなどチャンネル分離の良さも謳っていたが、
デザインは素敵だったが、音は相変わらずで、
2チャンネルで聴く通常のステレオ再生の瑞々しい音が
4チャンネルでは出せなかった。

結局4チャンネル再生そのものが邪道なものであったと後年気付くことになりますが、
日々純粋にオーディオの醍醐味を追求されておられる筈のメーカーの技術者の人達も
今後もこのような紛い物を提供しないように反省すべきだと思いました。
流行のホーム・ムービー・システムなどでは、5.1チャンネルなどでSEの効果を
楽しむには良いものかも知れませんが、それでも飽きるという要素はあると思います。
近頃はピュア・オーディオという言葉も使われるようになりましたし、音の醍醐味は
昔ながらの2チャンネル再生の音質をいかに高めるかということに腐心すべきかも。

テクニクス(松下電器のオーディオ系列名)が世界初のダイレクト・ドライブ機構で
ターンテーブルを回す、SP−10という超弩級製品を発売し、大評判となった。
これはお値段も物凄くて手が出ないので、同社の廉価版SP−12を購入した。
ついでにトーン・アームもフィデリテイー・リサーチFR−24を導入した。
静寂性は改善されたようだが、音に馬力がなくなったような感じも持った。
デザイン面では異質な物が組合わさった感じで、余りかっこいいものではなかった。

1972年(昭和47年)〜       25歳

この年は好きになった生身の女性におつき合いを
断わられるし、かなり荒れていた。
オーディオ的にも目標を失った感じで支離滅裂。
ヤケっぱちとしか思えない買物。
パイオニアの新製品CS−3000はヤマハの
NS−1000Mの向こうを張って出したような
力作だったが評判は悪かったし、私もなんかバラ
バラの音に聴こえた。
手作業でやってるスコーカーのワイヤードサスペ
ンションなど凄みが感じられるし、全体に歪み感
がまったく無い見事なものだったのだが、中高音
の切れ味の良さとは相容れない低音のもたついた
感じがフィットしなかったのだ。

友人二人がそれぞれ、NS−1000とNS−1
000M(音色が違う)を所持し、それらのベリ
リウム振動板の素晴らしさには驚いたが、これら
スピーカーの良さは本当はウーハーにあったので
はなかろうか? いずれにしても、これら国産ス
ピーカーの作りの良さは大したものであり、海外
のそれは輸入コスト面を考えても同じ価格帯では
工業製品として段違いなのであった。
また、ザ・ピーナッツを始めポップスや歌謡曲を
聴いている限りは、これら国産のスピーカーの方
が全然良いと客観的にも感じられた。

CS−3000の音はオーディオ評論家は褒めな
いが、普通の人には受けが良くて、どこも凹んだ
音域もなく、立派な音だった。
同じくらいのサイズなのに、タンノイの3倍は重
いし、家具としての仕上げも上々。これで低音の
反応さえ良ければ歴史的な名器になっただろう。
惜しまれる機器だ。
耐久性にも優れ、後年、友人に譲ったが、今でも
何も問題なく鳴っているそうだ。

同じパイオニアCS−5は4チャンネルのリア用として、突飛な
発想に基づいて天井から吊ってみたり、あちこちに移動しやすい
小型さを試したかった買物。
1年も居ないで他所へ嫁に行ってしまった。こういう小型のものを
欲しい人たちは割と多いのだ。
まあ、4チャンネルも流行していたからかもしれない。
ちっちゃいくせいに健気に良く鳴るスピーカーで、なかなか洒落て
いたように思う。

ラックスMQ−60は買った品物ではなく頂き物。
友人の家に遊びに行ったらオブジェとして飾ってあった。外観は綺麗な状態だった。
壊れてしまって上位機種を買ったのだが、新婚の奥さんがまめに掃除していたのだ。
使ってなかったら頂戴、と、頂いて来てしまった。奥さんは掃除しにくいので喜んでいたみたいだった。
ラックスに修理を頼んだら手間賃だけで直してくれた。
ロールスロイスの車のシャフトがもし折れたらヘリコプターで飛んでいって無償で
修理する、とかの伝説と同じで、ラックス社のトランスは永久保証であるとか……
そのトランスの故障なので部品代は要らないという。凄い企業だ、と感心した。

SQ38FDのメインアンプ部と同じ構成の筈なんだが、わざとそのプリアンプの
出力を繋いでやると、こっちの方が音が良い。不思議なものであった。
スピーカーケーブルを短くし、ラインケーブルを長くしてみると、これも面白い。
セパレートアンプってこんな感じなのだな、と思ったのだった。

1973年(昭和48年)〜       26歳〜27歳

いよいよ4チャンネル再生に見切りをつけ、
2チャンネルでの充実した再生環境を作ろう
と心掛けたのが、この年だったか、翌年だっ
たかはっきりしないのだが、大体この時期で
あった。

ステレオサウンド誌でオーディオ評論家の故
瀬川冬樹さんが、このスピーカーを褒めてい
て、かつ、相性のいいアンプとしてSQ38
FDを選び、
「この組合せで音楽を聴いて楽しめない人は
大変に不幸な方だ」とまで評されていた。
これは、このセットが最高というのではない
が、音楽を聴くに、これ以上の環境を求めな
くたっていいじゃないかという意味。
この評論家の大ファンだったので、そうまで
評された機器なら買わない手はない。もうこ
れでスピーカーは買わないと決めて、高額で
はあったが、決断したのだった。

現在の資料では記述がないが、ステレオサウ
ンド誌などでは、
タンノイ ニュー レクタンギュラー ヨーク
と称していた。
それまでのRectangular Yorkはユニットも
異なり、サランネットのデザインも違っていて、
旧作の方が品があった。
ユニットもモニター・レッド→ゴールドから
H.P.Dとなって、その後には、アーデンと
いう名称になりモダンなデザインとなる。

いわば過渡期の製品であり、人気は今ひとつ
のようだったが、瀬川冬樹さんの賞賛を信じ
るし、自分の耳を信じて愛好した。
最も長期間、私と過ごしたスピーカーだった。

画像下のカットモデル写真は私がオーディオ
フェアで撮ったが、大変にユニークな構造の
ユニットであることがわかる。


実際、高さ107センチの大きな箱にスピーカーは一つなのだ。
高音用と低音用の二つが一緒になった独自の構造になっている。
この基本設計は1947年であり、私の生まれた年だったのだ。
それ以来、21世紀の今日に至る迄、不変ということは如何に
人間の聴感に訴えかける何かを持っていることの証左でもある。

一般家庭の居間などに置くには、あまりに地味なデザインだ。
これはスピーカーユニットそのものがスタジオモニター用途で
装飾的な要素がないからである。
もっとも現代の録音技師はこういうラージスピーカーは聴かず、
ミニコンポのような小型の代物で音決めをするとのことである。
だから、J−POPなどを聴くには不適切なものとなっている。

1975年(昭和50年)〜       28歳
なまじ手元にMQ−60があることが災いの元。
SQ38FDで大人しく聴いていればいいのに、
ラックスの真空管プリアンプCL−32を買い、
セパレート・アンプ方式に踏み込んでしまう。
1976年(昭和51年)〜       29歳

さてタンノイ嬢と真空管殿の蜜月状態が暫くは
続いたのだったが、どうも両者は仲が良過ぎて
なあなあで鳴っているように感じられてくる。

タンノイは本当は高貴な王女様なのに、町人と
仲良く一緒に遊んでいるので本来の才色兼備な
輝きが発揮されていないような感じなのだ。

もうそろそろ真空管の生温い世界から脱皮して
いいのじゃなかろうか……
そんな気がしてプリアンプのをヤマハC−2
更新してみた。
これがけっこういけるのである。

こうなったらもう、行けるところまで行くしか
ないだろうと、メインアンプをヤマハB−1
することにした。

このアンプが凄い。
これは商品といえるものなのだろうか!
43.2キログラムという鉄の塊のようなもの。
木箱で届いたオーディオ製品はこれだけだった。
素人が眺めたってただ事じゃないのが分る代物。
標準価格は382000円だった筈だ。
(重量・価格はメーターオプション付き)

音の様変わりは凄いものがあった。
こうなると入口から再整備をしたくなった。
DENON DP−6000
DENON DA−307
FR    FR−64S

前述したヤマハMC−1sもこの時点で導入。

音色がどうこうとか、相性がなんて言うような
レベルのクオリティではない。凄いのだこれは。
緩み切って鳴っていたような曖昧な低音さえも
ゴリゴリとした質感で明解な音程を示し出す。
タンノイがモニター・スピーカーであることを
再認識させられるのだ。

しかし、このメイン・アンプは発熱が凄まじい。
まるで真空管アンプを彷佛とさせられる。
それは増幅動作の良い部分を使うことを目的に
常に電流が流れているA級動作領域が広いのだ。
だから電気も食うが通常の音量ではAクラスの
アンプとして動いていると思われる。

ダイナミックとはこういうことなのだと納得が
出来る音である。体感でそれを感じられるのだ。
微細な音も反応よく表現するし、レコード内の
今迄すっと流していたところで意外な重低音が
入っていて驚愕することも多かった。
それまで何を聴いていたのだろう。
同じスピーカーがこんなに変身するなんて……
まさに異次元感覚。オーディオは凄い。怖い。

1979年(昭和54年)〜       32歳

音の老舗DENONが社運を賭けて開発に挑んだ!
レコードの溝の塩化ビニール分子レベルの音を奏でる!
そんな表現もオーバーではないような画期的な
プリアンプが登場した。
DENON PRA−2000
お金がなくても、これは買うしかないだろう。

とにかくフォノ・イコライザーの性能が群を抜く。
一聴して魂消た。
このレコードにこんな音が入っていたのか、と絶句した。
CL−32だってC−2だって素晴らしいプリアンプだ。
だけど、このアンプの前では顔色を失う。
これだけ違うと音のマニアでなくても直ぐわかるほどだ。
DENONの技術、恐るべし!
こういう音で聴かなきゃ、レコードを聴いたことには
ならないのではないか、と暴言を吐きたくなる決定版。
これっきゃない。

レコード・ファン必聴の名器。
日本人の技術立国の誇りがここにはある。

1981年(昭和56年)〜       34歳

ヤマハのB−1というメインアンプは本当に素晴らしい名器でした。
音色がどうのこうのじゃなくて気品が違うのです。
真の本格派なんです。
お気楽な感じじゃなく、これから聴かせて頂きますという居住いを
正す感じです。
そして、タンノイの高貴なブリティッシュ・サウンドが相乗される
ものですから、今日はザ・ピーナッツをかけさせて頂きますという
ような僕になったような気分でした。

しかしながら、このアンプには致命的な欠点がありました。
それは、年中故障することです。
位相反転段という部分のFETばかりが何故かダメになるのでした。
縦型パワーFETという素子はトランジスタのように正反対の動作を
する素子が存在しません。
トランジスタであれば、PNPとNPN型の素子をペアにすることで
プッシュプル(押す方と引く方)動作を行わせることが出来るのですが、
縦型パワーFETは真空管素子と全く同様に直前に位相反転段が要るのです。

実験室的要素が多分にあった機器だったのかも知れませんが、故障すると出張修理が
出来ずに、必ず工場へ搬入しないと修理出来ない代物だったのです。
保証期間を過ぎるとこれは費用的にも馬鹿になりませんし、浜松の工場だかへ運送し、
修理となるので、時間もかなりかかります。その間、MQ−60で聴いていなくては
ならないので面白くありませんでした。

そこで、この音の品位を維持しながら、通常のトランジスタ構成でなんとか、と思い。
ビクターM−L10というメインアンプに更新したのでした。
このアンプはラボラトリー(実験室)シリーズというビクターのフラグシップモデル。
さすがに日進月歩の半導体技術の世界であるためか、石臭いような響きは陰を潜めて、
極めて優雅に、そして、どっしりした土台を感じると共に弾力的な低音を響かせる、
という理想に近い音が得られました。これなら素子などに固執する必要はありません。

聞き込むほどに、このベースラインの弾みの良さにも感心しました。
量感としては十分であってもどこかドロンとした暖かみで包み込んでいたタンノイが
活き活きと鳴り出したという感触があるのです。
B−1の持つ高品位な格調で圧倒するという風情ではなくて、これが音楽なんだよね、
という楽しさがあるんです。それでいて、品が悪いというわけじゃないのです。
いわば、フレキシブルというか、音楽の種類を上手に鳴らしわけるんですね。
ああ、これでいい。そういう満足感が得られました。
デザインも良く、それに、外枠のウッドパネルの仕上げが凄いんです。
実際のピアノの塗装と同じ回数を経て塗り上げられた本物のピアノフィニッシュ。
見ているだけでも惚れ惚れするという面もあったのです。

1982年(昭和57年)〜       34歳

別の項で書いていますが、この頃、自分のやっていたバンドの音を
録音してみたいと思っていました。
そのため、ティアックの1モーターデッキとアカイの1モーターと
ティアックのカセット・デッキを持っていました。
今では型番も覚えていませんが、1モーターだと、ガチャリという
操作フィーリングがどうも気に入りませんでした。

ちょうどその頃、ソニーから手軽に買えるコンデンサーマイクロフォンが
発売され、それまで使っていたダイナミック型に比べて、澄んだ高音が
録音出来るようになったので、デッキもA−2300に買い替えました。
もうなんというかプロみたいなフィーリングで楽しかったですね。これ。

ちなみに、カセット・デッキというものは生録には役に立たない代物で、
これで録ると、ドラムセットのシンバルがナベの蓋を叩いているような
クシャーンという音になってしまって、バンド一同も、ダメだこりゃ、と
全員が違いがわかるという感じでした。
カセットってクロムがどうのドルビーがどうのと言ってもオープンの
テープには適うモンじゃないということが目の当たりにわかりました。

なお、38ツートラというプロ仕様みたいなデッキを持ってる友人が
それで録音してくれた時は、さすがに凄いダイナミックレンジでしたが、
なにしろテープの費用が高いし、彼だけしか聴けない互換性のなさが
集団としては致命的。(そんな上等な腕前でもないしね)

それと驚いたのは「レコードの音質の良さ」です。
当時、19センチ2トラックのテープがレコードと併売でリリースされて、
聴き比べることが出来たのです。
これ、不思議かも知れないけど、圧倒的にレコードの勝ちでした。
スクラッチ・ノイズが無いという良さはテープにはありますが、その一方、
テープにはテープヒスというノイズもあるんです。
そして、これが決定的ですが、高音の伸びが違います。レコードは凄い。
アナログ・レコードというものは、それほど偉大な存在なんです。
それを再認識し、次第にテープ再生への熱意は失われてしまうのでした。

1984年(昭和59年)〜      37歳

遅い結婚をしたので新居の10畳間をリスニング・ルームにしたいと思い、体裁の
良いシステム・ラックを選定した。かなり高額な買物だった。
ビクターの漆黒のラックが素晴らしい見栄えで気に入り、高さも108センチで、
タンノイ・スピーカーにインシュレーターを敷けば寸法的にも丁度良かろうと思い、
更にソファーやテーブルなども買い揃えて雑誌のグラビアみたいな雰囲気になった。

だが、日本間で心地よく鳴っていたタンノイがコンクリートの洋間では良くない。
イギリス製なんだから洋間で良く鳴らないなんておかしいなとは思ったのだったが、
結局、このスピーカーはスタジオ・モニター用途が素性の代物なので、反射のない、
吸音性の部屋でこそ真価を発揮するのかも知れないと思った。
かといって、住空間を改造するような真似は出来ず、宝の持ち腐れのような気にも
なったが仕方がないことだった。

1991年(平成3年)〜       44歳

CD(コンパクト・ディスク)という新しい音楽メディアが1980年代に
登場し、85年頃には急速な普及でアナログレコードを駆逐し始めた。
だが、初期のソニーによる店頭でのデモを聞いていると、何かとんでもない
勘違いをしているサウンドだなあ、と驚いた記憶がある。
はっきり、くっきりで雑音がないが、こんな音で音楽を聞くくらいだったら
何も聞かない方がマシだと思えた。それぼど潤いに欠けた酷い響きだった。

この年の3月に「ザ・ピーナッツ・ドリーム・ボックス」という10枚組の
CD−BOXが発売された。早速、これを入手した。
CDには期待が出来ないが、これは何としても聞かねばならない。
デジタル機器というものの特質が何もわからないし、デジタルだから音色は
同じなんだとかの迷信もあった。どの程度のお値段が適切なのかも無知。
結局、CD規格の開発元であり、とんでもないハイエンドの商品ではないが、
同社の中では一般向けとして最も高級である、CDP−X777ESという
ソニーのCDプレーヤーを購入した。

標準価格=18万円に家内がまず驚愕した。なんてものを買うんですか!
ソニーだから値引きは少ないけど18万じゃないよとか、オロオロした。
そして、その重量にも何これと家内は魂消た。18キロだ。キロ=1万か?
現在、こんな超重量のデジタル・プレーヤーは50万円出しても買えません。
そして、デジタルでも、2007年の今でも高価な物は重いのであります。

しかし何よりも驚いたのはそのサウンドだった。
自分がアナログで散々苦労して目差してきた、そのイメージに酷似している。
デジタル臭さなんて微塵も感じない。
むしろ、穏やかなので、もっとメリハリがあっても良いと思ったほどだった。
とにかく違和感が何もないのだ。
レコードをかける場合とは色々なチューニング面でのノウハウが必要だろうと
思索していたのがウソのようであった。
そのまんま、で良いのである。即日、CD大肯定派に宗旨替えしてしまった。

このプレーヤーに付属で付いているヘッドフォンアンプはなかなかの優れもの。
出力=100ミリワットという、おまけでは済まない本格派なのである。
この当時はオーディオテクニカの安物で聞いていたが、アンプ経由よりも直に
差して聞いた方が圧倒的にクオリティが高かったのである。

2001年(平成13年)〜       54歳

パワーアンプのビクターM−L10が昇天してしまった。
右チャンネルに雑音が入るので匡体を開けてみてビックリ。
コンデンサーが破裂してしまったらしく、基盤全体がギトギトの
樹脂だらけ。よくこれで鳴っていたものだ。
これは修理が大事であると一瞬にして判断出来た。
代替え部品で修復するとしても10万円程度はかかるであろう。
これは諦めるしかない、ということで、代用品を買いたいのだが、
なんせお金が無い。家の借金はいっぱいあるのだが……

そこで、セパレート・アンプとしては当時の最低価格であったろう
テクニクスのSE−A1010という安物のメインアンプを購入。
さぞかし酷い音なんだろうな、と期待もせずに聞いたのだったが、
不思議なことに「品位が落ちない」という現象が嬉しかった。
もちろん、スケールや重心の低さや本物の凄みのようなファクター
はかなり後退したと感じられた。
それでもタンノイの気品を汚さない清楚で高貴な響きが残っている
ことだけでも大変なものだと思わざるを得ない。
そういう点だけでも、値段の割には良く出来たアンプだと思う。

更に、ずっと後年であったが、デンオンのPRA−2000にも
寿命が訪れた。
ボリューム・コントロールがおかしくなって来たのであった。
幸いなことに、ヘッド・アンプ&フォノ・イコライザー回路部分は
無事に動くので、そこだけは以後も続投させている。
プリ・アンプの代替えとして、これもセパレートアンプでの市場最安価と思われる
テクニクスのSU−C1010を購入した。
これは、高音質を確保するために、交流電源を嫌い、背中に入れた蓄電池で動くと
いうユニークな代物。大量販売の松下電器らしくないマニアックな商品である。

これにもフォノ・イコライザーは付いているのだが、悪くはないけど良くもないので、
レコード再生は、デンオンのPRA−2000のREC−OUTをライン入力として
用いている。もちろんCDなどは直結で使っている。
音色的にはなにも特徴がない。性格も良くわからないが価格的にも高音質を望むのは
無理な注文なんだろうと思う。はっとするような美しい音を鳴らすことはない。

2002年(平成14年)〜       55歳

遂にタンノイ・レクタンギュラー・ヨークにも寿命が来た。
スピーカーのエッジがボロボロになってしまったのだった。
何だか腰抜けの音になってしまったなと感じて、箱の中を
覗いてみたら、びっくりしたというわけであった。

さあ、どうしようと思ったが、この時期のJBLなんかの
スピーカーでも皆、同じ現象が起きていることも分った。
当時は音響の面で適切な素材として脚光を浴びたのだろう
ウレタンフォームのエッジが多用されたが、作動疲労では
なくて酸化による経年化学変化が起きてしまったのだ。
予測不可能だったのだろうがメーカーの落ち度である筈だ。
その証拠に、より先代のシリーズでは織布やパルプ繊維を
粘着質の樹脂でコーティングしており、こちらは生存中だ。

エッジの張り替えで修理可能であるのだが私のシステムは
とっくに代理店をやめてしまった会社の販売品であるので
正規のサポートを受ける手段がないと思った。
そこで雑誌で見た記事を参考に東急ハンズなどに出掛けて、
エッジの代用になるセーム皮のような代物を見つくろった。
あまり器用な方ではないが、まあまあ見た目は修復出来た。
音もちゃんと鳴るし、低音もしっかり出ることは出た。

だけど、何か変だ。
徐々に音が悪化していたはずなので、購入時のの基準の音が
どんなだったか覚えていないが、妙に柔らか過ぎて凛とした
響きが消え失せてしまっている。
これはもうタンノイの音ではない。
それと、片側から妙な音が時々する。これはダンパーが駄目
になった時点で、コーン紙とコイルの重さで偏芯が起きて、
コイル自体が磁気ギャップ内で偏って擦られた後遺症だろう。
もうこうなると重症で、復元は無理なのかも知れない。
ジャンク品を承知の人に売る手もあるが、ここまで酷いのは
クレームの元になるであろうから無念だが廃棄処分した。
ボックスは立派な木材なのでお人形のケースと電話FAXの
置台兼本箱に日曜大工で作り変えてしまった。

金も無いし、もうオーディオ道楽はや〜めた、という気分で、
オーディオ・マニアとは全く対極的な位置付けであるような
BOSEの464というシステムを台付きで購入した。
ねらいは、ファミリーな、お気楽な音、である。

家族には、こっちの音の方が名器タンノイより、圧倒的に受けが良いのだ。
なにより辛気臭くないのが良いのだろう。朗らかでルンルン気分の響きである。
タンノイで聴くザ・ピーナッツは神殿の前で巫女の神聖なその歌声を聴かせて
頂くという儀式にも似た厳かな響きでもあったのだが、ボーズは坊主じゃなく
BOSEなので、まあ上等なカラオケ・サウンドのようなものである。
急に俗っぽくなってしまったわけだが、この464はBOSEのシステムでは
珍しくチタン製のトゥィターが付いている3ウエイであり、タンノイの完全な
同軸点音源というわけにはいかないが、同じ効果を生み出すためのレゾナンス
マトリクスという配置上の工夫も施されているために、じっくり聴く用途にも
ある程度応えるような機器という面もあるのだ。

JBLは本国アメリカでは一般の人は殆ど知らないし、本格的な同社の顔とも
いえるシステムを買おうとする日本人を幾分馬鹿にした風に異常者扱いをする。
あんなホーン型の時代遅れな設計のスピーカーを何故好むのかわからないのだ。
あれでは良い音なんか出るはずがない、というのが通常の本国人の認識なのだ。
同様に、
タンノイも英国人自身ほとんど知らないメーカーなのであろうと思われる。
私達は英国の誇りとも思えているのだが、露知らずというところであろう。
JBLもタンノイも一般家庭で聴かれているなんて思っていないから日本には
夥しい数のスタジオがあるのだろうと思っていたらしいのだ。
そして、どちらにも共通するのが日本人に愛されているのはホーンを使ってた
システムだということである。
違いが分るのは皮肉にも日本人ユーザーが主なのであった。
そしてどちらのメーカーも日本が大好きで、日本人には敬意を抱いている。
自分達のやっていることの良さをわかってくれるのは誰だって嬉しいに違いない。

その点では、BOSEは誰にでも親しまれているメーカーであろう。
工業製品としてのクオリティは一流である。馬鹿みたいに高価な代物は作らない。
音色も明るい。楽しんでくださいというポリシーが感じられる。
陰影の深さとか、濃厚な感情的表現とか、高貴な輝きとか、思い入れの響きとか、
そういうウエットな感覚とか、鋭いシンバルの切れ味や、スネアドラムの共振の
微細な違いを実物以上に克明に描くという趣味性の高いサウンドではない。

人懐っこい感じのザ・ピーナッツの歌声が帰ってきた、という面もある。
スピーカーにはどの機種にも独特の良さというものが存在する。
安価であっても、シンプルであっても、小さくても、そのスピーカーでなければ
鳴らないという音色がある。これは本当にそうなのだ。
だから私は464だからといって、音楽が聴けないとはさらさら思っていない。
この機種でなければという音に耳を傾けて、その良さを聴こうと思う。

なお、世間一般ではもう見放されたアナログ・レコードですが、
我が家では立派に現役同様に格闘&活躍しています。
(最近のアナログ関係追加導入品)
 DENON     DL−!03R
 オーディオテクニカ AT150MLX
 オーディオテクニカ AT−MONO 3/LP
 オーディオテクニカ AT−LH18/OCC シェル3個
 ベルドリーム    PC−120(フォノケーブル)
 オルトフォン    6NXTSW1010(フォノケーブル)
 東京防音(株)   THT−291(ターンテーブルマット)

 その他リード線も高純度導線に更新。色々と頑張ってます。

2007年(平成19年)      60歳

マランツのSA−13S1というCDプレーヤーを衝動買いしてしまった。
これにはわけがある。
私も還暦を過ぎて、いよいよお年寄りの仲間である、と同時に、耳が劣化するという
懸念が出て来た。
耳の感度の低下は、もっともっと若年から始まっていることなのだが、現実として、
70歳くらいまでしか、まともに聴けないのではないかとも思えてきたのだ。
そうであれば、あと10年くらい満喫出来るような音で聴きたいものだと思ったのだ。

理想システムとしてあげたラインナップはCDプレーヤーをDCD−SA1にすれば
DENONの企業PRの記事に出ていたシステムと同じになるものだった。
この記事では定年を迎えたご主人に奥様から長年ご苦労様ということで200万円の
趣味への投資を許可される
というお話であり、現実としてもあり得ることであろう。
これは決してお金持ちの家庭のお話でもなんでもなく現実的な例とも思えた。

しかしながら、我が家では無念なことにこういうわけにもいかないのだ。
これはやはり大学を出て、然るべき企業に就職し、普通のレールに乗って部課長等の
幹部社員という当たり前のコースを歩んだ人が選べる生活感覚なのだと思う。
私は工業高校しか出ていないし、昇進にも無縁だったので、定年まで勤めたが大した
貯えも出来ずに終わってしまったので、こんなレベルでさえも夢なのだ。
情けないことではあるが、せいぜいが上記の1割程度しかコストがかけられない。
その現実的な路線からの選択であったのだ。

まず、スピーカーでの理想的な再生はもはや不可能と思えた。
マンションでは如何に遮音性が良くても近所迷惑になる。家から建て直さねばならない。
(施工図では隣家と30センチのコンクリート隔壁があり、目測でも25センチ以上はあるが)
それなりの大音量で、ザ・ピーナッツばかり聴いているわけにもいかないではないか。
そうなると必然的に、ヘッドフォン鑑賞を主体に、ということになる。

スタックスのイヤースピーカーは高級感溢れる夢幻の世界を創出することを体験して
いたので、これを長年考慮していたが、費用の面で敷居が高いし、大袈裟でもある。
ある日、ちょっとだけ楽器編成だけの確認のためにCDプレーヤーに直差しで聴いて
みたところ、これが意外に良かったので、驚いた。
お前の耳がおかしいのだと言われてしまえばそれだけだが、こういう記事もあるのだ。

CDプレーヤー直差しマニアと化したわけだが、実際、これで聴くと細かな違いが
色々とわかるのだから、自分に嘘はつけない。
こういう目的に合致する機種はマランツのSA−15S1しかないと思っていたが、
15万円という位置付けになんとなく不安があった。
そこに、SA−13S1というチューンアップ機種の登場である。
これはいいんじゃないかと直感だけで買ってしまったというわけである。
技術的なことはさっぱりわからないから書けない。聴いた感じだけ書こう。

私には基本的な物差がある。矛盾するようだが、
●アナログレコード再生は、CD再生のようにきちんと鳴るのが理想。
●CD再生は、アナログレコード再生のように暖かく鳴るのが理想。
すなわち、両者は限りなく近づいてほしいのだ。
違いを追求する人が殆どだと思うけど、私は逆です。

そういう聴き方で、SA−13S1を聴くと、あ、これ、懐かしい音だなあ、と
思わず感じてしまうのだ。
昔、聴いたというわけじゃなくて、昔からの理想の音を出しているなあということ。
最新機種であるというイメージや違和感がなにもない。
なによりいいなと思うのは、ちょっとこれはつまらないかな、という音調のCDも、
とても素敵に鳴らすこと。これは意外なほどで、思わずニンマリしてしまうのだ。
この秘密は低音域の良さにあるように思う。音楽が楽しく鳴り出すからだ。

欠点というよりも特徴なのだろうが、人懐っこい音がする。中高音域が特にそうだ。
この響きには「高級感」という言葉が似合わない。
澄んだリボンツゥィーターの音色とか高級なホーンスピーカが持つような味わいが
無くて、昔からあるコーンスピーカーが鳴らすようなイメージの中高音域なのだ。
だから、あまりに耳慣れた音なので、透明感とか高尚な響きではないのだ。
これはたぶん、この響きがマランツの技術者が好きなんだろうと思う。
これはオーディオ評論家には嫌われるかも知れないなあ、と思う。
クラシックやジャズの一部には向かない音色かも知れないからね。

これはある意味で、価格相応の良さを発揮していると私は思う。
だって、ちっとも高級品じゃないんだから、楽しく音楽を鳴らすことに撤してしまう
ことで十分じゃなかろうか。楽しい音楽が鳴ればいい。そういう感じだ。
たかが25万程度で品位が最高という音は狙えない。下品ではないだけで良い。
それでいて実際には、高音も低音もけっこう伸びている面もある。
だけど、そういう分析的な聴き方をさせないような安堵感、安心感が不思議にある。
理屈抜きで楽しんでくださいよ、と開発技術者が語りかけて来る機器だ。

繰返しになるが、どうってことのないアルバムが何故か活き活きと楽しく鳴り出す。
これがとても面白いし、聴いていてテンションの上がる音なのだ。
技術の進歩というものが、こんなにプラス方向に向くことは滅多にないことだろう。
これは想定外の喜びでもある。毎日の現実で愛聴盤が拡がることは何よりも嬉しい。

ヘッドフォンがこんなに気持よく鳴るのも奇跡としかいいようがないなあ。
まず間違いなく直差し音質における世界チャンピオンのCDプレーヤーでしょう。
だって、対抗馬なしなんだもんね。唯我独尊の世界。なんとも愉快痛快です。

雑誌「ステレオ」10月号の「新製品ズームアップ!」に紹介された。(2007.9.25追記)

2009年(平成21年)      62歳

我が家のCDP、マランツSA−13S1にはベストマッチのプリメインである
PM−13S1の存在があるんですが、家計の都合でずっと見送ってました。
でも、伊藤ユミの隣に伊藤エミが居ないような寂寥感やら落ち着きのなさがあり、
この際、家内の認可を得て、清水の舞台から飛び下りて買ってしまいました。
こうやって並べてみれば、納得出来るでしょう。お揃いでこそ活きるデザイン。
使用中のアンプは活きてるんで、もったいないですが……。

日進月歩のCDPに比べアンプなどは物量がモノを言う世界でもあり、新旧の違いが
あろうとは思わなかったのですが、認識不足で、最新のテクはかなり凄いです。
表現力が際立ってますし、タイミングの良い音です。
タイミングって、なんのこっちゃ、と言われそうですが、高中低の音波が同じ速度で
処理されてピシッと出て来るという感じがするんです。遅れが生じない。
ハイスピード回路はCDPにもアンプにも両方に採用されてるんで気持が良い。

オーディオ製品というものは面白いもので外観と音色は共通する印象を与えます。
チャーミングでビューティフルという響きがします。とにかく美しい響きです。
ということは迫力だけで聴かせるような範疇の音楽には余り向かないかも知れません。
静寂な部分がとても綺麗ですが、静寂など一切無い音楽では無意味なものになりそう。
BOSEだから、まあこんなもんでしょ、と思っていたのが、生まれ変ったようです。
アンプのドライブ能力というものは大事なんだと思います。
しかし、キャラクターが変わるわけじゃないので、BOSEはBOSEです。(笑)
でも、おまえって結構いいスピーカーだったのね、と再評価しちゃいました。

さて、直挿しオタクとしてはヘッドフォン端子の音も聴いてみたくなりました。
しかしこれは一聴瞭然。CDP直挿しの圧倒的勝利。
パワー感だけは勝るものの、音が甘くなり瑞々しさは消滅し、どこにでもある音です。
聴きやすい面がありますが、これでは眠くなってしまいそう。これは駄目ですね。
ヘッドフォン挿すならCDPにの持論に変更無しです。

写真はマランツのホームページから縮小コピーしたものですが、永久に存在するという
わけではないと思いますのでこちらで半永久保存しちゃおうっと。
ブランドとしては大昔のプリアンプ=マランツ7以来久々のグッドデザインなのではと
思わせます。見てくれだけでも欲しくなる美形アンプ?

ブルーのイルミネーションがエレガント。たまりません。 音質配慮のための内部銅メッキ仕上げが丁寧な仕事を物語ります。↓

オカルトのような音響製品を2種類使い始めている。その一つがこれだ。↑ 
けっこう高価だけど既に300枚くらいのCDに貼付済みです。
センターにぴったり張り付けるにはコツがあります。そうしないと害もあるかも。
メーカーの推奨方法だと上手くいきません。
人さし指に指輪のように嵌めて、それでCDの中央に指を入れてから貼付する方法が
一番確実で上手くいきます。説明通りが最上の手段とは限りません。
高速回転する媒体ですから重量バランスが崩れないように留意が必要でしょう。

もう一つはこれ。↓

不要振動抑制と静電気除去。信じる者は救われん……。かな?
どちらも音質がしっとりとした落ち着いた方向に向かいます。
華麗で派手な音楽(それも持ち味)などには向きません。ま、僅かな違いではあります。
何もしない方がノリが良いという場合があります。万能ではないようです。

そもそも、CDプレーヤーは電源を入れて直ぐに聴けるものじゃない、と思う。これもオカルトだと他人は言うかも?

アイドリング効果ということです。

オーディオ評論家の中には、CDPの電源は一年中入れっぱなしという方もいる。

今日現在発売中のオーディオ・アクセサリー誌(2007年10月号/季刊)に
「ビンテージオーディオ入門」という連載記事があるのですが、そこに過去に
愛用していたメイン・アンプが紹介されていました。懐かしいです。

上記では、PチャンネルのV−FETは作り難くそうだった、と書いてありますが、
作れなかった、が正しいのではないかと思います。
逆動作の真空管が作れないのと同じ理由で、少なくともB−1にはPチャンネルの
V−FETは搭載されておらず、じゃどうしたのかというと真空管アンプで馴染み
の位相反転段という前回路があって、それでプッシュプル動作が可能になった筈。

今日現在発売中のオーディオ・アクセサリー誌(2008年4月号/季刊)に、PRA-2000が登場。わお!

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