すっかり秋も深まった感じですね。皆さまお元気でお過ごしのこととぞんじます。
私たちもおかげさまで、とても元気で毎日お仕事に追われています。
 九日、中京発会式に続いて、大劇出演中に関西発会式があり、大ぜいの会員の皆
さまが集まって下さいました。エミはちょっとノドをいためてましたので、その後
皆さまが心配下さってお見舞いを頂いたり、ほんとに皆さまのご厚意をありがたく
思います。もうすっかりよくなりましたから、どうぞご安心下さいませ。
 または発会式の時は、皆さまからお心のこもったプレゼントをたくさん頂いて、
どうもありがとうございました。
 十月は、映画にニ本出演しました。私たちの大好きな江利チエミさんの時代劇
「唄祭ロマンス道中」を宝塚撮影所で歌のシーンを一日で撮り終えました。
もう一本は日活で、私たちの「情熱の花」を映画化したもので、これには初めて
歌手ザ・ピーナッツとして出演しました。
 また十月二十九、三十日の二日間、お休みをいただいて八丈島に出かけました。
名古屋から母が来ていっしょでしたので、とてもゴキゲンでした。雑誌社のカメラ
マンの方も同行しましたので、いずれ雑誌のグラビアに出ると思います。
 今月キングレコードからLP盤とクリスマスレコードが出ますからどうぞ聞いて
下さいね。最近レコーディングした曲は「夢のナポリターナ」他一曲です。

高校生時代のエミ・ユミちゃんの思い出

  名古屋市西陵高校でユミちゃんと同級生であった親友の××さんは
  名鉄ホール九月公演のザ・ピーナッツまつりで、一年ぶりにエミ・
  ユミちゃんと逢い、大いに旧交をあたためました。なつかしい高校
  時代の思い出を××さんに綴っていただいた次第です。(匿名にしました)

 名古屋市西陵高校の入学合格発表の時、学校放送で双生児の姉妹が入学したと
聞き、その双生児の妹、月ちゃん(ユミ)が私と同級になりました。
 さて初めのころは、どちらが月ちゃんや日出ちゃん(エミ)やら、てんで見当
がつかず、よく失敗したことを覚えています。
 二人とも、とてもチャーミングで、テレヤで、とにかく誰にでも好かれるタイ
プでした。(とくに男子にネ)
 一年生の運動会の時、上級生の男子の一人が、月ちゃんとお友達になってほし
いと教室にやって来たのですが、ちょうどその時、日出ちゃんがいて、月ちゃん
のつもりで話相手になったので、あとで話がこんがらがったなんてことがありま
したが、その後こんなことはザラにありました。
 ほんとによく似た二人でしたが、性格は反対のところがあって、月ちゃんは何
となく話しやすく、ひと付き合いの良いほうで、いわば社交性にとんでいました
が、一方日出ちゃんはお姉さんのせいもあってか、いかにも落着いていて、人と
話をするにも、よく考えてから返事をするといったふうでした。
 一年からニ年に進級しても二人は別々のクラスでしたが、クラス以外の行動は
いつもいっしょでその共通点には驚かされることがしばしばでした。というのは
テストの点はいつも同じでしたし、また問題のわからなかったり間違えたりした
ことも、いつも同じで、私たち第三者は何か神秘的な感に打たれたものです。

 私はお二人と特別仲よくなって、学校の帰り、よくお好み焼屋に寄ったりしま
した。土曜日のこと、三人でカバンを持ったまま学校の帰り映画を見たまではよ
かったのですが、おかげでおなかがペコペコ、うどん屋さんに飛び込んで、さて
お勘定となったら、三人ともフトコロがまるでお寒く、みんな合計して払ったと
ころ、電車賃がなくなって、トボトボ歩いて帰ったなんてこともありました。
 とにかく三人すっかり意気投合しちゃって、朝はお互いにお寝坊して時間スレ
スレに割カンでタクシーで校門にすべり込み、先生に注意されたり………あまり
優等生とはいえなかったかも知れませんが、それだけに懐かしい思い出がたくさ
んあるのです。
 秋のマラソン大会では、校門を出るスタートからラスト、とにかく走ることは
全然ダメ、また水泳もカナヅチで学校のプールでよく潜る練習をさせられたもの
です。得意だったのは体操とダンスでした。
 二年の夏、富士登山をしましたが、月ちゃんは途中でノビてしまいましたが、
日出ちゃんは頂上までガンバリました。
 歌は二人とも好きで、毎年行われた文化祭には必ず揃って出演し、また学校の
音楽クラブで大いにはりきっていました。アルコールには二人とも全然ヨワク、
お正月、友だちとゲームして遊んだ時、ほんの少し飲んだのに翌日ジンマシンで
外出出来ず悲観していたことなどがありました。

 二年に進学の頃、二人は歌で身を立てたいとの希望で一度上京し、大野一夫さ
んらといっしょに勉強に通っていたそうですが、半年ほどで名古屋に帰り、ナイ
トクラブなどで歌っていました。
 結局。二年中退ということで、その頃は学校時代の先生や友達に合うのが恥ず
かしいからと言って、あまり外出しなかったようです。というのは、先生始め、
学友が「二年で中退してしまうのは惜しい。それに芸能界はきびしいから、たや
すく歌手にはなれまい」と反対されたのを押し切って学校をやめたためだったと
思います。
 二人が歌手の卵として勉強中のころ、ハイヒールを履いて映画を見に行き、帰
りに足が痛くて夜の町を二人揃って両手に靴をブラ下げ素足で帰宅したと話して
くれましたが、私たち三人は、こんな細かなことまで話しあえる友情で結ばれて
過ごしてきました。
 現在では、ザ・ピーナッツとして一流の芸能人に成長された日出ちゃん月ちゃ
んですが、歩む道こそ違え、私にとっては、昔のままの親友として、たまに逢う
時も楽しく語り合えることを、とてもうれしく思います。

ザ・ピーナッツのこと
              ジミー・竹内(シックス・ジョーズ)

 最初これはイカすと思ったのが、僕が演奏旅行で名古屋へ行った時
(昭和33年)あるクラブで歌っていたピーナッツである。
 それから間もなく東京でデビューし、僅かの間に人気最高になった。
 始めは双児であるという事で人気を呼んだものだが、現在では実力
がついてきた。とにかく日本の他のコーラスでは彼女達に太刀打ち
が出来ないだろう。
 彼女達が出すレコードは必ずヒットする。しかしどんな歌を歌って
も一本調子、何かオリジナルが欲しい、というような色々なファンの
声を聞くが、彼女達はそれらファンの気持にそうよう努力している。
 ピーナッツの将来を期待する一人として今後ますます勉強していい
歌を聞かせて欲しい。皆さんもよきピーナッツのファンになり期待し
てあげて下さい。

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